スピノザは第四部定義八で徳と能動,人間の精神においては理性を同一のものと解しています。そしてもうひとつ,これと同一とスピノザがみなすのが至福beatitudoです。第五部定理四二で以下のようにいわれています。

「至福は徳の報酬ではなくて徳それ自身である。そして我々は快楽を抑制するがゆえに至福を享受するのではなくて,反対に,至福を享受するがゆえに快楽を抑制しうるのである」。
この定理は神学と関係する要素があるので,やや特殊な証明が与えられています。そこでここでは,スピノザの証明とは別の仕方でこれを考えてみましょう。
第四部定理五二では,理性から生じる自己満足が存在する最高の満足だといわれています。理性は徳と同一視できるので,この自己満足が最高の徳であると理解して間違いでないでしょう。自己満足は感情で,基本感情のうち喜びに該当します。つまり第三部諸感情の定義二により,より小なる完全性からより大なる完全性への移行です。そしてこれが最高の満足いい換えれば喜びであるということは,それはそれ以上は大なる完全性へ移行するような喜びは存在しないという意味になります。つまり最高の徳とは最高の喜びであるということになるわけで,それを至福と記号化するのは変ではないと思います。よって理性と徳と至福は,同一視してよいことになります。
現世で徳を積むことが,来世の至福をもたらすという教えは,キリスト教に限らず宗教ではありがちです。至福が徳の報酬であるという意見について,おそらくスピノザはそのような宗教的見解を念頭においているものと推測されます。それに対してスピノザは,至福というのは来世のものではなく,現世のものなのだと主張していることになります。
たぶんこの定理には,上述したような二重の意味合いが含まれています。したがって至福は徳そのものであり,かつ現実的に存在する人間が手に入れるものであるというように解するのが,最もスピノザの意を汲んだ解釈になるものと考えます。
11月25日,火曜日。母はこの日が最後のボランティア。施設のバザーの後片づけです。バザーは22日だったわけですが,23日は日曜,24日が振替休日で連休となっていましたので,この日になったものです。また,妹はこの日から磯子区内の施設へ2泊3日のショートステイに行きました。ただしこの日は迎えは依頼せず,母が荷物を持って妹を送っています。というのもこの日は妹のインフルエンザの予防接種というのがありまして,作業所ではなく施設に通勤することになっていました。母も施設へ行くことになっていましたので,一緒に行ったのです。僕もこの日は本牧で,帰ったのは午後4時15分頃でした。
11月26日,水曜日。母がI歯科へ。抜糸です。これは午前11時の予約。つまり処置としては時間が掛からないと想定されていたことになります。実際に糸を切って消毒するだけだったようで,簡単に終了したそうです。僕はこの日は川崎。帰ったのは午後4時45分頃でした。
11月27日,木曜日。妹がショートステイから帰りました。妹がひとりですべての荷物を持ち帰るのは困難ですから,この日は送ってもらうように手配してありました。僕はこの日は菊名。帰ったのは午後4時55分頃で,この時間ですと妹はすでに帰っていることがほとんどです。
11月28日,金曜日。妹が通っていた養護学校の保護者会があり,母が出掛けました。横浜での昼食会です。僕はこの日は長者町で,帰ったのは午後4時25分くらいでした。
12月6日,土曜日。妹のピアノのレッスン。この日は午後3時からでした。
12月7日,日曜日。母と妹が美容院へ。いつものように午後1時の予約で,帰ってきたのは午後4時10分頃。前回は早かったのですが,概ねこれくらいの時刻に帰ってくることが多くなっています。
この日は僕の誕生日でした。例年のことですが,誕生日だからといって何か特別の感情が生じるわけではありませんし,特別のことをするわけでもありません。ただ,このときは44という年齢になったことに,ある感慨めいたものはありました。スピノザは44歳で死んでいるからです。

「至福は徳の報酬ではなくて徳それ自身である。そして我々は快楽を抑制するがゆえに至福を享受するのではなくて,反対に,至福を享受するがゆえに快楽を抑制しうるのである」。
この定理は神学と関係する要素があるので,やや特殊な証明が与えられています。そこでここでは,スピノザの証明とは別の仕方でこれを考えてみましょう。
第四部定理五二では,理性から生じる自己満足が存在する最高の満足だといわれています。理性は徳と同一視できるので,この自己満足が最高の徳であると理解して間違いでないでしょう。自己満足は感情で,基本感情のうち喜びに該当します。つまり第三部諸感情の定義二により,より小なる完全性からより大なる完全性への移行です。そしてこれが最高の満足いい換えれば喜びであるということは,それはそれ以上は大なる完全性へ移行するような喜びは存在しないという意味になります。つまり最高の徳とは最高の喜びであるということになるわけで,それを至福と記号化するのは変ではないと思います。よって理性と徳と至福は,同一視してよいことになります。
現世で徳を積むことが,来世の至福をもたらすという教えは,キリスト教に限らず宗教ではありがちです。至福が徳の報酬であるという意見について,おそらくスピノザはそのような宗教的見解を念頭においているものと推測されます。それに対してスピノザは,至福というのは来世のものではなく,現世のものなのだと主張していることになります。
たぶんこの定理には,上述したような二重の意味合いが含まれています。したがって至福は徳そのものであり,かつ現実的に存在する人間が手に入れるものであるというように解するのが,最もスピノザの意を汲んだ解釈になるものと考えます。
11月25日,火曜日。母はこの日が最後のボランティア。施設のバザーの後片づけです。バザーは22日だったわけですが,23日は日曜,24日が振替休日で連休となっていましたので,この日になったものです。また,妹はこの日から磯子区内の施設へ2泊3日のショートステイに行きました。ただしこの日は迎えは依頼せず,母が荷物を持って妹を送っています。というのもこの日は妹のインフルエンザの予防接種というのがありまして,作業所ではなく施設に通勤することになっていました。母も施設へ行くことになっていましたので,一緒に行ったのです。僕もこの日は本牧で,帰ったのは午後4時15分頃でした。
11月26日,水曜日。母がI歯科へ。抜糸です。これは午前11時の予約。つまり処置としては時間が掛からないと想定されていたことになります。実際に糸を切って消毒するだけだったようで,簡単に終了したそうです。僕はこの日は川崎。帰ったのは午後4時45分頃でした。
11月27日,木曜日。妹がショートステイから帰りました。妹がひとりですべての荷物を持ち帰るのは困難ですから,この日は送ってもらうように手配してありました。僕はこの日は菊名。帰ったのは午後4時55分頃で,この時間ですと妹はすでに帰っていることがほとんどです。
11月28日,金曜日。妹が通っていた養護学校の保護者会があり,母が出掛けました。横浜での昼食会です。僕はこの日は長者町で,帰ったのは午後4時25分くらいでした。
12月6日,土曜日。妹のピアノのレッスン。この日は午後3時からでした。
12月7日,日曜日。母と妹が美容院へ。いつものように午後1時の予約で,帰ってきたのは午後4時10分頃。前回は早かったのですが,概ねこれくらいの時刻に帰ってくることが多くなっています。
この日は僕の誕生日でした。例年のことですが,誕生日だからといって何か特別の感情が生じるわけではありませんし,特別のことをするわけでもありません。ただ,このときは44という年齢になったことに,ある感慨めいたものはありました。スピノザは44歳で死んでいるからです。