「忘れてはいけない」は『miss M.』というアルバムに収録されています。最後が「肩に降る雨」であることもあり,たぶん僕が最も多く聴いたアルバムと思います。「肩に降る雨」のひとつ前は「ノスタルジア」です。

いい人にだけめぐり会ったわ 騙されたことがない
いい男いい別れそしてついにこのザマね
これが曲の冒頭ですが,思わず笑ってしまいます。いいことばかりでこのザマというのは,あまりにそぐわないと思えるからです。ただ,これは後への伏線といえば伏線になっています。
傷ついてもつまずいても過ぎ去れば物語
人は誰も過ぎた日々に弁護士をつけたがる
自分の過去を弁護するというのはよくある話です。僕が水川隆夫の読解を否定するのも,執筆時点の私が過去の私の弁護士になっていると考えるからです。「ノスタルジア」の歌い手が,たとえこのザマであったとしても,いいことばかりだったというのは,そういう弁護の一種なのであり,かつそのことに自覚的であったのかもしれません。そうでなければ,この歌い手は,こんなふうに歌うことはできなかったように思うのです。
裁かないでね叱らないでね思い出は物語
私どんな人のことも天使だったと言うわ
乱視の影響とは別に,下りるということに関しては,僕にはひとつだけ特異な思い出があります。
小学生の低学年の頃に発生したのではないかと思うのですが,僕には一時期だけ,下りのエスカレーターに乗ることに恐怖感があり,乗ることができないということがありました。エスカレーターに乗るということは,ある程度まで成長すれば分からなくなるでしょうが,一定の技術を要します。ですから幼児にとっては意外と困難なことで,スムーズに乗れるようになるのに何回かの練習を必要とする場合も生じます。僕にとってそれがどの程度まで困難なことであったのかは思い出すことができません。でも,少なくとも小学校に入学する以前には,上りも下りも問題なくエスカレーターに乗れるようにはなっていました。
ところがその後で,一時期だけなのですが,下りのエスカレーターに限っては乗ることができなくなってしまったのです。なぜそうした恐怖を感じるようになったのかはまったく分からないですし,あくまでも一時的なことで,すぐにまた乗ることができるようになったとは思うのですが,この一時期というのが具体的にどの程度の期間であったかも分かりません。ただ,確かに僕にはそういう時期があったのです。このような経験をされている方というのは,僕のほかにもあるのかということには,僕はやや興味を有しています。
この日は月曜日でしたから,妹は週に1度の迎えの日であったのですが,この日からこれを断って,母が送っていくようになりました。すでに水曜の迎えと金曜の迎えは断ってありますので,この週からは原則的に母が1日も欠かさずに妹を作業所まで送っていくことになったわけです。原則的というのは,ショートステイで荷物を運ばなければならないというような日は,これ以降も臨時で迎えのサービスを依頼しているからです。新年度になって,作業所および施設の態勢も変化がありました。作業所における妹の担当者,すなわち学校でいうところのクラスの担任にも変更が生じています。この影響からか,迎えに来る時間が遅くなったので,母の決定で,月曜日も迎えを断ることにしたものです。

いい人にだけめぐり会ったわ 騙されたことがない
いい男いい別れそしてついにこのザマね
これが曲の冒頭ですが,思わず笑ってしまいます。いいことばかりでこのザマというのは,あまりにそぐわないと思えるからです。ただ,これは後への伏線といえば伏線になっています。
傷ついてもつまずいても過ぎ去れば物語
人は誰も過ぎた日々に弁護士をつけたがる
自分の過去を弁護するというのはよくある話です。僕が水川隆夫の読解を否定するのも,執筆時点の私が過去の私の弁護士になっていると考えるからです。「ノスタルジア」の歌い手が,たとえこのザマであったとしても,いいことばかりだったというのは,そういう弁護の一種なのであり,かつそのことに自覚的であったのかもしれません。そうでなければ,この歌い手は,こんなふうに歌うことはできなかったように思うのです。
裁かないでね叱らないでね思い出は物語
私どんな人のことも天使だったと言うわ
乱視の影響とは別に,下りるということに関しては,僕にはひとつだけ特異な思い出があります。
小学生の低学年の頃に発生したのではないかと思うのですが,僕には一時期だけ,下りのエスカレーターに乗ることに恐怖感があり,乗ることができないということがありました。エスカレーターに乗るということは,ある程度まで成長すれば分からなくなるでしょうが,一定の技術を要します。ですから幼児にとっては意外と困難なことで,スムーズに乗れるようになるのに何回かの練習を必要とする場合も生じます。僕にとってそれがどの程度まで困難なことであったのかは思い出すことができません。でも,少なくとも小学校に入学する以前には,上りも下りも問題なくエスカレーターに乗れるようにはなっていました。
ところがその後で,一時期だけなのですが,下りのエスカレーターに限っては乗ることができなくなってしまったのです。なぜそうした恐怖を感じるようになったのかはまったく分からないですし,あくまでも一時的なことで,すぐにまた乗ることができるようになったとは思うのですが,この一時期というのが具体的にどの程度の期間であったかも分かりません。ただ,確かに僕にはそういう時期があったのです。このような経験をされている方というのは,僕のほかにもあるのかということには,僕はやや興味を有しています。
この日は月曜日でしたから,妹は週に1度の迎えの日であったのですが,この日からこれを断って,母が送っていくようになりました。すでに水曜の迎えと金曜の迎えは断ってありますので,この週からは原則的に母が1日も欠かさずに妹を作業所まで送っていくことになったわけです。原則的というのは,ショートステイで荷物を運ばなければならないというような日は,これ以降も臨時で迎えのサービスを依頼しているからです。新年度になって,作業所および施設の態勢も変化がありました。作業所における妹の担当者,すなわち学校でいうところのクラスの担任にも変更が生じています。この影響からか,迎えに来る時間が遅くなったので,母の決定で,月曜日も迎えを断ることにしたものです。