エーシンビートロンが出走取消で11頭での争いとなった第17回かきつばた記念。
枠順の差もあってハナを奪ったのはコーリンベリー。2番手にメイショウコロンボ,3番手にアイファーソング。そしてエナエビスとレーザーバレットが併走で続くという隊列。最初の600mは36秒2のミドルペース。
3コーナーではレーザーバレットが単独の3番手に上がり,ここからは前3頭でのレース。結局コーリンベリーは並び掛けられるというシーンもなく逃げ切って優勝。直線は最内に進路を選択したレーザーバレットが1馬身半差で2着。メイショウコロンボがさらに1馬身半差で3着。
優勝したコーリンベリーは重賞初制覇。ただここまで1400mのオープン特別で牡馬を相手に3勝。その馬が52キロの斤量で出走できましたので,地方の馬場を克服できれば最も有利な立場にいると思われました。距離が伸びることにどこまで対応できるのかは未知数な部分は残ります。今日は競られずに楽なペースで逃げられるという展開面の恩恵もあったのは事実ですが,まだ4歳ですから,この距離の重賞であれば勝つチャンスはこれからも多くあるだろうと思います。父はサウスヴィグラス。三代母の半弟に1994年の福島記念を勝ったシルクグレイッシュ。
騎乗した松山弘平騎手と管理している柴田政見調教師はかきつばた記念初勝利。
N伯父の納骨の後の会食も,僕なら絶対に行くことがないであろう店でした。たぶん従兄には叔父と同じような食へのこだわりといったものがあるのだろうと推測します。叔父は自身でそう言っていますから,それがあるのは確実ですが,従兄の口からは同じようなことばは聞いていませんから,あくまでも推測ではあります。墓地からこの日の店舗までと,この店舗から家まで,寺から墓地までと同様に父のすぐ上の伯父の自動車に同乗させてもらいました。散会となったのが午後3時15分頃,送ってもらった僕たちが帰宅したのは午後3時40分くらいのことでした。
この日は衆議院議員の選挙と最高裁判所裁判官の国民審査がありました。投票所は自宅のすぐ近くですから,こちらは従兄の迎えの前に投票を済ませてありました。
12月15日,月曜日。妹の遺伝科への通院。午後1時の予約。この日は診察だけだったようで,午後3時には帰宅できたようです。僕は屏風浦で,帰ったのは午後4時35分頃です。
12月20日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後2時から。年末ということもあり,先生も忙しかったようで,本当は前日の午後5時半が予定されていました。しかし事前に電話があり,この日のこの時間ならば大丈夫になったとのこと。金曜日ですと妹が作業所から帰った後でのレッスンということになり,負担は大きくなります。休日の土曜日の方が妹にも楽でしょうから,この日に変更しました。
12月21日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日もカラオケだったのですが,クリスマスが近いということで,参加者によるプレゼント交換も行われました。

12月22日,月曜日。通院でした。午前中に長者町に行き,家に戻ってまた出掛けたのが正午でした。病院に到着したのが午後12時40分頃。そのときになって,血糖値測定器を持参するのを忘れてしまったことに気付きました。とはいえこれは絶対に必要なものとまではいえませんから,取りには戻っていません。記録は器械の中に残っている筈で,それは次回の通院のときにプリントアウトできるであろうと判断したからです。
枠順の差もあってハナを奪ったのはコーリンベリー。2番手にメイショウコロンボ,3番手にアイファーソング。そしてエナエビスとレーザーバレットが併走で続くという隊列。最初の600mは36秒2のミドルペース。
3コーナーではレーザーバレットが単独の3番手に上がり,ここからは前3頭でのレース。結局コーリンベリーは並び掛けられるというシーンもなく逃げ切って優勝。直線は最内に進路を選択したレーザーバレットが1馬身半差で2着。メイショウコロンボがさらに1馬身半差で3着。
優勝したコーリンベリーは重賞初制覇。ただここまで1400mのオープン特別で牡馬を相手に3勝。その馬が52キロの斤量で出走できましたので,地方の馬場を克服できれば最も有利な立場にいると思われました。距離が伸びることにどこまで対応できるのかは未知数な部分は残ります。今日は競られずに楽なペースで逃げられるという展開面の恩恵もあったのは事実ですが,まだ4歳ですから,この距離の重賞であれば勝つチャンスはこれからも多くあるだろうと思います。父はサウスヴィグラス。三代母の半弟に1994年の福島記念を勝ったシルクグレイッシュ。
騎乗した松山弘平騎手と管理している柴田政見調教師はかきつばた記念初勝利。
N伯父の納骨の後の会食も,僕なら絶対に行くことがないであろう店でした。たぶん従兄には叔父と同じような食へのこだわりといったものがあるのだろうと推測します。叔父は自身でそう言っていますから,それがあるのは確実ですが,従兄の口からは同じようなことばは聞いていませんから,あくまでも推測ではあります。墓地からこの日の店舗までと,この店舗から家まで,寺から墓地までと同様に父のすぐ上の伯父の自動車に同乗させてもらいました。散会となったのが午後3時15分頃,送ってもらった僕たちが帰宅したのは午後3時40分くらいのことでした。
この日は衆議院議員の選挙と最高裁判所裁判官の国民審査がありました。投票所は自宅のすぐ近くですから,こちらは従兄の迎えの前に投票を済ませてありました。
12月15日,月曜日。妹の遺伝科への通院。午後1時の予約。この日は診察だけだったようで,午後3時には帰宅できたようです。僕は屏風浦で,帰ったのは午後4時35分頃です。
12月20日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後2時から。年末ということもあり,先生も忙しかったようで,本当は前日の午後5時半が予定されていました。しかし事前に電話があり,この日のこの時間ならば大丈夫になったとのこと。金曜日ですと妹が作業所から帰った後でのレッスンということになり,負担は大きくなります。休日の土曜日の方が妹にも楽でしょうから,この日に変更しました。
12月21日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日もカラオケだったのですが,クリスマスが近いということで,参加者によるプレゼント交換も行われました。

12月22日,月曜日。通院でした。午前中に長者町に行き,家に戻ってまた出掛けたのが正午でした。病院に到着したのが午後12時40分頃。そのときになって,血糖値測定器を持参するのを忘れてしまったことに気付きました。とはいえこれは絶対に必要なものとまではいえませんから,取りには戻っていません。記録は器械の中に残っている筈で,それは次回の通院のときにプリントアウトできるであろうと判断したからです。