スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

優駿牝馬&母と友人

2015-05-24 19:13:10 | 中央競馬
 牝馬クラシック2冠目の第76回オークス。トーセンナチュラルが右肩の跛行で出走取消となり17頭。
 クルミナルは横にジャンプするような発馬。まずシングウィズジョイが前に出ましたが,逃げると予想していたノットフォーマルが被せるように交わして先頭に。ローデッドが外から2番手に上がり,内で控えたシングウィズジョイが3番手。4番手にディアマイダーリンで,この後ろはかなり行きたがったレッツゴードンキとルージュバックがほぼ併走。コンテッサトゥーレが単独で7番手。ココロノアイと巻き返してきたクルミナルが併走で続き,アースライズ,マキシマムドパリ,ミッキークイーンの順で追走。最初の1000mは61秒3でスローペース。
 3コーナーで前の2頭と後ろの差が一旦は離れましたが,ディアマイダーリンがここから追い掛けると,ルージュバックもついていきました。直線に入るとルージュバックが単独で先頭に。外から追い掛けてきたのはクルミナルとミッキークイーンの2頭。ゴール前は3頭の激しい叩き合いになりましたが,大外のミッキークイーンの末脚が優り,4分の3馬身差で優勝。先に抜けていたルージュバックは苦しかったか最後は外によれていましたが2着は確保。真中のクルミナルが半馬身遅れての3着。
 優勝したミッキークイーンは桜花賞を抽選で除外になったため出走したオープンからの連勝。重賞初制覇で大レース勝利。そのレースの勝ち方が非常に強かったので,実力上位の1頭と考えていました。2走前に東京に遠征してきたときに20キロも体重を減らしていて,前回も2キロしか回復していなかったので,その点を心配していましたが,今日も4キロですが増えていて,問題なかったようです。ということはこのくらいの体重でよいということでしょう。父はディープインパクト
 騎乗した浜中俊騎手は昨年の秋華賞以来の大レース制覇。オークスは初勝利。管理している池江泰寿調教師は一昨年の有馬記念以来の大レース制覇。オークスは初勝利。
 クルミナルが枠入りを嫌がったため時間が掛かり,結果的に枠内で待たされなかった馬で上位を占めました。ただ,この3頭は僕が純粋な競走能力では上位ではないかと考えていた3頭。枠入りの影響の評価が難しいですが,上位3頭は今後も高いレベルでの戦いを期待できると思います。

 4月18日,土曜日。ガイドヘルパーを利用。この日は新杉田でのボーリング。
 4月19日,日曜日。ピアノのレッスン。午後3時半から。
 4月22日,水曜日。妹はショートステイへ。磯子区内の施設に1泊。月曜の迎えがなくなって,朝はずっと母が送っていたわけですが,この日の朝に,臨時で迎えの依頼をしました。翌日は妹はいませんから,当然ながら送っていく必要はなく,母は2日間は午前中はずっと家にいることになります。僕はこの日は川崎で,帰宅したのは午後5時20分頃。このくらいの時刻になる方が普通です。
 4月23日,木曜日。妹が帰りましたが,このときは家まで送ってもらっています。要するにショートステイの前後は,開始の日に臨時で迎えのサービスを依頼し,帰宅の日にはやはり臨時で送りのサービスを利用するということです。僕は連日で川崎へ。この日は午後5時50分頃の帰宅。現状ではこれくらいの時刻になると,遅くなったという感じがあります。
 4月24日,金曜日。母が短大時代の同級生との昼食に出掛けました。妹を送って,そのまま行ったもの。母によればその友人と会うのは,母が入院中に見舞いに来てもらって以来だったとのことです。長く会っていなかった人が,なぜ4年半前には母の入院を知ったのかは不思議に思われるかもしれません。これは以下の事情です。
 母が入院したのは2010年10月11日。その2ヶ月ほど前に,父が死んでいました。このために喪中はがきを出す必要があり,僕が新年に届いた年賀状をもとに,200枚ほど出しました。この同級生とも賀状のやり取りはあったようで,それが届いたわけです。ところが母は,父が死んだことに関しては友人には話していなかったらしく,はがきを受け取ることでそれを知った何人かの母の友人から電話がありました。母は入院中でしたから,そのすべてに僕が対応し,母について尋ねられた場合には,小脳出血で入院中であることを伝えました。そのために,このはがきを出してからは,母の友人たちの何人かが,見舞いに来ることになりました。この日の相手も,そのうちのひとりであったということです。
コメント
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