スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯白玲戦&区別の課題

2023-10-04 19:36:13 | 将棋
 9月30日に奈良で指された第3期白玲戦七番勝負第四局。
 里見香奈白玲の先手で中飛車左玉。西山朋佳女流三冠の向飛車に先手が2筋に飛車を戻す形で,先手が5筋位取りの対抗形になりました。この将棋は後手が思い切った攻めに出て,先手玉は薄いので攻めだけでみれば成立はしていたのですが,駒損だったために先手の反撃に逢い,双方の兼ね合いからは無理攻めだったために苦しくなりました。
                                        
 第1図で先手は☗6九香と受けました。後手は☖2八龍と攻めを続け☗6六馬と引き付けつつ詰めろを掛けられたので☖6八成桂☗同香と清算しました。☖8五銀は先手玉の上部を押さえつけつつ詰めろを受けた手。先手は☗5九歩と受けました。
                                        
 この手順からみると先手は☗6六馬に期待していたようなのですがそれほど効果的ではありませんでした。第1図で受けるのであれば☗5七同金☖同龍☗6八金とした方がよかったですし,攻めるのなら☗8四桂☖同歩☗5七金☖7四銀としてから☗6六馬と攻める方がよかったようです。また,第2図の☗5九歩も受けとしては薄く,これが敗着となったようです。☗7九金としっかり打っておくべきでした。
 西山女流三冠が勝って3勝1敗。第五局は14日に指される予定です。

 ここまでに述べてきた私見から理解してもらえたかと思いますが,僕はある積極的な理由があって,スピノザの哲学は平行論を採用しているといっているのではありません。スピノザの哲学を実在的なものとしてみるのなら,平行論を採用しようと同一説を採用しようと大差がないと考えています。ただ,形而上学的部分からみると,同一説を採用するのには無理があると考えているのです。つまりこうした消極的な理由によって同一説を斥けているのであって,平行論を積極的に採用しているというわけではないのです。だから,平行論であるか同一説であるかの二者択一としては平行論の方を採用しているというだけであって,平行論を積極的に採用するべきだといいたいのではありません。
 ただし,同一説を斥ける根拠が形而上学的な観点となっているとすれば,なおクリアしておかなければならない課題が残っています。これは区別distinguereの問題に関連します。実体substantiaの相違によって区別されるなら実在的区別で,様態modiの相違によって区別されるのであれば様態的区別であるのはその通りなのですが,これは基本的な事項であって,例外といえる場合があるのです。それは,スピノザの哲学では思惟の属性Cogitationis attributumがほかの属性とは異なった位置づけにあるからです。
 第一部定義六により,Deusの本性essentiaは無限に多くのinfinita属性によって構成されます。そして第一部定理一一により,神は実在します。つまり,無限に多くの属性が実在すると解さなければなりません。そのとき,それら無限に多くの属性のすべてに各々の思惟の属性が対応します。つまり,Aの属性にはAの属性に対応する思惟の属性があり,Bの属性にはBの属性に対応する思惟の属性があり,Cの属性にはCの属性に対応する思惟の属性があるという具合です。したがって,神は無限に多くの属性によって構成されるということのうちには,神は無限に多くの形相的本性essentia formalisによって構成される実体substantiaで,それらの形相的本性に各々の思惟の属性が対応するということが含まれていることになります。いってみれば,形相的本性を構成する無限に多くの属性と,それに対応する無限に多くの思惟の属性によって神の本性は構成されるのです。
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