スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&謬見の排除

2023-10-08 19:05:51 | 将棋
 一昨日と昨日,セルリアンタワー能楽堂で指された第36期竜王戦七番勝負第一局。対戦成績は藤井聡太竜王が2勝,伊藤匠七段が0勝。
 振駒で伊藤七段の先手となって相掛り。この将棋は先手がそこまで悪い手を指したというわけでもないのですが,後手の藤井竜王がずっと的確な指し回しをして快勝したという内容でした。先手の作戦選択に甘いところあったか,順部が足りていなかったかのどちらかだと思います。
                                        
 ここ後手は☖4六飛と浮き,☗4七銀に☖5六飛☗同歩と飛車角交換に進めました。飛車が逃げていては千日手ですから当然の選択で,これが実質的な決め手となりました。
 一旦は☖2三歩☗3四飛と受けてから☖7八角。
                                        
 これが遠く飛車を睨み,桂馬さらには香車と確実に入手できる一手。後手が攻め合ってはっきりと勝てる局面になっています。
 藤井竜王が先勝。第二局は17日と18日に指される予定です。

 人間の身体humanum corpusが自分の精神mensを思惟作用に,また人間の精神mens humanaが自身の身体を運動motusや静止quiesに,それぞれ決定するdeterminareことができないことの根拠は,人間の身体と,それを観念対象ideatumとしているその人間の精神が,実在的にrealiter区別されるからであるということになっています。このことから僕は,ある人間の身体とその人間の精神を同一の事物とみることはできず,実在的に区別される別個の事物と解するべきだと考えます。このために僕は同一説より平行論を採用するのです。つまり,ある人間の身体とその人間の精神は,同一の事物のふたつの側面であるから,その原因causaと結果effectusの連結connexioと秩序ordoが一致するのではなく,これらは別個のものであるけれど,人間の精神はその人間の身体の観念ideaであるから,原因と結果の連結と秩序は一致するというように解するのです。
 区別の形而上学からすれば,本来は同一説を採用した方が,一貫性が保たれると僕は考えます。それなのにスピノザは第三部定理二では,人間の身体とその人間の精神の区別distinguereも実在的区別であるとしています。この定理Propositioは,たとえば人間が自由な意志voluntas liberaによって自分の身体を何らかの運動に決定することができるという類の謬見を否定するnegareために設置されていると考えるべきであって,区別の形而上学からこのことがどのようにいわれるべきであるかということは念頭に置かれていないというべきでしょう。ただ,そうした謬見を糾すためには,同一説に訴えるより平行論に訴える方が有効であることは確かだと思います。この方が,人間の精神が人間の身体の運動や静止の原因であることはできないということを明確に示すことができるからです。ですから,そうした謬見を避けたいという場合は,同一説を採用するよりも平行論を採用する方が有効であるとは僕は思います。
 同一説とか平行論というのは,スピノザ自身の考えのうちにあったものではありません。これは後年に,スピノザの哲学を解釈するために創作された概念notioです。ですからスピノザ自身は,自分の哲学が同一説であるか平行論であるかなどということはまったく考えていなかったろうと僕は推測します。そしてこの論争は無意味とすら考えたかもしれません。
コメント
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