スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯白玲戦&譲渡と拡充

2023-10-30 19:46:41 | 将棋
 28日に浅草で指された第3期白玲戦七番勝負第七局。
 振駒で西山朋佳女流三冠が先手となって三間飛車からの向飛車。後手の里見香奈白玲の向飛車で相振飛車に。この将棋は先手が1筋の位を取らせて菊水矢倉に組むという作戦を採用。後手の腰掛銀が使いにくくなって先手の作戦勝ちとなりました。
                                        
 第1図で☗2六歩と突いたのが決め手。☖同飛は☗8四角の十字飛車から銀を取った手が角取りになり,後手が角を取ってくれば先手も角を取るし,後手が角を逃げれば先手も逃げて,先手が銀を得することになります。そうなってはいけませんからここで☖9五香と角を取るのは仕方がないところ。先手も☗2五歩と飛車を取りました。もし先手の玉が2八にいれば☖2六同飛が王手になりますから,この順が可能になったのも先手が菊水矢倉に組んだからです。
 後手は☖7七角成と桂馬を取りました。これは思わしい受けがないので首を差し出したような手。☗8四飛☖8三歩☗同桂成☖同桂☗9一銀☖同王に☗9三歩で後手玉は寄りとなりました。
                                        
 ☗8三飛成ではなく☗9三歩と打つのが肝心なところ。☗8三飛成だと☖9二銀でもうひと粘りを許すことになります。
 西山女流三冠が勝って4勝3敗で白玲を奪取第1期以来となる2期目の白玲です。

 ホッブズThomas Hobbesによれば,自然権jus naturaeというのは自分自身の生命を維持するために各人が意志する通りに自分の力potentiaを用いる自由libertasのことをいうのでした。そして実際に各人がその自由に従って行為する状態が自然状態status naturalisです。しかしこの自然状態は,万人の万人に対する戦争状態でもあります。そのゆえに各人はその自然権を全面的に譲渡することによって国家Imperiumを形成するのです。しかしすでにみたように,これは理念的な説明であって,このような意味での自然状態というのを人類は歴史の中で経験してきたわけではありません。
 ここから理解することができるように,各人が各自の自然権を全面的に譲渡するということも理念的にいえることです。そこに実在的な意味を見出そうとするのであれば,むしろ各人は自然状態にあろうと国家の中にあろうと同じように自然権を有しているのであって,国家が形成されるのは各人の自然権が拡充されるからであると説明するべきなのです。これがスピノザのいう自然権の説明として適切であると僕は考えます。
 スピノザは『国家論Tractatus Politicus』の第一三節ではこの種の自然権の拡充の基本を説明しています。また,イエレスJarig Jellesに宛てた書簡五十の冒頭でホッブズの国家論と自身の国家論の相違,すなわち,スピノザは国家においても各人の自然権をそっくりそのまま残しているといった後で,そのゆえにどのような政府であっても,力において市民Civesに優っている度合に相当する権利しかもっていないといっています。たぶんこのときスピノザは,単にホッブズと自身の相違だけを語ろうとしているのではなく,ホッブズを暗に批判しようとしているのです。なぜなら,各人が国家に対してその自然権を全面的に譲渡してしまうなら,各人は国家に対して一切の力をもつことができなくなるので,政府は思うように市民に対して力を発揮することができるということが帰結してしまうからです。これは政治論の文脈でいえば,独裁制あるいは貴族制に対する批判になっているといえますが,そうした政治論の部分を抜きにしても,市民が政府に対して一切の力をもっていないということは,政治体制がどうであってもあり得ないことであるとスピノザはいいたいのです。
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