スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

リコー杯女流王座戦&人類の歴史

2023-10-27 19:04:05 | 将棋
 25日に目白で指された第13期女流王座戦五番勝負第一局。対戦成績は里見香奈女流王座が37勝,加藤桃子女流四段が12勝。
 リコーの会長による振駒で里見女流王座の先手となり5筋位取り中飛車。左美濃にした後手の加藤女流四段が中盤で優位に立ち,端から猛攻して終盤の寄せを目指しました。
                                        
 第1図では☖3七銀成☗同金として☖2四桂と打つ順があったと思われます。☗2五銀が最善の受けなのでしょうが☖3三桂があるので,この順は先手玉が寄っていたのではないかと思います。
 ただ第1図のような局面では先手玉を下段に押し戻すのが本筋で,この順を逃したのは致し方なかった面もあったと思います。実戦は☖1五香と取り☗同銀に☖1六香☗2八王の順で押し返し,☖1八飛☗3九王☖4七銀成☗同金寄☖1九飛成☗2九香☖1八香成☗4九王と進めました。
                                        
 第2図まで進んで先手玉に寄せがなかったのが後手の誤算。それでも寄せようと☖6八銀と打ったのが敗着で☗5八飛と銀取りに逃げられて手段を失いました。第2図まで進めたのは仕方なかったので,ここは☖2九成香として1五の銀を抜く順で我慢しなければなりませんでした。手順としては変調ですが,局面としてはまだ難しかったと思います。
 里見女流王座が先勝。第二局は来月10日に指される予定です。

 養育者が養育を放棄するという事態になれば,被養育者はひとりでは生きていくことができないのですから死ぬことになるでしょう。これは最終的には人類が滅亡することを意味します。しかし事実として,人類の歴史は継続しています。これが何を意味するのかといえば,養育者はホッブズThomas Hobbesがいう意味での自然権jus naturaeを行使しているわけではないということです。よって,人類の歴史が続いてきたということが証明しているのは,たとえホッブズがいうような自然状態status naturalisにおいても人間は自然権を譲渡していたのであるということであって,他面からいえば,ホッブズがいうような自然状態というのは,人類の歴史において存在しなかったということです。いい換えればこの種の自然状態,万人の万人に対する戦争状態というのは,人類の歴史の中で現実に存在した時代を意味するのではなくて,社会契約説によって国家Imperiumを説明するときの,ある理念型,スピノザの哲学でいえば理性の有entia rationisとしてのみ存在するということです。スピノザは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』では社会契約説を利用して国家を説明していますが,確かにそこでは自然状態というのは,国家の成立を容易に説明するための概念notioのようなものになっています。
 こうしたことは,ホッブズが解するような自然権に妥当するのであって,スピノザがいっている自然権に妥当するわけではありません。コナトゥスconatusというのはあらゆる個物res singularisが有するものであって,それは現実的に存在する個々の人間が有するものではありますが,スピノザがいう個物というのは,第二部定義七でいわれているように,多数の個物が協同したものにも妥当するので,たとえばすべての人間が協同した人類というものにも固有のコナトゥスがあるからです。コナトゥスは現実的本性actualis essentiaなので,現実的に存在するものだけが有する本性ですが,人類というのは現実的に存在すると解することができますから,人類には人類に固有のコナトゥスがあるということはできると僕は考えます。
 この場合,人類に固有のコナトゥスは,人類という自己の有esseに固執しますperseverare。それはつまり,人類が人類として存在し続けることを希求し,滅亡することを忌避するということです。
コメント
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