スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&コナトゥスと欲望

2023-10-20 19:21:00 | 将棋
 25日と26日に仁和寺で指された第36期竜王戦七番勝負第二局。
 藤井聡太竜王の先手で角換わり相腰掛銀。この将棋は後手の伊藤匠七段が金の繰り替えをしている間に先手が9筋の位を取り,この位の大きさの分だけ先手が有利に展開していたようです。しかし,不利に陥った後手が終盤で乾坤一擲の勝負手を放ちました。
                                        
 第1図から☖6六角☗同王と捨てて☖8四角と打つのがその手順。これに対しては☗7五歩と打つのが普通ですが,そこで☖7三角と取って龍取りに当てて粘ろうというもの。この順はたぶん☗5二龍として先手の勝ちだと思うのですが,この手順を嫌って☗6七王と逃げました。
 実戦はここで☖4六銀としたために☗同金☖同歩の局面で後手玉に詰みが生じ先手の勝ちになりました。しかしここでは☖5八銀不成と王手をして☗同王に☖4六歩と突く手があったようです。同じように銀を渡すのですが,これは3五に銀が残っていて後手玉は詰みません。また☗5七金と逃げてしまうと☖7六飛成と金を取られてこれは逆転模様です。なので☖4六歩には☗6八玉と逃げ☖7六飛成とさせて☗7七金と受けることになりそうです。後手も龍を逃げてはいられないので☖4七歩成☗7六金☖5七角成と進めるしかなさそう。ここから☗7七王☖5六馬☗8八王が変化の一例。
                                        
 第2図は先手玉は残っていそうですが,後手は受けに回ることもできそうなのでまだ簡単ではなさそうです。感想戦が時間の都合でこの局面に至る前に終了してしまったのですが,この変化を先手が見据えていたかどうかは気になるところです。
 藤井竜王が勝って連勝。第三局は25日と26日に指される予定です。

 個々の人間に固有の現実的本性actualis essentiaは,『エチカ』ではふたつの仕方で考えることができます。ひとつは第三部定理七でいわれているコナトゥスconatusです。もうひとつは第三部諸感情の定義一欲望です。第三部定理七では現実的本性という語がそのまま使用されています。第三部諸感情の定義一では,人間の本性natura humanaそのものといわれていて,現実的本性という語が使用されているわけではありません。しかし各々の変状affectioが与えられるのは人間が現実的に存在する限りにおいてのことなので,この人間の本性は人間の現実的本性を意味します。
 このふたつは違ったことをいっているように思われるかもしれませんが,そういうわけではありません。ごく単純に説明すれば,第三部定理七でいわれている,事物が自己の有esseに固執しようとするということは,感情affectusとしてみれば欲望であるといえるからです。相違があるとすれば,第三部定理七は一般的な真理veritasであって,人間にだけ妥当するというわけではありません。いい換えればこれは現実的に存在するすべての個物res singularisの本性を意味するのであって,人間は現実的に存在する個物のひとつであるということからこの定理Propositioが適用されるのです。スピノザの思想における自然権jus naturaeは,自然権を有する事物の現実的本性に由来するので,第三部定理七が現実的に存在するすべての個物に適用される以上,現実的に存在するすべての個物が自然権を有するという結論が出てくることになるのです。これに対して第三部諸感情の定義一は,そこでいわれている通り,人間にだけ,つまり現実的に存在する個物のうち人間だけに適用される本性です。これは欲望に限ったことではなく,スピノザは,ごく一部の例外を除き,感情というのを人間にだけ適用されるものであるとしています。欲望はいうまでもなく感情のひとつですから,欲望が現実的本性であると規定されるのは,人間だけであるということになるのです。
 このスピノザの見方については反論もあるでしょう。僕も人間だけが特有に感情を有するというように解する必要はないと思っています。とくに欲望のような感情を人間にだけ適用するのは,現実的にいって無理がある見解ではないかと思います。
コメント
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