小田原競輪場で開催された昨日の小田原城下町音頭杯の決勝。並びは宿口‐河野‐磯田の関東,北井‐大塚の神奈川に大森で柴崎と山本と久田は単騎。
大森がスタートを取って北井の前受け。4番手に宿口,7番手に山本,8番手に柴崎,最後尾に久田で周回。残り3周のバックから北井が誘導との車間を開け始め,残り2周のホームの入口では誘導を斬りました。一列棒状のまま打鐘まで進み北井がそのまま先行。バックに戻って宿口が発進。大塚が牽制しましたがそれを乗り越え,直線で北井を差して優勝。後方から外を捲り追い込んだ山本が半車身差の3着。捲った宿口にスイッチした大森が8分の1車輪差で3着。
優勝した埼玉の宿口陽一選手は昨年の京王閣記念以来となるGⅢ3勝目。このレースは北井が前受けして,後方からの動きがなかったので単調なレースに。単騎の選手が動けなかったのは,北井がかましを警戒して早い段階から後ろの動きを封じたためではあるのですが,そのために北井はオーバーペースとなってしまい,宿口の捲りを許したというレースになりました。一列棒状となっている間はそれほどペースを上げなくてもかましには対応できる筈なので,北井が負けたのは自滅という印象。4番手を確保できていたことが宿口の勝因になるでしょう。
工藤に対するインタビューに関連する考察はこれで終了とします。

このインタビューの後に掲載されているのは,「ホッブズとスピノザにおける「自然権」」という,伊豆蔵好美による論文です。この論文には「イエレス宛書簡を手がかりとして」という副題がついています。ここでいわれているイエレスJarig Jellesに宛てた書簡というのは書簡五十のことです。この書簡の中でスピノザは,ホッブズThomas Hobbesとの間にある国家論の相違について語っています。
ただしこの論文は,僕がみる限り,スピノザの視点からというよりはホッブズの視点から書かれています。要するに,スピノザが示している国家観は,ホッブズからみるとどのようにみえるのかという観点の方が重視されています。実はホッブズは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を読んでいて,その読後の感想として,剣の柄までぐっさりとやられてしまったということばを洩らしたとされています。『神学・政治論』に書かれているほど大胆に書く勇気が自分にはないとホッブズは感じたようです。ただこれはその大胆さに驚いたというほどのことであって,必ずしもホッブズがスピノザの国家観に同意したというように解する必要はないでしょう。ただ,ホッブズがスピノザの国家論を全面的に否定するnegareということもまたおそらくないのであって,部分的にスピノザとホッブズの国家観に共通する部分があるのは間違いありません。
先述した書簡五十の冒頭で,スピノザはホッブズとの相違について,スピノザは自然権jus naturaeをそっくりそのまま残しているという意味のことをいっています。これはつまり,ホッブズは国家Imperiumにおいては自然権というのを残していないという意味です。このこと自体は正しいといえます。つまりスピノザは少なくともこの点に関してはホッブズのことを正しく解していたということです。しかしこの相違に関しては,自然権というもの自体をスピノザとホッブズが異なって解釈していたからだと考えることができます。このことがこの論文の冒頭部分で触れられています。僕はホッブズの国家論そのものについて論じることはできませんが,自然権については考えておきたいことがあります。なのでそのことだけは考察します。
大森がスタートを取って北井の前受け。4番手に宿口,7番手に山本,8番手に柴崎,最後尾に久田で周回。残り3周のバックから北井が誘導との車間を開け始め,残り2周のホームの入口では誘導を斬りました。一列棒状のまま打鐘まで進み北井がそのまま先行。バックに戻って宿口が発進。大塚が牽制しましたがそれを乗り越え,直線で北井を差して優勝。後方から外を捲り追い込んだ山本が半車身差の3着。捲った宿口にスイッチした大森が8分の1車輪差で3着。
優勝した埼玉の宿口陽一選手は昨年の京王閣記念以来となるGⅢ3勝目。このレースは北井が前受けして,後方からの動きがなかったので単調なレースに。単騎の選手が動けなかったのは,北井がかましを警戒して早い段階から後ろの動きを封じたためではあるのですが,そのために北井はオーバーペースとなってしまい,宿口の捲りを許したというレースになりました。一列棒状となっている間はそれほどペースを上げなくてもかましには対応できる筈なので,北井が負けたのは自滅という印象。4番手を確保できていたことが宿口の勝因になるでしょう。
工藤に対するインタビューに関連する考察はこれで終了とします。

このインタビューの後に掲載されているのは,「ホッブズとスピノザにおける「自然権」」という,伊豆蔵好美による論文です。この論文には「イエレス宛書簡を手がかりとして」という副題がついています。ここでいわれているイエレスJarig Jellesに宛てた書簡というのは書簡五十のことです。この書簡の中でスピノザは,ホッブズThomas Hobbesとの間にある国家論の相違について語っています。
ただしこの論文は,僕がみる限り,スピノザの視点からというよりはホッブズの視点から書かれています。要するに,スピノザが示している国家観は,ホッブズからみるとどのようにみえるのかという観点の方が重視されています。実はホッブズは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を読んでいて,その読後の感想として,剣の柄までぐっさりとやられてしまったということばを洩らしたとされています。『神学・政治論』に書かれているほど大胆に書く勇気が自分にはないとホッブズは感じたようです。ただこれはその大胆さに驚いたというほどのことであって,必ずしもホッブズがスピノザの国家観に同意したというように解する必要はないでしょう。ただ,ホッブズがスピノザの国家論を全面的に否定するnegareということもまたおそらくないのであって,部分的にスピノザとホッブズの国家観に共通する部分があるのは間違いありません。
先述した書簡五十の冒頭で,スピノザはホッブズとの相違について,スピノザは自然権jus naturaeをそっくりそのまま残しているという意味のことをいっています。これはつまり,ホッブズは国家Imperiumにおいては自然権というのを残していないという意味です。このこと自体は正しいといえます。つまりスピノザは少なくともこの点に関してはホッブズのことを正しく解していたということです。しかしこの相違に関しては,自然権というもの自体をスピノザとホッブズが異なって解釈していたからだと考えることができます。このことがこの論文の冒頭部分で触れられています。僕はホッブズの国家論そのものについて論じることはできませんが,自然権については考えておきたいことがあります。なのでそのことだけは考察します。