24日に放映された第32回銀河戦の決勝。対局日は9月27日で対戦成績は丸山忠久銀河が2勝,藤井聡太竜王・名人が1勝。
藤井竜王・名人の先手で丸山銀河の一手損角換り1-Ⅰ。相腰掛銀の将棋になり,猛スピードで進みました。途中で互いに手損を繰り返したので,通常の角換り相腰掛銀でも出現する将棋に。
ここで先手は☗9一飛成と香車を取りました。これは☗4三香を狙った手ですが,その手自体がそれほど厳しくないので後手は☖8八歩と攻め合いに転じました。先手は☗同銀と取ったのですが☖4五角と打つ手が厳しく,後手の勝勢になりました。
図の局面で攻め合うのならすぐに☗4三角と打ち込んでしまうのがよかったようです。また☖8八歩には☗同金と取る方が粘れました。
丸山銀河が優勝。実際の対局日は後ですが,放映日の関係で今期の達人戦以来となる15回目の棋戦優勝。銀河戦は昨年からの連覇で2度目の優勝となりました。
吉田によればステノは最初の先駆的論考において,自身の地質学の研究と,聖書の記述をすり合わせるために苦心しているそうです。この論考が出版されたのは1669年で,このときにはステノはカトリックに改宗していたのは間違いありません。ステノは熱心なカトリックの信者でしたから,カトリック信者の立場からそのように苦心するのは,ステノとしては当然のことであったでしょう。
この当時,年数に関連する聖書の中の記述を合算すると,おおよそ天地創造から5700年ほどだとされていて,これは定説のようなものになっていました。そこでステノは先駆的論考の中で,地球の表面を覆っている地層が,5700年という時間のうちにできあがったことにしようとしています。
しかし5700年という年数に縛られたまま地層学の研究を継続していたら,その研究はすぐに行き詰まりを迎えていたことでしょう。地道に地層学の研究を続けていけば,地球の姿が5700年などという短い時間ではなく,もっと長大な時間をかけて成立したであろうということは,ステノにも分かってくる筈だからです。というか,吉田はすでに先駆的論考の中で聖書の記述に一致させようと苦心しているといっているのですから,そのことにはステノはすでに気付いていたとみてよいように僕には思えます。
聖書に記述されている時間については,至るところで破綻しているということは,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の中でスピノザが指摘しています。したがってスピノザは,地層学的な見地を何かもっていたというわけではないのですが,天地創造から5700年という説については否定していたことになります。もっともスピノザは,神Deusを永遠aeternumと考えているわけであって,自然Naturaが,とくに能産的自然Natura Naturansについては時間tempusには縛られない,いい換えれば持続するdurareものではないとみているので,天地が創造されたということ自体を否定しているとみるのが,この場合の解釈としては妥当でしょう。
それはともかく,ステノが地層学の研究を続けていれば,聖書の前提にしがみついて研究を断念するか,研究を尊重して聖書に限界を認めるかの,二者択一を迫られることになったでしょう。
藤井竜王・名人の先手で丸山銀河の一手損角換り1-Ⅰ。相腰掛銀の将棋になり,猛スピードで進みました。途中で互いに手損を繰り返したので,通常の角換り相腰掛銀でも出現する将棋に。
ここで先手は☗9一飛成と香車を取りました。これは☗4三香を狙った手ですが,その手自体がそれほど厳しくないので後手は☖8八歩と攻め合いに転じました。先手は☗同銀と取ったのですが☖4五角と打つ手が厳しく,後手の勝勢になりました。
図の局面で攻め合うのならすぐに☗4三角と打ち込んでしまうのがよかったようです。また☖8八歩には☗同金と取る方が粘れました。
丸山銀河が優勝。実際の対局日は後ですが,放映日の関係で今期の達人戦以来となる15回目の棋戦優勝。銀河戦は昨年からの連覇で2度目の優勝となりました。
吉田によればステノは最初の先駆的論考において,自身の地質学の研究と,聖書の記述をすり合わせるために苦心しているそうです。この論考が出版されたのは1669年で,このときにはステノはカトリックに改宗していたのは間違いありません。ステノは熱心なカトリックの信者でしたから,カトリック信者の立場からそのように苦心するのは,ステノとしては当然のことであったでしょう。
この当時,年数に関連する聖書の中の記述を合算すると,おおよそ天地創造から5700年ほどだとされていて,これは定説のようなものになっていました。そこでステノは先駆的論考の中で,地球の表面を覆っている地層が,5700年という時間のうちにできあがったことにしようとしています。
しかし5700年という年数に縛られたまま地層学の研究を継続していたら,その研究はすぐに行き詰まりを迎えていたことでしょう。地道に地層学の研究を続けていけば,地球の姿が5700年などという短い時間ではなく,もっと長大な時間をかけて成立したであろうということは,ステノにも分かってくる筈だからです。というか,吉田はすでに先駆的論考の中で聖書の記述に一致させようと苦心しているといっているのですから,そのことにはステノはすでに気付いていたとみてよいように僕には思えます。
聖書に記述されている時間については,至るところで破綻しているということは,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の中でスピノザが指摘しています。したがってスピノザは,地層学的な見地を何かもっていたというわけではないのですが,天地創造から5700年という説については否定していたことになります。もっともスピノザは,神Deusを永遠aeternumと考えているわけであって,自然Naturaが,とくに能産的自然Natura Naturansについては時間tempusには縛られない,いい換えれば持続するdurareものではないとみているので,天地が創造されたということ自体を否定しているとみるのが,この場合の解釈としては妥当でしょう。
それはともかく,ステノが地層学の研究を続けていれば,聖書の前提にしがみついて研究を断念するか,研究を尊重して聖書に限界を認めるかの,二者択一を迫られることになったでしょう。