スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ひろしまピースカップ&誤謬の意味

2021-12-14 19:07:42 | 競輪
 12日の広島記念の決勝。並びは阿部‐和田の東日本,野原‐大坪の西日本,町田‐松浦‐池田‐三登の広島で阿竹は単騎。
 松浦と野原がスタート争い。松浦が制して町田の前受け。5番手に野原,7番手に阿部,最後尾に阿竹で周回。残り3周のバックから阿部が上昇を開始。ホームで町田を叩きました。バックに入ると野原と町田が共に上昇。外の野原が前に出て,阿部が3番手,5番手に町田で最後尾に阿竹という隊列になって打鐘。ホームから町田が発進。バックで野原を捲りきると,その3番手に阿部がスイッチ。直線に入ってから踏んだ松浦がフィニッシュ直前に町田を差し切って優勝。町田が4分の1車輪差の2着で広島のワンツー。切り替えた阿部が1車身差の3着に流れ込みました。
 優勝した広島の松浦悠士選手は8月の千葉記念以来の優勝で記念競輪13勝目。広島記念は2018年以来3年ぶりの2勝目。このレースは地元から4人も決勝に進出したので番手を回る松浦が断然有利だと考えていました。町田の先行を予想していたので,展開は違ったものとなりましたが,町田も落ち着いて対処し,逃げた野原を捲ることに成功。いいタイミングで踏み出して前の選手をぎりぎりで差し切った松浦の走りも見事だったと思います。

 ある場面で他のプレイヤーがリーチを宣言したとします。そこでは安全な牌を捨てるのが正しい選択であるという判断を理性ratioが下したとしましょう。しかし自分が得点を獲得することに向ける希望spes,あるいはこの場合には直接的に欲望cupiditasといった方がいいかもしれませんが,そうした感情affectusが強すぎるがために危険な牌を捨てるということはあり得ます。これがあり得るということは,この逆の場合を説明したことから明らかでしょう。ですからこの場合にも受動感情に隷属することによって,そのプレイヤーは誤謬errorを犯しているということになります。
 念のためにいっておきますが,こうしたプレイが単なる虚偽falsitasでなく誤謬であるということについては,実はそれ自体で明らかです。というのは,人間というのは一般的に,自身の判断が受動感情に影響されているということに気付きさえすれば,その判断を理性によって修正するからです。つまり,実際のプレイが受動感情に影響されているものとなっているということは,そのプレイが受動感情に影響されているということに気付いていないことの確かな証拠なのです。ですからこうしたプレイは虚偽ではなく誤謬であると断定してよいのです。一方,後にはそれが誤謬であったと知ることができる,したがってそれは誤謬ではなくなるのは,いろいろなパターンがあるのですが,その一例としては,第四部定理九を示すことができます。実際にプレイをしているときに感じる感情は,後にそれを反省するときに感じる感情よりも圧倒的に強いのです。
                                   
 さらにもう一点,このことは結果から判断して誤謬であるといわれるのではないという点にも注意してください。たとえば,不安metusに引きずられることによって理性的な判断に即することができず,安全な牌を捨てることによって,結果的に失点を回避するということは実際に生じ得ます。しかしこのとき,たとえそれで失点を回避したとしても,このプレイヤーは誤謬を犯したと僕はいいます。プレイの結果からそのプレイヤーが誤謬を犯したか犯していないのかということを判断してはなりません。あくまでも誤謬とは,虚偽が虚偽であるという認識cognitioの不足のことを意味するのです。

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