スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

スヌーカへの配慮&バザー

2013-03-16 19:00:27 | NOAH
 馬場は全日本プロレスをひとつのファミリーと考えていたというのが僕の解釈。ただ,その家族を構成していたのは,所属選手や従業員だけではなく,全日本プロレスのリングで仕事をしているレスラーたちも含まれていたと僕は思っています。だから,フリーで参戦していた鶴見五郎に対しても,馬場の配慮というものがあったのではないかと思うのです。
                         
 だとすれば,それは外国人選手にも及ぶ筈です。ブロディとスヌーカ仲間割れの事情がプロモーターとしての馬場自身の意向によるものであったとして,超獣不沈艦にタッグを組ませるということは,ブロディに対してもハンセンに対しても,ひとつの配慮となっていることは間違いありません。ただ,ブロディとハンセンは大学の先輩と後輩という間柄ですから,タッグを組むことは自然な流れなのであって,これは配慮というほどの配慮とはいえないということもまた事実ではあるでしょう。
 問題はブロディを失うスーパーフライに対してです。馬場はブロディを失うスヌーカに対して,新しいパートナーを与えるという配慮はしていました。それは,長くNWA王者として君臨し,シングルマッチを中心に戦っていたため,明確なパートナーが不在であったハーリー・レイスでした。
 ブロディと袂を別った年の秋,スヌーカは全日本に来日。そのとき,レイスと組んで馬場・鶴田組と対戦。レイスのブレーンバスターからスヌーカのボディプレスという連係が決まり,鶴田から3カウントを奪っています。これは直後の世界最強タッグ決定リーグ戦への布石であったと思われ,実際にこのチームの参戦が発表されました。しかし,スヌーカの本心がどこにあったかは不明ですが,スヌーカは来日をキャンセル。1戦だけの幻のタッグとなりました。
 スヌーカがレイスと組んでブロディ・ハンセン組と対戦するというのは,とても魅力的なカード。それが実現しなかったことを,僕は今でも残念に思っています。

 23日の金曜日は,妹が卒業した養護学校でバザーがあり,と妹で出掛けました。
 このバザーは毎年,勤労感謝の日に必ず行われているもの。バザーを行う養護学校と,現在,妹が通っている作業所は,運営母体が同一であるか,そうでなくても深い関係にあります。ですから事前に作業所からもこの案内がありまして,商品の提出もしています。もちろんそれは僕たちが売るためのものではありません。養護学校に寄付して,それを養護学校が販売するというもので,売れたからといって僕たちに利益が入るわけではないです。
 毎年のことで,同じように案内がきて,同じように商品になりそうなものを寄付し,当日は学校まで出掛けていって,何らかのものを購入してきます。妹はこの養護学校を卒業した後,一時的にここの運営母体とは無関係の施設に通っていました。母が小脳出血を発症する前に,ボランティアで昼食を作りに行っていたのはここの施設。その後,妹は現在の作業所に通い出すようになり,それからはもう随分と年月が経過しています。したがって,このバザーにも一時的には参加していなかったのですが,その後はこの11月23日には,必ず学校に行っていました。同級生なども来るようで,妹も楽しみな行事のようです。例外的に1度だけ,これは母の入院中ですが,2010年だけは行くことができませんでした。もしも行くとすれば,そのときは僕が連れていくほかなかったでしょう。養護学校はこのブログでいう本牧より先にある本牧町の,さらに先にあります。僕は六角橋の近くにある神奈川大学へと妹と同行した日が,最長の1日であったと感じています。それに比べれば養護学校はずっと近いですし,最寄りのバス停から母が入院していた磯子中央病院の最寄りのバス停まで,バス1本で行くことが可能です。ですから連れていって,その後で母の見舞いに行ったとしても,そのときほどは大変ではなかったでしょう。ただ,バザーというのは1日がかりの行事ですし,リズムダンスの場合とは異なり,ずっと一緒にいなければなりません。そう考えれば,やはり大変は大変であったと思います。それでも妹は楽しみにしていることですから,連れていってやれなかったことは今でも残念に思っています。
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順位戦回顧&カラオケ

2013-03-15 19:54:33 | 将棋トピック
 昨日のB級1組13回戦で,今期の順位戦は閉幕しました。事前に展望しましたので,回顧します。
                         
 A級は8勝1敗で羽生善治三冠が優勝して名人挑戦権獲得。連勝記録こそ7回戦の逆転負けで止まったものの,大一番となった次の8回戦は双方の錯覚による逆転勝ち。1回戦と5回戦も負けの局面がありましたが,終ってみれば安定した結果を残しました。名前をあげた渡辺明竜王は今期は各棋戦で大活躍でしたが,それに比較すると5勝4敗はやや寂しい成績だったといえるかもしれません。高橋道雄九段と橋本崇載八段が降級し,深浦康市九段は初の残留なりました。
 B級1組は11勝1敗の行方尚史八段と10勝2敗の久保利明九段が3位以下に差をつけての昇級。共に復帰ですので,それ相応の力はあったということになります。阿久津主税七段の4勝8敗,広瀬章人七段の6勝6敗は不甲斐ない成績という印象で,来期の奮起に期待。丸山忠久九段は6勝6敗の指し分けでした。井上慶太九段と中田宏樹八段が降級。
 B級2組は9勝1敗の藤井猛九段と豊島将之七段が昇級。3人のうちひとりは上がりましたのでよしとします。藤井九段もさすがにこのクラスでは力が違ったようです。
 C級1組は9勝1敗の稲葉陽六段と村山慈明六段の昇級。中村太地六段は7勝3敗でした。村山六段も若手強豪のひとりですから,昇級候補であったのに変わりはありません。
 C級2組は9勝1敗で大本命の菅井竜也五段,阪口悟五段,初参加だった斎藤慎太郎四段が昇級し,斎藤四段は五段昇段。新参加で昇級は立派ですし,4月に二十歳を迎えるという年齢から,将来がかなり有望でしょう。注目の伊藤真吾四段は5勝5敗の指し分け。まずまずといえるのかもしれません。

 11月17日の土曜日はガイドヘルパーを依頼。この日は本牧でカラオケでした。
 以前に妹は娯楽としてはボーリングとカラオケを好むと書いたことがあります。ただ,僕は妹とカラオケに行ったという経験はないので,妹の歌がどの程度のものなのかということは分かりません。しかし,妹がどんな歌を歌うのかということなら分かります。基本的には演歌を代表とするような歌謡曲が中心で,そうでなければ童謡です。これは妹がマイペースな人間であるということと関係しています。つまり妹は,あまりテンポが早いポップスのような楽曲ですと,演奏に歌詞が間に合わないのです。
 このために,妹は,歌謡曲を中心とする歌番組は,テレビでもよく視ています。たとえばNHK歌謡コンサートとかBS日本のうた,木曜8時のコンサートといった番組です。これらは単に視ているというだけでなく,歌手が歌う際には画面に歌詞が出ますから,それに合わせて口ずさむことがほとんどです。ただし妹はそう多くの漢字を読めるわけではありませんから,そこは飛ばしてしまいます。ポップスなどでは英語が入ることも多いですが,こちらになると妹はまったく読めませんので,妹が歌謡曲の方を好むのには,これも一因を形成しているといってよいでしょう。なお,中には知っている,つまり歌詞を覚えている曲というのもありますから,そうした場合は漢字には関係なく歌うことができます。おそらくカラオケで歌うのはそうした曲でしょう。
 ダウン症とはいえ,妹は突飛な行動を取るということはまずありません。ですから,自宅にひとりで放置しておくというのは危険が伴いますが,だからといってずっと監視していなければならないというわけではありません。その中でもとくに,こうした番組を視ている間というのはそれにかなりの程度まで集中していますから,ほとんど目を離していても大丈夫なのです。
 その2日後,19日の月曜日がこども医療センター遺伝科の通院。この日も作業所は休ませ,が連れていきました。この日は予約時間が13時半で,やはりこのくらいの時間ですと帰りも遅くはならず,家族としても楽です。
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ラスコーリニコフとソーニャ&母の通院

2013-03-14 18:56:38 | 歌・小説
 ラスコーリニコフの場合で紹介した,ソーニャがラスコーリニコフに「ラザロの復活」を読んで聞かせる場面は,ソーニャの部屋がその舞台となっています。『罪と罰』では第四部の第四章で,ラスコーリニコフがこのソーニャの部屋,三階建てのアパートの二階の一室ですが,ここを訪れるのはこのときが初めてです。
                         
 非常に説明しにくいので,これはその部分を読んでいただくほかありませんが,この部屋は広いのですが非常に奇妙な形をしています。部屋の中にはベッドと小さなテーブル,そして籐椅子と箪笥があるくらい。ソーニャは娼婦ですから,もしかしたら不特定多数の男を相手に,この部屋で春を売ったこともあったかもしれません。ベッドはあるわけで,それは十分に可能なことのように思えます。
 ただ,『罪と罰』のラスコーリニコフとソーニャの関係を複雑にしているのは,少なくともラスコーリニコフにとって,ソーニャというのが,買春をするための娼婦という存在ではなかったという点にあると僕は思っています。実際にラスコーリニコフがこの部屋を訪れるとき,客として訪れているのではなく,友人として訪れています。
 この発端となったのは,ラスコーリニコフがソーニャの父親と出会ったことでした。この父親は,『カラマーゾフの兄弟』でいえばスメルジャコフに殺されるフョードルと似たパーソナリティを持っています。ドストエフスキーの小説の特徴のひとつに,会話の分量が多いという点がありますが,とにかくよく喋る男です。その会話の中でラスコーリニコフはソーニャの存在を聞かされ,まさにこの父親のせいで,娼婦になったということを知るのです。したがってラスコーリニコフが,ソーニャに対して,出会う以前からある種の同情の念を有していたとしても,それはまったく不思議ではないということになります。
 もちろんこうした設定のすべてが,ドストエフスキーによって意図されたものであることは間違いありません。しかしこのゆえに,ラスコーリニコフとソーニャとの関係について考える場合には,ソーニャの父親であるマルメラードフが,重要な役割を果たすことになったと僕には思えるのです。

 この週末は10日の土曜日が妹のピアノレッスンでした。
 翌週の火曜,13日がの磯子中央病院の内科での,前の週の検査の結果が出る日。火曜は新たなる支援として行われている妹の迎えはありませんが,母の診察の予約時間は午後2時半でしたから,午前中に母が送っていくということに関しては何も問題はありませんでした。
 このとき,というのは前の週の6日のことですが,いつもより詳しい検査をするために外注したわけです。その中で異常が出ていた項目はふたつありました。ひとつはALPといわれるもので,アルカリホスファターゼといわれる酵素のひとつ。リン酸化合物を分解する働きを有するもののようです。もうひとつは総コレステロールで,これは血液中に含まれるコレステロールの総量のこと。ただ,これらの検査結果はそれ単独でみるよりも,その他の検査結果との関係の方が重視されるようで,共に基準値をオーバーしていたのですが,医師から何か特別の指示をされることはなかったとのこと。母の肝機能に異常があるということがまずは脳外科の方で発見され,それで内科の方にも通院するようになったのですが,その肝機能全般という観点からはとくに問題なしとされましたので,こうした指示になったものと思われます。
 さらに15日の木曜が同じ磯子中央病院の脳外科の検査と診察。木曜も妹の迎えはなく,こちらは午前中の予約でしたから,この日は僕が午前中の予定を空けておき,妹を作業所まで送りました。時間もありましたのでついでに買い物もして帰り,家に着いたのは10時半過ぎ。もちろん母はまだ戻っていませんでした。
 この日の検査は,2度めの渡米の直前に予定されていたものが,機器の故障で不可能になってしまったときの代替。その検査というのはCTの撮影ですが,これはすぐに結果が出まして,診察のときに知らされます。それによればもう問題はほとんどないとのこと。したがって今後も通院は必要であるけれども,CTの撮影に関しては1年に1度くらいやればいいだろうと言われたそうです。実際に母は,この後も脳外科への通院というのは継続していますが,CTの撮影はこの後は1度もしていません。
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農林水産大臣賞典ダイオライト記念&運転免許

2013-03-13 18:57:04 | 地方競馬
 数少ないダート長距離重賞のひとつ,第58回ダイオライト記念
 個人的には意外だったオースミイチバンの逃げ。クラシカルノヴァ,トーセンアドミラル,ソリタリーキングの3頭が追走。ハタノヴァンクールは発馬が悪かったように見受けられましたが,押してこれらの後ろに。ただ,結果的にずっと外を回らされることになりました。最初の1000mは64秒9の超スローペース。
 残り800mから一気にペースアップ。逃げ馬を追走していた各馬は苦しくなり,ハタノヴァンクールが2番手まで上がって直線。ここからハタノヴァンクールが馬場の中ほどを伸び,追い詰めましたがクビ差届かず,逃げ切ったオースミイチバンの優勝。ハタノヴァンクールは2着で,4馬身差の3着にソリタリーキング。
 優勝したオースミイチバンは昨年5月の兵庫チャンピオンシップ以来の重賞2勝目。2着馬と同様,この馬も古馬と対戦するようになって苦しんでいましたが,ようやく対応できるようになってきたのでしょう。楽な逃げになったのに対し,2着馬はずっと外を回るレースでしたので,恵まれた面があったのは確か。ただ,2着馬のセールスポイントはしぶとく脚を使うという点にありますから,それを凌ぎ切ったのは評価してよいように思います。父はアグネスタキオン,母の父はフサイチコンコルド,祖母の父はリンドシェーバーフロリースカップトサモアーの分枝で,母は2003年にチューリップ賞とクイーンステークス,2004年にクイーンステークスと府中牝馬ステークスを勝ったオースミハルカ
 騎乗したのは川島信二騎手で管理しているのは荒川義之調教師。どちらもダイオライト記念初勝利。

 同じ11月7日には,自動車会社の方が来ました。これは車検のためです。
 母の異変が生じて以降,母は運転はしなくなりました。なので,これを機に,この自動車を売ってしまうということも母は考えていたようです。ただ,叔父はこの自動車を使うことがありましたし,僕を含めて家族がそれに同乗するというケースもあります。それを考えれば,売ってしまえば不便になるということは確かで,母は相当に悩んだようです。それで叔父にも相談をしてみたようなのですが,最終的な母の決断は,今回は売らず,次の車検の時期にもう1度検討するというものになりました。検査自体は家では行えませんから,このときは会社の方が引き取り,この日の夜のうちにはまた納車されました。
 実は母の希望としては,僕に運転免許を取得してほしいというのがありまして,そのことは僕も言われたことがあります。自動車学校は家からそう離れていないところにありますし,僕も一般的な社会人と比較するなら時間はかなりある方ですから,通えば免許は取得することができると思うのです。視力には問題がありますが,それは眼鏡で矯正できます。ただ,僕は自分自身で,僕のような人間が自動車を運転したならば確実に事故を起こすだろうと思っていますし,Ⅰ型糖尿病の治療としてインスリンを注射しているという関係から,免許を取得するつもりはありません。運転中に低血糖の症状が出て,それが原因で事故を起こすということは,少なくともこれまでの経験からいえば,まず回避できるであろうと思いますが,万一そうしたことが生じた場合には,必ずやインスリン治療と事故との関係について,何らかの形で語られることになることが容易に想像されます。インスリン治療をしている患者というのが全国でどれくらいの数に上るのか,僕は把握しているわけではありませんが,同じような治療をされている方に対して,間接的に迷惑を掛けることになるというのは,僕は絶対に避けたいことだと考えているからです。そしてこちらの点が,僕に運転免許を取得するつもりが皆無であるということの,最大の要因であると理解してもらって結構です。
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マハーブアルシマール・アルマクトゥームチャレンジラウンド3&洗面台

2013-03-12 18:51:54 | 海外競馬
 今年のドバイ国際招待競走は現地時間の30日。その最終前哨戦が現地時間で9日に行われ,日本馬が2レースに参戦しました。
 マハーブアルシマールGⅢオールウェザー1200mには早くに現地入りし,すでにオープン1戦を消化したファリダットが出走。かなり押して中団の外目を追走。直線に入る前から激しく騎手の手が動き出し,前の8頭からは離される一方。10頭中9着での入線でした。
 この馬は日本のダートのオープンでも後方からの競馬をしている馬。持っているスピード能力が外国馬とは差があると思われますので,致し方のない結果であったと思います。このレースはUAEのReynaldothewizardという馬が勝ちましたが,後続に4馬身の差をつけての快勝。レース全体のレベルがどうであったのか僕には不明ですが,相当な能力の高さを感じました。
 アルマクトゥームチャレンジラウンド3GⅠオールウェザー2000mには一昨年のアルゼンチン共和国杯と昨年の京都記念を勝ったトレイルブレイザーが出走。2番手の外を併走しながら追走。しかし直線ではずるずると後退し,出走12頭中10着入線でした。
 この馬は日本のトップクラスとは少し差があるものの,芝であればそれなりに戦えるということは証明できています。体調が整わなかったということも考えられますが,オールウェザーのコース適性に欠けたと判断する方が妥当ではないでしょうか。

 と妹がロサンゼルスから無事に帰国したのが10月31日の水曜日。家に着いたのは午後9時半頃でしたから,この日も僕の夕食は僕自身の支度。そしてひとりでの生活に別れを告げることになりました。
 ふたりは帰国して最初の土曜日となる11月3日に美容院に。そして6日の水曜日は,母の磯子中央病院での内科の診察がありました。この日は採血を行い,詳細に調べるために外注したとのこと。なので結果がこの時点では分かりませんでした。ということで翌週となる13日に予約を入れ,その日に詳細な結果が判明するとのことでした。
 翌11月7日の木曜日に,台所に併設してある洗面台を交換しました。この洗面台は,祖母が同居する際に家をリフォームしたときに設置したもの。つまりそれまではなかったものでした。ところが,この洗面台から水漏れがするようになっていたのです。実はこれは外壁の修理をしている間に起こったこと。それでついでなのでその業者に調べてもらったのです。するとこの洗面台と下水との間の排水の配管そのものに難があるので,配管を修理すれば水漏れはなくなるが,それは一時的なもの。また何年かが経過すれば水が漏れてくると言われました。完全に修復したいのであれば,下水管と難なしに繋ぐことが可能な,新しい洗面台を設置した方がよいとのことで,こうした処置になったもの。古い洗面台は,外壁の修理が完了する直前に撤去してありました。新しい洗面台の設置が遅れたのは,その後,母がロサンゼルスに行ったから。設置する場合にはだれかが在宅している必要がありますが,設置にどのくらいの時間が必要かが分かりませんでしたので,僕ひとりのときにはできなかったのです。したがってこの間は,この洗面台なしで生活していたことになります。僕は主に歯を磨くときに使用していたものですが,先述しましたように,リフォーム以前にはなかったものですから,不便ではありましたけれども,使えなければ使えないで,支障を来すことはありませんでした。
 この設置は,玄関を開放して行われていました。その間に家の中に野良猫が入ってきました。我が家はペットは飼育していませんので,猫がいるのを見つけたときにはちょっと驚きました。
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棋王戦&決着

2013-03-11 18:43:48 | 将棋
 柏崎市で指された昨日の第38期棋王戦五番勝負第三局。
 郷田真隆棋王の先手で相矢倉。加藤流といわれる最近では珍しい戦型に。中盤は桂馬,角の順で交換になりました。
                         
 8六で角が交換になった後,▲8七歩に飛車をひとつ引いた局面。先手は▲2五歩と突き出しました。これには△同銀よりありません。そこで▲5二角が先手の期待の継続手。しかし後手は△9四桂と打ってあっさり▲2五角成を許し△8六歩。対して▲9八銀と受けました。
                         
 先手は馬を作って銀得なのですが,その銀をこんなところに打つのでは駒得が生きるような展開にはなりそうもありません。それならば攻めの主導権を握っている後手が,十分に満足できる局面なのではないかと思います。銀損でも指せるとみた渡辺明竜王の大局観のよさが光った一局であったように思います。
 渡辺竜王の勝利で三冠に王手。第四局は24日です。

 僕自身の内面のありようはどうあれ,清書したメモを忘れてきてしまったというのは厳然たる事実です。それで技師の方にそれを告げました。すると,次回の診察のときに持ってくればよいとの答え。これは月曜日にU先生から指定されていて,12月17日という設定になっていました。僕は了解して,帰宅のためにバス停に向いました。すると,病院の建物を出たか出ないかくらいのところで,駆け足で僕を追い掛けてきた総合内科の受付の方に名前を呼ばれました。僕は振り返ってその方の方向へと踵を返し,再び建物の中にと入りました。
 建物に入るとすぐにロビーがあります。前方からU先生もやってきて,その場で立ち話になりました。U先生の話では,iPro2レコーダーを用いた検査の結果を出すためには,計測した血糖値の記録が不可欠。結果を早めに出したいので,記録もなるべく早いうちに入手したいとのことでした。医師と患者の会話ですが,雰囲気としてはフレンドリーなものであったと理解してください。U先生は,病院宛に郵送してほしいということでした。
 もちろん僕としてはそれで異存はありませんでした。そもそも僕の責任でこうした事態を招いたわけですから,それを断る理由はなかったといえるでしょう。ただ,この時点でまだ午前10時頃でしたから,家に取りに戻って,今日のうちにまた持ってきてもよいと返答しました。早い方がよいのであれば,それが最善の策であることは間違いないですし,僕自身としても,可能な限り早く決着をつけておきたかったからです。U先生はこの日は午後も病院にいるとのことで,それならば絶対に間に合います。ということで,そうすることにしました。
                         
 家に戻ったのは10時45分頃。確かに清書したメモがテーブルの上に置き忘れてありました。それを持って再び病院へ。総合内科の受付の方に,これをU先生に渡すように依頼しました。この時点で11時半を回っていまして,僕は院内の食堂に向って昼食にしました。最初からそのつもりで,インスリンも持っていったのです。時間的なことよりも,メモに不備があった場合,簡潔に連絡を受けられるように,院内に滞在しておく目的でした。
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いわき金杯争奪戦&自殺の衝動

2013-03-10 18:45:40 | 競輪
 昨日は復興支援のためのチャリーズカップが行われたいわき平記念の決勝。並びは飯野ー渡辺一成ー山崎-成田ー山田の北日本,岡田ー渡辺晴智の東日本,深谷-小倉の西日本。
 小倉がSを取って深谷の前受け。4番手に岡田で6番手から飯野で周回。飯野は残り2周のホーム手前から上昇していき,ホームでは前に。岡田が6番手,深谷が8番手に。このまま打鐘から飯野がスピードアップ。一列棒状からまずは岡田が発進しましたが,成田に牽制されてストップ。バック半ばで渡辺一成が番手発進し,深谷は動けず。渡辺マークの山崎が差して優勝。マークの成田が2着。渡辺一成が3着で地元勢の上位独占。
                         
 優勝した福島の山崎芳仁選手は昨年9月のオールスター競輪以来のグレードレース優勝。記念競輪は2010年の弥彦記念以来で節目の10勝目。同年9月には当地のオールスター競輪で優勝。記念では2007年以来の2勝目。ここは地元勢の結束が堅い上,深谷はさほど器用に立ち回るタイプではなく,岡田は好調時の状態にないようなので,並びが確定した段階でこういったレースになることが容易に予想されました。その予想通りの展開となり,楽な優勝だったのではないでしょうか。見ている方からすれば単調なレースで面白みには欠けました。

 iPro2レコーダーを外しましたので,あとは血糖値計測の結果のメモを渡せばこの日の予定はすべて終了でした。ところが,このメモが見当たりません。どうやら自宅に忘れてきてしまったようなのです。計測結果は,計測した時刻とともに,自己管理ノートに記録してありました。自己管理ノートはそのまま渡すことができません。ですからこの日の朝の結果とともに,わざわざ別のノートに清書したのです。それを忘れてくるというのですからどうしようもありません。
                         
 僕は,自分の力でどうにもならないことに関しては,いくらそれで悲しい思いをすることになったとしても受け入れることができます。しかし,自分が注意していれば明らかに避けられたと思えるようなことに関しては,それがどんなに些細なことであっても,強い苛立ちを感じます。僕は滅多に腹を立てることがない,自分でいうのも変かもしれませんが,かなり温厚な人間だと思います。しかしこのような場合は別。以前にインスリンを注射するための針の残量を伝え間違えるという失敗を犯したことがありましたが,そういう場合も含め,このようなときには,オーバーではなく,このまま世の中から消えてしまいたいとさえ思うこともあるのです。もちろんこのときも同じような気持ちに苛まれました。僕は常に注意深く,また思慮深くありたいという欲望が強いあまり,自分自身がそれを裏切ることをしてしまった場合に感じる失望の念というのがとりわけ強いようです。
 スピノザはについて考えることを否定します。ただ,スピノザが考えるというとき,これは概念と知覚とを分節した上での概念に該当します。そして僕はその通りであると理解しますから,実際に自殺してしまうようなことはないでしょう。ただこのような場合に,衝動として,つまりは能動である概念としてはなく受動である知覚として,自殺をイメージするということは,第四部定理四にある通り,避けることができませんから生じますし,これからも生じるでしょう。このイメージは,僕自身の中ではリアルなものであって,人間というのは,このような衝動に駆られて自殺するのだろうということがありありと理解できるような類の受動感情です。
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長男の悲劇&U先生の配慮

2013-03-09 18:43:42 | 歌・小説
 『それから』の代助は,最終的には得の要求を蹴飛ばし,そのために得からの援助を受けることが不可能になり,職を求めることになります。これは戦前の家父長制という制度の下での,次男であるがゆえの悲劇であったといえます。
                         
 しかし,この制度は次男,というか正確には長男以外の子どもにのみ悲劇をもたらすものではありません。長男は長男で,長男であるがゆえの悲劇,あるいは被害に見舞われる可能性がありました。夏目漱石の小説の中からその一例を探すとすれば,『こころ』の先生が代表であるといえるでしょう。
                         
 先生は相当な財産家のひとり息子として,先生自身のことばでいえば鷹揚に育てられました。ところが先生が20歳のとき,父親が腸チフスで死に,看病していた母親にも伝染して,すぐに死んでしまいました。この結果,知識も経験も分別も欠如していた先生は,叔父を頼ることになりました。この叔父の計らいで,先生は上京し,高等学校に入学することになったのです。
 ところがこの叔父が,先生の父の遺産をごまかしていました。有体にいえば先生は長男として自分が相続するべき財産を,この叔父によって搾取されてしまったのです。もちろんこの財産というのは,現金だけを意味するのではなく,不動産なども含まれています。後に先生が叔父と談判し,事を明るみに出した後に受け取ったものは,時価に比べるとよほど少なかったといっています。ただ,それでも先生は,自身が懐にして家を出た公債と,後に友人から送ってもらった現金の利子の半分も使うことなく学生生活を送ることができたといっていますから,先生の父親というのは,相当な財産家であったということが分かります。
 相続は長男が一手に担います。ですからこうした被害に先生が巻き込まれたのは,先生が長男であったからです。もちろんただ長男であればよいというわけではなく,相当な財産家のひとり息子であったからではあります。先生が鷹揚に育てられたのも,それだけの財産があったからといえるでしょう。しかしここには,確かに長男に特有の悲劇が描かれているのだと考えてよいと思います。

 10月26日の金曜日は,午前9時前に家を出ました。iPro2レコーダーは外してきてもよいと言われていたのですが,装着の際にどれくらいのものが自分の腹に刺さっているのかが分かりませんでしたし,外す具体的な手順を教えてもらったわけでもありません。装着がそうも難儀な作業ではありませんでしたから,外すことはもっと簡単であろうことは容易に想像できましたが,万一のことがあってはいけませんので,装着したまま向いました。
 この日は普段の通院とは異なりまして,病院に到着したら真直ぐに総合内科の受付に。22日にU先生が僕に対してしてくれた配慮というのはこのことで,この日は診察の予約は入れていなかったのです。予約をしていないことがなぜ配慮になるのか訝しく思う方がいらっしゃるかもしれませんが,予約を入れれば診察ということになりますから,診察料が必要になります。しかし入れていなければ不要ですから,要するにこの日は僕はお金を一銭も支払う必要がなかったということになります。
 U先生に言われていたのは,午前10時前後に総合内科の受付に来るようにということでした。それで僕はほぼその時間に出向いたわけです。受付の方に,午前10時くらいに来るようにと言われていると告げ,名乗りました。しかし,この時点では担当した受付の方は事情を把握されていなかったようです。ただ,連絡を入れてもらうと,ほどなくして技師の方が現れました。そしてレコーダーについて尋ねられましたので,まだ装着したままであると答えました。それではすぐに外しましょうということで,僕たちは処置室へと入りました。ベッドに仰向けに横になったのは装着のときと同じですが,この日は服は脱がず,捲り上げただけでした。
 装着のときはほとんど痛みを感じなかったのですが,この日は痛かったです。ただしそれはレコーダーとはまったく関係がありません。レコーダーが落下しないように上からテープで押さえてありましたから,まずこのテープを剥がす必要があり,その作業に痛みが伴ったまでです。レコーダー本体を外すときには少しの痛みもありませんでした。むしろくすぐったくって,そちらを我慢しなければなりませんでした。
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ハンセンの流血&深夜の低血糖

2013-03-08 18:37:48 | NOAH
 ハンセンの乱入もあって,1981年の世界最強タッグ決定リーグ戦は,ブロディとスヌーカの優勝で幕を閉じました。試合終了後にはハンセンもリングに上がり,優勝したふたりと喜びを分かち合いました。ただ,このときのリング上には,公式戦の後半をひとりで戦うことになったドリーがまだ残っていました。優勝チームとファンクスとの間の抗争は,超獣とドリーの間の抗争が主軸に展開していましたので,この場でも必然的にやり合うことになりました。ただ,この形は3人対ひとりですから,ドリーが一方的に痛めつけられることになったのはいうまでもありません。
                         
 このときにドリーの助っ人に入ったのが馬場と鶴田。この時期の全日本プロレスはベビーフェースとヒールという枠組が残っていた最後の時期。ファンクスはベビーフェースで,日本人とタッグを結成するケースも少なくありませんでしたから,これは当然の流れ。馬場と鶴田もリーグ戦に参加していましたが,セミファイナルでインドの狂虎上田馬之助のチームと対戦し,これが無得点の引き分けとなってしまったため,優勝を逃す形となっていました。
 こうして馬場とハンセンとの間で乱闘が始まりました。馬場はハンセンが来場することは知っていたでしょう。ハンセンとしても,こういう形でリングに上がれば,馬場とやり合うことになると予期していた筈で,これは確信犯的なものだったと思います。
 この乱闘の最中に,馬場が脳天唐竹割りを連打しました。するとハンセンはそれだけで流血しました。ハンセンは確かジーンズに白いシャツといういでたちだったと記憶していますが,そのシャツが鮮血で染まっていったのは,僕のプロレス体験における印象的なもののひとつです。
 プロレスにおいて流血はギミックのひとつではあります。しかしギミックであるがゆえに,それを好んで使う選手もいればあまり好まない選手もいます。馬場は好みではなかったと思われますし,ハンセンも同様だったと僕は思っています。このときのハンセンの流血は,完全なるアクシデントであったと僕は理解しているのです。

 レコーダーを装着し続けての生活ですから,違和感がまったくなかったといえば,それは嘘になります。何事かに集中しているときには気にもなりませんでしたが,電車やバスに乗っているときなど,ふとした瞬間に思い出し,服の上からその部分に触れてみるといったことなどは,何度もありました。シャワーは僕自身の決断で浴びなかったものですが,それ以外の点に関して,苦痛といえるようなものは一切ありませんでした。強いて普段と違ったことといえば,インスリンの注射です。iPro2レコーダーは右の下腹部に装着したものであり,その部分には,普段は注射をすることがあったわけですが,当然ながらこの間は,そこには針を入れられませんでした。また,注意事項のひとつに,このレコーダーの近くにはインスリンを注射してはならないという事項もありましたので,この間は,主に腹の左側への注射となりました。なお,念のためにいっておけば,ここで右左というのは,僕自身から見て,という意味です。
 先述したように,この間は毎食前と就寝前に血糖値測定を行い,その記録を残しておきました。厳密にいうなら,食事の時間も床に就く時間も,一定しているわけではありませんから,計測した血糖値だけではなく,計測した時刻に関しても記録として残しておきました。これは事前のU先生の指示のひとつでした。そしてこれとは別に25日の夜,というか実際には26日の未明ということになりますが,低血糖の症状があって目を覚ましました。なのでその時間にも血糖値を計測し,その血糖値と時刻も記録として残しておきました。
 こうした時間帯の低血糖のひどい症状については,以前に1度だけ説明したことがあります。その後,こうした症状がこの時間帯に出るということがまったくなかったのかといえばそんなことはありませんでした。とはいえ,これはもちろんそうたびたび出るわけではありません。そうであったならば診察の際にその時点での主治医に相談していたでしょう。実際に発症することがあったとしても,これは1年に1回か2回でした。それがたまたま,このレコーダーを装着していた時期に出てしまったということです。僕がひとりで生活していたことと,あるいは関係があったのかもしれません。
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王将戦&検査中の生活

2013-03-07 19:09:34 | 将棋
 蒲郡市で指された第62期王将戦七番勝負第五局。
 佐藤康光王将の先手で渡辺明竜王の2手目は☖8四歩。相矢倉の森下システムになりました。
 森下システムの思想は,相手の形に応じて構えていくというものですが,佐藤流はあまりその気がなかったようで,棒銀から先攻。先手は無理をしているという印象でしたし,それに応じた後手の指し方も一貫性を欠いているような印象を受けました。たぶんあまり読みが噛み合っていなかったからで,それは互角といえるような局面が長く続いていたからなのではないかと推測します。差がついたといえるのは今日の午後になってからだったのではないでしょうか。
                         
 ここで先手は☗8六歩と突きましたが,この手は疑問だったように思えます。☖7七桂成☗同金☖7九銀☗8七王☖5六馬☗7八飛☖同馬☗同王まで,少なくとも先手に変化の余地がないように思えます。そこで☖5九飛。
                         
 これで先手は攻めも受けも手段に乏しく,困ってしまったようです。まだはっきりと終ったとはいえない局面なので指し続けましたが,これ以下は勝敗には影響していないように思います。
                         
 渡辺竜王が4勝1敗で王将奪取。王将位は初挑戦ですから初の獲得となります。
 第一局のときに書きましたが,この両者は先手後手よりも持ち時間が結果に大きく影響するようです。そういう意味では持ち時間4時間くらいの対佐藤戦というのは,現在の渡辺竜王にとっての数少ない壁のひとつ。それでもゆくゆくは乗り越えていくことになるだろうと思います。

 iPro2レコーダー装着する前にU先生から簡単な説明があったのはすでに書いた通りですが,実はそのときに,1枚のプリントを受け取っていました。これはこのレコーダーを使用するにあたっての注意事項とガイドラインが記されたものでした。
 その中のひとつに,このレコーダーは水深2.4mで30分間は防水性を保つことが可能であるという主旨の記載がありました。要するにレコーダーを装着したままシャワーを浴びることができるし,入浴や水泳も可能であるという意味になります。しかし僕はこれ以降,レコーダーを外すまで,入浴はしませんでしたし,シャワーを浴びることもありませんでした。装着したのが10月22日の午後で,後でまた詳しく説明しますが外したのは26日の午前中。ですから4日間は入浴もシャワーもなかったことになります。確かにレコーダーには何の問題も起きないかもしれませんが,レコーダーが外れないように貼ったテープは剥がれてしまうかもしれず,そのことを恐れたための措置でした。ただ,さすがにこれだけの長期に風呂も入らずシャワーも浴びずで放置しておけば,身体は臭ってきかねません。何も手を施さなかったというわけではなく,この間は濡らしたタオルで身体を拭くにとどめたということです。
 それからもう一点,これは結果的にそうなったということなのですが,この時期の検査というのはいささかタイミングが悪かったようにも思います。といいますのもちょうどと妹の昨年の2度めの渡米の期間中と重なってしまったからです。
 この間は僕がひとりで生活します。普段,夕食はよほどのことがない限り母が作り,僕はそれを食べています。しかしこの間は母は不在ですから,僕自身が自分の夕食を作るということになります。つまり僕の生活パターンとは違いが生じているのです。おそらくこうした検査というのは,普段の日常生活の中で調べるということが重要であると思われ,その点でいえば,むしろ例外といえるような期間での調査となってしまったのは,検査の本来的な主旨から外れていたかもしれません。ただ,本当はもっと前に行う筈の検査だったのですから,仕方がなかったといえばその通りではあります。
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TOKYO MX賞東京スプリング盃&装着

2013-03-06 19:01:59 | 地方競馬
 大井競馬は次から夜の開催。昼の開催の最後を飾るのは第4回東京スプリング盃
 先行争いは激化。スマートインパルスとリアライズノユメが並んで先頭。ピエールタイガー,ケイアイゲンブ,ヤサカファイン,フジノウェーブ,クリスタルボーイといった面々があまり差がなく追走しました。前半の600mは36秒1のハイペース。
 スマートインパルスは3コーナーを回って一杯。先頭で直線に入ったリアライズノユメもそこで脱落。続いていたピエールタイガーがまず先頭に。外からヤサカファインとイーグルショウが迫り,内からフジノウェーブとケイアイゲンブ。最後はこの5頭の争いでしたが,ここから1馬身抜け出した内から2頭目のフジノウェーブの優勝。一旦は控えたケイアイゲンブが最内から伸び返して2着。直線先頭のピエールタイガーは半馬身差の3着。
 優勝したフジノウェーブ昨年のこのレース以来の勝利。第1回第2回も制していて実に四連覇。もう11歳なのですが,極端な衰えを見せておらず,本当に驚異的な馬です。南関東重賞は7勝目で,ほかに重賞で2勝。半兄に2006年の富士ステークスを勝ったキネティクス
 騎乗した大井の御神本[みかもと]訓史騎手は昨年9月の東京記念以来の南関東重賞制覇。第2回以来の東京スプリング盃2勝目。管理している大井の高橋三郎調教師は四連覇です。

 iPro2レコーダーは下腹部に装着するわけですから,服は脱ぐ必要がありました。捲り上げるのでは危険性が残りますから,僕は上半身は裸で横たわったということになります。
 細胞の中のブドウ糖の値を計測しますから,細い針を細胞の中に刺す必要があります。つまりこのレコーダーには針がついていたということになります。ただし,僕は計測機自体の形状は詳しく見ていませんので,どのくらいの太さでどのくらいの長さの針があったのかという点については不明です。装着していたので器具自体の大きさは分かりますが,そんなに大きなものではなく,2㎝×4㎝くらいの長方形。厚みもありましたが,それは5㎜あったかなかったかくらいのものでした。
 針が刺さったわけですが,痛みというのはほとんど感じませんでした。そもそも僕はインスリンの注射を日に4回していますから,こうした痛みには慣れてしまっていたのかもしれません。装着すればそれで終了というわけではなく,この器具が正常に動作を開始するかどうかを見極めなければなりませんでした。そして僕の場合,それに15分ほどの時間を要したのですが,これは平均的な場合よりもやや時間を要したようです。この間に,装着を担当した技師と,立ち会ったもうひとりの方との間でいくつかのやり取りがありまして,そこから僕はこの方がどういった方であったかを類推したということになります。なお,レコーダーが正常に動作を起動するまでの時間というのは個体差があって,それは皮下脂肪の量と関係してくるとのこと。細胞の中に針を挿入するのですから,おそらくは皮下脂肪の量が多い場合に,起動開始までの時間はさほど必要としないということなのだと思います。それでいえば僕は身長から考えて体重が明らかに少ないように,皮下脂肪の量というのは少ない方でしょうから,平均的な場合よりも動作の開始が遅くなったのは,当然であったといえるでしょう。
 このままでは立ち上がった際に器具が落下してしまう可能性があります。正常な初動を確認した後,技師が器具の上から何重かのテープを貼って押さえつけ,すべての作業が完了しました。15時10分頃のことでした。
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民法の規定&処置室

2013-03-05 18:45:02 | 歌・小説
 新潮文庫の小説は,裏表紙にあらすじが書いてあります。これは『それから』の場合にもそうで,その文章は「長井代助は三十にもなって定職も持たず…」と始まっています。しかし,厳密にいうならこれは正しくありません。『それから』の中の代助は,もうすぐ30になるという設定で,正しくは29歳だからです。
                         
 あらすじの文章というのは,いい歳をした代助が定職を持っていないということを強調しています。ですから29歳といっても,もうすぐに30歳を迎えようかという人物ですから,この文章がそう間違ったことをいっていないというのはその通りです。実際に僕もあるときまで,ここには露ほどの疑問も有してはいませんでした。ところが『反転する漱石』の中で石原千秋は,まだ29歳であるのかもう30歳になったのかという相違は大いに意味があるのであって,まだ29歳でもうすぐ30歳という代助の年齢は,漱石が意図的に設定したものだという説を展開しています。
                         
 戦前の家父長制においては,子どもは両親の許可なく結婚をすることができませんでした。僕は明治時代の民法の原文は知りませんので,ここからは石原からの受け売りですが,これが民法772条。そこには父母の同意とありますが,実質的には父の同意と考えてよいのではないでしょうか。ところがこの772条には例外規定がありました。そしてそれが,男なら満30歳,女ならば満25歳に達した場合です。すなわち,『それから』の代助というのは,もうすぐ父親である得の許可なしに,結婚することができる年齢になろうとしていたのです。
 代助に対する得の要求は,得が経営している会社の再建を理由としているのは間違いないところです。しかしその得の要求には,ある種の性急さが明らかに含まれています。そしてそれこそ,代助がもうすぐ自分の許可なく結婚できる年齢に達するということに,得が焦燥感を募らせているからだというのが石原の見解。実際に得は,代助の年齢に関してかなり気にしている様子がありありと窺えるのです。
 たぶん石原説は正しいと僕は思います。代助の年齢の設定は,漱石が民法の規定を視野に入れた意図的なものであったのでしょう。

 このときに金曜日の来院に関してはU先生から僕にひとつの配慮があったのですが,このことは後で説明します。
 事前の説明というのは診察室で行われたものです。その後で実際にiPro2レコーダーを装着したのですが,これは診察室ではありませんでした。
 以前に説明しましたが,総合内科の診察室というのは,受付を中央にして,左右に3室ずつ,計6室です。この6室の奥に,さらに大きな一室があります。これは処置室という部屋で,僕がレコーダーを装着されたのはこの部屋です。何台かのベッドや,事務用の机などもあるわりと大きめの部屋。広さとしては入院中の病室と同じくらいか,あるいはもう少し広かったかもしれません。僕がこの処置室に入ったのはこのときが初めて。診察室の奥にこうも広い部屋があるということ自体を知りませんでしたから,ちょっと驚きました。
 レコーダーの装着を担当したのは技師でした。もうひとり立ち会いましたが,この方がだれであったのかは僕にははっきりとは分かりません。技師はU先生から紹介してもらいましたが,この方についてはそうした紹介がなかったからです。ただ,この方と技師との間で交わされていたやり取りから察しますと,おそらくはレコーダーの機器の製造会社の方で,営業を担当されていた方であったものと思われます。立ち会ったのがこのふたりであったということは,U先生は立ち会わなかったということを意味します。装着はある程度の時間が必要なものであり,U先生は僕のほかにも多くの患者を担当していて,この後もまだ診察がありました。レコーダーの装着自体が診察室ではなく,こちらの処置室で行われたのは,診察室の広さという物理的な問題もあったものと思われますが,むしろ次の患者の診察をスムーズに開始するためという側面が大きかったのだろうと思います。
 すでに説明したように,このレコーダーは僕の右の下腹部に装着されました。装着行為自体は僕が横たわって行われるもの。したがって技師からはまず,ベッドに仰向けになるように指示されました。ベッドは何台かあったわけですが,各々のベッドの間にはカーテンで仕切りができるようになっていまして,もちろんこのときは,僕が横になってからそのカーテンが閉じられました。
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マイナビ女子オープン&iPro2レコーダー

2013-03-04 18:56:35 | 将棋
 五つ目のタイトルを目指す里見香奈女流名人と初のタイトル戦出場を狙う鈴木環那女流二段の間で指された第6期マイナビ女子オープン挑戦者決定戦。対戦成績は里見名人が3勝,鈴木二段が1勝。
 振駒で先手となった鈴木二段が序盤で駆け引きを用い,咎めに出た里見名人が居飛車を選択して角換り相腰掛銀に。定跡よりも後手が得をしている形で,角を先に手放したものの,先攻できましたので,後手ながらこの戦型に誘導したのは成功だったといえるのではないかと思います。
 対局者両名は中盤からは後手の方が差しやすいと認識していたようですが,僕にはっきりとした差がついたと思えたのは,もう少し後になってからです。
                         
 ここで▲7五歩と突きましたが,この手はまずかったのではないでしょうか。△同歩に▲4四歩と取り込み△同金。単に取り込まなかった以上は▲7四歩と打てなければいけないと思うのですが,▲4五歩と抑え,△4三金引に▲3五歩とこちらに狙いをつけました。ちぐはぐなのは,修正手順だからでしょう。しかしここで△7六歩が絶好の突き出し。▲同銀△3六銀▲同金△5七角成は仕方がないと思いますが,こうなっては後手の優位が確定的になったといえると思います。とくに先手としては,指した手が悉くマイナスに作用してしまった感が否めず,精神的な意味でもきつそうな展開です。
                         
 第2図以降,一応は攻め合いになりましたが,後手の攻め足が早く,そのまま押し切りました。
 里見女流名人が挑戦者に。マイナビ女子オープンの番勝負登場は初めてです。
 この棋戦では準決勝で対局者が自身の意志で不戦敗をするという珍事がありました。僕は棋士の自然権として対局を放棄する権利が存することは認めますし,対局を放棄するには外部の原因があったことも理解します。しかし,プロ棋士が公式戦の対局を拒否するというのは,自身がプロであるということの存在意義を否定することになるので,論理的にはそれ自体で破綻します。もしも合理的に対局を賭して何かを訴えるのであれば,プロという地位を退く選択をしてほしかったです。

 前回の通院の日は,U先生診察の予約を入れ忘れていました。そのあおりで,本来ならばその日に行う予定であった別の検査ができませんでした。それがこの日に延期になっていましたから,この日の診察はこれで終了とはなりませんでした。
 検査を行うにあたり,まずU先生から簡単な説明がありました。これはごく簡単な説明でしたので,その説明から僕が理解したところを合わせて,その概要というものを書いておきましょう。
 これはiPro2レコーダーという器具を用いる検査です。これを身体の一部,僕の場合は右の下腹部でしたが,そこに装着します。僕が解釈したところでは,これを装着することによって,細胞の中のブドウ糖の変異を計測できます。これはすでに説明したことと重複しますが,人は食事をしますと,血液中のブドウ糖の量が増大します。これがいわゆる高血糖の状態。この状態になると,すい臓にあるランゲルハウス島という部分から,インスリンというホルモンが分泌されます。そしてこれが分泌されることによって,血液中にあるブドウ糖が,細胞の中に取り込まれます。したがって,細胞内のブドウ糖の量の増減を計測することにより,インスリンがどの程度まで働いているのかということがチェックできることになります。僕はⅠ型糖尿病ですので,分泌されるインスリンの量そのものが,通常の場合よりも減少しています。それを補うためにインスリンの注射をしているわけですが,細胞内のブドウ糖の増減を計測することにより,注射したインスリンの働き具合というものをチェックできるということになります。あくまでも僕の理解ですが,この検査の主目的は,この点にあったといえるのではないでしょうか。
 iPro2レコーダーは身体に装着したまま,普段と同じ生活を送ります。そしてこの間は,食事前には必ず血糖値測定をして,その記録を残さなければならないというのが,U先生が僕に指示した最大の注意点でした。そして装着したレコーダーを外すために,金曜日にまた来院すること,さらにそのときに,記録した血糖値を持参するということ,これらが実際にレコーダーを装着する前の注意点のすべてでした。
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瀬戸の王子杯&健康診断の結果

2013-03-03 18:41:02 | 競輪
 今週は瀬戸内海を挟んで記念競輪が連続での開催となりました。今日は玉野記念の決勝。並びは佐藤に小野,脇本-村上ー有賀の近畿中部,三宅達也ー三宅伸-大前の岡山で諸橋は単騎。
 Sを取ったのは大前で,三宅達也の前受け。4番手に佐藤,6番手に脇本となり,諸橋が最後尾での周回。なかなか動きがなく,打鐘前のバックに入ってようやく脇本が上昇。これに併せて佐藤も動き,打鐘の段階ではみっつのラインが併走の形。佐藤は引けなくなり,脇本の後ろで粘りましたが,番手は村上が確保。ホームでは脇本-村上ー佐藤-小野となり,その後ろに諸橋。バックで三宅達也が捲っていきましたが,車は伸びず。直線で村上が番手から踏み込み,脇本と村上の間を小野。外に行った佐藤と村上の間を諸橋が伸び,3人はさほどの差がなくゴール。優勝は凌いだ村上。半車輪差の2着が小野で4分の1車輪差の3着に諸橋。
                         
 優勝した京都の村上義弘選手は前回出場の奈良記念に続く連続優勝で記念競輪25勝目。玉野記念は初優勝。三宅達也ならともかく佐藤に番手を狙われるのは予想外ではなかったかと思うのですが,それをうまく凌いだ時点で優勝に近付きました。番手発進のわりに最後は意外と詰め寄られた感はありますが,おそらくなるべく脇本を残すような走行に徹したからだと思います。迫られても凌ぐあたりは底力と考えてよいのではないでしょうか。

 前回の診察のおりに健診の依頼をしましたので,この日はその結果が出ていました。まず,それまでのオーダーにプラスされていた検査項目を順に紹介しておきます。
 まずALB。これはアルブミン。そしてγ-GTP。これらは肝機能の指標になります。LDHもこれと関連性があるようです。
 次がBUN。これは尿素窒素のこと。そしてCREA。これはクレアチニンのことかと思います。さらに尿酸,ナトリウム,カリウム,クロール。これらは基本的に腎臓機能の指標です。
 ほかではコレステロール,中性脂肪,HDLコレステロールとLDLコレステロール。これらはよく知られていますから説明不要でしょう。CKというのがあって,これはクレアチンキナーゼの略で,心筋梗塞や甲状腺障害などの指標。
 さらに赤血球,白血球,上皮細胞,円柱の検査結果が出ていました。ただし,これらは基準値が示されていませんでしたので,具体的に何を調べたのかということは僕には分からないです。
 検査詳細情報に追加されていたものはこれですべてです。健康診断ですから,何を調べたのかということはもちろんですが,異常の有無というのが最も重要でしょう。これのうち基準値を逸脱していたものがひとつありまして,中性脂肪でした。
 中性脂肪というのは血液中の脂肪の一種です。ですから血糖値と同じように,血液1㎗の中に何㎎の中性脂肪が含まれているかが計測されます。僕の結果はこれが36㎎/㎗でした。詳細情報に示されている基準値の下限が50㎎/㎗でしたので,これはずいぶんと低い値が出たということになります。ただ,基本的に中性脂肪というのは,基準値をオーバーすると動脈硬化,そしてそれが誘因となる脳卒中や心筋梗塞のリスクが高まるとされていて,健康診断では主にそういった目的から検査項目の中に入っているようなのです。詳細情報に示されている上限値というのは149㎎/㎗であり,それを超えているのでない限りは,健康診断の結果としては過度に心配する必要はないようです。実際,この点についてはU先生の方からも話があったのですが,この値の低さについては心配不要とのことでした。
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スヌーカの本心&2度めの渡米

2013-03-02 18:51:15 | NOAH
 ブロディとスヌーカ仲間割れの事情は,当事者ふたりの問題ではなく,プロモーターである馬場の意向であったというのが僕の見解です。仮にこの見解が正しいものであったとしましょう。超獣スーパーフライという名パートナーを失ったとしても,不沈艦という,比較するならさらに強力なパートナーを得ることができます。なので馬場の意向にも従いやすい面があったでしょう。しかしスヌーカの場合はそうではありません。スヌーカにとってブロディというパートナーを失うということは,全日本プロレスでの自身の立場を危うくしかねないようなことであったとも考えられるからです。確かにスヌーカは,シングルでも戦ってはいましたが,基本的にはブロディのパートナーというのが全日本プロレスでの立ち位置でした。そしてスヌーカは,その立ち位置にそぐうようなプロレスを展開していたと思います。いい換えればそれは馬場が好むようなプロレススタイルであった筈で,馬場がスヌーカのプロレスラーとしての個人的な力量をどのように評価していたかは分かりませんが,その仕事ぶりには,一定の評価をしていたと思うのです。そしてたぶん,スヌーカ自身にもその点についての自負というものがあっただろうと思うのです。
 それなのにブロディと訣別しなければならないとしたら,スヌーカがそれを不満に感じてもおかしくはないように思います。そしてスヌーカは実際にそれを感じていたのだとも思えます。というのもスヌーカはこれ以後,アメリカではWWFを主戦場とし,そちらの仕事を優先して,なかなか来日しなくなってしまったからです。これはたまたまWWFからの誘いと,ブロディとの仲間割れの時期が重なったというだけかもしれません。WWFは新日本プロレスと提携していて,しかしこの年の秋には,短期間ではありますがスヌーカは全日本のマットに上がり,ブロディとのシングルマッチなども行っていますから,少なくとも馬場のことを全面的に信頼できなくなったというわけではなさそうでもあります。
 このときスヌーカが本心ではどう思っていたのか。これは永遠の謎かもしれません。

 妹を送ってから磯子中央病院へと向ったですが,この日はCTの機器が故障していたため,撮影ができませんでした。このため,後日に改めて予約を入れて,検査をし直すということになりました。ただ,この後,母にはある予定がありましたので,直後,といっても脳外科の診察は木曜でなければ不可能なので翌週という意味ですが,予約を入れることができず,結果的に11月15日にCTの撮影をしています。ここでは時系列に沿って進めていますので,そのことはまた後で書きます。
 この週の土曜日,日付でいえば10月13日は妹の土曜出勤。これは運動会でした。このブログでいうところの本牧にある中学校の運動場を借りての実施。といっても僕が見に行ったわけではなく,母と行ったものです。そしてその翌日となる14日の日曜はピアノレッスンでした。
 週が明けて16日の火曜日に,外壁の修理が完了しました。正確にいえば外壁の修理自体は前日までに終了していて,この日は足場を撤去したものです。そしてこの日,母と妹がロサンゼルスの伯母のところへと渡米しました。母と妹の渡米は去年は2月にもありましたので,2度目ということになります。たぶん年に2回の渡米というのは初めてのこと。これはもちろん,伯母の姑の病気ということが大きな理由のひとつになっています。2月の渡米のときは,来日していた伯母の帰国に合わせてのもので,つまり3人でロサンゼルスに向ったということになりますが,今回は母と妹のふたりだけ。前回の帰国のときは母と妹のふたりだけであったわけですから,それと比べて母に大きな負担が掛かったということはできないでしょうが,それくらいまで母が小脳出血から回復しているということのひとつの証であるということはできると思います。
 日本では僕ひとりの生活となり,週明けの月曜日,10月22日がみなと赤十字病院通院の日。この日も行ってみますと中央検査室は空いていまして,先に採血をしてから採尿をしました。この場合はアームバンドを装着してもらうことになります。
 総合内科の診察の予約は14時になっていました。なので昼食は院内の食堂で。実際に診察が開始されたのは14時半前でした。
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