スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サンケイスポーツ盃ローレル賞&知覚過敏の治療

2013-11-15 19:00:08 | 地方競馬
 北海道から1頭,笠松から1頭が遠征してきた12日の第13回ローレル賞。有力馬の1頭だったトキノセレブが右肩の跛行で出走取消となり,13頭。
                           
 ペパーミントリボンは立ち上がるような発走で出遅れ。陣営からスピードの違いで逃げることになるだろうという発言が事前にあったヴァカンスがその通りに先手を奪いました。追い掛けたのはハイエストパワーとエドノミリアンの2頭。以下はファーストキス,ネバーシーストップ,クライリング,タントタント,ストロベリーランと続きました。前半の800mは50秒0でこれは超ハイペース。
 逃げ馬を追い掛けた2頭は3コーナーでは苦しくなって後退。一旦はタントタントが2番手になりましたが,これもコーナーを回るとついていかれなくなり,クライリングが2番手に。直線はクライリングがヴァカンスを捕まえにいき,競り合う場面もありましたが,最後は交わして優勝。粘ったヴァカンスが1馬身半差の2着。新馬勝ち直後に果敢に挑んできたストロベリーランが最後までしぶとく脚を使って1馬身差の3着。
 優勝した北海道から遠征してきたクライリングは5月に新馬を勝った後,ずっと強敵を相手に戦い続けていた馬。トップクラスには少し足りないという印象でしたが,今年の北海道の2歳馬はレベルが高く,牝馬限定の南関東重賞ならば好走も可能と考えていました。初の左回りは克服しなければならない課題でしたが,少しも問題とはなりませんでした。すでに南関東への転入が決定していますので,順調なら,今後もある程度の活躍を見込めるでしょう。父は2005年のJRA賞最優秀4歳以上牡馬のハーツクライ。Kraillingはドイツの地名。
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は5月の川崎マイラーズ以来の南関東重賞制覇。第11回以来2年ぶりのローレル賞2勝目。この時点で管理していた北海道の田中淳司調教師は南関東重賞初勝利。

 僕は食餌療法が必要な身体です。ですからできることならば自分で選択することができないような料理を食べることはしたくありません。精進落としというのは,そのような例のひとつになります。なのでそれがなかったということは,個人的にいうならむしろありがたいことではありました。また,これは9月28日の出来事でしたが,死んだ父にとっては誕生日です。完全に偶然の一致ではありますし,これまでも父の誕生日に墓参りに行くという習慣はありませんでしたが,遅れはしたもののこの日に彼岸の塔婆を立てることができたのは,悪いことではなかったようにも思えます。
 翌週から10月。最初の土曜日,10月5日にピアノのレッスンが予定されていました。ただしこれは実施されませんでした。ピアノの先生のお子さんが発熱してしまったため,行くことができないという電話が当日になって入ったからです。これは止むを得ない中止といえるでしょう。
 10月7日の月曜日に母がI歯科に。母のI歯科への通院は,妹を作業所まで送っていった帰りというケースが多かったのですが,月曜日は迎えがありますから,それとは違ったパターンであったことになります。これは前回の通院から3ヶ月後の定期検診のため。つまり歯石の除去です。ただ,おそらくは知覚過敏を原因とする歯の痛みはまだ継続していましたので,そちらについても治療をするということになりました。もっともこの日はそのための治療をしたというわけではなく,実際の治療はこの後の通院で行うということになりました。
 そしてこの日が僕の内分泌科の通院の日でもありました。この日も中央検査室で採血を待っている患者はありませんでした。先に採尿をしてしまいましたが,その直後には採血をすることができたわけです。この日も栄養指導が入っていましたが,これは前回よりも30分早まっていまして午後1時半の予約。最近は12時40分前後に病院に到着するバスを利用していますから,これですと外食していては絶対に間に合いません。必然的に院内の食堂で昼食ということになりました。あまり採血に時間を要すると大変でしたから,その点ではラッキーだったといえます。
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大山名人杯倉敷藤花戦&K伯母の遺産

2013-11-14 19:22:01 | 将棋
 10日の第21期倉敷藤花戦三番勝負第一局。対戦成績は里見香奈倉敷藤花が12勝,甲斐智美女流王位が5勝。
 島根県顧問による振駒で甲斐女流王位の先手。里見倉敷藤花がすぐに角を交換し,先手が向飛車,後手は居飛車で対抗形。早々に先手に不用意な一手があったため,駒得でも先手が苦しいという展開になりました。ただ,後手も決めにいくような順はなかなか選ばなかったため,何となく混戦を思わせる展開となりました。
                         
 先手が後手の飛車の横利きを遮断した局面。後手はかなり早い段階から可能であった馬を取りにいくところですが,この局面では二通り。選ばれたのは△1一銀でしたが,△2三銀ではなく,この順で取りにいったのがうまい構想でした。というのも▲同馬△同馬の後,▲5三歩成△同歩▲同銀成と先手が第1図で歩を打ったときからの狙いで攻めに出たとき,△5五馬と出る手が可能になっているからです。
 結果的にいえば,ここでは▲4二成銀と取ってしまうべきだったかもしれません。実戦は▲7四飛と浮きましたが△6五馬と根元の桂馬を取られた上,▲3四飛と王手で回ったときに△3三金と当てつつ逃げられ,さらに▲3五飛と引いたところで取られた桂馬を△5五桂と攻防に打たれてしまいました。
                         
 終盤でこうも都合がよい手ばかりを続けることができれば,それは後手が優位になります。第2図以下は眠っていた8三の飛車も成り込めるという展開になり,後手の攻めが決まっています。
 里見倉敷藤花が先勝。第二局は23日で,それに甲斐女流王位が勝つと翌日に第三局です。

 K伯母の三回忌の喪主が父の長兄であったのは,法事でいうなら,1年前のK伯母の一周忌のときと同様です。そしてそのときもそうであったように,この後は通い慣れた和食レストランで精進落としというのが通例でした。しかしこの日は精進落としはなく,ここで解散となったのです。これは,法事の開始時刻が通常よりも遅くなったための措置でした。この日にこの後で精進落としをしたならば,それがそのまま夕食ということになったでしょう。ただ,参列する親族も高齢者が多いですから,あまり遅い時間まで残ってもらうのは大変であろうという配慮から,この場で解散ということになったわけです。
 法事の喪主というのは,法事に必要な経費の一切を負担します。K伯母の場合,通夜や葬儀に関しては,遺産を利用して行いましたから,そのときにはだれも出費をしていません。ただ,その後,その遺産は法的に処理されています。要するに相続されたわけです。K伯母の場合,夫は故人で子どもはなく,両親も故人という状況でしたから,遺産は姉と弟,そして故人である夫の姉妹で相続することになりました。ただ,K伯母の弟である僕の父はその時点でやはり故人でした。この場合,僕と妹にも相続の権利が出るそうで,実際に僕も相続人のひとりとなりました。こうした事情ですから,K伯母の法事に関しては,父の長兄であるY伯父が費用の負担をすることになったわけです。
 もっとも,これは一方的に出費があるという意味ではありません。法事にはご霊前を各家族が出しますが,それはY伯父が受け取ることになっているからです。それで費用のすべてが賄えるのかは僕は分かりませんが,これまではそうした状況の中で,精進落としも行われていたのです。しかしこの日はそれを行わないということで,代わりとなるお礼がY伯父の方から参列した各家族に配られました。別にだれも損得勘定でこうした法事に参列しているわけではないでしょうが,Y伯父の方からはそうした配慮が示されたということになります。
 お寺から日野公園墓地まで同乗させてもらった親戚に家まで送ってもらいました。帰宅したのは午後5時半前のことでした。
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霧島酒造杯女流王将戦&塔婆

2013-11-13 19:09:20 | 将棋
 9日に放映された第35期女流王将戦挑戦者決定戦。収録は8月29日でその時点での対戦成績は上田初美女流三段が0勝,香川愛生女流初段が1勝。
 振駒で先手を得た上田三段は初手に▲2六歩と指して居飛車を明示。香川初段の升田式石田流となり,角交換の後,後手が美濃,先手が矢倉に。先手が角を手放す代償に一歩得をするという展開に進みましたが,全般的に後手の作戦勝ちで,とくに本格的な戦端が開かれた付近では,はっきりと後手が良くなっていたものと思います。ただ,後手はその後は的確に指すことができず,根気比べのような中盤戦が延々と続くような一局になりました。
                         
 後手が1九の馬を引きつけた局面。ここで▲8六香と打ったのですがこれは失着で,▲5一銀から攻めていくのが優ったと思われます。実戦は△3ニ歩と打たれ▲1一馬。香車は取れたものの▲5一銀からの攻め筋が消滅してしまいました。後手が△7三桂と跳ねたのに対して▲5ニ歩と打ったのもここではぬるかったよう。△8四歩と打った香車を目標にされたところで▲6六歩と合わせていきましたが,それならば▲5ニ歩のところですぐに合わせておくべきだったと思われます。後手は△8五桂打として▲6五歩に△同桂左と取ることができました。
                         
 おそらくここの部分でまた流れが後手に傾いたようです。先手は▲6九歩と受けたのですが,△9五歩からの端攻めが厳しく後手が勝勢になりました。最後の勝ちを決めるところで手順を誤ったため,猛反撃を喰らい,後手玉が詰むのではないかと思えるような手順に進みましたが,実戦は逃れ,後手の勝ちになっています。
 196手という泥試合を制した香川女流初段が挑戦者となり,女流二段に昇段。三番勝負の第一局は16日に放映されます。

 祖母のための墓参りをして,同時に父の彼岸の塔婆も立てました。ただ,そのときに思わぬことがありました。
 父の死後,彼岸の塔婆というのは2本立てています。1本は父のもので,もう1本は先祖代々のもの。この墓には父だけでなく,父の両親の骨も納めてあります。先祖代々という名義で塔婆を立て始めたのがいつからであったかは僕の記憶にはありませんが,現在はそういう塔婆を立てる習慣となっていたのです。
 祖母の二三回忌の塔婆は親戚のうちのだれかが一括して受け取り,それを持っていきました。一方,彼岸の塔婆はそれらとは別に僕が受け取り,僕自身の手で持ち運んだのです。そしてそれは新聞紙に包まれてありました。まさかそのまま立てるわけにはいきませんから,墓前で新聞紙を剥がしたわけです。すると中には,3本の塔婆が入っていたのです。
 このうち1本は父のもので,もう1本が先祖代々の塔婆であったことはいうまでもありません。残る1本は,母の母のものでした。母の母の塔婆というのは,これまでにも受け取ったことがありました。祖母が檀家になっているのは,通夜と葬儀のときにも説明したように高野山真言宗のお寺ですが,本門仏立宗の塔婆は,宗派とは関係なく立てて構わないのだそうです。塔婆に書かれるのは戒名で,母の母の戒名がどのようにこちらのお寺の知ることになったのかという経緯は僕は知りませんが,先方では把握してありましたので,こうした塔婆が立てられることも可能にはなっていたのです。塔婆というのは立てるのに費用が必要ですが,母に聞いたところ,このときに支払ったのは2本分だけであったとのことで,いわばこの母の母の塔婆というのはサービスのような形で受け取ったことになります。
 ただ,この塔婆はここに立てるわけにはいきません。したがってこの1本については,自宅まで持ち帰るということになりました。すでに記しましたように,母の母の墓への彼岸の墓参は,僕は同行できませんでしたが23日に済ませてありました。なのでこの塔婆をすぐにそちらの墓に立てるということはできなかったのですが,とりあえず保管して,いずれ立てることにしたわけです。そしてその目途もこの時点で立っていました。
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水戸黄門賞&法要

2013-11-12 19:26:39 | 競輪
 初日に一発勝負の災害復興支援競走が行われた取手記念の決勝。並びは新田に長塚-岡田の関東,石井-成清-勝瀬ー大木―栗原の南関東で,柏野が単騎。
 長塚がスタートを取ったので前になったのが新田。柏野を挟んで後ろから石井が率いる南関東。残り2周のホームの入口付近から石井が上昇を開始して,ホームでは新田と石井が併走。バックで石井が新田を抑えるとペースダウンして打鐘。新田は6番手まで引いた上でホームからかましていくと1コーナーでは石井を叩いて先行。柏野は続けず石井が4番手になったもののそれで一杯。前に出た3人の争いは番手から差した長塚の優勝。4分の1車輪差で新田が2着に逃げ粘り,1車身半差で岡田が3着と,このラインで上位独占。
 優勝した茨城の長塚智広選手一宮記念に続いての記念競輪級12勝目。地元になる取手記念は前制度の2001年に優勝があり,2勝目。出場した記念競輪3連覇で,現行制度ではこれはなかなかの記録。それだけ調子がいいという証でしょう。競輪は相手が近くにいるならスピードを緩めても大丈夫ですが,離れているのに緩めてしまうと相手に発進されたときに対応するのが困難。そういう意味では明らかに石井の走行は僕には失敗に思え,新田にとってはかましやすくなりました。長塚にとってはそうなればあとは差せるか差せないかだけですから,レースとしては楽であったように思えます。

 K伯母の三回忌と,K伯母にとって母となる僕の祖母の二三回忌の法要です。ふたりは共に本門仏立宗の熱心な信者であったのですから,当然ながら場所はいつものお寺でした。
 ここで法事が営まれる場合,通例では開始時刻は午後1時半でした。しかしこの日はお寺の方に何らかの事情があったと思われ,午後3時の開始となっていました。なので僕たちが出掛けたのは午後2時過ぎ。このお寺は少し大変ではありますが一応は徒歩圏内。もっともこの日のように妹も同行する場合は歩かせるという選択はあり得ず,タクシーを利用します。だいぶ早くに到着することになりますが,これはいつも通りのことなのであって,何か特別な事情があったというわけではありません。
 読経した僧侶は知らない人でした。このお寺には住職と,もうひとり,常駐している僧侶がいまして,そちらの僧侶は何年という単位ではありますがときに変わります。ただ,この日に読経した僧侶というのは,新しく常駐することになった僧侶というわけでもなく,どこかほかの本門仏立宗の寺から臨時で派遣された僧侶であったようです。
 読経するのがだれであれ,時間はほとんど変わりません。この日も1時間ほど読経をして,法事自体は終了となりました。あとは墓参です。ただ,K伯母には墓はなく,このお寺の納骨堂に納骨したのですから,移動の必要はありません。法事のための塔婆も運ぶ必要はなく,ただ線香を供えておしまいです。一方,祖母の方は父も入っている日野公園墓地の墓に納骨してありますから,今度はそちらに向いました。つまりこの日はそれぞれの家族が2本の塔婆を立て,そのうちの1本,K伯母のためのものはそのままお寺に残し,祖母のものは日野公園墓地に立てたということになります。
 また,まだ入手できていなかった父の彼岸の塔婆も,このときに同時に入手しました。彼岸の墓参りに行ったのはたった2日前で,そのときには塔婆は入手できていなかったけれども目途は立っていたと説明しましたが,それはこうした事情があったからでした。親戚,父のすぐ上の兄が運転する乗用車に,母と妹と同乗させてもらい日野公園墓地へ向いました。
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竜王戦&K伯母の三回忌

2013-11-11 19:07:08 | 将棋
 7日と8日に指された第26期竜王戦七番勝負第三局。
 森内俊之名人の先手で渡辺明竜王急戦矢倉。後手が駒損を甘受して玉を堅め,猛攻するという将棋に。細い攻めをうまく繋げるのは渡辺竜王の真骨頂なのですが,この将棋では選択ミスが生じたようで,先手の反撃を喰らうことに。一時的に先手がリードしたようですが,受けに時間を使ったためにその時点では残り時間が少なく,そのために間違えて混戦に。最後は後手玉が逃げ切り,先手を即詰みに討ち取りました。
                         
 これがその局面。先手の直前の指し手は▲6五桂で,これは△6七角からの詰めろを消しつつ後手玉に詰めろを掛けた手。こういう手があるなら普通は先手の勝ちとしたものですが,この場合は第1図のように下から角を打って詰ます順もあり,受けになってはいませんでした。
 第19期竜王戦で,渡辺竜王は連敗で第三局を迎えました。その将棋は相矢倉から大熱戦に。最後に妙手を出した渡辺竜王が勝ち,防衛に繋げました。
                         
 その妙手が第2図。まったく形は異なりますが,下から王手で角を打つというあたり,今回の将棋との類似を感じます。対局場も長崎で,今回と同じ九州対局だったのです。どことなく今後のタイトル戦の行く末を予感させるものが僕にはあった表象像の連結なのですが,もちろん単なる偶然の一致であるかもしれません。
 渡辺竜王が勝って1勝2敗。第四局は21日と22日です。

 処方箋は入手できましたので,帰路に薬局に寄って注射針も入手。帰宅したのが11時15分頃だったでしょうか。単純な所要時間だけでいえば,およそ1か月前の眼科検診とほぼ同じ。ただО眼科とみなと赤十字病院では,往復に要する時間が倍以上は異なりますから,いかに病院での滞在時間が短くすんだかということはお分かりいただけるものと思います。逆にいうならこれは,О眼科が普段から相当に混雑しているということの証明だともいえるでしょう。午後からの長者町の仕事も,事前の思い通りにこなすことができました。
 この翌日,9月28日の土曜日に法事がありました。これはふたつの法事を同時に執り行ったもの。ひとつはK伯母の三回忌であり,これが主要なものでした。また今年は祖母,父の母ですが,その二三回忌の年にあたっていましたので,そちらも同時に済ませてしまったというものです。
 祖母の死の直後に秋の天皇賞があり,そのレースをレッツゴーターキンが勝ちました。これは僕の精神の中で,レッツゴーで始まる名前の馬が,ある特別な存在になったことの理由のひとつであり,最初のものです。そのことは別として,秋の天皇賞というのは,その当時も現在も,概ね10月の終り頃に行われます。したがって厳密に祖母の二三回忌法要を営むとすれば,一月ほど早かったということになります。ただ,今月も翌月も法事ということになれば,集まるのにも負担が大きくなりますし,喪主にとってはなおさらです。ですから時期的にその死が近かったK伯母の三回忌に合わせて,祖母の二三回忌も執り行ってしまったのです。こうしたことはよくあることなのではないかと思います。
 K伯母に関してはこれまですべての法事で父の長兄であるY伯父が喪主を務めました。一方,祖母の法事に関しては,末子相続をした父がそれを務めていたのです。したがってその流れでいけば,僕か母が務めるというのが筋だったかもしれません。しかし祖母の長男が存命であるのに,僕や母が喪主になるというのも変ではないかと思えました。こうしたことをY伯父と話し合い,そちらの方の喪主も依頼することになったものでした。
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エリザベス女王杯&断念した理由

2013-11-10 19:14:41 | 中央競馬
 牝馬の頂上決戦,第38回エリザベス女王杯。柴田善臣騎手が負傷のためレインボーダリアは和田竜二騎手に変更。
 逃げたのはエディン。2番手にセキショウ。その後ろはセレブリティモデルとラキシス。さらに掛かっていたように見えるスピードリッパーとトーセンアルニカで,ここまでが前の集団。その後ろからとなったのがメイショウマンボでした。最初の1000mは62秒7。馬場状態もありましたが,勝ち時計が非常に遅かったことからも分かるように超スローペース。
 結果的に脚を残していた馬が多く,直線に入ると内から外までずらりと広がりました。先行集団からはわりと外目に出てきたラキシスがまずは先頭に躍り出ましたがそれも束の間。3コーナー過ぎから外を進出してきたメイショウマンボがその勢いのままさらに外からこれを交わすと,そのまま抜け出して1馬身4分の1という,このペースから考えれば決定的な差をつけて優勝。2着はラキシス。勝ち馬の後を追うように伸びてきたアロマティコがクビ差まで迫って3着。
 優勝したメイショウマンボ秋華賞から連勝で大レース3勝目。立場上は古馬に挑戦という身でしたが,あっさりと突破しましたから,牝馬全体の頂点に君臨したといえるでしょう。おそらく長く活躍できると思われる馬ですから,当分はこの立場を譲ることはないのではないでしょうか。父はスズカマンボ。母の父はグラスワンダー。母のはとこに2008年のフィリーズレビューとローズステークスを勝ったマイネレーツェル
 騎乗した武幸四郎騎手,管理している飯田明弘調教師は秋華賞に続いての大レース制覇でエリザベス女王杯初勝利。

 長者町での仕事というのは,僕の一存でどうにでもなるような部分があります。ですからこれはU先生の提案を断った理由のひとつではありますが,大きな理由というわけではありません。むしろこれだけの事情であったとしたら,検査と診察も受けてしまったと思います。実際にそれを断念した理由は,ほかにふたつほどありました。
 ひとつは,僕はこのときにはインスリンを持っていなかったということです。僕は食事の前には超速効型のインスリンは必ず注射します。したがってインスリンを持っていないということは,食事ができないということと同じ意味なのです。検査と診察にどれほどの時間が必要かは分かりませんが,帰宅してから昼食ということになれば,遅くなってしまうおそれがありました。これも遅くなったから絶対に困るというものではありませんが,やはり躊躇する大きな理由にはなり得たのです。
 もうひとつは,次の通院が予定されていた日には,同時に栄養指導の予約も入っていたことです。U先生の診察が可能なのは分かっていましたが,僕を担当している管理栄養士がこの日に出勤しているかどうかは不明でしたし,仮に出勤していたとしても,この日に栄養指導を受けられるのかということも不明でした。また,前回時に受け取ったプリントも持っていませんでしたし,そもそもまだそのプリントへの記入もしてありませんでした。こうした事情から察すると,仮に検査と診察をこの日に受けてしまったとしても,元々の予定の日には,栄養指導のためにまた来院しなければならなくなるという可能性が大であるように思えたのです。そうであるならこの日はこれ以上の時間はかけずに帰宅し,また予約が入っている日に通院する方が合理的であると考えたのです。
 前回は210円と非常に安価でしたが,この日は2670円と,その10倍以上になりました。現実的に僕が受けた診療の内容というのはほぼ,というか完全に同じですが,これだけの差が出たわけです。おそらくこれは,前回はU先生が初診の担当ではなかったのに対し,この日は初診の担当であったっということから生じた差異なのだろうと推測されます。
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農林水産大臣賞典道新スポーツ杯北海道2歳優駿&前回との相違

2013-11-09 20:14:55 | 地方競馬
 7日の第40回北海道2歳優駿
 最内枠からアースコネクターの逃げに。スタンドアウト,サーモピレーの2頭は差がなく追走。スマートダイバー,ニシノデンジャラス,エンジェルビーツ,ハッピースプリント,パッシングブリーズまでがその後ろの集団を形成。エイシンホクトセイとモリデンボスがそれらを追う形。ミドルペースであったと思われます。
 アースコネクターは直後の2頭には並び掛けられるようなレースだったのですか,逃げ脚自体は快調で,直線に入るとはっきりと抜け出しました。追ってきたのは捲るように外を進出したハッピースプリントで,この2頭のマッチレースに。しかし外のハッピースプリントが最後はあっさりと交わし,2馬身の差をつけて優勝。粘ったアースコネクターが2着。もつれたのは4馬身後方の3着争いで,内から脚を使ったエイシンホクトセイが勝ち馬を追うように外を進出したニシノデンジャラスをゴール前でアタマ差だけ捕えました。
 優勝したハッピースプリントは前哨戦にあたるサンライズカップの勝ち馬で,北海道勢ではエース格。JRA勢にさほど強力と思える馬が不在でしたので,チャンスは十分と考えていました。相手関係は強化している筈ですが,その前走と同じようなレース内容で勝ちきったというあたり,確かな実力を示したといえるように思えます。はとこに2009年の関東オークススパーキングレディーカップ,2010年の名古屋大賞典スパーキングレディーカップ,2011年のTCK女王盃,エンプレス杯,スパーキングレディーカップと重賞を7勝したラヴェリータ
 騎乗した北海道の宮崎光行騎手は第21回,第37回を制しているので3年ぶりの北海道2歳優駿3勝目。管理している北海道の田中淳司調教師は初勝利です。

 病院に到着したのは9時40分頃であったと思います。まず保険証の確認をしました。受付を担当した方は,予約が入っていないことを告げました。僕は処方箋を入手したいという旨を伝えました。すると初診の扱いで診察券を所定の機械に通した上で,内分泌科の受付に向うように指示されました。言われた通りに内分泌科に赴き,そちらの受付の人に,注射針の処方箋が必要であると伝えました。すると番号ではなく名前で呼ぶので,待合で待機するように言われました。このあたりまでほとんど前回の針の入手のときと同じです。
 待っている患者は相当いましたが,僕の名前はすぐに呼ばれました。ただしここからは前回と少しばかり異なっていました。前回はU先生自身が呼びにきて処置室で処方箋を出してもらったのですが,この日はU先生に放送で呼ばれまして,5番の診察室に入るように言われたのです。
 みなと赤十字病院の内分泌科は,少なくとも金曜日の午前中は初診の患者も受け付けているようです。ただ,診察を担当する医師は決まっているわけではなく,交替制になっています。前回も金曜で,その日はU先生は初診の担当ではなかったのですが,この日はそれに該当していたということでしょう。
 僕の要件に関してはすでに把握されていました。たぶんそれが分かっていたから,早めに呼ばれたものと思います。例のように注射針だけの処方箋を出すことは不可能なので,超速効型のヒューマログ1本と合わせての処方になりました。はっきりとしたことはいえませんが,このときのやり取りから察すると,おそらくは薬局では処方箋の通りに処方したのであって,U先生に計算ミスがあった,おそらく1日に4本と計算しなければならないところ,1日に3本で計算してしまい,その分だけの処方箋を出したのではないかと僕は感じました。
 わざわざ病院まで来たので,この後で検査をして,診察を済ませてしまうことも可能であると言われました。これはなかなか魅力的な提案ではあったのですが,断りました。いくつか理由があったのですが,まず第一に,午後から長者町に行くことになっていまして,その予定が狂うおそれがあったからです。
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マイルグランプリ&注射針の不足

2013-11-08 19:03:50 | 地方競馬
 6日の第20回マイルグランプリ
 陣営が何が何でも逃げると宣言していたデイジーギャルがその通りにハナへ。トーセンアドミラル,ゴーディー,ピエールタイガーの3頭が先行集団を形成して追走。少し開いてヤサカファインとファイナルスコア-。その後ろにソルテとなりました。前半の800mは48秒5で,最初に競り合いがあった分のハイペース。
 デイジーギャルは3コーナーでは一杯。トーセンアドミラルが先頭に出ると,外から喰らいついていったのがピエールタイガーで,この2頭と後ろは差がつきました。レースはそのままこの2頭がゴールまで競り合い,前に出ていたトーセンアドミラルが最後の最後まで抜かせずに優勝。ゴール前でさらに詰め寄ったピエールタイガーはアタマ差で2着。1馬身半差の3着争いも大接戦でしたが,内から抜けてきたソルテが大外を追い込んだジョーメテオをハナ差で抑えました。
 優勝したトーセンアドミラルは8月のスパーキングサマーカップ以来の南関東重賞2勝目。ここは多士済々のメンバー構成でしたが,近況からは最有力候補ではないかと考えていました。ずっとマークされるような展開で,手応えはこちらの方がよく見えたもののしぶとく食い下がられました。それでも最後まで抜かせないあたり,よい勝負根性をもった馬だと思います。父はキングカメハメハ。半兄に2007年のアーリントンカップと2008年の函館記念を勝ったトーセンキャプテン。Admiralは提督。
 騎乗した船橋の川島正太郎騎手はスパーキングサマーカップ以来の南関東重賞制覇でマイルグランプリは初勝利。管理している船橋の川島正行調教師第12回以来7年ぶりのマイルグランプリ2勝目。回数と年数の計算が合わないのは,第16回の次が第18回となっているからです。

 墓参りを終えて帰宅したのは正午過ぎ。午後からは本牧でした。
 翌日,27日にみなと赤十字病院に行ってきました。インスリンを注射するための針が,次の通院までには足りなくなると分かったからです。すでに説明したように,処方された注射針の本数に実は問題があったのですが,僕はようやくこの時期になって,それに気付いたのです。
                         
 注射針は1袋に14本が入っていて,これは袋の単位で処方されます。つまり処方箋には袋の数が記載されています。処方箋は薬局で見せると,そのまま受け取られ,薬局で管理されます。ですからそれは僕の手元には残りません。薬局からは変わって処方した薬品等が印刷されたシールが渡され,それは僕がおくすり手帳に添付します。そしてこのとき,注射針に関しては,処方箋とは異なった記載内容になります。つまり処方箋では袋の数なのですが,このシールには本数が示されているのです。
                         
 8月12日の記録内容では,182本となっていました。これは13袋です。それが処方箋に記載された通りであったら,これはU先生のミスになります。僕の場合,超速効型のインスリンを1日に3回,持続効果型を1日に1回,つまり1日に4回の注射をします。必然的に1日に4本の針が消化されます。通院と通院の間隔は概ね60日。つまりその間には240本の針が必要。182本というのは,60日でいえば1日に3回の注射の分量に値しますから,これではいくら在庫があったとしても足りなくなるのは必然です。ただ,今回の場合は,確かに処方が13袋であったのかどうか,僕には定かではありません。したがって可能性だけでいうなら,今回の注射針の不足の原因は,薬局で薬剤師が計算を間違えたということもあり得ることになります。
 いずれにしても,実際に僕が入手した注射針は,13袋,182本だったわけで,次の通院までには十分な数ではありませんでした。針がなければ注射をすることができず,それは僕にとっては死活問題です。この27日も午前中はオフにすることが可能でしたから,処方箋を入手しに行ったのです。理由はどうあれもう3度目のことになりますから,慣れたものでした。
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農林水産大臣賞典JBCクラシック&荷物

2013-11-07 20:16:29 | 地方競馬
 4日の金沢競馬場のメーンは10レースの第13回JBCクラシック。今年は2100m。
 先手を奪いに出たサイモンロードの機先を制するように最内からホッコータルマエが押し上げてハナへ。内で包まれることを嫌ったための作戦だったのでしょうが,僕は少しも考えていなかったので驚きました。控えたサイモンロードが2番手で3番手にはワンダーアキュート。内からソリタリーキングの追走になりました。超スローペースでなかったかと思われます。
 後ろからの追い上げを待たずに逃げたホッコータルマエが3コーナーの手前でペースアップ。これでサイモンロードはついて行かれなくなり,ワンダーアキュートが2番手に。ただ,展開上,ずっと外を回らされることになりましたので,ここでホッコータルマエにつけられた差はどこまでいっても埋まらず,逃げ切ったホッコータルマエが2馬身差のレコードタイムで優勝。ワンダーアキュートは一杯になりながらもぎりぎりで2着を確保。内を回って直線は大外に出されたソリタリーキングは首の上げ下げまで迫ったもののハナ差で3着。
 優勝したホッコータルマエは6月の帝王賞以来の勝利で大レース3勝目。逃げなくても勝てたとは思いますが,枠順のことを考えれば最良の策であったかもしれません。よいタイミングでスパートし,追い上げを完全に封じた鞍上の手綱捌きも見事であったと思います。頑健なタイプであると考えられるので,長く活躍し,さらに勲章を積み上げていくことが可能であろうとみています。父はキングカメハメハ
 騎乗した幸英明騎手は帝王賞以来の大レース制覇。JBCクラシックは初勝利ですが,第5回JBCスプリントと第6回JBCマイルを連覇していてJBC全体ではこれが3勝目。管理している西浦勝一調教師は帝王賞以来の大レース制覇。JBC全体で初勝利。

 通院の翌日,9月25日から妹はショートステイでした。この月は港南区の施設を利用してのもので,1泊2日でした。ここを利用するのは2度目で,前回も1泊でした。前回は利用するのが初めてということで,慣れさせるために2泊ではなく1泊だったのですが,今回も同様になったのは,おそらく施設の空き状況によるものであったと思われます。
 このショートステイが組まれている週は,早めにそのための荷物を準備しておき,月曜に作業所の方へ持っていっておくことにしています。ショートステイ先へは作業所の方が送ってくれますので,作業所に荷物が置いてある分には問題がないからです。ではなぜそれが月曜日であるのかといえば,現在は月曜だけが,妹の朝の迎えの支援に該当しているからです。つまりこの日は作業所の方が自動車で家まで来てくれますから,そのついでに大きな荷物も持っていってもらうようにしているのです。それ以外の日はが作業所まで送っていますから,ショートステイのスタートが月曜でない限り,もしも当日に荷物を持っていくとすれば,母には負担になります。つまりこれは母の負担を軽減するための措置であると理解してください。
 ところがこの週の月曜は秋分の日で作業所が休みでしたから,荷物を預けておくことができませんでした。そのため,この日の朝に臨時に迎えのサービスを頼み,荷物を持っていってもらうことにしました。もちろん荷物だけではなく,妹も一緒です。つまりこの日の朝は母は妹を送っては行かなかったということになります。僕はこの日は長者町でした。
 翌26日の午前中,僕はオフにしまして母と日野公園墓地への墓参りに行きました。これは彼岸の墓参りです。事前の計画では前日の夕方に行こうとしていたのですが,やや天候が不順で,雨が降るおそれがありましたので,翌日の午前に変更したもの。妹がショートステイ中に墓参りに行くのは先月の命日の墓参と同様で,当然ながら理由も同じです。すでに説明しましたように,手違いで塔婆はまだ入手できていなかったのですが,これについては目途が立っていましたから,気にする必要はありませんでした。
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農林水産大臣賞典JBCスプリント&半減

2013-11-06 19:00:53 | 地方競馬
 4日の金沢競馬場で9レースに行われたのが第13回JBCスプリント。今年は1400m。
 抜群の発走からセイントメモリーの逃げに。セイクリムズンが2番手でその後ろは内がタイセイレジェンドで外がエスポワールシチー。さらにテスタマッタが続きました。最初の600mは37秒7で,これはスローといってもいいくらいのミドルペース。
 先行勢で最初に苦しくなったのはタイセイレジェンドで,3コーナーから後退。反応が悪かったセイクリムズンを交わしたエスポワールシチーが2番手に上がって直線を迎えると,逃げたセイントメモリーも交わして先頭に。追ってきたのは後方から内をするすると進出してきたドリームバレンチノでしたが,抜けたエスポワールシチーには追いつけず,1馬身半の差をつけたエスポワールシチーの優勝。ここが初ダートだったドリームバレンチノが2着。手応えのわりにはしぶとかったセイクリムズンが半馬身差の3着。
 優勝したエスポワールシチーは前走の南部杯から連勝で大レース9勝目。クラシックに出走してもおかしくはありませんが,距離と相手関係を考えてこちらに出走を決めたものと推測され,その陣営の判断が素晴らしかったということでしょう。一時的に落ち込んだのですが,今年は大レースばかりを使ってオール連対。年齢のことを考えれば立派な馬だというほかありません。父はゴールドアリュールチップトップジーゲリンの分枝で祖母の従兄に1986年のJRA賞最優秀2歳牡馬のゴールドシチー。Espoirはフランス語で希望。
 騎乗した後藤浩輝騎手は南部杯以来の大レース制覇。JBC全体で初勝利。管理している安達昭夫調教師は南部杯以来の大レース制覇。第8回以来のJBCスプリント2勝目で,全体でも2勝目。

 さらに翌日,9月24日の火曜日に,妹の遺伝科の通院がありました。現在は遺伝科の通院日は妹は作業所を休みます。前日まで3連休でしたから,この日で4連休ということになりました。
 この日は予約が午後1時。これは今までになく早い時間です。家で昼食を摂るとすれば時間が早くなりすぎますから,早めに病院に行って,そちらで昼食を済ませてから診察を受けるというのが母が決めた段取りでした。こども医療センターには院内に食堂があったのです。
 この通院の主目的は,癲癇の発作を抑制するの処方を受けること。もちろんそれはこの日も同様でしたが,前回は貧血を改善するための鉄剤の処方も受けました。それでこの日は血液検査も行いましたところ,貧血自体は改善傾向にあることが判明しました。数値だけでいえば,薬の服用は不要であるくらいのものだったようです。ただ,これまでは薬を服用していたわけで,その数値の改善自体が,この服用の効果であったことは大いに考えられるところです。したがってもしもそうであったという場合には,ここで鉄剤の服用を停止すれば,また数値が悪化してしまうかもしれません。ということで,鉄剤の処方および服用自体は,今後も継続していくという結論になりました。ただ現状の数値は,服用が不要であるということを示していたのも事実ですから,量を減少させるということになっています。これまでは朝食後と夕食後に1錠ずつを服用していたものが,夕食後の服用は止めることになり,朝食後に1錠だけを服用するということになったのです。何というか折衷案といえばそうなのですが,これはこれでよい判断なのではないかと僕には思えました。次の通院のときにもおそらく血液検査は行われることでしょう。そしてもしもそのときにこの日と同じような検査結果が得られたならば,おそらくは鉄剤の処方そのものも打ち切られることになるのではないかと思われます。
 僕はこの日は本牧で,かなり早く,午後3時半前には帰宅したのですが,そのときにはすでに母と妹は家に戻っていました。あまり早くなってしまうのはかえって大変ですが,このくらいの診察だとだいぶ楽なのではないでしょうか。
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水都大垣杯&妹の同窓会

2013-11-05 18:48:51 | 競輪
 記念競輪は中部地区で連戦となり,今日は大垣記念の決勝。並びは木暮-平原-神山の関東,竹内ー深谷-山田の中部で岩本と松岡と浜田は単騎。
 スタートを取ったのは平原。木暮を迎え入れると外を浜田が上昇。しかし木暮が許さず,木暮の前受けに。4番手は松岡,岩本が続いて6番手に竹内。下げた浜田が最後尾で周回。残り3周のバックから浜田が動いていき,ホームでは木暮の前に。ここから竹内が一気に発進。浜田は飛びつけなかったものの木暮がインから上昇していき,打鐘では竹内の番手を奪いました。ただ,平原は続けなかったので3番手には深谷。ホームに入ると外から平原が追い上げていき,うまく木暮の後ろに。後方になった松岡がバックから発進。一旦は先頭に出たものの,内から自力に転じた平原が抜き返し,先頭で直線に。そのまま粘った平原が優勝。マークの神山が1車輪差で2着に続いて関東のワンツー。このラインに続いた岩本が1車身差で3着。
                         
 優勝した埼玉の平原康多選手は7月の小松島記念以来となる記念競輪10勝目。大垣記念は初優勝。竹内が先行するであろうことは予想されたレース。この並びで木暮がどういうレースをするのかがいまひとつ分からなかったのですが,斬り込みになりました。それにはついていかれなかったものの,結果的に木暮が深谷をどかしたのは大きく,狙いとは違っていたかもしれませんが関東の結束がもたらした優勝とはいえるでしょう。松岡に捲られてからまた抜き返すというのは簡単な芸当でもなく,しっかりと脚を残すレースができていたということの証明であるような気がします。

 妹が旅行から帰った翌日,9月14日の土曜日には,妹が中学校卒業後に通っていた養護学校の同窓会がありました。これは横浜,僕が横浜というのは横浜駅周辺のことですが,横浜で行われまして,昼食とカラオケでした。もちろん妹がひとりで行くということは不可能ですから,母が同行しています。これは妹だけに特殊の事情ではありません。つまりこの同窓会は,同窓生と保護者が一緒になって開催されるものです。
 同窓会自体はこれまでも毎年ありました。ただ,母と妹がそれに参加するのは久しぶりのことでした。というのも,この同窓会というのは,これまでは三浦に1泊の旅行に行くというのが通例となっていたからです。これですと同行するのが大変ですから,とくに母が小脳出血を発症して以降は,参加するのを控えるようになりました。
 この9月14日というのは,妹の誕生日です。妹は僕よりも6歳下で,この日で37歳になりました。当然ながら同窓生というのはすべて同じ年齢です。ということは,保護者も高齢化してきているわけで,母と同じような理由によって,ここ最近は参加者が減少傾向にあったようです。今年は旅行ではなく,昼食会とレクリエーションで済ませることになったのには,なるべく多くの同窓生に参加してもらいたいという配慮があったからだと思われます。ですからたぶん来年以降も,同じような形式での同窓会となり,妹にも参加しやすい状況が継続していくものと思います。ふたりが帰宅したのは午後4時頃でした。
 翌週の週末ですが,21日の土曜日はピアノのレッスン。そして22日の日曜日はガイドヘルパーを利用してのカラオケでした。そしてこの22日には,母がお寺に行っています。これは彼岸ですので,塔婆をもらうため。ところがどうも手違いがあったようで,塔婆が作られていなかったとのこと。ないものは仕方がありません。この日の入手は断念しました。
 翌23日は月曜ですが,秋分の日で祝日です。母と妹は叔父の運転で,母方の墓である大和の方へ墓参りに行きました。僕はこの日は川崎に行かなければなりませんでしたので,これに同行することができませんでした。
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農林水産大臣賞典JBCレディスクラシック&妹の歯の痛み

2013-11-04 19:06:54 | 地方競馬
 今年の地方競馬の祭典は金沢競馬場で。レース順に1500mで行われた第3回JBCレディスクラシックから。
 トシキャンディの逃げは予期された展開のひとつ。メーデイアが2番手。アクティビューティ,サマリーズ,キモンレッドの3頭はほぼ一団で追走。ミドルペースであったと思われます。
 トシキャンディも頑張りましたが直線の入口ではメーデイアが先頭に。そこからは危なげなく後続を寄せ付けず,3馬身差で快勝。どうにか追ってくることができたのは2頭で,2着はアクティビューティ。2馬身差でキモンレッドが3着。
 優勝したメーデイアは前哨戦のレディースプレリュードを制していた断然の本命馬。重賞5勝目で大レース初制覇。前走はそれまでほどの強さを感じなかったのですが,やはり目標はこちらだったのでしょう。体調もアップしていたのだと思われます。現状はこの路線では敵なしで,現役をどこまで続けるのか不明ですが,当分はトップの地位は安泰ではないでしょうか。父はキングヘイロー。半姉に2006年の福島牝馬ステークスを勝ったロフティーエイム。Medeiaはギリシア神話に登場する王女。
 騎乗した浜中俊騎手フェブラリーステークス以来の大レース制覇。JBCは全体を通して初勝利。管理している笹田和秀調教師は一昨年のオークス以来の大レース2勝目。

 僕が歯科検診に行った9月11日の水曜日は,実は妹も指定歯科での歯科検診がありました。この日は午後3時の予約。連れていった母によれば,診療の内容はいつもと同じクリーニングだけであったのですが,この日も前回と同様に,鎮痛剤が処方され,さらに抗生物質も処方されたとのことでした。担当の医師が前回から変更になったことはすでに説明した通りで,やはりこれらの処方も,その影響であろうと思われます。
 僕も何回かは妹を連れていきまして,診察の様子も見ていますが,妹が歯に痛みを感じていることは間違いありません。これはとくに空気を歯に噴射するときに顕著ですが,ときに妹は身体を震わせるような反応をしていました。これは痛みから発生する無意識のうちの反応であるとしか考えられないからです。しかし,日常生活の中でそうした仕草を出すことはありません。たまに食事中に歯の痛みを訴えるということはないではありませんが,だからといって食事ができないかといえばそうでもなく,痛いと言いつつ完食するのです。そしてそうしたことが起きる回数だけでいえば,最近よりももっと前の方が多かったように思うのです。そうしたこともありまして,処方された薬等に関しては薬局で入手はしましたが,実際に妹に服用させるということはしませんでした。僕が決定したというよりは母の判断からそうなったという方が正しくはありますが,僕としてもその母の判断に取り立てて異議を申し立てなければならないような状況であるとは思えなかったのです。
 この翌日,9月12日の木曜から,妹が1泊2日の旅行に出掛けました。これは作業所,正確にいえば作業所を運営している法人が主催してのもので,要するに会社でいうところの社員旅行のようなものと考えてください。すべてバス移動で,12日はスカイツリーを見学。宿泊先はつくば市のホテルでした。僕はこの日は日吉でした。
 帰ってくるのは翌日の13日の金曜日。迎えが必要。作業所ではなく施設に午後4時。僕はこの日は長者町で,迎えは母が行っています。バスですから遅れることもあり得るところでしたが,午後5時15分くらいには帰宅できました。
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リコー杯女流王座戦&母の同窓会

2013-11-03 19:26:48 | 将棋
 明治記念館で指された第3期女流王座戦五番勝負第二局。
 加藤桃子女流王座の先手で,牽制するような手順でしたが,結果的には里見香奈女王・女流名人がごきげん中飛車にして,先手が超速銀,4筋で銀が向い合うのと同じ形になりました。先手が玉を深く囲おうとしたところ,後手が飛車の動きでそれを許さず,そのまま戦いに。先手が駒得して後手の反撃を余しにいく展開となりました。
                         
 6七に金を打たれるのを防いで香車を受けた局面。△2六馬で眠ったいた馬を使いにいきました。▲4九金と受け,△5九馬▲同金。飛車は捌いたといえなくもありませんが,第1図の馬との交換だとどちらかといえば後手の方が得に思え,少し差が縮まったように感じました。
 後手は取ったばかりの飛車を△4七飛と打ちました。対して▲6六香は攻防の一手ですが,△6七金と打ち込まれました。そこで▲6八銀打は手堅い受けに思えるのですが,△7七金▲同銀右に△同飛成と切ってしまい,▲同桂に△6七銀と張りついた局面は,意外にも先手が収拾困難になっているようです。
                         
 後手の攻め駒もそう多くはないのですが,受けるスペースもそう多くありません。この後,反撃も含みによく粘ったのですが,後手が自玉を安全にしておいて,先手玉を寄せきりました。
 里見女王・女流名人が勝ち1勝1敗。第三局は来月4日です。

 翌日,8月25日の日曜日には横浜市の市長選挙がありました。それぞれに任期というものがありますから,こんなことはいっても仕方がないことですが,短期間の間に選挙が続くのは,どうも税金を無駄遣いしているように思えてなりません。ちなみにこの選挙では僕は無効票を投じています。
 また,この日はがかつて勤務していた中学校の同窓会というのがありまして,妹も連れて出掛けています。妹には何の関係もありませんが,このクラスが特殊学級,現在でいう特別支援学級である関係から,この同窓会に妹が参加することは通例となっているということは,確か以前にも説明したかと思います。この日は午前中に集合してまずボーリング。そして昼食を挟んで午後からはカラオケというスケジュールになっていたそうで,妹としても例年以上に楽しめたのではないかと思います。
 翌週の週末,8月31日の土曜日には法事がありました。これは僕のからみて2番目に上の姉,つまり父の兄姉でみれば次女の七回忌でした。10時に開始。これは磯子区内にあるお寺で。それから同じく磯子区内,といってもこれは鎌倉へ向うハイキングコースがある山の近くで,僕の家からみれば同じ区内とは思えないくらいの距離があるところですが,そこへ墓参。さらに精進落としとして昼食を済ませて帰宅。土曜日でしたが僕はその後で本牧に出ています。
 翌週の土曜日は月も変わって9月7日。この日はピアノのレッスン。当初の予定では午後4時半に開始だったのですが,当日にピアノの先生から連絡が入りまして,17時半開始と遅れました。
 翌日,9月8日の日曜日に母と妹が美容院に。この日もいつもと変わらない時間でした。
 10日の火曜日に僕は桜木町に出ていまして,その帰りにI歯科に寄りました。これは歯科検診の予約をするためです。できれば翌日がよいと思っていたのですが,うまい具合に空きがありましたので,そのまま予約だけをして帰っています。
 というわけで11日の水曜日にまたI歯科に。予約した時間は午前10時半。この日は何も特別なことはなく,通常のクリーニングだけでした。午後から長者町に出ています。
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加古川青流戦&夏休み

2013-11-02 19:05:38 | 将棋
 10月27日の午後に加古川市立青少年女性センターで指された第3回加古川青流戦決勝三番勝負の第三局。
 改めて加古川市長により振駒が行われ,千田翔太四段の先手に。変則的な手順から相矢倉模様に進展しましたが,佐々木勇気四段は右四間飛車に。先手が後手の攻め駒を攻めるため玉頭に穴が開き,後手がその隙をつきにいくような展開に。
                         
 ここで☖8五銀と打ったのが,攻めの継続を図る手厚い好手であったようです。先手は☗2六角と出ましたが,すぐに響くような手ではありませんから☖7五歩。☗同歩に☖7六歩と楔を打ち込んで,☗6七金寄と逃げたときに,☖4五銀と引いたのが,今度は駒の入手を図る好手。☗同銀☖同歩で後手は目的達成。☗7九桂は根性の受けですが,☖6五歩☗同歩☖同飛と自然に攻め,☗6六歩に☖7五飛と寄っては,大勢は決しました。
                         
 優勢な方が寄せ損なって逆転という将棋が続いていましたが,さすがにこの将棋ではそうした波乱も起きず,後手の勝ちで終っています。
 2勝1敗で佐々木四段の優勝。早くにプロになって期待していたのですが,目立った成績を残せていませんでした。この優勝で満足することなく,もっともっと上を目指してほしいと思っています。

 いつものように根岸駅の近くの薬局でインスリンと注射針を処方してもらって帰宅。午後4時半前には帰れましたから,この日もかなり順調であったことになります。実はこのときに処方してもらった注射針の数に問題があったのですが,僕がそのことに気付いたのはもっと後になってからでしたので,そのことに関してはまた別に記すことにします。
 8月14日の水曜日から,妹が夏休みに入りました。これは16日の金曜日までですが,その後に土曜と日曜がありますから,5連休ということになったわけです。ただ,この14日には,指定歯科での歯科検診の予約が入っていました。これが午後3時から。母が連れていったのですが,この日から担当の医師に変更があったそうです。歯石の除去をしたのはいつもと同様。そしてこの日は鎮痛剤を処方されました。これは妹が歯を痛がる素振りを見せるから。それ自体は今までもずっとそうであったのですが,この日に薬の処方があったのは,おそらく主治医が変わったためでしょう。医師によってそれぞれ考え方に相違が出るのはおかしなことではないと思います。僕はこの日は川崎に出ていました。
 翌15日にピアノのレッスンが入っていました。僕はこの日も川崎でして,帰ったのは午後5時前。そのときにはもう先生は不在でした。
 5連休のラストとなる18日の日曜日にガイドヘルパーを利用。この日も本牧でのカラオケを楽しんできました。ガイドヘルパーの方もこちらの希望を完全に把握されたようで,妹が利用できる日時で,なるべくカラオケの日程を入れてくれるようになりました。このためにカラオケばかりになっているのです。
 8月20日の火曜日は午前中がオフで午後から長者町という僕の予定。ということで午前中にО眼科に赴き,眼科検診を済ませました。9時半頃に眼科に到着して,帰宅したのが11時半頃。概ねこれくらいの時間が必要だろうと予測される範囲でした。つまりいつもと同じくらいの混雑具合であったということです。いずれの検査に関しても異常なしという結果でした。
 24日の土曜日にまたピアノのレッスン。この日は午後5時半からでした。
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竜王戦&2013年8月の通院

2013-11-01 19:00:00 | 将棋
 10月28日と29日に指された第26期竜王戦七番勝負第二局。
 渡辺明竜王の先手で森内俊之名人の急戦矢倉。角頭を守るために浮いた後手の飛車が玉頭方面に転換されるという将棋に。
                         
 飛車が定位置からひとつ寄ったところで,これが封じ手。優劣は別ですが,先手としては面白くない展開になっているように僕は感じていました。
 後手は△8四角と出ていますが,びっくりしたという先手の感想が残っています。不思議にも思えますが▲8五金と出るのはこの一手だそうで,△7六歩▲同銀△6六角と王手で逃げました。受けは▲7七歩。後手は△4五桂と玉側の桂馬を跳ねて攻めの継続を図りました。先手は▲4六角△6四銀と銀1枚を後手玉から遠ざけて▲1四歩。封じ手は端攻めの狙いですから,それを実行に移したわけです。
                         
 この歩は取るほかありませんが,取り方はふたつ。実戦は飛車で取って飛車交換となったのですが,飛車で取られるのをうっかりしていたという先手の感想があり,これはさすがに驚きました。
 飛車交換になったから直ちに先手がまずくしたとは僕には思えません。ただ,4八の銀取りが残ったために先手は加速をつけて攻めていかざるを得ない局面になっています。その攻めを受けきった後手が鮮やかな反撃を決めて勝ちました。
 端攻めの場合は仕方ありませんが,やはり右の銀が取り残されるような形で攻めることになった先手の構想に疑問の部分はあったかもしれません。後手は飛車交換になればチャンスは得られるだろうという大局観であったようで,このあたりは先勝して迎えた後手番ならではの余裕が垣間見えるような気がします。その余裕に先手が翻弄されたような一局であったというのが,この将棋全体を通じての僕の印象でした。
 森内名人が連勝。第三局は7日と8日です。

 それでは検査結果の方も簡単に記しておきましょう。
 まずHbA1cですが,6.3%になっていました。6月の通院のときが6.5%で,それが久しぶりといえるくらいの良好な数値であったわけですが,それがさらに良化していたということになります。現行の国際標準では,正常値の上限が6.2%ですから,それを僅かながら上回っているとはいえ,僕にしては相当に良好な結果であったといえます。日々の生活において特段の変化があったわけではありませんから,どうしてこのような結果になったのか,はっきりとしたことは分かりません。ただひとつだけいえるのは,これは例年そうなのですが,僕の血糖値は,寒い時期よりは暑い時期の方が,よりコントロールできています。つまりそうした時期的なものが,この結果に一定の影響を及ぼしているものと思います。ただ,実際のところ僕の血糖値は同じような値で推移しているわけではなく,乱高下しています。ですからこのように正常値に近い結果が出るということは,瞬間的にみた場合には,低血糖を発症したケースが多かったということの現れであるともいえるのです。実際,このときに検査した血糖値も57㎎/㎗と,低血糖を示していました。もっとも,これは僕自身がおそらくそうであろうと分かっていたことではあります。
 この日の検査項目の中で,これ以外に異常を示すマークが入っていたのはふたつ。ひとつはクレアチニンで,この値が若干ですが正常値の上限をオーバーしていました。ただ,これが検査の項目に入っているときに,異常を示したのはこの日だけです。正常といえる範囲の中だけでいえば,基本的に高めの結果,要するに下限値よりは上限値に近い方の数値が出ていますが,この日の結果はその中では突出して高かったです。ただ,この日だけのことなので,とくに心配はしていません。
 もうひとつはLDLコレステロールですが,これは検査するとほとんど下限値を下回っていて,しかし心配は無用という話をU先生から聞いています。むしろこの日は67㎎/㎗で,下限は70㎎/㎗ですから,僕の検査結果としては,正常値に近い方の値でした。
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