書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

ThirdMen。

2011年11月19日 20時07分31秒 | 意識論関連
側頭葉と頭頂葉の接合部分に電磁波を与えると「誰か。」を感じる現象を「サードマン現象。」というらしい。

マイケル:パーシンガーは古代の人々は常に「誰か。」を感じており、それを「豊かな体験をしていた。」と形容する。


それを「豊か。」というのであれば、カルト宗教の信者達は「豊か。」だと言えるであろうか。

暴力団の「鉄砲玉。」と言われる、自分の命も顧みず暴力団への忠誠を尽くす者は「豊か。」であると言えるであろうか。

それが、たとえ当人にとって個人的に「豊か。」であるとしても、それが人間の行動として正しいと言えるであろうか。

シツケの良いイヌが、そうではないイヌとは異なり恐怖心から吠え散らさないのはなぜであろう。それは飼い主に対する信頼という「他者。」が恐怖を和らげるからである。イヌの神は「群れのボス。」に過ぎず、暴力団の神も同様である。これらの安物の「神。」は人間としての行動規範としての神にはならない。

「恐怖が和らいだ。」という気分的なものが、論理的安全性の証明になるわけではない。気分がどうあれ、安全性を追求することが重要なのであって、安心して危険行為をしないことや、恐怖心で安全性を蔑ろにしないことが重要なのであり。要するに気分とは無関係に合理的に安全性を追求することこそが最も重要なのである。

「サードマン。」という他者が常に当人にとって「正しい。」判断を与えることを保証するであろうか。地下鉄に毒ガスを撒くことを促す無意識的な「他者。」が、人間としての行動判断にとってどれだけの価値を持つであろう。

「サードマン。」の類が促す行動の結果の全てが必ずしも当人の「生存。」につながることを証明しえるであろうか。大抵の場合こうした「サードマン。」現象は命の危険に関わる場面において発生する場合が多い。従って偶発的に「生存。」につながった結果だけをどんなに多数抽出してきても、「サードマンは常に生存へと導く。」ことの論証とするのは無理がある。たとえば、生死に関わる場面においてサードマンが死に至る導きを行った結果の全ては証拠が残らない。死人に口はないからだ。

「ヒトがヒトの脳を知るには再帰的限界があるため、科学だけでは説明不可能である。」とする意見もある。しかし、不可能であることの論証が特にあるわけではない。従ってこの「意見。」には科学的根拠があるわけではないのである。

「サードマン。」の存在を科学的、論理的には説明できなくても。体験者のほとんどはその存在を肯定しようとしたがる。

ヒトという種の生物は、論理的科学的な根拠よりも、本能的感覚にこそ「リアリティ」を感じるものである。そのため体験者に限らず、ヒトの多くは科学的論理的な合理性よりも感覚的観念こそが本当の現実であると思い込むものなのである。

 故にカルト宗教を盲信する信者達の多くは、それをやめることができないのである。それは暴力団の構成員であっても同様である。


End;

犬の幸福。

2011年11月19日 15時34分38秒 | 意識論関連
 相互が奪い合いをすれば社会は崩壊し、結果的に不幸な社会に生きなければならなくなる。

 相互が助け合えば社会は安定し、結果的に幸福な社会で生活をすることができる。

 しかし、ヒトは目先に利己欲に意識を奪われ、狭窄な意識に基づいた奪い合いに簡単に陥る習性がある。

 たとえどんなに他人から利益を奪っても、他人をないがしろにしたという自分の心の平穏を失うことによって本当の満足を得ることができなくなるばかりか、むしろ自分が既に行って来てしまった行為を事後正当化しないといられなくなり。ますます他人からの利益の略奪に邁進してしまう傾向がある。

 どんなに金儲けをしても、個人の心の平穏とは無関係である。独裁国家の国家元首になって、どんなに裕福な生活をしていても、心が満たされなければ何ら個人の幸福を得ることはできない。

 ブータンにわざわざ航空機まで使って観光に日本人が行くのは何故か。そこには日本が忘れた心の平穏があるからである。数値上での経済成長というものと個人の幸福とは無関係である。

 人はいつか必ず死ぬ。その死に臨して本当に個人が欲するものとは何か。それは相互の信頼関係である。

 ヒトは哺乳類であるから、子供を守ろうとする本能が非常に強い。自分の命が終わる時、子供達に幸福な社会を遺せることこそが、実はヒトという種の生物にとって最も「幸福。」なことなのである。

 仏教においても「菩薩」とは仏に最も近い存在であり。それはあらゆる人の心の中に存在することが「可能。」な心でもある。

 しかし、「可能。」でありながらできないのはなぜか。それが意識の狭窄による利己欲、仏教的に言えば「煩悩。」によって、個人的利益、或は狭い仲間内での利益しか考えることをしなくなるからである。



 多くのヒトは、その論理的根拠のない観念によって、公益倫理的自律判断選択をバカにし。それを「負け犬。」と形容する。

 しかし、こうした大衆観念こそが「犬の論理。」であり。どんなに追求したところで最終的には「犬の勝利。」しか得ることはできないのである。

 「犬の勝利。」は人間の幸福足り得るか。否、足りないからこそ際限なく欲望を追求しなくてはならなくなるのである。


使えないコンビニ検索。

2011年11月19日 11時00分42秒 | ネタ帳
 コンビニの店舗検索って、FC公式のサイトだと地名から検索する形式が多くて面倒臭い。

 だけど店舗を検索する時っていうのは大抵地元じゃないから検索するのであって、まず自分がどこにいるのかから調べないといけないし。しかも店舗の住所だけ表示されてもお店までどうやって行けばいいのかがわからない。

 GoogleMapのDirectionServiceを利用して、現在地点から最寄何位からかを選択すると最短ルートを表示するサービスを作ればいいのに。

 コンビニ検索のサイトは一応あるにはあるんだけど、実際にはコンビニ各社からの情報提供をされているわけではないらくて、掲載されていない店舗とか、位置情報が間違っている場合も少なくない。

 コンビニ各社から情報提供してもらって統一的なコンビニ検索サイトがあればもっと簡単にコンビニが使えるので便利なのではないだろうか。

 多分コンビニ各社の足並み揃わないんだろうな。勝手にやってくれ的な感じで、顧客の利便性とかどうでもいいとか思っているんだろうな。

 コンビニ各社で店舗の位置情報を統一的なフォーマットでデータベース提供してもらえれば、個人でも勝手にコンビニ検索サイトが作れるかも。

 常に最新の店舗位置情報を参照できるように、GoogleMapを表示する時にある程度のエリアごとにFC各社のデータベースをそのつど参照できるようにできるといいな。

 どういうデータ形式がいいんだろう。データベースなんてやったことないからわからんわ。まず必要なのは緯度経度だろうな。それからトイレの有無とか、お酒の扱いの有無とか。あ、でもこういうフォーマットはFC各社に聞いて回らないと勝手に決めてもしょうがないかな。

 そういや、荒川周辺の店舗を調べたことがあるけど、コンビニ以外でもOKマートとかの店舗情報も統一的にあると良いと思う。DBのフォーマットさえ決まれば、後は載せて欲しいサイトに対して「ウチでも店舗DBつくったよ。」的なメールを送ればいいんだろうな。まあ、とりあえずはコンビニ各社に聞いてフォーマットを決定しとけばいいのかな。