側頭葉と頭頂葉の接合部分に電磁波を与えると「誰か。」を感じる現象を「サードマン現象。」というらしい。
マイケル:パーシンガーは古代の人々は常に「誰か。」を感じており、それを「豊かな体験をしていた。」と形容する。
それを「豊か。」というのであれば、カルト宗教の信者達は「豊か。」だと言えるであろうか。
暴力団の「鉄砲玉。」と言われる、自分の命も顧みず暴力団への忠誠を尽くす者は「豊か。」であると言えるであろうか。
それが、たとえ当人にとって個人的に「豊か。」であるとしても、それが人間の行動として正しいと言えるであろうか。
シツケの良いイヌが、そうではないイヌとは異なり恐怖心から吠え散らさないのはなぜであろう。それは飼い主に対する信頼という「他者。」が恐怖を和らげるからである。イヌの神は「群れのボス。」に過ぎず、暴力団の神も同様である。これらの安物の「神。」は人間としての行動規範としての神にはならない。
「恐怖が和らいだ。」という気分的なものが、論理的安全性の証明になるわけではない。気分がどうあれ、安全性を追求することが重要なのであって、安心して危険行為をしないことや、恐怖心で安全性を蔑ろにしないことが重要なのであり。要するに気分とは無関係に合理的に安全性を追求することこそが最も重要なのである。
「サードマン。」という他者が常に当人にとって「正しい。」判断を与えることを保証するであろうか。地下鉄に毒ガスを撒くことを促す無意識的な「他者。」が、人間としての行動判断にとってどれだけの価値を持つであろう。
「サードマン。」の類が促す行動の結果の全てが必ずしも当人の「生存。」につながることを証明しえるであろうか。大抵の場合こうした「サードマン。」現象は命の危険に関わる場面において発生する場合が多い。従って偶発的に「生存。」につながった結果だけをどんなに多数抽出してきても、「サードマンは常に生存へと導く。」ことの論証とするのは無理がある。たとえば、生死に関わる場面においてサードマンが死に至る導きを行った結果の全ては証拠が残らない。死人に口はないからだ。
「ヒトがヒトの脳を知るには再帰的限界があるため、科学だけでは説明不可能である。」とする意見もある。しかし、不可能であることの論証が特にあるわけではない。従ってこの「意見。」には科学的根拠があるわけではないのである。
「サードマン。」の存在を科学的、論理的には説明できなくても。体験者のほとんどはその存在を肯定しようとしたがる。
ヒトという種の生物は、論理的科学的な根拠よりも、本能的感覚にこそ「リアリティ」を感じるものである。そのため体験者に限らず、ヒトの多くは科学的論理的な合理性よりも感覚的観念こそが本当の現実であると思い込むものなのである。
故にカルト宗教を盲信する信者達の多くは、それをやめることができないのである。それは暴力団の構成員であっても同様である。
End;
マイケル:パーシンガーは古代の人々は常に「誰か。」を感じており、それを「豊かな体験をしていた。」と形容する。
それを「豊か。」というのであれば、カルト宗教の信者達は「豊か。」だと言えるであろうか。
暴力団の「鉄砲玉。」と言われる、自分の命も顧みず暴力団への忠誠を尽くす者は「豊か。」であると言えるであろうか。
それが、たとえ当人にとって個人的に「豊か。」であるとしても、それが人間の行動として正しいと言えるであろうか。
シツケの良いイヌが、そうではないイヌとは異なり恐怖心から吠え散らさないのはなぜであろう。それは飼い主に対する信頼という「他者。」が恐怖を和らげるからである。イヌの神は「群れのボス。」に過ぎず、暴力団の神も同様である。これらの安物の「神。」は人間としての行動規範としての神にはならない。
「恐怖が和らいだ。」という気分的なものが、論理的安全性の証明になるわけではない。気分がどうあれ、安全性を追求することが重要なのであって、安心して危険行為をしないことや、恐怖心で安全性を蔑ろにしないことが重要なのであり。要するに気分とは無関係に合理的に安全性を追求することこそが最も重要なのである。
「サードマン。」という他者が常に当人にとって「正しい。」判断を与えることを保証するであろうか。地下鉄に毒ガスを撒くことを促す無意識的な「他者。」が、人間としての行動判断にとってどれだけの価値を持つであろう。
「サードマン。」の類が促す行動の結果の全てが必ずしも当人の「生存。」につながることを証明しえるであろうか。大抵の場合こうした「サードマン。」現象は命の危険に関わる場面において発生する場合が多い。従って偶発的に「生存。」につながった結果だけをどんなに多数抽出してきても、「サードマンは常に生存へと導く。」ことの論証とするのは無理がある。たとえば、生死に関わる場面においてサードマンが死に至る導きを行った結果の全ては証拠が残らない。死人に口はないからだ。
「ヒトがヒトの脳を知るには再帰的限界があるため、科学だけでは説明不可能である。」とする意見もある。しかし、不可能であることの論証が特にあるわけではない。従ってこの「意見。」には科学的根拠があるわけではないのである。
「サードマン。」の存在を科学的、論理的には説明できなくても。体験者のほとんどはその存在を肯定しようとしたがる。
ヒトという種の生物は、論理的科学的な根拠よりも、本能的感覚にこそ「リアリティ」を感じるものである。そのため体験者に限らず、ヒトの多くは科学的論理的な合理性よりも感覚的観念こそが本当の現実であると思い込むものなのである。
故にカルト宗教を盲信する信者達の多くは、それをやめることができないのである。それは暴力団の構成員であっても同様である。
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