書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

楽観。

2011年11月23日 23時50分39秒 | 意識論関連
 楽観主義では社会の安全性は確保されない。安全学、危険学というのは楽観とか悲観とかいった気分の問題とは無関係な工学である。

 社会の安全性を確保するのは楽観とか悲観といった気分の問題ではなく、あくまで論理的に検証、究明することである。

 楽観だの悲観だのを取り上げること自体、検証や究明からの逃避、拒絶を求めているからに他ならない。

 気分で安全性は確保されることはない。
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哲学とは。

2011年11月23日 23時44分27秒 | 意識論関連
 まず、現在哲学として扱われている書物は、一体どのような基準で選択されているのか。一体誰が現在の哲学書物を選択したのか。その書棚のラインナップはどこの馬の骨が選定したのか。

 そこには自己自身の選択は含まれてはいないのである。

 ただ、漫然と与えられた選択肢の中において、漫然と内容を鵜呑みにしておいて「知能。」であるなどとは論理的に証明されえない。

 そもそも、与えられた選択肢の中でしか知識を持つことしかしないで、それが自分の「考え。」であることの論証など最初からない。

 既に存在している価値観に基づいた選択肢に迎合しておいて、一体何を「考えた。」つもりになっているのであろうか。バカな西洋哲学カブれは「哲学には好き嫌いがある。」などと言い出すであろう、好き嫌いがあるのは当たり前の話であり、あったところで論理的思考を放棄してなを哲学であるわけでもない。

 自分が「好き。」な現在哲学者として扱われている書物があるとして。それが原因で気分的満足や逃避によって本質的思考が停止してしまうのであれば、それは最初から哲学書でも何でもない。

 多くの西洋哲学カブれ達というのは、気分的な満足や救いばかりを求めており、それによって本質的には考え自体を放棄しているのである。こいつらが選択した哲学をいくら「学んで。」も、思考停止したバカになることはあっても、大多数のバカ学生共は論理的検証や、それに伴う批判を一切しないし、できもしない。

 何も考えずに、ただ「誰其は、かく語りき。」的に引用を繰り返すことはできても。大抵の場合自分の愚かさを事後正当化したり肯定するための屁理屈に使うことしかしておらず、これはむしろ手の込んだ「取り繕い。」「言い逃れ。」に過ぎない。

 現在の大学では、それさえやっておけば成績単位が取れるのである。これが何か社会の公益的な役に立つかと言えば、糞の役にも立つことはなく。高学歴な天下り役人達が大量生産され続け、大学ではただ漫然と無益な哲学部が税金で保存されるだけである。

 本当に自分自身の頭で「考える。」というのは、自分が育った環境としての現代社会の価値観自体から検証していかなければならない。手抜きがしたいなら哲学でも何でもないのである。

 既に存在しているだけの自己というものは自己自身で選択したものではない。遺伝的にも後天的にも、育った環境としての社会や時代は自己自身で選択したものではない。バカな生物学者は後天的に刷り込まれた価値観無意識的な好き嫌いのことを「潜在知。」などと称して、あたかも個人が個人であることの論証であるかのように言い張る。

 バカであれば、これに論理的根拠がないことには気づくこともなく、簡単に鵜呑みにするであろう。

 成育環境によって刷り込まれた価値観というものは自己の選択を介していない。何も選んではいないのである。そんなものに個人が個人であることの論証として最初から成立していない。

 自己の遺伝子は自己自身では選択不可能である。誰も自分から望んで生まれてきたものなど存在しないからである。そんな遺伝子によって作り出された脳、大脳辺縁系からわいてくる本能欲望もまた、何ら自己自身で選択したものでも何でもないのである。

 こういう話をすると、それまで漫然と無思考に生きてきたヒト達は気分的に恐慌をきたすことから拒絶し、逃避し、検証するという思考が全く働かなくなるのである。

 無思考に漫然と生きてきたヒトにとっては、無思考のまま漫然と生き続けることの方が「慣れて。」おり、「楽。」なのである。

 それは実は「慣れ。」の問題でしかない。

 論理的に検証するという本質的思考に「慣れ。」てしまえば、気分的「安心。」よりも合理的「安全。」を優先するようになるのは自然なことである。

 これは教育システムの問題ではない。むしろ成育環境に依存していること自体が本質的自発思考を阻害するのである。「教わっていないから、できない。」というのは、最初から自分では考える意思が存在しないことの証明にしかならない。

 教わっていないことを考えられないのであれば、それは実際には最初から何も「考えて。」はいないのである。それは教えられたことを鵜呑みにしているだけで何ら検証していないことを証明しているのである。

End;
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川口写真。

2011年11月23日 18時52分46秒 | 写真
 埼京線北赤羽駅近くの荒川堤防の上から。







 ヒトの目の視細胞というのは色を認識する細胞は感度が低いため、暗くなってくると肉眼ではあまり鮮やかには見えなくなってしまうのですが、カメラでシャッタースピードを遅くして撮影すると意外な色で撮影することができます。

 夕暮れというより、ほとんど夜景ですね。
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バックナンバー。

2011年11月23日 13時54分13秒 | 日記
 TBSプロデューサの疋田智のメルマガのバックナンバーが読めない。

 ここのメルマガサービスって、宣伝メール要らないので配信停止にしたんだけど、送られ続けているし訳がわからない。

 疋田の言っていることって、自転車乗らない人には小言にしか聞こえないかも知れないけど、これって安全に関わる話だから些細な「ヒヤリ」「ハッと」でも丁寧に丹念に地道に「お手入れ」していかないといけないことなのです。

 自分の子供が自転車に轢き殺されてから訴えても遅いのです。

 そもそも日本人っていうのは、自転車に限らず自動車でもそうなんだけど。無意味な追い抜きが多い。

 先の信号が赤になっているのに無理矢理自転車を追い抜いて停止線で道を塞いだりする。

 「急いでいる。」のではなくて、それは「焦っている。」だけなんですけどね。

 停止線に詰めて停車しないと誰かに嫌がらせでもされると思っているんですかね。もしされるとしても、嫌がらせをする奴がイカレているんですから放っときゃいいんですよ。そういう心の余裕がないんですね。

 ネズミがネズミ車をクルクル回すのと一緒で、回していないと不安なので必死になって回し続けるんですね。

 こういうヒトは他人の迷惑にまで意識が働かないので、非常に迷惑です。

 厄介なことに当人にその認識が全くないので、自律的に改善することは全くないです。

 銀座にあるアップルストアのエレベーターには「閉まる」ボタンがないんです。日本では珍しいことですが、海外では普通なんです。

 一体何を急いでいるのか、考えたことありますか。どうせクソゲーだのパチンコだので暇潰しているんでしょ。その人生は充実しているんですか。楽しいですか。

 何も考えなければ本能のおもむくまま強迫観念的に「今まで通り。」の怠惰な生活が送れるでしょうね。慣れてしまうとそれが「安心。」になってしまうんです。ドーパミンが作り出す常習性によって、「やめることができなくなる。」わけです。

 それはカルト宗教の信者の心理と全く同じ作用によるものなのです。

 わかりやすい不祥事だけ糾弾しておけば世の中が良くなるわけではありません。まず、一人一人の心掛けから改善しないとどうしようもないんです。
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小さなオカルト。

2011年11月23日 13時08分42秒 | 意識論関連
 ハインリッヒの法則(Wikipedia)というのがある。

 一つの重大事故に対して、29の中程度の事故があり、299の小さな事故と、2999の「ヒヤリ」「ハッと。」があるという話である。(数字は間違っているかも知れないが、そんな感じ。)

 これは労働災害における経験則であるが、あらゆる重大事故にも適用可能な普遍的傾向でもある。

 NHKや視聴者の多くが室山哲次解説委員の異常性を認識できないことは、とても些細なことでしかないと認識していないかもしれない。

 しかし、こうした些細な異常を放置しておいて、地下鉄に毒ガスが散布された原因を究明することはできないのである。

 ヒトという種の生物が持つ異常性というものは、目立つ異常性にだけ着目していても根源的原因を究明することはできないのである。

 多くのヒトは、大きな事象にばかり目を奪われがちである。そして大きな事象にだけ問題解決の糸口があるものだと思い込むのである。

 これこそが意識狭窄を促すのである。それは「人間。」であることの放棄でもあるのだ。
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オカルト解説委員。

2011年11月23日 11時51分28秒 | 意識論関連
 NHKの室山哲次というのは、「人類は絶滅する。」と論理的根拠もなく断言した男である。

 これはカルト宗教の教祖の思考パタンと全く同じであり、オカルトという以外の何物でもない。

 こういったキチガイを解説委員として雇っていながら、「金払わねぇ奴ぁ、訴えてやる。」と言い張るのがNHKの実態である。

 過去にどのような業績があるのか知らないが、異常な言動をするオカルト男を解説委員にしておくのは不祥事以外の何物でもない。

 オカルト男がどうしてオカルト思考に陥ったのかを研究するのは構わないが、解説委員として雇っておくのは支離滅裂である。室山は早急に解雇するべきである。

 オカルト化した男を守っておきながら、カルト宗教の異常性の原因を究明することなど原理的に不可能であり。社会公益に反する不祥事以外の何物でもないことを、多くの人は認識すべきである。

 オカルト男を重要なポストに据えておくこと自体が、カルト団体化の原因に他ならないからである。
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