TSUTAYAが盗品を買い取っていた話なんだけど。
手続き的には営業停止なんだそうです。
店員は店長に盗品の可能性があることを訴えていたらしい。だったら頭がおかしいのは店長なので、一括してお店自体を営業停止にするのは何かおかしい。店員は店長の判断以上のことは背任になりかねないので、店長の頭がイカれているのであれば、店長に何らかの法的起訴をしておけばいいことであって、お店全体を営業停止にするのはおかしな話。
警察が言うには、「経営会社の指導が充分ではない。」などと言っているが、盗品を盗品であると警察に届けるかどうかは経営会社が指導するようなものではなく。店長本人の倫理的責任意識の問題ではないのか。
それこそ、店長自身が経営会社から「面倒臭いから、届け出るな。」と指導されていたのであれば経営会社を法的起訴すべきであって、それこそ店舗の営業停止は意味不明である。
営業を統率する一部の者の頭がおかしいことで、雇用者や利用者まで不便を強いられるというのは、とばちり以外の何物でもなかろう。
それとも体育会系的な「連帯責任。」を持ち出すのであれば、あまりに観念的精神論で合理性も何もない権力の乱用である。
お役所が行う機械手続きというものは、実質的効果を無視した、精神論的懲罰に偏る性質がある。それは形式上の民主主義社会において、民衆が求めているとされているから行われていることになっているのである。
それを「何かおかしい。」と思いながらも放置するというのは、実質的には民主主義が行われていないということである。形式的に民主主義手続きだけを導入してさえおけば民主主義になると思ったら大間違いなのである。
さらに言えば、雇用されていた店員が直接警察に告発した場合。告発したがゆえに失職するとなれば、告発自体を抑制してしまいかねないのである。
それが本当に社会にとって公益的であるかどうか、機械的手続きしかできないバカ役人にとってはどうでも良いことなのである。その言い訳とは「だって、手続き的にそうなっているから。」であろう。
そこにいるのは意識を持った一人の「人間。」ではなく、責任逃れという利己的感情に無意識条件反射しかしない「ヒトという種の生物。」でしかないのである。
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そういえば、MHKの室山解説委員のオカルト発言について、NHKなり、どこぞの研究機関でキチンと分析、解析しているのであろうか。それとも読売新聞社の様に隠蔽するだけなのであろうか。
朝日新聞社のように過去の業績を枚挙してさえおけば、多少の不祥事は赦されるという「屁理屈。」というのは、要約すると、「10人の人を助けたことがあるから、一人くらい気に入らない奴を殺してもよかろう。」と言っているのと同じことである。
それとも、「多くの視聴者はどうせバカだから、多少の不祥事は隠蔽可能。」という判断であれば、それは極めて身勝手な利己的判断である。
証明不能な予測において「見解の相違。」は成立するが。論理的に証明可能、或は証明不可能な断言というものに「見解の相違。」は通用しないのである。
「人類はおそらく非常に高い確率で絶滅するであろう。」というのであれば、これは科学的見解の一つとして許容可能な話であるが。「人類は必ず絶滅する。」と断言するのはオカルト以外の何物でもない。
その違いを「多くのヒト。」が認識できないことを「理由。」にオカルト解説委員を飼い馴らしておくことは許されることではない。即刻解雇すべきであり、解雇させるべきでもある。
それとも連帯責任でNHK自体を営業停止処分にするべきなのか。
手続き的には営業停止なんだそうです。
店員は店長に盗品の可能性があることを訴えていたらしい。だったら頭がおかしいのは店長なので、一括してお店自体を営業停止にするのは何かおかしい。店員は店長の判断以上のことは背任になりかねないので、店長の頭がイカれているのであれば、店長に何らかの法的起訴をしておけばいいことであって、お店全体を営業停止にするのはおかしな話。
警察が言うには、「経営会社の指導が充分ではない。」などと言っているが、盗品を盗品であると警察に届けるかどうかは経営会社が指導するようなものではなく。店長本人の倫理的責任意識の問題ではないのか。
それこそ、店長自身が経営会社から「面倒臭いから、届け出るな。」と指導されていたのであれば経営会社を法的起訴すべきであって、それこそ店舗の営業停止は意味不明である。
営業を統率する一部の者の頭がおかしいことで、雇用者や利用者まで不便を強いられるというのは、とばちり以外の何物でもなかろう。
それとも体育会系的な「連帯責任。」を持ち出すのであれば、あまりに観念的精神論で合理性も何もない権力の乱用である。
お役所が行う機械手続きというものは、実質的効果を無視した、精神論的懲罰に偏る性質がある。それは形式上の民主主義社会において、民衆が求めているとされているから行われていることになっているのである。
それを「何かおかしい。」と思いながらも放置するというのは、実質的には民主主義が行われていないということである。形式的に民主主義手続きだけを導入してさえおけば民主主義になると思ったら大間違いなのである。
さらに言えば、雇用されていた店員が直接警察に告発した場合。告発したがゆえに失職するとなれば、告発自体を抑制してしまいかねないのである。
それが本当に社会にとって公益的であるかどうか、機械的手続きしかできないバカ役人にとってはどうでも良いことなのである。その言い訳とは「だって、手続き的にそうなっているから。」であろう。
そこにいるのは意識を持った一人の「人間。」ではなく、責任逃れという利己的感情に無意識条件反射しかしない「ヒトという種の生物。」でしかないのである。
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そういえば、MHKの室山解説委員のオカルト発言について、NHKなり、どこぞの研究機関でキチンと分析、解析しているのであろうか。それとも読売新聞社の様に隠蔽するだけなのであろうか。
朝日新聞社のように過去の業績を枚挙してさえおけば、多少の不祥事は赦されるという「屁理屈。」というのは、要約すると、「10人の人を助けたことがあるから、一人くらい気に入らない奴を殺してもよかろう。」と言っているのと同じことである。
それとも、「多くの視聴者はどうせバカだから、多少の不祥事は隠蔽可能。」という判断であれば、それは極めて身勝手な利己的判断である。
証明不能な予測において「見解の相違。」は成立するが。論理的に証明可能、或は証明不可能な断言というものに「見解の相違。」は通用しないのである。
「人類はおそらく非常に高い確率で絶滅するであろう。」というのであれば、これは科学的見解の一つとして許容可能な話であるが。「人類は必ず絶滅する。」と断言するのはオカルト以外の何物でもない。
その違いを「多くのヒト。」が認識できないことを「理由。」にオカルト解説委員を飼い馴らしておくことは許されることではない。即刻解雇すべきであり、解雇させるべきでもある。
それとも連帯責任でNHK自体を営業停止処分にするべきなのか。