病院での大規模クラスター感染が発生し 旭川市が北海道庁に自衛隊看護師の派遣要請をしたのに 要請が電話だったために正式な要請として扱われなかったという
役所って日付の入った文書をコピーを保存して送りつけないと動かないのよ
文書が残っていると責任が明確になるので動くんだけど 電話だけだとどんなに重要な要請でも動かないんだよ
原発事故の時もそうだった
Ende;
病院での大規模クラスター感染が発生し 旭川市が北海道庁に自衛隊看護師の派遣要請をしたのに 要請が電話だったために正式な要請として扱われなかったという
役所って日付の入った文書をコピーを保存して送りつけないと動かないのよ
文書が残っていると責任が明確になるので動くんだけど 電話だけだとどんなに重要な要請でも動かないんだよ
原発事故の時もそうだった
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「勉強をしてたくさんの知識を得れば高い身分や地位につくことができる」というのが諭吉の「学問のススメ」の動機だそうである 本当のことは知らんが 知りたいとも思わんし
高い身分や地位を得る目的って何すかね? 大衆からの人気取りや尊敬による金儲けが目的であって 利己的な利益のために学ぼうとしているに過ぎないから 学んだ内容に間違いがあっても気づくことが出来ず 簡単にデマや嘘に騙されるようになる
純粋に「本当のことが知りたい」という自発的な知的好奇心が働いていないから 教えられたことや学んだことに間違いがあっても 自発的に論理検証して「これ 本当か?」という批判精神が働かなくなる
◇
学力成績という いわば抽象化されたエサ(脳への報酬)欲しさに利己的で不純な動機で物事を学び知っても エサ(脳への報酬)さえ得られれば間違っていても嘘でもデマでも構わなくなってしまう
だから「高学力なバカ」が出てくることになる
「知識のエコシステムを生態系のピラミッドになぞらえれば」(読書猿)だとか
「世界は存在しない」「時間は無限に分割すればなくなる」(マルクス:ガブリエル)
「悟性」だの「純粋統覚」だの「叡智界」だの(イマヌエル:カント)
終いにゃ「客観的事実など存在しない」(養老孟司)などという訳のわからぬ実証不能の観念を振り回す奴らを 大衆の多くは「巨人」だと勘違いしている
読書猿の知識の「量」を評価している東大の経済学教授がいるらしいが 言っておくが養老孟司だって東大教授だったのであって そんな肩書は何の証明にもならない
そもそもマイケル:サンデルだって「ハーバード大学の教授」じゃねぇか
主観というものは個人的なものであって 人それぞれ違うものであって 主観的事実としての好き嫌いが存在するのも確かだが それを短絡的に論理的根拠に基づいた客観的事実と混同しているから デマや嘘に簡単に引っかかるようになる
権威や肩書 大衆人気など 世間的評価というものは多数決に過ぎず 論理客観的根拠が伴う保証はない
何が本当で 何が嘘なのかを見極めるのは論理客観的検証性であって これは主観を排除することで科学的根拠となる
哲学は主観も取り扱うのだが その取り扱い方に客観性が伴わなければデマやファンタジーや文芸文学にしかならない
論理客観的に物事を検証(考え)るというのは 知識の「量」ではなく 知識の「質」を検証することである
知識の「質」を検証するために必要なのは 主観的な好き嫌いだけで物事を判断選択することを一旦排除し 自己の主観までをも客観的に検証する必要がある
「主観的には好きな話だけど いや 自分の主観は大丈夫か?」という自己客観性が必要なのである
身分だの地位だの人気だの評価だのにつられていたのでは自己客観性は働かない なぜならそれらは全て利己的な世間的評価報酬を目的にしているからである
「頭が悪い奴は安い報酬しかもらえない」というのであれば 「知的障害者は死ね」ということになる
だが知的障害などの先天的障害によるハンディキャップというものは 当人が望んだものではないからこそ 人道に基づき社会保障を行うのである
それなら犯罪者が犯罪者になる原因として生育環境要因が存在するのならば 生育環境のハンディキャップも人道に基づき保障してあげる必要性がある
ヒトという種の生物として生まれてきながら 人間としての人格や倫理的選択が出来ないようになってしまっている「憐れ」なことである以上 「罰で解決」という短絡的解決に依らず丁寧な原因究明と再発防止が社会安全性にとっては最も重要なのである
「憐れみ」の感情から他者に施しをすることは 別に施した方が「偉い」わけではない
他人が困っていることを 自分なら解決できるのであれば それは解決してあげるのが当たり前の話であり 別に「偉い」わけでも何でもない
逆に 自分が困っていて誰かの助けが必要な時に助けてもらうためには 当然の行いなのである
「情けは他人の為ならず」とは そういう意味である
しかし 知的怠慢や怠惰によって真実を見極めず デマや嘘を鵜呑みにして主観的に満足安心して浮かれていたのでは これは「人間」として赦されるものではない
多数人気に基づく「流行」に便乗し 「これさえやっときゃ頭が良くなる」とでも錯覚して浮かれている自分を客観的に検証しないからこそ 養老孟司だのマルクス:ガブリエルだの読書猿に騙されるのである
そしてイマヌエル:カントの「純粋理性批判」を鵜呑みにして「自分は哲学を学んだから頭が良くなった」と勘違いし 奨学金と称した多額の借金をしてまで嘘を鵜呑みにさせられていることには誰も気づくことはできない
ディストピア
多くのヒトがこの社会の間違いに気付かなければ 社会の暴走破綻を止めることはできない
当たり前の話である
「自分は精々100年と生きられないから 自分が死んだ後に社会がどうなろうと知ったことではない」というのであれば それは「人間」として正しいのか?
世の中確かに糞野郎はいっぱいいるが それなら人間として社会的に正しい行動選択を採る人が絶対に存在しないとでも言えるであろうか?
世の中が崩壊すると 空から焼夷弾が降り注ぎ 赤ん坊が丸焦げにされることもある
街の真ん中で乗用車が暴走して子供が轢き殺されることもある それは決して養老孟司が言うような「さざ波」などではない
事故や犯罪はなくなることはないだろうが 減らすことは可能である そのために必要なのは丁寧な検証であり「ヒヤリ ハッと」事象レベルから見逃さない「意識」である
地位や身分といった利己的利益を目的とするのではなく 公平性や平等や安全性を優先してこその倫理や人間性なのである
人はそれぞれ全員違う 違うのであれば 違いを活用することの方が合理的であって 知識の「量」だけで身分だの地位が決定していたのでは到底「人間社会」とは言えないのである
ヒトという種の生物は 先天的に権威に服従し 封建的な集団組織に属しておけば安心満足するように出来ている
それを「生態系のピラミッド」になぞらえ正当化していたのでは公平性も平等もヘッタクレもあったものではない
そもそも「生態系のピラミッド」というのは遺伝的進化による「結果」に過ぎず 過酷な自然界における生存競争(喰い合い)による結果的バランスに過ぎず そこにあるのは「生存」に対する必然性だけであって 論理客観的な持続可能性の合理的根拠が伴うわけではない
人は何かを信奉したがる習性があり 権威や人気者 カリスマを崇めて満足したがるが これは祖先が狩猟採集生活の中で進化的に組み込まれた動物的な習性(無意識なバイアス)に過ぎない
そして この習性は個人の自律的な社会的責任判断選択能力を不具にさせる性質も兼ね備えている
遺伝的進化というものは あらゆる環境において常に最適化される保障はなく 偶然生存にとって適した者が生き残るという「結果」以上の何ももたらすことはなく 偶然いかんによっては大絶滅に陥ることも幾度となく起きているのである
バカなら暴走破綻を止めることはできない
それでも「バカのままで良い」という選択肢は 「ヒト」にはあっても「人間」にはないのである
Ende;