書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

逃避

2020年12月24日 12時04分02秒 | 意識論関連

他人から騙されるパターンには幾つかあるのだが 情報自体が不足していて判断ができず 且つ信用するしか選択肢がない場合に騙されるというのは頭の良し悪しとは関係がない

公共交通機関の安全性は信頼する他ないものであって 運行の安全性確保に関しての嘘があっても乗客にはどうにもならないものであって これは騙されてしまっていても頭の良し悪しとは関係がない

しかし ちょっと自分の頭で考えれば真偽の判定が可能な場合に騙されていたのでは「頭が悪い」としか言いようがない

ヒトという種の生物は 自分が主観的に安心感を得られる情報ばかりを信じこもうとする習性があり 一旦気分的に安心してしまうと疑うことを忘れ 明らかに変な話であっても鵜呑みにしてしまうことが非常に多い

様々な情報の中から何が正しい情報なのかを判定するために必要なのは 自律的な論理客観的検証性であって これを行うために必要なのは主観を一旦排除することである

読書猿に騙されるヒトの多くは「悩み」相談という形式で読書猿に相談したがるのだが

そもそも「悩み」自体が主観であって 読書猿などというペテン師を信用している時点で頭が悪い

「悩み」というのは主観的な気分であって 判定不可能な情報なら「わからない」と判定を保留する姿勢が必要であり それで気分的にモヤモヤしても致し方ないことであると諦めることも必要である

冒頭に述べた公共交通機関の安全性のように 本当に安全なのかどうかは一般利用客には知りようのない情報なら これは信用するしかないものである

食品安全性においてはもう少し複雑で ヒトが口にする食物に完全なものなど存在せず あらゆる食べ物には一定のリスクが存在しており 「絶対に安全な食べ物」などないからである

医薬品 昨今なら新型コロナウイルスワクチンの安全性について 一定のリスクもあるが接種することの利点もあり 「これさえやっときゃ絶対に安全」という医薬品や食べ物が存在しているわけではない

あらゆる食べ物には食べることで一定の健康を維持する効果が存在するのと同時に 食べることのリスクも存在しているのである

だからマトモな医者なら「いろんな食べ物を少しずつ食べることが良い」と言うのである

一時期みのもんたの番組で「これさえ喰っときゃ寿命が何年延びる」的な話で人気を得ていたことがあったが こうした短絡安易な「答え」に飛びつく大衆の頭の先天的な悪さこそが一番くだらない

ヒトという種の生物は先天的にはバカである

先天的にはバカだが 後天的に「自分の脳がどのようにバカなのか」を知っていれば バカには陥りづらくなることは可能である

ハードウェアであるCPUにバグがあっても OSレベルで補正して正常に動作させることは可能だそうで これと同じでヒトというハードウェアに先天的欠陥が存在していても 後天的な知識によっては欠陥をリカバリーすることが可能となる

「何を信じたら良いのかわからない」という「お悩み」があっても 信用する以外に他に選択肢のない事柄であれば いくら「悩んで」も仕方ないのである

「知識のエコシステム」などという 聞いたこともなければ意味も根拠も不明な話を鵜呑みにして「漢文さえ勉強しときゃ嘘やデマに騙されなくなるかも知れません」などという話を鵜呑みにしている時点でバカ確定である

そういうのは「これさえ喰っときゃ寿命が何年延びる」的な大衆迎合と構造は一緒で バカが信じたがらるデマの典型なのである

 

「信じるか 信じないかは あなた次第です」とは やりすぎ都市伝説のキャッチコピーだが

バラエティ番組の仮説を「信じたいかどうか」は主観的なものであって どんなにたくさんの他人が信じているとしても それが真実であることの論拠にはならない

 

ヒトは先天的に特定の誰かの言っていることだけを信用しようとする習性がある

これはヒトが野生環境下において統率的な協調行動を採る習性の名残りであり ヒトにまで進化する以前から先天的に組み込まれた本能的な思考バイアスである

主観的に安心できる相手に服従迎合同調し 統率的にイジメやヘイトスピーチに参加していれば 仲間意識が促す快楽に酔いしれ気分的な安心快楽が得られるために ヒトはイジメやヘイトスピーチに簡単に陥るのである

怖い相手には服従迎合同調しておいた方が楽である

だからイジメが生じていればイジメに便乗しておいた方が安心で楽なのである

「楽」という主観的バイアスに流されている時点で それこそが無意識なのであって どんなに主観的に安心満足であっても むしろ主観的な安心満足こそが人間としての意識である客観的論理検証性を失う最も大きな要因なのである

若い女性や幼女が強姦される事件というのは数限りなく発生するが これはヒトの男(オス)が先天的に若く幼い女性との性行為へのバイアスが先天的に組み込まれているからである

だが 人間としての社会的責任判断ができれば幼女強姦などという酷い行動は採らないように「選択」が可能となる

この選択可能性こそが「人間」としての所以であり 先天的欲望のままに行動していたのでは「ヒト」という種の生物であっても「人間」としては機能しないことになる

自己の主観が促す先天的行動バイアスに無意識に流されることなく 意識的に人生全体の「目的」を考えれば 自ずから社会安全性や持続可能性を優先する選択に収束するものである

どのような社会であるべきなのか そこに配慮が働いていれば 反社会的行動には陥らなくなる

何が真実で 何が嘘やデマなのかも 主観が促す煩悩から逃れて理性に基づき判断することで人間性としての「仏性」も発揮することが可能となる

「煩悩」とは「煩わしい悩み」と書く

主観的には煩わしいのだが その煩わしさに惑わされることなく客観的に論理検証する理性こそが人間としての基本となる

養老孟司だの読書猿だのを盲目的に信奉しておけば気分的には安心満足で「煩わしさ」からは逃げられるであろう

しかし それこそがカルト宗教などの洗脳の構造に他ならない

世の中わからないことなど無数にある むしろわからないことの方が圧倒的に多いのであって 全てが家電の取説のように明記されているわけではないことを自覚する必要がある

わかりようのない話ならわからなくても良いが 自分の頭で考えれば嘘であるかどうかがわかる話を鵜呑みにしているから「バカ」なのである

今の学校教育では100教えて100答えられれば100点がもらえる仕組みだが 教えられた内容自体に間違いがあっても誰も指摘することの出来ないバカの100点に過ぎない

だからニーチェだのカントを哲学だと誰も信じて疑うことをしない

読書猿だの養老孟司のように 大量の知識をひけらかされると多くの大衆は「この人は頭が良いから 信じて良いんだ」と勝手に勘違い錯覚し 疑うことをしなくなる

「客観的事実などない」などという非科学的オカルトの方が大衆にとっては「面白い」ため ますます人気を得て有名になり金儲けにも成功し 社会的な成功者として憧れの対象にもなるが

社会的にいくら成功していても人間性の論拠にはならない

それは占い師やペテン師の成功と同じものであるからだ

 

人間性や倫理の本質とは 「個人が自律的な社会的責任判断選択を行うこと」であり これを行わぬバカの多数人気取りによる世間的評価ばかりを追求しているから 真実を見失い 嘘やデマに簡単に騙されるようになるのである

嘘やデマを信じていれば 必然的に社会は暴走破綻に陥るものである

バカであるということは 結局は社会の暴走破綻に加担しているのと同義なのである

 

 


Ende;

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