信頼できない情報が生まれるには「理由」がある
[読書猿の回答]
何故こうした問題にネットが役に立たないか(信頼できない情報ばかりなのか)、このメカニズムが分かれば、そうした状態に陥る代わりにどんなアプローチをとればいいのかも分かってきます。
こうした問題についてネット(だけではありませんが)で信頼できない情報ばかりになるメカニズムは概略すると次のようになります。
1.不安にかられて緊急モードになると、ヒトの直観・感情で判断しがちになる
2.ヒトの直観や感情は《量》、とりわけ《頻度》や《確率》を扱うことが得意でない
3.しかしこの種の問題は《量》《頻度》《確率》を考慮しないと上手く判断できない
4.数の上では、直観・感情で判断する人が圧倒的に多い
5.ネットでの情報発信はコストが低く、圧倒的に数の多い直観・感情での判断による「自称・情報」や「自称・真実」が優勢になる
ご質問にも「統計」という言葉があるように、この問題は《量》《頻度》《確率》を考慮して判断する必要があります。そのためには直観・感情での判断を抑制し、理性を働かせる必要がありますが、これは生まれつき誰もができることではありません。
直観・感情での判断の方は生得的で、つまり遺伝子にプログラムされており、我々の先祖が長年暮らしたサバンナの環境で進化したものと考えられます。
そうした環境では「ヤバイのか?そうでないのか?」の単純な二分法で判断し「ヤバイならとにかく逃げる」というのが適応的でした。じっくり考えていては肉食動物などに食べられてしまうからです。
一方、《量》《頻度》《確率》を考えることは、人類がその歴史の中で失敗と克服を重ねながら培ってきたもので、遺伝子にプログラムされておらず、後天的に教育を受けトレーニングを積まないとできません。
そしてトレーニングを積んだ人でも、パニックに落ちると、直観・感情での判断を優先しがちになります。
詐欺はヒトのこの性質を利用しています。冷静に考えればわかりそうなこともパニックに陥らせると分からなくなり、とにかくその窮地を脱しようという行動を取りがちになるので、そこに罠を張るわけです。
話を戻して、「自称・情報」や「自称・真実」の発生は、基本的にデマと同じです。
災害後にデマが広がることがあるのは、
1.誰かに不安を話すことで、自分の不安が少し軽減する
2.不安に陥る状況は、そもそも情報不足で話せる内容は多くない
3.その情報不足な部分を「きっとこうだろう」と決めつけて補填してしまう
4.これを聞いた人は不安が高まり(なにしろ吟味しようにも情報が不足している)、また同じようなことを繰り返す
こうしてみると分かるように、デマを流布する人たちも、悪意を持って情報空間を汚染しようとしている訳ではありません。
多くは(自覚的には)善意によって「この真実を広めなくては」みたいなことを思っています。
まとめると、直観・感情による判断は誰もができますが、「ある/ない」という両極端的なものとなりがちです。これに対して《量》《頻度》《確率》に基づいて判断することは、トレーニングが必要な上に、直観・感情での判断を抑制し理性を働かせる必要があります。
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5.ネットでの情報発信はコストが低く、圧倒的に数の多い直観・感情での判断による「自称・情報」や「自称・真実」が優勢になる
この場合における「コスト」とは 「真偽チェックにかかっている手間」を意味するのだが 手間がかかっていさえすれば「正しい情報」であることの証拠にはならない
そもそも読書猿は「知識のエコシステム」などという訳のわからぬ意味不明な「自称・情報」や「自称・真実」をひけらかし しかもダイアモンドオンラインの編集部の誰もツッコミを入れないというバカの集団なので どんなにバカの多数による「手間」だけかけてもデマはデマである
生物の遺伝的進化には目的や方向性が存在しておらず 単に「死なずに生き残った」という結果しか存在していないことについても従来生物学界においては誰も言及してこなかった
生物学界という非常にコストのかかった集団でありながら 130年以上の永きに亘ってフランシス:ゴルトンの優生学に対する論理反証がされてこなかったという「不祥事」が起きているのである
確かに個人管理のSNSやブログの多くではデマや嘘が多いことは確かであるが それならマスコミや金儲け目的で自社の書籍販売のために嘘で購入者を増やすための嘘やデマも決して少なくはない
情報の真偽というのは「コスト」だけでは判定できないのである
判定そのものができない程情報量が少ない場合には 科学的には判定不能として「わからない」と保留する姿勢が大事である
だが 自分の頭で論理的に「考え」て「この話は本当なのか?」を判定可能なものについては情報量は関係がない
「知識のエコシステム」とは何か そんな話聞いたことあるのか? 読書猿のでっち上げに過ぎないことくらいは自分で考えれば判定可能な話である
「コストが低い」というだけで「信用に値しない」と一蹴するのは 自分の頭で物事を「考え」ていないことによる単なる「レッテル貼り」に過ぎない
1.不安にかられて緊急モードになると、ヒトの直観・感情で判断しがちになる
4.数の上では、直観・感情で判断する人が圧倒的に多い
などについては正しいと言えるが 「量、頻度、確率」については そもそもSNS上のデマの方が圧倒的に高いのであって 重要なのは情報の確度や信頼性に基づいた論理客観的根拠や証拠による判断を「自律的」に行う必要がある
深層学習方式の人工知能がTwitter上でヘイトスピーチを始めたことや 企業の採用判定にAIを用いた際に過去の採用状況から「学習」してしまったことから女性を頭ごなしに減らすという判定をしていたことが明らかになったこともある
人工知能というものはヒトなどの動物の脳をエミュレーションしたものであり ヒトが陥る観念的な物事の「学習」によって論理的根拠を伴わぬ判定に陥るのであり ヒトもまたこうした間違った判定によってデマや嘘が見抜けなくなるのである
「こうすればデマや嘘に騙されなくなる」などと称して説明していれば ヒトの多くは「この人に言っている内容にはデマがないのだな」と錯覚しがちであるが
それこそが詐欺師の手口である
出典:ダイアモンドオンライン
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