ヒトの多くは主観的感情論を人間性を伴った「心」だと勝手に勘違いしているが これこそが論理客観性を欠いた実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかける原因なのである
犯罪被害者や遺族の多くは厳罰化や死刑を要求したがるが これはあくまで遺族側の個人的感情論(主観)でしかない
被害者側の個人的な感情の強度程度がまかり通るというのであれば 加害者側が命懸けで虐殺を行っても文句は言えないことになる
被害者の個人的な主観に基づく感情論を主張しても良いというのであれば 加害者が自暴自棄に大量虐殺をすることも正当化しなければならない
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公の資金を使って行うべきことというのは 社会安全性を優先することであり 苛烈事故や虐殺事件が起きないようにするための論理客観的な対策であって 被害者側の個人的な主観的満足を満たしても被害者を減らすことにはならない
数は少ないものの 被害者遺族の中には「再発防止を優先して欲しい」と願う人もいて これは個人の主観的感情よりも「自分と同じような地獄を他人には味あわせたくない」という より社会的な観点からの要望である
たとえ虐殺事件の犯人を死刑にしても 被害者遺族が報われるわけではなく むしろ同じような事件や事故で被害者が増え続ける社会の中で生き続けることの方がむしろ地獄なのである
どんなに厳罰化を推進しても 身勝手な奴というのは「バレなきゃ良いんだ」という身勝手な観念に基づいて行動するものである
社会の中に身勝手な奴が存在している限り 法手続きによる厳罰化は意味がない
実際に中華人民共和国では麻薬取締法違反は極刑であるにも関わらず 全く根絶することができない
ましてや 強姦などにおいては強盗殺人よりも「罪が軽くなければならない」という屁理屈に基づき「犯罪者間における罰の公平性」などという 訳のわからぬ法手続きに則って判決がくだされるだけであり 再犯率が高かろうがなんだろうが司法役人達にとってはどうでも良いのである
同じヒトという種の生物でありながらも 自律的に社会的な責任判断選択をほとんどしない奴というのがいる限り 犯罪や無責任な事故は根絶できない
人間性や倫理の本質とは 個人が自律的な社会的責任判断選択を行うこと」であって 大衆迎合人気取りや金儲け 地位身分などの肩書は人間性の論証には全くならないのである
最高裁判事を国民投票するのは 司法に対する国民の監視を効かせるために憲法で保障された制度であって 漫然と権力に従うだけで何の批判もしなければ司法役人天国にしかならない
司法役人達は 立法機関によって決められた法手続きに則って機械的に手続きさえ行っておけば「業績」になるのであって 司法役人達は別に社会安全性が高まらなくても 強姦犯が何度再犯しても 「知ったことではない」のである
三権分立という制度が 互いの責任を曖昧にしていたのでは 到底国民にとっての利益など追求されることはない
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身勝手な観念を振り回し 「自分で考えるのは10年早い 教えたことを暗記しろ」などと言い出す奴が大学で教授をやっているくらいである
身分だの肩書というものが如何に価値がないかの典型的事例であろう
身分だの肩書だのに惑わされず 何が本当のことなのか 誰の言っていることが真実なのかを見極めるためには 「個人が自律的な社会的責任判断選択」をしなければならない
SNS上でファクトチェックもせずに集団で「私刑」と称して無関係な人を攻撃するなどの行為も 個人的な主観に基づく感情だけで行動が決定している故の結果であり 自己客観性としての理性が働いていないのが原因である
たとえ犯罪者の実家であるとしても 家に落書きをしたり殺害予告をして良いわけではない それは「ただの犯罪」である
個人的な報復感情だけで厳罰化だけを公の制度に要求するのであれば それは再発防止という社会的責任を放棄するという無責任性(罪)も含まれることになる
現行の法手続き上 犯罪の再発防止を優先しなくても刑罰の対象にはならないが それは法手続き上の話であって 回避可能性が存在するのに回避のための努力を放棄しているという 人道上の「罪」は免れない
「個人(主観)的に報復したいから 厳罰による報復さえ実行されれば 再発防止になろうがなるまいが 知ったことではない」と言っているのと同義である
犯罪被害者や遺族の感情が全く共感できないわけではないが 感情は所詮主観であって 犯罪者の動機に理性が伴わないことと構造的には同じものなのである
社会安全性にとって最も重要なのは 客観的な論理検証性による根源的原因の究明と再発防止策の構築である
それが刑罰によって阻害されている現状を傍観放置していれば 結果的に社会安全性を放棄する現状制度に加担していることになるのである
制度上民主主義を導入していても 国民の半数以上がバカであるならば それは「バカ主義」にしかならない
「それでも構わない」という選択肢は「ヒト」にはあっても「人間」にはない
「人間」としての判断もせずに人間としての「心」が機能するわけがないのである
Ende;