ヒトの多くは宗教に対して偉大だと「感じ」るが
「感じ」とは主観である
主観である以上は錯覚が伴う可能性を否定できない
動いて見える錯視図形を 多くのヒトが「動いて見える」からといって その錯視図形が本当に動いていることの論証にはならないのと同様
どんなにたくさんのヒトが宗教に偉大さを「感じて」も 宗教が偉大であることの論理客観的根拠にはならない
刑罰においても同じで どんなに多くのヒトが刑罰に対して尊厳を「感じ」ても 刑罰というものの尊厳の論証にはならない
自己の主観的な感覚に過ぎぬ「感じ」というものを あたかも「絶対的なものだ」と信じ込んでいるという傲慢さを自覚していないから 宗教だの刑罰だのといった根拠の乏しい因習に囚われ 論理客観的な社会安全性の追求をヒトはしなくなるのである
自己の主観を絶対だと信じている傲慢さがあるからこそ 養老孟司だの読書猿だのマイケル:サンデルだのマルクス:ガブリエルだのリチャード:ドーキンスだの松沢哲郎だの山極寿一だのといった嘘つきに簡単に丸め込まれ騙されるのである
電話を使った特殊詐欺に騙されるのも 詐欺師の「言葉遣いが丁寧だった」というだけで本当に警察官や公務員や銀行員だと錯覚する
「詐欺師の言葉遣いとは こういうものだ」という主観的観念を逆手に取る形で 詐欺師は騙すのであって 自らの主観的感覚を疑う自己客観性こそがデマや嘘や詐欺に騙されない唯一の方法なのである
養老孟司も読書猿もマルクス:ガブリエルも 大量の知識をひけらかしておくことで 大衆観念上の「知識が豊富=頭が良い」という主観的感覚を利用することで信用させ 糞の役にも立たぬ実証不能の観念を信じ込ませて人気を得ているのである
「客観的事実などない」(養老孟司)
生態系のピラミッドになぞらえることができる「知識のエコシステム」(読書猿)
「世界は存在しない」「時間は分限に分割すればなくなる」(マルクス:ガブリエル)
こういった科学や「本当の哲学」を逸脱した訳のわからぬ突拍子もない話の方が 大衆の脳にとっては主観的に「楽しい」とか「面白い」と感じさせるため大衆人気を得ることは簡単であるが
こんなバカみたいな話を益川敏英や畑村洋太郎は決して信じ込むことはない
「主観が大事」などと言い出した野依良治は老害に過ぎない
科学というものは理性が必要不可欠であって 単なる子供じみた好奇心(答えの追求性)だけで科学が成立するわけではなく
大脳辺縁系を損傷した人のように 論理的には理解できない話には「わからない」と保留する理性なくして科学でも哲学も成立しない
論理客観的な根拠なしに 単なる好奇心(欲望)だけで「答え」を追求してしまえば ヘイトスピーチでもカルト宗教でも構わなくなる だからこそ「子供じみた好奇心」は簡単にイジメに陥るのである
にも関わらず現状の「哲学者」共は「答えを追求する子供じみた好奇心」と「大脳辺縁系を損傷した人の理性的判断」を「同じものだ」と言い張り これを野依良治は自律的に検証もせずに鵜呑みにしたのである
畑村洋太郎も益川敏英も専門分野で忙しいとは言え 学術分野という領域の自由を主張する以上は生物学界や哲学界における嘘を放置する組織腐敗にも言及し 自浄努力をする義務がある
未だ生物学者の多くは「生存戦略」だの「目的のために進化した」などという論理的に支離滅裂な話をやめようとはせず 従来通りのパラダイムを温存することで自分達の頭の悪さを隠蔽し 上っ面な権威性を維持しようとしている
「哲学者」共はイマヌエル:カントが哲学を逸脱したただのファンタジー妄想に過ぎないことに自分達が気付かなかった頭の悪さを隠蔽し 「哲学は研究をしない」などという どうにも意味のわからぬ話ではぐらかし ごまかし 自分達の権威性や組織体制を維持することしか頭にない
こんなバカげた話を学生に多額の借金までさせて学校で教えているというのは 社会に対する詐欺行為であり もはや犯罪に等しい行為である
これを放置するなら益川敏英も畑村洋太郎も結局は同罪である
Ende;