書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

効果

2020年12月15日 23時03分20秒 | 意識論関連

(小児性愛犯罪に対する)厳罰化の再犯防止効果は?

「未治療の性犯罪者が生涯に出す被害者の数は380人」という、米国のエイブルの研究データもあります。
事件化したりするのは氷山の一角で、性犯罪者は何度も何度も犯罪を繰り返していることになります。
再犯を防ぐためにも、とりわけ小児性愛の犯罪者は厳罰に処すべきという意見も当然のことかもしれません。
しかし、たとえ長期間にわたって収監されても、「小児性愛障害」の病理に変化が起きることはありません。
彼らの強力な性的欲求が変わらない限り、一見 深い反省をしているように見えても、その数日後に再犯することもあるのです。
そこで、小児性愛者に対しては、再発防止に向けた治療がとても重要です。
「小児性愛障害」の治療は、個人またはグループでの長期的な精神療法と薬物等によって行われます。
自発的に治療を受け、社会技能の訓練や他の問題(薬物依存や抑うつ等)の治療に取り組んだ場合が、最もよい結果が得られます。

小児性愛者による犯罪は、被害にあった子どもの未来も、人間の尊厳も奪います。
加害者である大人に対して、子供は恐怖で声を上げられません。被害にあっても、誰にも言えず、ひとり苦しむ子供も多くいます。
小さい子供を持つ親にとって、小児性愛者の犯罪は決して他人事ではなく、いつどこで起きるかわからないということを意識すべきでしょう。

(医師 小林 晶子)

 出典:https://www.fnn.jp/articles/-/6438 -FNNプライムオンライン

 

⇨小児性愛犯罪に限らず あらゆる犯罪は他人事ではなく いつ誰がどこで遭うかわからないという点において あらゆる犯罪も治療や予防は重要である

「罰を受けるかも知れない」という観念的な恐怖心を用いた抑圧ではなく

「自律的に社会的責任を負う」という主体的な人間性こそがあらゆる「(犯罪も含む)人災」に対する再発防止に最も効果的な対策となるのである

 

 

Ende;

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死刑

2020年12月15日 17時15分17秒 | 意識論関連

座間9人殺人事件の白石隆浩被告に死刑判決が出た

刑法はもうどうでもいいからさ 何でこういうバカが出てきちゃうのかをちゃんと調べろよ

死刑判決が出ちゃうと刑務所じゃなくて死刑が執行されるまでは拘置所で普通に生活してるだけなんだよな

死刑囚にタダ飯喰わせている暇あんだったら政府で調査委員会みたいの立ち上げて徹底的に原因究明しろよ

白石隆浩とか相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の植松聖とか 「何がどうしてこうなった?」っていう訳のわからぬ奴に共通する生育環境とか 何か予防策みたいのを見つけようとはしないのかよ

前から言ってっけどさ 通り魔死刑にしても 何で通り魔なんぞが出てくるのかの原因がわかんない限り何度でも通り魔事件は繰り返すぞ

誰が殺されるのかなんてわかんないんだから ちゃんと調べておけよ

司法役人はそういうの絶対やらねえよ 奴らにとっては再発防止なんぞ法手続きの構造上興味はないからな

裁判員制度なんぞで何かの役に立っていると思ったら大間違いだからな 論理的に何の根拠もないだろうよ

アホくさ過ぎて話になんねぇよ

大体さ 被害者に自殺願望があったかどうかは関係ねぇだろうよ

被害者が「死にたいと思ってた」からって殺して良い理由にゃならんだろうよ

全く司法裁判ってのは糞の役にも立たねぇこと争点にするよ

 

 

Ende;

 

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合法詐欺

2020年12月15日 14時15分19秒 | 意識論関連

ヒトの多くは宗教に対して偉大だと「感じ」るが

「感じ」とは主観である

主観である以上は錯覚が伴う可能性を否定できない

 

動いて見える錯視図形を 多くのヒトが「動いて見える」からといって その錯視図形が本当に動いていることの論証にはならないのと同様

どんなにたくさんのヒトが宗教に偉大さを「感じて」も 宗教が偉大であることの論理客観的根拠にはならない

 

刑罰においても同じで どんなに多くのヒトが刑罰に対して尊厳を「感じ」ても 刑罰というものの尊厳の論証にはならない

自己の主観的な感覚に過ぎぬ「感じ」というものを あたかも「絶対的なものだ」と信じ込んでいるという傲慢さを自覚していないから 宗教だの刑罰だのといった根拠の乏しい因習に囚われ 論理客観的な社会安全性の追求をヒトはしなくなるのである

 

自己の主観を絶対だと信じている傲慢さがあるからこそ 養老孟司だの読書猿だのマイケル:サンデルだのマルクス:ガブリエルだのリチャード:ドーキンスだの松沢哲郎だの山極寿一だのといった嘘つきに簡単に丸め込まれ騙されるのである

電話を使った特殊詐欺に騙されるのも 詐欺師の「言葉遣いが丁寧だった」というだけで本当に警察官や公務員や銀行員だと錯覚する

「詐欺師の言葉遣いとは こういうものだ」という主観的観念を逆手に取る形で 詐欺師は騙すのであって 自らの主観的感覚を疑う自己客観性こそがデマや嘘や詐欺に騙されない唯一の方法なのである

 

養老孟司も読書猿もマルクス:ガブリエルも 大量の知識をひけらかしておくことで 大衆観念上の「知識が豊富=頭が良い」という主観的感覚を利用することで信用させ 糞の役にも立たぬ実証不能の観念を信じ込ませて人気を得ているのである

「客観的事実などない」(養老孟司)

生態系のピラミッドになぞらえることができる「知識のエコシステム」(読書猿)

「世界は存在しない」「時間は分限に分割すればなくなる」(マルクス:ガブリエル)

こういった科学や「本当の哲学」を逸脱した訳のわからぬ突拍子もない話の方が 大衆の脳にとっては主観的に「楽しい」とか「面白い」と感じさせるため大衆人気を得ることは簡単であるが

こんなバカみたいな話を益川敏英や畑村洋太郎は決して信じ込むことはない

「主観が大事」などと言い出した野依良治は老害に過ぎない

科学というものは理性が必要不可欠であって 単なる子供じみた好奇心(答えの追求性)だけで科学が成立するわけではなく

大脳辺縁系を損傷した人のように 論理的には理解できない話には「わからない」と保留する理性なくして科学でも哲学も成立しない

論理客観的な根拠なしに 単なる好奇心(欲望)だけで「答え」を追求してしまえば ヘイトスピーチでもカルト宗教でも構わなくなる だからこそ「子供じみた好奇心」は簡単にイジメに陥るのである

にも関わらず現状の「哲学者」共は「答えを追求する子供じみた好奇心」と「大脳辺縁系を損傷した人の理性的判断」を「同じものだ」と言い張り これを野依良治は自律的に検証もせずに鵜呑みにしたのである

 

畑村洋太郎も益川敏英も専門分野で忙しいとは言え 学術分野という領域の自由を主張する以上は生物学界や哲学界における嘘を放置する組織腐敗にも言及し 自浄努力をする義務がある

未だ生物学者の多くは「生存戦略」だの「目的のために進化した」などという論理的に支離滅裂な話をやめようとはせず 従来通りのパラダイムを温存することで自分達の頭の悪さを隠蔽し 上っ面な権威性を維持しようとしている

「哲学者」共はイマヌエル:カントが哲学を逸脱したただのファンタジー妄想に過ぎないことに自分達が気付かなかった頭の悪さを隠蔽し 「哲学は研究をしない」などという どうにも意味のわからぬ話ではぐらかし ごまかし 自分達の権威性や組織体制を維持することしか頭にない

こんなバカげた話を学生に多額の借金までさせて学校で教えているというのは 社会に対する詐欺行為であり もはや犯罪に等しい行為である

 

これを放置するなら益川敏英も畑村洋太郎も結局は同罪である

 

 

Ende;

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