簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

一寸難しいけど、脚の筋肉の話し

2023-03-08 | Weblog


 日常の生活における脚の筋肉の働きは、以下の三つと言われている。
  「歩くスピードの維持」
  「床や椅子からのふらつくことのない安定した立ち上がり」
  「バランスのよい立姿勢の保持」



 専門的に「脚」とは二本のアシの付け根から指先までの事で、「下肢」
といわれる部分だ。足は指先から踝までで、靴を履く部分を指すそうだ。
全身の筋肉の内、脚の筋肉が占める割合は凡そ70%といわれているから、
この衰えは看過出来ない。



 脚の筋肉は、付け根から膝関節までの大腿部と、ふくらはぎから足部
までの下腿部に分かれる30種類以上の筋肉から構成されているらしい。

 大雑把に言えば、歩く時にふとももを持ち上げてくれのが「腸腰筋」、
膝などを前に出し支えてくれるのが「大腿四頭筋」、つま先を持ち上げ
バランスをとるのが「前脛骨筋」と云われている。



 太ももの筋肉が鍛えられると、基本的な歩く走る動作の能力が向上し、
引き締まった足を手に入れることができる。

 大腿四頭筋とハムストリングスを鍛えれば、下半身を効率よく働かせ
る事が出来る。下腿三頭筋を鍛えれば、ジャンプやつま先立ち姿勢など、
足関節を下に伸ばす動きを強め、安定した立姿勢を保つ事が出来る、と
同時に第二の心臓と呼ばれる血液のポンプ作用を高めることも出来る。



 以前ジム通いの折教えて貰ったが、専門的のことは難しい。
要は「脚のこの筋肉を鍛えるのだ」と、殊更強く意識しながら運動を行な
うと、より効果も高まるらしい。

 コロナ禍でジム通いを止めてしまった今は、自宅で簡単なスクワットや
腹筋、ダンベル運動、外では少しの早歩きを実践している。
しかし残念なことにこの程度では、筋力低下のスピードにはとても追いつ
いてはいけないようだ。


(写真:岡山市東区 鉄砲山 本文とは無関係)(続)

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オットット!! 危ない、危ない

2023-03-06 | Weblog
 普段何気ない日常生活の中で、これまで起きていないことが突然起き、
戸惑う事がある。まだそう度々有るわけでも無いが、「ついに来たか・」
と愕然とする。とは言え深刻に捉える必要は無いが、これから先この事
は、少なからず意に止めておかなければならない。



 ごく普通にに歩いていて、突然何かに足を引っかけ転びはしないまでも、
「オットット!!」と慌てたことがあった。
自分では極めて自然に歩いているつもりなのに、道路の一寸した段差に足
を取られている。街路樹の張り出した根によって、盛り上がったブロック
タイルのV字の溝に、足が引っかかったらしい。
大した出っ張りでも無いのにだ。



 本人が思っている以上に足が上がっていず、引きずって歩いているから
であろう。ただ、何も無いところで躓いたのなら、何かの病気を疑わなけ
ればならないが、救いは道路の突起に躓いたこと。
原因が有っての事で、これは紛れもなく「脚」の筋力の衰えである。



 足の筋力が低下すると歩くスピードが低下し、何かを跨いだり日常的な
動作のなかで、バランスが崩れやすくなる。歩く動作は、脚全体を特に膝
から下の下腿(ふくらはぎ)を動かすことだけにこの衰えは致命的となる。



 正しい歩き方は、最初に踵をつけ、すぐ後に足の付け根がつき、体重
をしっかりとかけ、足の指先を使って前に移動する。
この一連の動作のバランスが崩れると、つまづきが起こるらしい。



 美しい立姿勢を保持し、普通に歩ける筋肉をつけるためには、日々の
生活で、階段を多用したり、少し早く歩くことを意識し、大雑把に言え
ばこれらの筋肉の硬直や低下を防ぐ運動を継続すれば良いらしい。


(写真:岡山市東区 鉄砲山 本文とは無関係)(続)

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日永の追分け (東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-03-03 | Weblog


 道が二つに分かれる場所を「追分け」と言うが、今日まで地名としても
全国に何カ所も「○○追分」が残されている。
ここ「日永の追分け」は、東海道と伊勢街道の分かれ道である。
今でも交通の要衝で、小さな三角緑地の直ぐ脇を、乗用車や大型のトラ
ックなどが頻繁に駆け抜けている。



 追分には、台座も入れれば二メートル以上は有ろうかという石の道標
が建てられている。「右京大坂道 左いせ参宮道」「すく江戸道」「嘉
永二年己酉春二月 桑名魚町尾張文助建之」と肉太の字が刻まれている。
その隣に建つ古めかしい常夜灯にも、正面には「ひたり さんくう道」と
刻まれている。



 鳥居は「神宮遙拝鳥居」で、伊勢国二ノ鳥居と言われている。
現在の鳥居は、昭和50(1975)年に建てられたものだ。
この地に初めて遙拝鳥居が建てられたのは、安永3(1774)年の事で、
江戸に進出し商家を構えた伊勢商人・渡辺六兵衛と伝えられている。



 六兵衛は、須ヶ瀬村(現在の津市)の出身で、東海道を行き来する旅
人が、この地で伊勢神宮を遙拝できないのは余りにも寂しいと、鳥居を
建てさせたそうだ。

 神水の湧くこの地は、四日市と石薬師との中間の「間の宿」でも有る。
茶店が建ち並び、旅人で大いに賑わったという。
名物の饅頭を手に茶を啜りながら、京・大坂や伊勢に思いを馳せた会話が
飛び交っていたのであろう。



 追分けを出ると、伊勢神宮のある山田までは、この先神戸(かんべ)、
白子(しろこ)、上野、津を経てその距離およそ16里である。
 お伊勢参りの弥次さん喜多さんは、左の伊勢参宮道へ進んだ。
東海道は右の道を行くが、次の宿場・石薬師までは、まだ1里半以上も
残っている。(東海道歩き旅・伊勢の国・前編完)





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東海道名残の一本松 (東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-03-01 | Weblog
 一里塚の先に、一本の大きなマツが見えてきた。
「東海道名残の一本松」である。

 かつてはこの日永村から泊村の間は、家屋が一軒も無い道で、街道の
両側には低い土手が築かれ、マツが植えられた並木に成っていて縄手と
呼ばれていた。





 当時の東海道の幅は三間(凡そ5.5m)、今の道路幅と同じという。
この縄手と呼ばれる土手を入れると約5間(9m程)あり、ほぼ今の道幅
と一致するそうだ。今日まで唯一残ったのがこの松一本である。



 あすなろう鉄道泊駅前を過ぎると、「伊勢蔵」という店があった。
創業は大正3(1914)年で、これまで五代に渡り、伝統の製法を守りな
がら味噌・醤油を作り続け、販売しているという。
店舗前の駐車場に仕込樽を展示する東屋が造られていて、近くに程よい
日陰があったので、そこで少し休ませてもらう。





 その先に、「東海道日永郷土資料館」の建物が左手に見えてきた。
商家・八木家の土蔵付の古民家を資料館として改修し、平成25(2013)
年にオープンし、「日永郷土史研究会」が運営している施設だ。

 内部では特産の「日永足袋」や「日永うちわ」を始め、東海道や伊勢
街道の歴史などの資料を展示しているらしい。
生憎この日は休館日(開館は、水・土・日・祝)であった。



 資料館の前を抜けると旧東海道は、左から来る国道1号線に合流する。
そのまま道なりに側道を100m程行くと、大きな三叉路で、その交点に小
さな緑地が有る。
 この辺りから旧追分村で、名前の通りここは「日永の追分」と言われる
場所で、東海道と伊勢参宮道との分れ道だ。(続)




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