簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

秘窯の里 (JR乗り潰しの旅)

2013-02-27 | Weblog
 伊万里から数キロ離れた山深い郊外に、大川内山がある。
1600年代、かつて鍋島藩の御用窯が築かれた場所で、近年、付近一帯が「国史跡」の
指定を受けているところだ。


 
 ここで造られる“鍋島”は当時の日本の磁器の中では最も格調高く優れたものとして、
将軍家への献上品や諸大名への贈答品として用いられ、一般に販売される事も無く、
その伝統や技法は地区内に設けられた役所や番所によって厳しく管理されたと言う。



 そんなことからこの地は”秘窯の里”と呼ばれるようになった。里には見所が多い。
藩政時代、その秘法を守った関所や、その近くには八百以上もの無名陶工の墓を積み
上げた供養塔も残されている。



 川に架かる橋の欄干も見事な伊万里焼で作られている。
里の入り口、伊万里鍋島焼会館の前には伊万里焼で作られた大きな周辺の案内図が
掲げられていて見応えがある。





 ここは背後に青螺山が迫る僅かばかり開けた狭い山間の地。
集落を貫き山に向かう緩やかな坂道の両側には、レンガ造りの煙突を立てた窯元が
犇めくように軒を連ねている。
そんな窯元の店先を一軒ずつ訪ね歩けば時には思いがけない掘り出し物に出会うかも。



 落ち着いた家並みが、安山岩の露出した背後の切り立った山と重なり、そこに雲の掛る
様はさながら山水画を見るようで、まさに“秘窯の里”と呼ばれるにふさわしい。
ここでは、色鍋島の伝統をおよそ30軒の窯元が今も連綿と引き継いでいる。(続)。


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伊万里焼の里 (JR乗り潰しの旅)

2013-02-25 | Weblog
 唐津を出た筑肥線は、山本までは唐津線を走る。
駅を出て、唐津線の本牟田部を脇に見ながら(筑肥線にはこの駅は無い)唐津線を
超えると国道498号線に沿っ走る。
黄色に塗られたたった一両のジーゼルカーは、里山に溶け込むように、町並みを見
ながらのどかに行き、伊万里に向かう。



 筑肥線の終着駅・伊万里は“伊万里焼”で知られた焼き物の町である。
ホームに立つ駅名表示板は、12分割された伊万里焼で作られているのがいかにも
焼き物の里らしくて面白い。



 駅を出ると広い広場があり、そこを幹線道路が突き抜け、その向こう側に旧国鉄の
松浦線を引継いだ松浦鉄道の伊万里駅があり両駅は道路を跨ぐ陸橋で結ばれている。



 伊万里から伸びる駅通り商店街を暫く歩くと“古伊万里のからくり時計”がある。
21世紀の年の初めに最初の鐘を鳴らしたと言う鐘で、地元では、ここで待ち合わせを
すると幸せになれると言われている鐘である。



 そこを左に折れた辺りに“陶器商家資料館”、“海のシルクロード館”がある。
反対側のアーケード街の中ほどには、“黒沢明記念館”などもあり見所も多い。



 叉伊万里川沿いには遊歩道も整備され、そこを行くと“伊万里神社”がある。
川に架かる橋の欄干や町中にはいたるところに大きな伊万里焼の磁器人形も飾られ
ているので、そんな物を捜しながらの町歩きも楽しいものだ。(続)






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唐津の町 (JR乗り潰しの旅)

2013-02-22 | Weblog
 唐津城は町中を流れる松浦川が、唐津湾にそそぐ河口近くの小高い満島山と呼ばれる
山上に建っている。五層五階の天守閣は、昭和41年観光施設として再建されたものだ。



 お城へは時代を感じながら一歩一歩石段を歩いて登る事も出来るが、舞鶴公園にある
珍しい斜行エレベーターが面白い。
山の斜面に沿うように設置された籠室は、全長53メートルを1分ほどで駆け上って行く。



 天守に登ると内部は博物館で、その最上階は展望所に成っている。
川と海に沿うように開けた唐津の街並みが一望で、その眼下左右には、虹の松原と西の
浜松原の緑の帯が延び、丁度それが羽を広げた鶴のように見える。
このことから、唐津城は舞鶴城の別名を持つようになったと言われている。





 “唐津くんち”は市内に有る唐津神社の秋の大祭で、クライマックスの御旅所神幸と
それを守護する曳山が知られている。
 曳山は粘土や木型で原形を作り、それに和紙を張り重ね、更に漆を塗り、その上から
金銀を施し形作ったもので、多くは江戸時代に作られたものらしい。



 祭りでは各町内から出された14台が町内を練り歩く。
曳山は武将の兜、獅子頭、龍や鯱など多彩なモチーフで作られ、重さ2トンにも達する。
こんな曳山は唐津神社の隣に有る曳山展示場に常設展示されていてまじかに見ること
が出来る。



 唐津の町中には、名物の“イカの活造り”を手軽に食べさせる店が多い。
まだ生きている透き通るような白いしこしこした身は甘みが有って本当にうまい。
つい先ほどまで動いていた足は、ゲソ天として違った味わいを楽しむことが出来る。(続)







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懐かしい沿線 (JR乗り潰しの旅)

2013-02-20 | Weblog
 唐津線は久保田から、佐賀県を縦断するように西唐津まで行く42.5キロの路線で、
殆どの列車が長崎本線の佐賀を始発・着としている。
唐津炭田が華やか成りし頃は石炭輸送で賑わった路線であるが、今では凡そ1時間
に1本程度のローカル線である。



 初めてこの路線に乗ったのはまだSLが走り、周辺の炭鉱町がまだまだ余力を残して
いた昭和30年代の後半である。
二週間ほど滞在した多久の町には炭鉱住宅が立ち並んでいた。
町中には映画館や小さな飲み屋さんが沢山あり、どこも繁盛していた。



 沿線には小城、多久、山本と馴染みの駅が続く。
もうほとんど何も覚えてはいない。それでも心地よい響きのある駅名が耳に飛び込んで
くる。何の変哲もない沿線の景色すら、何となく見覚えのある懐かしい風景に見えてくる
のは気のせいか。小城名物・羊羹の村岡屋の看板すら懐かしい。



 山本は筑肥線との分岐駅である。
筑肥線は元々伊万里から、途中唐津、姪浜を経て博多を結ぶ路線であった。
ところが博多と姪浜間が廃止され更に東唐津と山本の間が廃線となったため、今では
伊万里―山本間と唐津―姪浜間に分かれ、列車の運行もこの間で行われている。



 時刻表の路線図を見ると、唐津から山本の間は唐津線を共用し、山本から単独の
路線で伊万里に向かっている事が良く分かる。





 唐津線は松浦川に沿って山間部から海を目指して下る。
松浦湾の海が近づき、やがて高架線を暫く走ると唐津城の聳える唐津に到着する。
そこから路線の終点、車両基地の有る西唐津には3分ほどで到着する。(続)




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楼門が迎える温泉 (JR乗り潰しの旅)

2013-02-18 | Weblog


 
 佐世保線の佐世保を出発する特急列車は、座席を後ろ向き状態で発車する。
これは、途中の早岐がスイッチバック構造駅のためで、ここで暫く停車下のち、正しく
向きを変えて出発する。





 沿線には有田焼で知られる有田や武雄温泉、吉野ヶ里遺跡などの見所も多い。
また武雄温泉からはバスで30分ほどの所に、嬉野温泉もある。



 武雄温泉は駅近くに温泉街が広がる湯の町だ。
温泉の歴史は古く、凡そ1200年前に湯が湧き出て、その後湯治場として利用される。
また、江戸時代には長崎往来の宿場町としても大そう賑わったと言われている。





 ここのシンボルは、何と言っても大正3年に上棟された国の重要文化財の、まるで
竜宮城のような楼門である。楼門を潜ると正面に木造入母屋造桟瓦葺、赤い柱と緑の
庇が印象的な武雄温泉新館がある。昭和48年まで共同浴場として使われたところだ。
 その左手には現在の共同浴場が3軒あり、その他にも貸し切り風呂がある。



 この地を初めて訪ねたのはもう半世紀も前の高校生の頃。
当時の温泉の様子を克明の覚えているわけではないが、深夜にも関わらず大そうに
賑わっていたことと、この赤い楼門はしっかりと記憶に残っている。





 当時は新館の浴槽に浸かった記憶があるが、今その浴槽は使われてはいず、館内
の一部はイベントスペースとして活用されているようだ。(続)


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寺院と教会が見える風景 (JR乗り潰しの旅)

2013-02-15 | Weblog
 長崎県の北部、平戸島に位置する平戸は、旧平戸藩松浦氏6万3千石の城下町
である。鉄道の最寄り駅は、松浦鉄道の“たびら平戸口”であるが、観光の中心地
とは離れているので、ここから路線バスなどに乗り継ぐ必要がある。



 観光の拠点“平戸港交流広場”からは、対岸の亀岡公園に建つ平戸のシンボルと
も言われる再建された平戸城を望む事が出来る。



 ここからすぐのところに“平戸温泉あし湯うで湯”があり、普通のあし湯の他にここに
は全国でも珍しい、腕をつけられる”うで湯”がある。
近くには平戸で生まれた作詞家・藤浦洸の“平戸のうた”の記念碑もある。
藤浦洸と言えば、その昔NHKテレビ“私の秘密”での活躍が懐かしく思い出される。



 15分ほど坂道を歩いた市街地の西に位置する丘の上に有るのが、“平戸ザビエル
記念教会”、先端部に十字架を頂いた先鋭な造りの屋根が印象的な教会だ。


 
 教会の脇を抜け裏に回ると、“寺院と教会の見える道”がある。
山の狭間の切り通しのような下り階段の道で、両側の石垣には緑が絡まり、道には
石畳が敷かれ、所々に置かれた行灯が風情を添える散歩道だ。





 左手が少し開けると石垣の上に光明寺の塀が現れ、更に降り進むと瑞運寺の塀が
続く。そして丁度この辺りから今降りて来た道を振り返ると・・・。

 緩やかに波打つ土塀に、木々に囲まれた黒瓦屋根の寺院の建物やお墓が重なり、
さらにその奥には教会の尖塔が天を突いて聳えて見える。
 ここからは寺院と教会が同時に見える、何とも不思議な光景が展開する。(続)



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市街地の天空の湯 (JR乗り潰しの旅)

2013-02-13 | Weblog


 佐世保に到着した。
かつては旧国鉄・伊万里線の平戸口駅が最西端に位置する駅で有ったが、同線は
第三セクターの松浦鉄道となったため、現在では佐世保は、JRの路線駅としては
最西端にある駅となった。ここはその松浦鉄道との接続駅でもある。



 駅から2キロほど離れた高台に、「弁天の湯」が有る。
ホテル万松楼の施設で、日帰り入浴の出来る佐世保温泉、天然の湯である。



 ここには温泉棟が有って、家族風呂や檜造りの和風風呂、ジャグジーなどを備えた
ローマ風呂など多彩な入浴を楽しむことが出来るが、中でも評判が良いのは、屋上に
造られた露天風呂だ。
 佐世保市街地や、夜のネオン、満天の星を見ながらの入浴は贅沢そのものらしい。



 温泉は元々高台に建っているが、露天風呂はその5階部分に造られているので、
ここからは、浴槽に浸かりながら佐世保の市街地が一望に見渡せる。
 屋上に吹く風は心地よく、火照った体を冷ましてくれるので、ついつい長湯をして
しまう極楽の湯でもある。





 駅のみなと口(西口)を出ると、自動車道の高架橋があり、それを抜けるとオレンジ色の
タイル張りの広々とした空間が広がりその先に佐世保港のターミナルが有る。
 穏やかな湾内は出船入船で賑わっている。左手には海上自衛隊の基地も有るらしい。
潮風を受け、海を見ながら付近を散策すれば、風呂上がりには丁度良い。(続)





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シーサイドライン (JR乗り潰しの旅)

2013-02-11 | Weblog


 長崎本線の諫早から、佐世保本線の早岐を結ぶ47.6キロの路線が大村線であるが、
そこを走る列車の多くが長崎、佐世保間で運行されている。

 ここには目の覚めるようなブルーに塗り込められた「快速・シーサイドライナー」が
凡そ1時間に1本有るので直行するには便利は良いが、各駅に停まる普通列車は極めて
少なく、決して便の良い路線とは言い難い。



 長崎本線を走る列車の多くは、喜々津と浦上の間は昭和47年に開通した山の中の
トンネルの多い新線を経由するが、長崎から大村線に入る普通列車の多くは、この
間は大村湾に近い本来の本線(今は旧線)を経由するから、鉄道路線の乗り潰しには
有難い。

 左に波静かな大村湾、その先の対岸には西彼杵半島の緑を見ながら進む路線は、
「シーサイドライン」の名の通り大村湾に沿って走る。





 浪穏やかな湾は水面が鏡のように静まり返っている。
その先に低い山並みの続くのどかな風景の路線では、途中大村辺りでは長崎空港が遠望
でき、ハウステンボスの施設を間近に目にすることが出来る。
ハウステンボスは、駅から続く橋で早岐瀬戸を渡ればそのままエントランスに着く近さだ。



 ハウステンボス駅から大村線の終点の早岐までは電化されている。
博多方面からは、佐世保線の特急みどりに併設されたハウステンボス号が早岐で切り
離されここまで乗り入れている。
 ここから終点の佐世保までは、10分余りである。(続)





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思い出の長崎 (JR乗り潰しの旅)

2013-02-08 | Weblog
 長崎本線の鳥栖からは、普通列車なら3時間程、特急なら2時間足らずで長崎に到着する。
夕方、久しぶりに終着駅・長崎に降り立った。





 気が置けない友と初めてこの地を訪れたのは、もう40年以上も前のお正月の事。
その後現役の折、取引先の研修センターでの技術研修で二度、更に家族旅行で三度と、
この町には不思議なくらい縁が有り度々訪れている。



 かつてこの駅に降り立った折目にしたのは、広々と広がる構内の側線に留置されていた
何編成ものブルートレインが夕方の出発を待つ光景で、これがいかにも西の終着駅らしく、
最果ての駅の感慨を抱かせたものだ。



 しかし今見るホームや構内からは、何か違った雰囲気しか感じられない。
構内も少し狭くなったように見受けられる。そこにはブルートレインの姿はない。
改札を出ると駅の脇に、アミュプラザ長崎と言うショッピングセンターが出来ていて、駅舎が
それに呑みこまれたように見える。

 当時の駅舎は、大きな三角屋根を持った建物と記憶していたが、そんな駅舎は今は無く、
明るくて開放的な“かもめ広場”と名付けられた大きなドームを持つ、モダンな建物に建て
替えられている。



 鉄道乗り潰しの旅では短い滞在時間しかなく、観光をする余裕はないが、せめて眼鏡
根橋を見て、名物でもと思い、久しぶりに中華街を訪ねてみる。
長崎に来たら、何はさておきこれを食べなければ始まらない。(続)







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お城と武家屋敷 (JR乗り潰しの旅)

2013-02-06 | Weblog


 島原城は島原を代表する観光地だ。
その天守閣は、明治維新に解体され石垣を残すのみとなっていたが、昭和39年に安土桃山
時代の様式を残す優美な姿で再建された。黒瓦葺白壁総塗込の天守は高さが35メートルも
あると言う堂々とした造りで、どっしりと均斉のとれた姿を構えている。



 ここでは鎧武者や忍者が、パフォーマンスで観光客を出迎えてくれる。
また観光客には無料でこれらの衣装が借りられるのでサムライや忍者に変身し、記念
撮影することも出来る。
近代的な五層五階の城内は、切支丹や郷土・民芸資料等の資料館となっている。



 お城の西側に鉄砲町と言われる一帯があり、往時の武家屋敷が残されている。
この辺り一帯には、いわゆる徒士組み下級武士の屋敷が690戸あったとされ、今に残る
3軒の屋敷を無料で公開している。



 屋敷は石を積み上げた塀で囲われている。
その屋敷前の通りの中央に流れる水路は、近くの“熊野神社”を水源としたもので、
当時の上水道だ。それは貴重な飲料水として厳重な管理が行われていたらしい。
この水路が落ち着いた雰囲気でこの一角を引き締め、風情を一層引き立てている。

 屋敷前の小道を貫くこの水路は、今でいう中央分離帯のようにも見える。
昔の侍も、ここを右側通行していたであろうか・・・。





 武家屋敷の休憩所では、島原名物の“寒ざらし”を味わう事が出来る。
もち米で作った団子を冷水で冷やし、ザラメ、黒砂糖と島原の湧水で作った特製の
“みつ”を掛けたもので、団子のもちもちを感じながら黒蜜の甘さをからめて食べる。



 もともと島原は雲仙山系の湧水の豊富なところらしく、湧水群は環境庁の「全国名水
百選」に選定されているだけに、その水を使いその水で冷やされたお菓子は何とも言え
ない素朴な美味しさである。(続)


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