簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

鳩原ループ線 (JR全線乗り潰しの旅)

2014-03-31 | Weblog
 湖西線の高架と合流した近江塩津駅のホームは高台にある。
敦賀行が来るまでの30分ほどの待ち時間だが、奥琵琶湖を吹き抜ける風は冷たく、
寒くてとてもホームでは待っていられない。



 奈落の底に落ち込むような長い階段を下り、地下通路を通って駅を出る。
この通路が地上と同じ高さであるから、ホームは随分と高いところにあることが解る。
駅舎には「海道 あぢかまの宿」と言う施設が併設されている。



 改札横はうどん屋が有るが店を閉めているようで、その店内が暖房され待合室と
して使われている。
借り手がいないのか、レンタサイクルが何台もそこに押し込められていた。





 近江塩津を出るとその先で、厳しい地勢を幾つかの長いトンネルで切り抜ける。
地図で路線を追ってみると良く解るが、この付近では、上下線が分離され、その
一方が大きな輪を描いている。
昭和に入って本線の複線化が計画された折、検討され、建設されたループ線だ。



 野坂山地と言われるこの辺りから、敦賀に向かう区間は、昔から25‰と言う急勾
配の難路として知られていた。琵琶湖の平均水面が標高85mと言われているから、
この辺りからは相当な勾配の下りになることはうなずける。



 一般的には勾配を緩和する場合、長いトンネルを掘削するということに成るのだが、
ここでは標高181mの衣掛山を一周することで勾配を緩和させている。
距離は3キロほど長くなるが、当時は、貨物列車の重量制限や補助機関車のことな
どを考慮して、距離よりも勾配を緩める方が得策と判断されたようだ。

 この北陸本線の鳩原ループ線は、上り専用のループ線となっていて、下り線と複雑
に交わるロケーションは鉄道ファンにはお馴染みの撮影スポットとなっている。(続)






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これより北陸路 (JR全線乗り潰しの旅)

2014-03-28 | Weblog
 丁稚羊羹は店によって微妙に味が違うらしいので、食べ比べてみようと2本ほど
買い込んで木之本の駅に戻り、敦賀に向かった。





 ものの本によるとかつての北陸本線は、木之本から先は柳ケ瀬を通るルートで、
「柳ケ瀬越え」と呼ばれる急勾配区間で有ったらしい。
 ここは丁度昨今話題の関ヶ原・柳ケ瀬断層帯の一部で、伊吹山から日本海沿岸
に至る活断層帯と言われている。
 それはその昔賤ヶ岳の合戦の折り、福井の柴田勝家が大軍を率いて木之本近郊
に押し出してきたルートと重なっている。



 そんなルートは木之本の先で余呉駅を通る新線に付け替えられ、旧線は柳ケ瀬
線と呼ばれる時期も有ったようだが1964年に廃線になっている。
その余呉駅の近くでは、山間に鏡面のように静かにひっそりと佇む、水上勉の小説
「湖の琴」の舞台となった余呉湖がすぐ左手に見えて来る。





 湖近くの西山や大音などの地域では昔から三味線や琴の糸が作られていた。
「湖の琴」は、その作業場で働く糸くり女と男衆の若者との悲恋物語で、確か映画
にもなったと記憶している。

 糸作りに欠かせないのが清水で、ここでは賤ヶ岳などから湧き出る泉が、質の良
い糸を生み出していたらしい。
その賤ヶ岳が湖の後ろにどっかりと居座って、この辺りの厳しい地勢を模っている。



 米原から延びる北陸本線の列車の多くは、湖西線と接続する近江塩津が終点に
成り、敦賀方面にはここで、湖西線を来る列車に乗り換えることに成る。
 ここは滋賀県最北の駅で、これを超えればいよいよ北陸路である。(続)


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官兵衛ゆかりの木之本宿 (JR全線乗り潰しの旅)

2014-03-26 | Weblog
 街道筋には、480年を超えると言う造り酒屋の山地酒造や冨田酒造が軒先に、
真新しい緑色の杉玉を吊るし新酒の出来を知らせている。又、白木屋、岩根屋、
ダイコウ屋など、古い醤油の醸造元などが軒を連ねている。



 元々この地は田上山の良質な伏流水が豊富な土地らしく、昔から酒や醤油など
が盛んに作られていたらしい。
またそんな土地らしく、町中では古井戸なども良く見かける。



 中ほどには、古い薬の看板を幾つもぶら下げた本陣薬局が一際目を引いている。
明治の中頃日本で第一号の薬剤師免許を取得したのはこの店の先々代だそうだ。



 その向かい、問屋跡地に建つ「きのもと交流館」(有料)では、NHKの大河ドラマ
「黒田官兵衛」に因んだ展示で盛り上がっている。



 平入り瓦葺の軒の低い民家や商家の屋根にはうだつがあげられ、表間口には
弁柄格子が嵌り、軒下には犬矢来、柱には牛馬をつないだ繋ぎ金具なども見られ、
懐かしい佇まいを見せている。



 街道筋の食事処「すし慶」では石組みのある庭園を見ながら洋風感覚の座敷で、
自慢の名物「鯖の棒寿司」や湖北地方の旬の料理が頂ける。
また、敷地内にある蔵はギャラリーとして開放されている。



 通りには「でっちようかん」の看板を掲げたお菓子屋さんが何軒かある。
京都や滋賀県では竹の皮に包まれた蒸羊羹を丁稚羊羹と言うが、昔丁稚さんが
里帰りの折り抗菌作用のある竹皮に包まれた羊羹を土産にしたのが由来だそう
だ。(続)



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北国街道・木之本宿 (JR全線乗り潰しの旅)

2014-03-24 | Weblog
 「ふれあいステーションおかん」で頂いたマップを手に町歩きに出る。
ここ木之本はかつて北国街道の宿場町として、また木之本地蔵院の門前町として
賑わった町で、周辺の通りには懐かしい佇まいが残されている。



 駅前のバス停を後に、5分ほど歩くと、北国街道に出る。
当時街道の中央には小川が流れ、岸辺に柳の木が植えられていたらしいが、今で
は川は埋め立てられ、木も切られ無粋なアスファルト道になっている。



 丁度このあたりが「木之本牛馬市」の跡と言われる地区で、室町時代から昭和の
初めころまで年2回牛馬の競り市が開かれていたと言う。
 角に建つ「馬宿 平四郎」は、山内一豊が妻・千代の用意した黄金10両で名馬を
購入した所縁の家である。



 ここから北に向かうと金沢に至り、その通りの外れに、一里塚の跡と目印に植えら
れていた松の枯れた切り株が残されている。



 宿場町の中央に建つのが、木之本地蔵院(淨信寺)だ。
昔から目の仏様として信仰を集め、境内に建つ6mもの地蔵像が全国から訪れる
参拝客を迎えてきた。
これにより木之本宿は門前町としても発展を遂げてきたのである。





 宿場の南側には、「右 京・いせ道 左 江戸・なごや道」の道標が建っている。
関ヶ原から名古屋に向かう街道の起点とされる場所で、その昔賤ヶ岳の合戦の折り、
大垣に帰陣していた秀吉が、13里の道程を僅か5時間で駆け付けたと言われる道だ。(続)



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ふれあいステーションおかん(JR全線乗り潰しの旅)

2014-03-21 | Weblog
 新快速電車が華やかに行き来するのも長浜までで、ここから先の北陸本線は
おおよそ1時間に1本程度、乗客も学生が中心のローカル線風に様変わりする。
本線は、国道8号線に沿って湖北地方と呼ばれる地を行くが、車窓近くに琵琶湖
を見ることは殆どない。



 長浜を出て姉川を超えると、次は虎姫。ここはプロ野球・阪神タイガースのファン
には聖地のような場所らしく、チームの元気が良いとよくマスコミなどで話題になる
駅だ。





 ここを過ぎたあたりでは右手に小谷城跡のある小谷山が、左手先には賤ヶ岳など、
姉川を含め戦国ファンにはお馴染みの場所が有ると思うのだが、どの山かそれなの
か良く解らない。そんな車窓を眺めていると木之本に到着する。
NHKの大河ドラマ、黒田官兵衛所が縁として今売出し中の町だ。



 駅の裏手にヤンマーの大きな工場が見える。
確か創業者が滋賀県出身であった筈だから、そんな縁で立地しているのであろうか。

 比較的新しそうに見える橋上駅には「ふれあいステーションおかん」が併設され、
若い女性職員が何人も詰めていた。



 地元の商店街を中心にして開設された施設らしく、地元で取れた野菜などの農産
物や手作り民芸品などが直接生産者から持ち込まれ展示・販売されている。
 施設内には商品販売のレンタルコーナーや、観光案内所・駅待合室も有り、町の
交流拠点として、また観光客の対応などの役割を果たしているそうだ。



 観光案内所では、町歩きマップも用意されていて、滞在時間に合わせた散策コー
スのアドバイスも親切にしてくれるので、立ち寄ってみるのも良いだろう。(続)


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長浜の町 (JR全線乗り潰しの旅)

2014-03-19 | Weblog
 長浜の駅ビルを出て駅前通りをしばらく歩くと、モダンな洋風の建物が見えて来る。



 「旧開知学校」の木造3階建ての建物で、明治の初め町民の寄付により、県下で
最初に建てられた小学校だそうだ。
内部は会議室や催し場らしく、1階にはバーが店を開いている。



 その前の通りが旧北国街道だ。
ここには、秀吉の世に楽市楽座がしかれ、「年貢免除」の朱印状が授けられたという。
江戸に時代が変わると町はこの街道の宿場町として、又長浜御坊と親しまれる大通
寺の門前町として、そんな昔からの特権を拠り所に大いに栄えたという。



 町中には、今でも当時を偲ばす雰囲気や、古い建物などが残され、街道から御坊
に至る幾筋もの通りや、その周辺を中心に賑やかな町並みが広がり多くの人を集め
る観光名所となっている。



 その中心は黒壁スクェアと呼ばれる施設である。
明治時代から黒壁の愛称で親しまれた古い銀行を改装した建物で、内部では世界
中から集めたガラス作品が展示販売されている。



 このほかにも大手門通り、博物館通り、御坊表参道、ゆう壱番街などの道沿いに
は、毎年4月に行われる曳山祭りの曳山を展示する「曳山会館」や「フィギュアミュー
ジアム」など人気の施設に混じって、ガラスを扱う店やギャラリー、洒落たカフェや
飲食店・雑貨屋などが沢山軒を並べている。



 こうして長浜の町は、楽市楽座の昔から今日まで、お気に入りの店を巡る多くの
人々で、変わらぬ賑わいを見せている。(続)






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関白の礎・長浜 (JR全線乗り潰しの旅)

2014-03-17 | Weblog
 長浜は、羽柴秀吉が琵琶湖畔に開いた城下町だ。
織田信長は、近江の浅井氏を滅ぼし、その戦で功を立てた秀吉に浅井氏旧領の
近江の国・湖北三郡12万石を与えた。



 小谷から移った秀吉は琵琶湖の北東部今浜に城を築き、城下町を整備、地名を
信長の「長」を取って長浜とし、自らは織田家宿老の丹羽長秀と柴田勝家からそれ
ぞれ一字とり「羽柴」姓を名乗るようになった。



 ここは秀吉が初めて築き、経営した城下町であり、後に関白まで上り詰める、いわ
ば礎となった町である。今城跡は公園となり、復元された天守は内部が歴史資料館と
なり、周りは桜の名所として知られている。



 お城のある豊公園の近くにあるのが、長浜鉄道スクェアだ。
北陸本線の列車が、長浜駅に滑り込む直前、左手に見えて来る施設だ。



 旧駅舎は明治15年に北陸線の始発駅として建てられたもので、イギリス式の建物
は現存する最古の駅舎である。
周りには長浜鉄道文化館や北陸線電化記念館も併設され、北陸線に関する機関
車や模型、鉄道資料などが展示されている。





 スクェア前の道路を隔てた反対側には長浜市の迎賓館である慶雲館が有り、その
回遊式庭園は国の名勝に指定されている。
近くには琵琶湖船運の長浜港も有り、城址公園やスクェアなどを含めた一帯は観光
都市・長浜の一大拠点となっている。(続)






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琵琶湖線・新快速 (JR全線乗り潰しの旅)

2014-03-14 | Weblog
 北陸本線の起点、米原周辺では、右手に1,377メートルの伊吹山が、左手に琵琶
湖が付かず離れず見え隠れし、車窓を楽しませてくれる。



 次の坂田は新快速が長浜まで乗り入れることで新しく作り変えられて駅で、少し
高い高架駅となっていて、車窓から駅前広場に立つ白い石像が見下ろせる。
これは山内一豊とその妻千代の像で、千代がこの駅のある旧近江町の出身であ
ることに因んでいる。





 長浜ドームの見える田村を過ぎると路線はより琵琶湖に近いところを行く。
と、左手家並みの中に青銅の大きな阿弥陀如来の立像が見えて来る。
地図で調べると、「びわこ大仏」とある。



 線路脇に町の賑わいが増え、琵琶湖の縁に建つ小さな長浜城がマンションの隙
間から見え隠れすると長浜に到着だ。
琵琶湖線の列車はここで終点と成るが、その内の何本かはその先湖西線との接
続駅である近江塩津まで運行され、更に一部は敦賀まで行くものも有る。



 JRが関西圏で競合する鉄道会社に対抗するため運行した琵琶湖線の新快速は、
おおむね12両編成で運行されているが、米原から先北陸本線に入るとホーム長の
関係で長大編成では無理で、多くは米原駅で切り離しが行われる。
ここ長浜までは8両、更に先の近江塩津や敦賀までとなると4両編成となり、乗客も
まばらなローカル線風な様相を呈してくる。



 それにしても長浜は、これら新快速(彦根からは各駅停車に成るが・・・)が関西圏
から乗り入れることで利便性が上がり、観光客増の恩恵を大いに受けている。(続)




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ホッとする車両 (JR全線乗り潰しの旅)

2014-03-12 | Weblog
 少し前までは、北陸本線で普通列車を乗り継いで旅をしていると、どこか懐かし
い車両に出会うことが有ったが、最近ではお目にかかることも無くなってしまった。



 その昔は座席・寝台として活躍した電車の中間車両を普通列車用に改造した車
両で、その外観は背が高く無骨なスタイルながら、正面が似ていることから “食パ
ン”などという愛称が付けられ親しまれた車両のことである。





 車内も重厚な作りがレトロ感たっぷりである。
天井下には、開放すると寝台になる上段のベッドが、折りたたまれた状態でストッ
パーにより固定され残されている。



 四人用のボックス席は固定されているが、背もたれは高く適度な傾斜が有り、幅も
広くてゆったりとしている。何より前席との間が広いことがありがたい。
これは四人が座り、足を伸ばしても邪魔にならないほどの広さが有る。



 それに開放的な窓は、車窓を楽しむにはこの上ないサービスである。
最近では余り見かけることも無くなった窓の下に付く小さなテーブルも健在であり、
どこか懐かしい。昔の車両なら更にその下に栓抜きと吸殻入れが有ったが、それは
さすがに外されている。



 本線を乗り継いで、長時間乗るときにこの電車にめぐり合うと何故かホッとしたもの
だ。小さなテーブルに缶ビールを置いて、駅弁など食べながら、広く大きな窓から・・・
まさに旅の醍醐味、最高の楽しみであったが、最近では新型の223系や521系が増え、
さすがにそんな雰囲気にはなれないのが何とも寂しいものだ。(続)




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北陸本線 (JR全線乗り潰しの旅)

2014-03-10 | Weblog
 北陸本線は、滋賀県の米原と新潟県の直江津を結ぶ、353.8キロにも及ぶ日本
海側を南北に貫く長大な路線であり、関西圏・中京圏と東北・北海道を結ぶ幹線
道を構成する路線の一つである。





 始発駅の米原は、東海道新幹線、東海道本線との接続駅で、昔から交通の要衝
を果たしてきた駅だけに、現在でも広大な敷地を構えている。





 関西圏からは、琵琶湖の西岸を行く湖西線を経由し、近江塩津から本線に入る
特急・サンダーバードが、中京圏からは米原から本線に入り、琵琶湖の東岸を行く
“特急・しらさぎ”が運行されていて、これらは本数も多く便利が良い。
 また本線の直江津から先は、越後湯沢に向け、“特急・はくたか”が、新潟に向け
ては“特急・北越” が運行し、東北・北海道方面や上越新幹線により首都圏と直結し
ている。



 ダイヤはこれらの優等列車を中心に組まれているようで、それに比べると、普通
列車の便はさほど悪くは無いが、お世辞にも良いとは言い切れない。当然のように
本線を通じて運行される長距離の普通列車は無く、こま切れ状態の区間運転が中
心で、本線を通して乗ろうとすると何度も乗り換えを強いられることになる。



 そんな中で敦賀と関西圏には、琵琶湖線(愛称)や湖西線経由の京阪神直通の
新快速が運行されているが、中京圏に直行する快速電車の運行はない。
 米原に来るたび、中京圏にもこんな快速が走れば良いのに・・といつも思う。(続)





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