簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

一期一会 (四国遍路の旅)

2014-12-31 | Weblog
 思えば四国を一周する歩き遍路の旅は、人との出会いの旅でもあった。
まさに「一期一会」
今、フィナーレが近付き、道中で出会った人々が走馬灯のように蘇ってくる。



 その夜出会ったのは、オランダから来ていると言う女性遍路だ。
手に英語で書かれたガイドブックを持ち、しきりに何か調べている様子だ。



 外国語が全くダメで片言どころか、断片的な単語しか知らない二人だから、弥次
さん喜多さんが、初めて出会った異国の人と会話をしているようなもので、話が全く
かみ合わない。



 それでも筆談を交え解ったことは、どうやら今日は9番か10番辺りまで打ち終え
ている様子。
 「ユー、ノゥ、シ・ヨ・ウ・ザ・ン・ジ?」と聞くと、「イエス・・」と言う。
しかし、その行程の厳しさを伝えようとするが残念ながら話せない。



 「マウント・オーバー」「アップダウン・アップダウン」「ベリー・ベリー・ハード・・・」
手振りを交えてみるが、何のこっちゃ、小学生以下である。
それでも何とか伝わったらしく「・・・☆◎◆□О・・・ エスケープ・・・」
「逃げ出したい・・・」とでも言ったのか、エスケープだけが理解できた。



 翌朝食堂で、件の女性に再び会った時には、傍らに白衣を着た連れがいた。
ティシャツ姿の彼女を見て、ふと思いつき、昨夜洗濯を済ませていた自身の白衣を
取り出し、「プレゼント・ユー」と差し出すと、当初怪訝な顔で眺めていたが、気付いた
のか「プレゼント?」と聞いてきた。



 「イエス・プレゼント」と言うと、満面の笑みを浮かべ「サンキュー」と言いながら
早速羽織り、連れにスマホで、私と一緒の写真を取るよう促している。

 彼女は大そう喜んでくれた。
最後には、こんな国際親善まで加わった。(四国遍路の旅・結願)

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そして一番へ (四国遍路の旅)

2014-12-29 | Weblog
 1番札所・霊山寺を目指し、7時前に宿を発った。
ここからは国道377号から県道2号に入り、まず懐かしい10番・切幡寺をめざし、
そこから逆にたどり1番に向かう42キロほどの行程だ。



昨夜同宿の三人は、一気に向かうと言い、早発ちした我々を途中道で足早に追い
越して行った。
無理をしない我々の足は一泊二日の行程で、途中旧土成町に宿を取っている。



 歩き遍路を始めた頃は、ただがむしゃらに一日40キロを歩いたことも有った。
しかし道中で、「山はうごかない。ゆっくり進めばいい」と教えてくれた先達に出会っ
てからは、「無理はしないで歩きを楽しもう」と考えも変わった。



 道中でのお接待に甘え、出会いを楽しみ、門前の美味いものに舌鼓を打ち、宿
での遍路談義に花を咲かせ、こうして苦しい歩みの中に楽しさをも見つけながら、
ここまで歩いて来た。



  『歩くと言う事は無心になること。静かに己の心を調え、物事をありのままに捉
える。心が静まれば、自分と他人を区別して利益を求めることは無意味になり、得
失や、若いこと、老いること、汚れや、清らかであることに拘らなくなる』と歩き遍路
の効用を説いている。



 そして歩くことは何より人を素直にする。
素直になれば邪心も無く、他者を容易に受け入れることが出来る。
それが行った先々で、多くの人々との出会いをもたらしてくれた。



 この日6時間ほど歩いて2時過ぎに早々と宿に入った。
ここの宿は夕食が付いていない。近くに食べるところが無くは無いが、面倒なので
すぐ前のコンビニで適当に見繕ったものを持ち帰り、宿の食堂で食べている時その
女性と知り合った。(続)


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民宿「八十窪」(四国遍路の旅)

2014-12-26 | Weblog
「すぐ近くに来ているけど・・・」と電話を入れると、「うちは12時過ぎたらいいんよ、
いつでもきて」とありがたい返事だ。



 そんなわけで2時前に早々と宿に入り、風呂に入り、洗濯を済ませ夕食を迎えた。
この日の予約客は6人、まだ一人着いていないと言う事で五人が席に付いた。

 さすがに評判の良い宿だけに食事も素晴らしい。
さしみにてんぷら、煮物に酢の物、さらに吸い物代わりのうどんもついてくる。
誰かが「赤飯はあるの?」と聞くと、「いっぱいあるからいっぱい食べて」と女将が
言う。そこには栗の入った赤飯が、大きな御櫃一杯に用意してあった。





 同席の三人はベテランらしく、区切り打ちでのんびりと歩く我々とはいささか話が
かみ合わない。
どうしても話の矛先が80歳をとうに過ぎていると言う名物女将に向いてしまう。
 25歳で初めて遍路に出た折の苦労話に始まり、今でも暇を見つけてはお参りを
重ねていると言うおかみは、元気でかくしゃくとしている。



 「小泉さんは時間を取って一人ずつ」「福田さんは、ホレみんなまとめて一枚」と
窓際のテーブルに飾られた記念写真とサイン入りの絵皿の前で、語る笑顔がとても
輝いて誇らしげだ。
 アテネと北京のオリンピックに捕手として参加したお孫さん・乾絵美さんの自慢話
になると饒舌がとまらない。



 翌朝のテーブルには5人が付いていた。
結局一人は連絡も無く、無断キャンセルであったらしい。
用意されていた折角の夕食が無駄になってしまったことを当人は認識しているのか。
遍路に事故は付き物で、予約した宿に着けないこともある。
キャンセルも致し方ないが、やはり最低なマナーとして一言お断りを入れるのが大
人の対応だと思う。こんな遍路のいることが残念でならない。(続)



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結願の地の宿 (四国遍路の旅)

2014-12-24 | Weblog
 結願の夜の宿をどこに取ろうか、今回の計画の段階では色々と考えていた。
元々区切り打ち最終回の日程は十分に余裕を待たせ設定していたので、如何様
にも組み換えが出来、この間色々アドバイスもいただき、選択肢を検討していた。



 当初は88番を打った後、10キロほど下って阿讃山脈の山懐に抱かれた黒川温泉
郷「白鳥温泉」辺りを考えていた。
 ここは比較的安価に泊まれ、温泉の泉質はヌルヌルの硫黄泉と言うから、疲れた
身体を癒すには持ってこいだ。ゆっくり温泉に浸かり、美味しい料理で祝杯を挙げる
のも良いだろう。
けれど温泉旅館では、夕食時、遍路同士の交流の場がないかもしれないし・・・。





 引田辺りまで足を延ばし、海辺の民宿で海鮮三昧も悪くは無いが、生憎そこまで
たどり着けるだけの健脚は持ち合わせていないので、この案は早々と脱落した。

 次の候補が88番の門前に泊まる案だ。
しかし、87番長尾寺の門前に泊まり、ここでは余りにも近すぎる。
事実この日宿を発つ折、女将さんに「昼には着いてしまう」と送り出された通り、お昼
前には早々と結願寺に到着していた。
そのため、門前の茶店の一つに入り、名物の「栗赤飯」や「打ち込みうどん」で昼食を
とり、コーヒーを飲みながら時間を潰していた。



 しかし折角だから、やっとたどり着いた88番の門前に宿はとりたい。
そして夕食を囲みながら、同じ志を目指した人々とともに、その苦労話を分かち合う
のも悪くは無い。

 聞くところによると、この宿では「結願」を、赤飯を炊いて祝ってくれると言う。
そんな「赤飯」が決め手となり、結願の地を門前と決め、宿をその門前に位置する
「八十窪」に決めた。(続)



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81番結願所・大窪寺(四国遍路の旅)

2014-12-22 | Weblog
 両側に「四国霊場 結願所」「医王山 大窪寺」の石柱の立つ参道を進み、まだ
新しそうな、巨大な山門を潜る。
聞けばこの山門、平成2年に完成した鉄筋コンクリート造りだそうだ。



 結願所・88番大窪寺は、巨岩の目立つ矢筈山(782m)を背にして、その東側に広
大な寺域を構え、堂々たる堂宇を見せている。
さすがに結願所だけあって、多くの参拝者で賑わっていた。



 しかし、後で知ったことだが、元々の山門はここではなく、門前に並ぶ茶店を見な
がら、その角を曲がって南側から入る、石段を登った先にある梵鐘の下がった二天
門だそうだ。
ここは苔むした石垣の間の石段で、周りを杉や楓の巨木が覆っていて、その風情は
古寺そのものである。石段をさらに登れば正面が本堂で、右に大師堂、左に阿弥陀
堂や納経所を従えている。



 駐車場からの参拝者の便宜を図ったものであろうが、結願所の入り口は、あの無
機質な巨大門より、古色蒼然としたこちらの古門の方がよほど相応しく風情がある。



 お参りを済ませ、納経帳の最後の一ページに朱印を頂くと、さすがに回り終えたの
だと言う実感もわいてくる。
ここでは有料ではあるが頼めば「結願の証」を発行してくれる。
決して安くは無いが、折角だからとお願いし、早速記念の写真に収めて置く。



 納経所の女性に金剛杖の奉納を問うと「高野山に持っていかはったらどうですか。
その後お床にでも飾らはったらよろしいのでは・・・」と京言葉にも似た、はんなりと
した言葉使いでやんわりと断られてしまった。
境内には奉納された金剛杖をおさめた「寶杖堂」がある。(続)






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一歩一歩また一歩(四国遍路の旅)

2014-12-19 | Weblog
 サロンに立ち寄り、その前にある「道の駅・ながお」にも立ち寄って県道3号線に
戻り、歩き始める。
山の方には黒い雲が低く掛っている。その雲の仕業なのか、この時少し雨がぱら
ついて来たが、降り続く様子も無くすぐに上がった。



 歩き続ける県道3号は、所々で歩道のない部分もあり、行きかう車に肝を冷やさ
れることが度々ある。何処かで大型の土木工事でも行われているのか、ダンプカー
など、大型車両の行き来が多く、しかも結構なスピードで通り過ぎて行くので、危なく
って仕方ない。
途中で会った地元の御婦人も「危なくって仕方ない」とこぼしていた。



 時間に余裕も有るので途中楽しみにしていた助光の「細川家住宅」ではあるが、
生憎工事中で見学が出来ないと立て看板が告げていた。
昭和41年にこの地区の民族調査で発見され、この地方の特色を持つ民家として
認められた江戸時代中期の建物らしく、国の重要文化財に指定されている。





 多和の集落では、少子化の為閉校になった多和小学校跡で、地元の活性策とし
て産直市が開かれている。
その教室跡ではどぶろくを仕込み、販売も行っているらしいが、生憎と今日は平日
で開かれてはいず、閑散としていた。



 道中に大した楽しみも無いまま、県道3号線から国道377号に入り歩くこと1時間
余り、前方に国道を貫く大窪トンネルが見えてきた。
その手前を左に入れば、大きな駐車場が左手にあり、そこを過ぎれば結願の寺は
すぐそこにあるはずだ。



 ここまで一歩一歩、又一歩と歩を進めてきた。しかし不思議と感動がない。
何回かに分けた区切り打ちのせいなのか。
「あぁ、着いた・・・」そんな安堵感はあるものの、達成感が湧いてこない。
何か冷めたような、そんな気持で前方に聳え立つ巨大な山門を眺めている。(続)


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お遍路交流サロン (四国遍路の旅)

2014-12-17 | Weblog


 長尾の町からひたすら県道3号線を緩く上りながら歩くこと1時間余り、山が迫った
前方の狭間に、巨大なコンクリート製のダムが見えてきた。鴨部川を堰き止めた前
山ダムだ。そのダム湖を回った先に「前山おへんろ交流サロン」はある。





 ここは、NPO法人「遍路とおもてなしナットワーク」が運営する、文字通り遍路と
そのおもてなし文化に貢献している人々の集うサロンである。

 ここに立ち寄り、歩き遍路・自転車遍路で結願した人(88番の手前にあるので、
正確には結願予定の人と言う事になるのだが)は、申告すれば「遍路大使任命書」・
「自転車遍路大使任命書」を授与してくれる。そして記念のピンバッヂも頂ける。



 「ここに名前と住所を書いてください」と、差し出されたノートを見ると今日最初の
訪問者のようだ。「女性が立ち寄りませんでしたか?」と聞くと「誰も・・・」との返事。
この日同宿の女性は、女体山を目指すと行って、天気を気にしながら我々より30
分も早く宿を発っていった。ここには立ち寄らず、ダムの堰堤道を辿ったらしい。



 すべての歩き遍路・自転車遍路がこの「前山おへんろ交流サロン」に立ち寄って
「大使任命書」の授与を受けるわけでは無い。



 女体山を目指す場合、ここの手前のダム堰堤道を辿る遍路もいるし、旧遍路道を
歩く人はサロンの手前で右に折れて行くし、前を通っても立ち寄らない遍路もいるだ
ろう。従って、すべての歩き・自転車遍路の数が把握されているわけでは無いが、
ここに立ち寄る遍路はそれでも毎年3000前後の人数を数え、その男女比率は凡そ
3対1だそうだ。(続)


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結願へのルート(四国遍路の旅)

2014-12-15 | Weblog
 1番の霊山寺から始まった1200キロにも及ぶ長大な遍路道が、いよいよそのフィ
ナーレを迎えようとしている。
ここ87番から88番に至るルートは、長尾の町からダムのある前山までは約5キロで、
ほぼ一本道、選択の余地も無く、迷う心配もない。
ここから先は大きく4つのルートがある。



 一番距離の短いのが前山ダムの堰堤を通り来栖渓谷を経由するルートで、次が
ダム湖の縁から多和神社を経由するルートだ。この二つは、途中太郎兵衛館跡で
合流し、その先で女体山を越えて行き、何れも7キロ弱、健脚向きだ。
途中に聳える女体山は774mほどの山で、山としてはさほど高くはないが、岩をよじ
登る難所が何か所かあり、雨降り等天候の悪い時には厳しい山らしい。



 距離が一番長くなるが、無難なのが県道3号から国道377号を辿るルートで、その
距離は11.5キロほどとなる。次がほぼこのルートに沿っていく旧道である。
距離的にはほとんど変わりないが、途中「花折」と「額」と言う二つの峠を越えて行
く道で、これこそが本来の遍路道だそうだ。



 これらの結願に向かうルートについて、一部では悪戯に厳しい山越えを歩かせる
女体山のルートを否定する声も有るようだ。
危険すぎると言う事だ。実際悪路故に、年に何件かの滑落事故も起きているらしい。
 しかしその一方では、ここまで頑張ってきたのだから最後にもうひと踏ん張りと、
あえて厳しいルートを選択する人もいる。



 しかしどのルートを行くかは、その人の体力や技量、その時の体の調子、天候の
状態等を、総合的に見て判断し、個人の責任で、その裁量に任せればいいと思う。

 それはあくまでも自己責任で、他人に迷惑を掛けないと言う決意を持って望まな
ければならない。
とはいえ、現実に事故が起きていることを思えば、無下に忠告を無視することもで
きず、複雑な思いはぬぐえない。(続)








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若い女遍路(四国遍路の旅)

2014-12-12 | Weblog
 結願の日の朝、テレビの天気予報はしきりに「曇りのち雨」を告げていた。
外を見るとまだ雨は降り出してはいないが、どんよりと重そうな雲が空一面に低く
覆っていて、何時降り出してもおかしくはないような雲行きである。





 この日は88番門前の宿に予約を入れている。
従ってそんなに慌ただしく出発する必要はないのだが、午後になるほど降水確率
が上がるとあっては、のんびり構えているわけにもいかない。



 この前日、門前の民宿に宿を取り、早々にチェックインした。
洗濯・入浴を済ませ、明日に備えすっかりと寛いでいるものの、どうしたわけか心は、
一人の若い女性遍路のことが気になって仕方がない。





 屋島の下で見かけたのが最初の若い歩き遍路で、それ以降時々目にしてきた。
志度寺を出て、県道3号を歩く我々の後を、少しの距離をおいて歩いていた。
長尾寺でも、団体のかたまりの横で、静かに本堂に向かい手を合わせていた。
 10キロは有ろうかと察せられるような大きな荷を背負い、手には水の入った大き
なペットボトルを下げて歩いていた。
 その日も、これから88番を目指すのであろうか、どこで泊まるのか、門前で泊ま
る様子も見せず山門を出て行った。



 何が有ったのか知らないが、人を寄せ付けない決死の覚悟、悲壮感が漂うよう
な雰囲気の女性で、道中遭遇しても中々声が掛け辛く、ここまで距離を置いて
見守ってきた。

そんな一人の若い女性遍路のことを少しばかり気にしながら早々に朝食を済ませ、
雨を気遣って、6時半過ぎには宿を後にした。(続)


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長尾寺と静御前 (四国遍路の旅)

2014-12-10 | Weblog
 志度を後に長尾の町に入り古い町並みの一角にある87番札所・長尾寺に到着
した。町の通りの角を曲がると、仁王門の前に背丈ほどの石塔が二基建っている。
説明書きによると経憧(きょうどう)と言うものらしく、経文を埋納する施設として、或
は供養の標識として建てられたものらしい。
弘安の銘があると言うので、もしかしたら元寇の役で戦死した兵士の供養として建
てられたものなのか、そんな想像が膨らんでくる。



 ずいぶんと広く開放感のある境内である。
鐘の吊るされた仁王門を潜ると、石畳を敷いた道が真っ直ぐ本堂に向かい伸び
ている。その両側は広々とした公園の広場のような空き地で、そこには何本かの
松や楠が植えられているだけである。どうやらこの広場は、訪れる人々の駐車場
となっているようだ。本堂を挟み込むように、右に大師堂、左に護摩堂や常行堂
が直線状に建ち並んでいる。





 そんな一角に地蔵尊像が有り、その片隅に静御前の剃髪塚がひっそりと佇んで
いる。義経と吉野で別れた静御前は、捕えられ鎌倉に送られた。その後鎌倉を逃れ
た静は、義経が奥州衣川で討ち死にした後、母磯禅尼の生まれ故郷に近いこの地
に身を寄せ、この寺の住職の得度を受け剃髪した。
その髪を埋めたのがこの塚で、本堂には位牌も祀られていると言う。





 こんな塚の存在を知ってか知らずにか、バスで訪れる団体の参詣客の多くは納経
を終えると結願寺に心が急くのであろうか、慌ただしくバスに乗り込んでいく。(続)




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