簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

三原村芳井の遍路小屋(四国遍路)

2011-05-30 | Weblog
 三原村に入り、3.5キロほど歩いた芳井の集落に遍路小屋があった。
竹を組んで、ブルーシートを被せた小屋には、すでに先客の遍路二人が小屋のご主人と
共に腰をかけ談笑中である。
 仲間に入り、一緒に休ませてもらう。
テーブルの上にはお茶、コーヒー、お菓子、みかん、カップ麺まで用意されている。



 大岐の海岸で出会った遍路が、昨夜泊った民宿のご主人に教わったと言って靴ひもの
縛り方を教えてくれる。

 先ず、靴から紐を全部抜いてしまう。
その紐は、つま先の方の穴には通さず、足首に近い二三か所だけでしっかりと結ぶ。
余った紐は、もう一度蝶結びして長さを整える、と言うものだ。
これだと、甲の部分の圧迫感が無く成り、歩くのが楽だと言うのだ。



 足の疲れもすでにピークが近い。
楽になれると言うのなら、ここはなんでも試してみたい。
早速言われたように、靴ひもを結び直し試してみる。

 当初宿泊を予定した三原村の宿までは、ここからは8キロほど。
これだと少し早く着いてしまう。
まだ時間に余裕も有るので、この宿をキャンセル、思い切って更に8キロほど先の
平田まで足を延ばすことにした。

 途中下長谷の集落で、民宿の女将がお接待だと言って出掛けに渡してくれた昼食の
焼きおにぎりを頂く。焦げた醤油も香ばしく、ことのほか美味い。



遍路小屋からここまで5キロ程歩いて来たが、確かに足への負担は少なそうに感じられる。

 小さな船が峠を越え、三原村の中心地を抜け、中筋川のダム湖トンネルを潜れば残り
は4キロほど。
後はひたすら平田の町を目指して下るのみである。(続)




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県道21号線(四国遍路)

2011-05-27 | Weblog
 7時前に宿を発った。
海を見ながら昨日歩いた道を下ノ加江の中心街近くまで戻り、橋の手前で左折、
県道21号に入り、暫くは下ノ加江川に沿って歩く。
川の向こうに一昨日下って来た国道321号を行き交う車が見える。



 あの日、昼食を予定していた峠のドライブインは生憎のお休み。
仕方なく空きっ腹を抱え、山を下った。
途中、何軒か喫茶店らしき人家を見かけたが、何れも看板は有るものの廃業の様子。
 食事にありつけないまま5キロ程歩いた小学校近くでやっと見つけたたこ焼き屋さん
に飛び込んだ。
 その店が、丁度右手辺りに有るようだ。

 五味橋を左折、暫くして人家が途絶えると、県道は益々心細い程の道幅に成り、
少しずつ緩やかに上って行く。
 山が深く成り、途中で行き交う車を見ることも殆ど無い。
勿論遍路に出会うことも無い。
商店どころか、自動販売機すら無い、何も無い狭い道が延々と続く。



 静かで淋しい道である。
見事に植林された山からは、チェンソーのエンジン音だけが響いている。
 高知県は四国四県では面積が一番広く、全国でも18番目の広さをもち、その県土の
84%を森林が占めていると言う。
そんな森林県を彷彿させる景観が何処までも続く山道である。



 久しぶりに人家を見る。
と言っても、精々一二軒が点在する程度で、とても集落と言えるものではない。
それでもそんな集落の外れには氏神様であろうか古い神社が建っている。
 ここまでが土佐清水市、河内神社を越えると人口1700人余りの三原村入る。(続)




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民宿・いさりび(四国遍路)

2011-05-25 | Weblog
 岬から乗り込んだバスは、皮肉にも西海岸を土佐清水の町に向かい町を一巡、そこから
足摺半島を横切り、以布利から宿毛に向かう。



 以布利でバスを降り、民宿に預けておいた荷物を持って打ち戻りの道を歩き始める。
コース変更に伴い、当初予定していた土佐清水の宿をキャンセル、女将さんの勧めもあり
久百々の民宿を新たに予約した。

 再び大岐海岸の砂浜を歩き、国道321号に出て、久百々まで戻る。



そこまでは、8キロ足らずだから、2時過ぎには宿に着いてしまった。
チェックインにはまだ間が有ったが、無理を言って部屋に入れて貰う。
 そろそろ疲れも溜まってきており、足の裏にもマメが出来始めた時期でもあったので少
し体を休めるには丁度良かったのかも知れない。
 早々と檜造りの浴槽にゆっくりと浸かり、疲れを癒すことにした。



 夕食に思いがけないものが出た。
“サバの刺身”で有る。



高知の宿では、当たり前のようにカツオが出されていたからこれは意外であった。
脂がのり引き締まった身は、こりこりとした触感が堪らなく、ことの他美味しかった。

 土佐清水で水揚げされる瀬付きのゴマサバを“清水サバ”としてブランド化に取り組ん
でいるものらしい。
 「値は高いけど、お客さんが喜んでくれるので」と鉄工業から転身したご主人。

 「檜の大きな風呂にも入って欲しかったけど、今日はお客さんが少ないので小さい方で
申し訳ない・・・」 「こだわりの有る宿をやりたかった」との一言に、土佐のいごっそう
の心意気を見た思いがした。(続)


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土佐清水の町(四国遍路)

2011-05-23 | Weblog
 『ちやうど梅雨のころであつた。(略)その雨の中を私は、漁師町とも港町とも
つかぬ淋しい檐の低い町並をあるき、諸國商人定宿清水屋とかいた小さな軒燈をみ
つけてはいつていつた。清水といふのはその淋しい町並みの名であつた。
戸数、四五百、人口にして二三千もあるだらうか。淋しいそんな町に(略)
お四國まゐりの遍路をとめる宿であつた。』
(田宮虎彦集「足摺岬」 昭和27年河出書房より原文のまま)



 現在の土佐清水市は、ほとんどが「足摺宇和海国立公園」の中に属している。
虎彦が小説「足摺岬」の中で書いた町は、今では世帯数が8,000、人口は16,000人
余りを有する水産業の町に成っている。
そんな町並みをバスの中から眺めていた。



 民宿「旅路」に泊まった折、39番に向かうルートが話題に成った。
ここから延光寺に至るルートは、幾つも有る。
当初は、西海岸を周り、下益野から646メートルの今ノ山峠を越えて、三原村に至る
33キロ余りのルートを考えていた。
 
 同じ道をまた引き返す東海岸の打ち戻るルートでは詰まらない、どうせ歩くなら知ら
ない道が良いだろう。
計画の折から、厳しい山道の認識は有ったが、西海岸の魅力も捨てがたく、特に
ジョン万次郎の中ノ浜や清水の町に興味も有ったのでこのルートに決めていたのだ。

 しかし、どうも評判は芳しくない。
誰もが「峠越えが大変で、厳しいから止めた方が良い」と言う。
ここは素直に忠言に従った方が良さそうだ。
そんなことから、同じコースを歩くのも詰まらないので、この間はバスで行こうと言う
ことになった。(続)




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足摺岬のジョン万次郎 (四国遍路)

2011-05-20 | Weblog
 黒潮打ち寄せる断崖の高さは80メートル余り、ここからは視界が270度と広がり、
大自然の眺めは迫力満点で、地球が丸く見える。
 大正3年に建造の白亜の灯台は、高さ18メートル、光達距離は38キロメートルで、
我が国でも最大級の灯台のひとつと言われている。



 『私は机も本も蒲團も持つてゐるかぎりをたヽき賣って、ふらふらと死場所にえらんだ
足摺岬に辿りついてゐた。』(田宮虎彦集「足摺岬 」昭和27年河出書房より原文のまま)
 過去には、この岬の上から怒涛の中に身を投げる遍路達は決して少なくは無かったと言う。
ここは、「補陀落信仰」の場、自殺者も海の向こうに観音浄土を求めたので有ろうか。
哀れな事である。



 この岬では、矢張りジョン万次郎の存在を見過ごすことは出来ない。
彼は、土佐の国中浜村で貧しい漁師の家に、次男として生まれた。
 14歳のおり、手伝いで漁に出て嵐に会い遭難、6日の漂流の後奇跡的に太平洋に浮かぶ
孤島に漂着、そこで更に半年間も無人島生活を続ける。
たまたま島にウミガメの卵を取りに来た、捕鯨船に助けられアメリカに渡る。
彼の秀でた才を認めた船長はその後、彼を養子にし、色々な教育を受けさせた。

 漂流から10年、彼はやっとの思いで幕末期の日本に帰国。
士分として取り立てられ、名字帯刀を許され日米和親条約の締結に尽力した。
かの有名な坂本竜馬の世界観は、彼から聞いた話に影響を受けたものだと言われている。
そんな万次郎は、海越しにアメリカを望むようにこの岬に立っている。(続)




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38番札所・金剛福寺(四国遍路)

2011-05-18 | Weblog
 残り13キロ余り、ようやく近づいて来た。
「昔、菅さん(現総理)を足摺まで道案内したと」言う女将が、「近道が解り難いので・・」と
途中まで道案内をしてくれる。



 6時半過ぎ宿を出て、すぐに県道を外れ、民家の建て込む細い路地を進むと以布利の港に出る。
「その先の山に分け入る古い遍路道を歩け」と教えてくれた女将さんとはここでお別れ。
そこから暫く石ころのごろごろした海岸を歩く。



 途中切り通し道で、東京からと言う古希を迎えた男性とバッタリ鉢合わせ。
どうやら、道を間違え、逆に戻って来たようだ。
以後、この男性とは岬まで同行、同宿の男性が少し遅れて後を追う形となって岬を目指す事に成る。

 岬が近づいて来た。
細い道をおい隠すように、鬱蒼とした樹木が両側に茂っているので昼間なのに辺りが薄暗い。



高知県の南西部、太平洋に突き出た足摺半島の先端が足摺岬である。
岬にはその数約15万本もの椿が自生していると言う。
その道が途切れた先に“足摺岬”の看板が見える。

 着いた、87キロもの長丁場を歩き通してやっと着いた。
仁王門を潜り、境内に入ると先ず目に入るのが、中央に池を配した大きな石の群れと亜熱帯植物が
生い茂る庭園のように美しい庭。
それを囲むように幾つもの堂宇が建っている。





約12万平方メートルを誇る広大な境内には南国ムードが漂っている。
 本尊は、この地を最果ての聖地とした弘法大師が自ら刻んだと言われる三面千手観音。
有名な観光地だけに、境内は参拝客が多い。(続)


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高知のおきゃく 皿鉢料理(四国遍路)

2011-05-16 | Weblog


 下の加江海岸を見て、凡そ5キロ程歩いて大岐海岸に着いた。
目の前に広大な白い砂浜が広がっている。
その長さは凡そ1キロ半ほど。
国道を離れ浜に降り、小さな木橋を渡り砂浜を歩いてみる。
ここが遍路道に成っているのだ。



 途中浜にウミガメがいた。
近づいて見たが、全く動かないし、随分と干からびたように見えたから、てっきり死んでいる
かと思ったが、翌日その場所に姿が無かったので、海に戻ったのかも知れない。



 海岸から宿までは、凡そ4キロ、思ったよりも早く、夕方4時前には入る事が出来た。
以布利の民宿「旅路」は老夫婦が営む小さな宿だ。
到着早々、お接待だからと洗濯をしてくれる。

 今晩の泊り客は3人。
夕食のテーブルには、高知のおきゃく(宴会)に付きものの皿鉢料理や刺身皿などが並べられた。
アジの姿鮓、お稲荷、ノリ巻き、たまご巻き、焼き鳥と何とか貝(名前を聞いたが忘れてしまった)
果物等々が大皿に、彩りも鮮やかに豪華に盛り付けられている。



 「何時も作るわけではない、今日は特別だ」
「この貝は、湯がいてから一つ一つ殻を叩き割って取りだした」と女将さん。
そう言えば、入浴時窓の外で、コンコンと何かを叩くような音が聞こえていたが、この貝を割る
音だったのだ。

 もう一人の泊客は、「城陽市の自宅から、奈良を経て和歌山まで歩き、フェリーで徳島に渡り、
1番から歩き続けている」と言う「古希を期に、遍路に出た」男性だ。
その遍路とは、不思議な事に前2泊も同じ宿であったと言う。(続)


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清流、四万十川(四国遍路)

2011-05-13 | Weblog
 前日の雨は、殆ど上がっていた。
とは言え、晴れているのに時折思い出したようにパラパラと小雨がパラついてくる。
今日は朝から風も強く、高知県下には強風注意報が出されている。
この風が体感温度を引き下げるのか、思いのほか肌寒い日となった。



 足摺までの道のりは、まだ50キロ余りも残している。
我々の足では、到底一日で歩ける距離ではない。
今晩は、以布利の民宿を予約している。
そこまでは33キロ余り、今日もただひたすら歩くだけの一日だ。

 宿からは、10キロほど、目の前に大きな堤防が見えて来た。
「名水百選」にも選ばれ、清らかで豊かな水量を誇る流路196キロ、四国最長の大河、
最後の清流と言われる四万十川である。
堤防の下、道路脇に地場産品直売市「彩市場」が有り、しばし休憩。



 四万十川大橋を渡る。
橋の上を吹き抜ける横風で、時折ふわっと、身体ごと持って行かれそうになる。
前に進むのさえ困難で、風の強さは半端ではない。
 早く渡り終えたい一心で、うつむいて、身体を丸めて足早に歩くので、悠然と流れる
川面をゆっくり見るような余裕はない。



 橋を渡り、暫くその右岸を歩く。
風に煽られ、ささくれ立った川面がキラキラと輝いて見える。
漁師であろうか、小舟が一艘エンジン音を響かせて、河口に向けて出て行った。

 3キロ程で川を離れると、道は緩やかに上り始め、やがて峠で1620メートルの伊豆田
トンネルを抜ける。
長いトンネルでは、ホテルがくれたマスクが役に立つ。(続)




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熊井トンネル(四国遍路)

2011-05-11 | Weblog
 畑仕事の男性が、「そっちは遠い、この道を行け」と声を掛け、「この先に古いトンネルがあるから、
それを抜けた方が早い」と左に入る道を勧めてくれる。

 集落の細い道を進むと、山に行き当たり、その山肌を切り裂くように厳しい勾配の上り道が付けられ
ているのに行き会った。
「やっぱり上りか・・・・」
雨の降る山道は、ぬかるみ、枯れ落ち葉が特に滑り易く、歩き難い。

 覚悟を決めて登り始めた急勾配の道は、5分も上ると旧道に出る。
その先にレンガ造りの熊井トンネルが見えてきた。
明治38年に完成したこのトンネルのレンガは、近くの佐賀港から小学生たちが小遣い稼ぎに一つ二つ
と運んだものだと言う。
 昭和14年まで県道として使用されていたらしいトンネルの中に明かりは無く、不気味なくらい暗くて
静寂に包まれている。



 土佐佐賀を過ぎると海が見えて来る。
海岸沿いの道は、鹿島が浦や白浜海岸などの奇岩怪石の断崖や変化に富んだ海岸線が続く。
 海を離れ、井の岬トンネルを抜け、峠道を下ると再び海が近づいてくる。
ここら辺りは、鯨の見える町として観光に力を入れているらしく民宿も多い。



 浮鞭海岸の先の公園入口に”道の駅ビオスおおがた”が有る。
ここからは、海に沿った入野松原と言われる松林を貫いて遊歩道が続いている。
付近には、砂地を利用したラッキョウが栽培されており、まるでみどりの絨毯を広げたように続いている。





今晩の宿、ネストウエストガーデン土佐はそんな畑の中にある。(続)




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佐賀温泉・こぶしの里(四国遍路)

2011-05-09 | Weblog
 窪川で国道56号線と一旦別れた土佐くろしお鉄道の線路は、再び荷稲の辺りで寄り添うように
近づいてくる。
その少し手前、2010年7月にオープンした全10室の佐賀温泉・こぶしの里は、周りを山と田圃に
囲まれ、伊予木川に沿って建つ一軒宿だ。



 この宿の売りは、地の食材に拘った食事と単純硫黄泉の温泉。
少し滑りの有る柔らかなお湯は、歩き疲れた身体に優しく纏わりつき、疲れと凝りを癒してくれる。

 湯上り後の夕食も楽しみの一つだ。
Kビールを飲みながら食べる、お造りのサザエの刺身が美味しくて、思わず追加を注文したほどだ。
ご飯は、地元窪川で栽培された仁井田米「にこまる」を使っていると聞いた。
もちもちとした歯ごたえと噛むほどに感じるほのかな甘みは絶品、美味しさに大満足。



 朝、雨が降っていた。
週間予報の曇りマークは、旅立ちの日には雨マークに変わっていたから、その通りに成った。
幸いなことに雨足は弱く、時々は曇る時も有るらしく、夕方には晴れ間も見えるだろうとの予報に
一安心。

 雨具を着け、小雨の中5キロ程歩いて伊与喜に着いた。
分かれ道の手前に“距離も時間も最短で行きたい方は国道を、古い遍路道を楽しみたい方は熊井
集落に”と書かれた看板が立っていた。



 今までの体験からすると、古い遍路道は意外にアップダウンがきつく厳しい道も多いので、
“最短”の言葉に引かれ、ここは迷わず右の国道を歩くことにした。
歩き始めると、暫くして後ろの方から「おお~い」と呼ぶ声がした。(続)


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