簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

四国遍路 中抜け

2009-10-30 | Weblog
前回は18番・恩山寺を打ち終え、JR南小松島駅から帰途についたから、今回は本来な
ら再びその駅に降り立ち、そこから19番・立江寺を目指さなければならないので有ろう。
しかし、そこから歩くと成ると、その日宿泊を予定している旅館までは、17キロほどの道
のりを歩く事になる。
地図で見る限りは、19番を過ぎると、その殆どがアップダウンの少ないアスファルト道の
ようだから、4~5時間見ておけば歩けるものと思われる。

しかし、この時間が何とも微妙で悩ましい。
高松から特急を使って徳島で乗り継いでも、JR南小松島駅には13時を過ぎてしまう。
ここから歩いたとして、札所での所用時間を入れると、宿への到着は18時頃になる。
順調に着ければ問題は無いのだが、何が起きるかわからない。
今頃は、18時を過ぎると急速に暗くなる。
知らない道を、余り暗くなってから歩きたくは無い。
宿には余裕を持って着きたいものだ。
そんなことで散々迷い、悩んだ挙句、JRで立江まで行く事を決めた。







その結果として、恩山寺、立江寺間の4キロ弱は歩かずに中抜けしてしまう事になる。
歩き遍路として後々この歩いていないところが、どんな風に思えてくるのか若干気になる
ところでは有る。
しかしそんなことを言えば、前回はJR阿波川島駅から11番・藤井寺を目指したから、厳密に
言えば、10番・切幡寺からJR阿波川島駅までの間、約6キロも歩いていない事になる。

そんなに拘っている訳ではないと思っていたが、いざ歩きを重ねていると、一方では何だか
きっちりと全てを遣り抜かないといけないような、そんな気にもなっている自分に気付く時もあり、
不思議な感覚に囚われるのである。

「まあその時になったら、そこの部分だけまた歩きに来れば良いだろう」
「何も、全て順番どおり整然と廻らないといけないと言う事も無いだろう」
そんな風に割り切って、今回は19番・立江寺から23番・薬王寺までを、3泊4日と、比較的余裕
のある日程で計画した。
これで「発心の阿波23カ寺」が終わることになる。(続)



 【写真:遍路道にて】
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バリ島旅行記 帰国

2009-10-27 | Weblog
夕食を済ませ、夜遅く、ホテルに戻る。
預けてあったトランクを受け取り、空港への迎えの車が来るのをロビーで待つ。

直ぐ横のソファを占めた家族連れも同じ便を待っているのか、僅かな時間を使って
荷造りに余念が無い。
幸い・・・と言うか、我々の荷物はもう既にトランクには詰められないから、手で持っ
て行くだけだ。
機内に持ち込める手荷物の事が良く解っていないので、万一に備え、出来るだけ
一人一個にまとめ、手荷物として持ちやすいようにする。

しかし、直ぐ横の家族連れは大変そうだ。
トランクのファスナーが閉まらないのか、お父さんがトランクの上で全体重をかけ、
お母さんがファスナーを閉める共同作業の真っ最中。
ソファの上にはまだ幾つもの買い物袋があり、もうトランクには入らないから手で
下げていくのであろう。
いずこも同じなのだと、思わず苦笑いをしてしまう。

迎えの車で空港に向い、ターミナルに入る。
現地ガイドの「また来てください」の言葉に、「ああもうこれで帰るのか」と、惜別の情が
胸を締める。
手を振ってガイドと別れを惜しみ、帰国便を待つ多くの人混みに混じり、出国ゲートに向う。

 【写真:出国ゲート】

機は予定通り離陸した。
明日の朝には関西空港に到着する筈だ。
深夜の便とあって旅なれた人達は、幾つかのシートを独り占めし、早々と毛布を被り、
寝る体勢に入っている。
少しは眠っておかなければ・・と目を瞑るがなかなか寝付かれない。

それでも少し眠ったのであろうか、気が付くと少し開けたブラインドの下が赤くなっている。
もう少しブラインドを開け、外を覗くと、真っ赤な太陽が雲を茜に染めながら今正に昇って
くるところだ。素晴らしい日の出にしばし見とれる。





 【写真:日の出】

暫くして機内に灯りが戻り、慌ただしく朝食が配られる。

 【写真:朝食】

朝食が済む頃、空港到着の案内が始まると、到着に備え機内がざわつき始める。
窓の外を見ると、いよいよ着陸の態勢に入ったのか、機は雲の中で何も見えなくなっていた。

やがて機首を下げ、雲を抜けると、鉛色の隙間から大阪の街並みが見えた。
そして着陸だ。



 【写真:着陸】

定刻、機は梅雨の雨がしとしとと降る、関西国際空港の滑走路に滑るように到着した。

(バリ島旅行記 完)
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バリ島旅行記 最後の買い物

2009-10-23 | Weblog
行った先々で、ここぞとばかり買い物をするものだから、こうしてベッドの上に広げて見ると
夥しい数のお土産が山と成って目の前に広がっている。
これだけの物をどうやってトランクに詰めようかと、何度も詰めては出し、出しては詰め、
半ば4人が口喧嘩状態で、騒々しくバトルを繰り広げるものだから、作業は口ほどには進まず、
手間取るばかりで深夜遅くまでかかってしまった。
結局、皆の旅行用品を二つのトランクに纏め、そこにも入れられるだけのお土産を入れ、残りの
一つを空にして、そこにはお土産だけを詰めることにした。

今日は12時前にホテルをチェックアウトし、最後の買い物ツアーを予定している。
「アジアン雑貨シャトル」と銘打った旅行会社の無料サービスだ。
アロマグッズの店、籠専門店、陶器専門店それにバティック専門店を廻ることになっている。





これまで散々に買い物を済ませているので、もう多くを買うことは無いとは思うが、もしも増えた
ときは、他の二つのトランクは開ける必要は無く、お土産用のトランクだけを開けて詰めれば良い
だろう、との思いからだ。
しかし、そのトランクにはもう入る余裕は無くなっていた。
結局これから買うものは全て手荷物として持って廻ることになる。

フロントに荷物を預け、迎えの車で「アジアン雑貨シャトル」に向う。
もう入りきらないほどのお土産を買っているのだからもう良いだろう・・と思うのは男の浅知恵(?)。
どうやらおんなどもは、見るもの見るもの、どれもこれも欲しくなるものらしい。
もう良いだろうと思うのに、安いからと言って、行った先々でまたまた両手一杯に抱えてレジに並ぶ
姿を見ていると、もう呆れると言うよりもその逞しさに圧倒されてしまう。





【写真:買い物(イメージ)】

「荷物になるのだから・・程ほどにしょうや・・・」とは言って見るものの、「手で持てば良いから」
「これぐらいなら、機内に手荷物として持ち込める筈だ」と一歩も引かない。 (続)
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バリ島旅行記 最後の朝

2009-10-20 | Weblog
バリもいよいよ今日が最後の日となった。

初めての海外旅行とあって、出発前は随分と心配したものだ。
飛行機に酔いはしないだろうか、現地で上手く対話が出来るだろうか、食べ物は口に合うだろうか、
現地通貨を上手く使いこなせるだろうか・・・・などなど。
今考えると、あらゆることを否定的に捉え、過敏すぎるくらい何かにつけ心配していた。
しかし、それらは全くの取越し苦労であった。

初日こそ空港で悪質なポーターにまんまとしてやられてしまい、この先どうなる事かと不安がよぎったが、
その後は、全くと言って良いほどに何事も無く、何の懸念も無く、全てが順調に進み、何だかアッと言う
間に今日を迎えてしまった。

ツアーを案内してくれた現地人ガイドも親切であった。
決して上手な日本語ではなかったが、精一杯尽くしてくれる直向さが伝わってきた。
それに、時間に多少のルーズさはあったものの、何処へ行く時も同行してくれるから、行った先で
不自由を被ることは殆ど無かったこともありがたかった。

【写真:HISの送迎車】

今朝も遅い朝食に、家族連れ立って向う。
バリに来て此の方、すっかりこのパターンに嵌ってしまっている。
いつもたっぷりと時間をかけて朝食を摂るものだから、お昼が食べられない。
思い返してみると、バリではキンタマーニ高原でインドネシア料理の昼食を食べただけで、
それ以外昼食を摂る事は無かった。

【写真:アヤナで朝食】

今回の旅のメインイベント、ブルーポイントバイザシー挙式や、その後のインド洋に沈む夕陽を
背景にしたビーチでのフォトツアーや、レセプションディナーの事。
オプションツアーで訪れた観光地の事、途中立ち寄ったショップでの買い物の事、初めて体験した
立派なリゾートホテルでの非日常的な生活の事。
片言のチャンポン語での現地の人達とのやり取りの事。

【写真:ブルーポイント】

思い出話に事欠く事は無い。
今日もそんなことを語り合いながら食事をしているものだから、ついつい長居をしてしまう。
こんなに家族間で話が弾んだなんて事、一体いつ頃有っただろうか。
もうすっかり忘れてしまっていた。そんな記憶は既に無くなっている。

気が付けば時計の針はもう10時半を回っている。(続)
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バリ島旅行記 バリ舞踊「ケチャッダンス」

2009-10-16 | Weblog
この日の夕方には、「ケチャッダンス」を見た。





「火を使う踊りだから、一番前より、二三段目の席の方が良い」とガイドが教えてくれたので
正面の三段目の席に座った。
ここもバロンダンス場と同様、自然光を取り入れる造りと成っているが、火を使うダンスと言う
事で日暮れを待って開演する。

上半身裸の男達が円陣を組んで座り、「チャッチャッチャッ」と言う重層的な掛け声の唱和に
合わせて物語は進行していく。

【写真:「ケチャッダンス」】

ここでも日本語で書かれたストーリーの説明書きを渡されたが、ステージ上の演技と対比する
のは結構骨が折れるし、またそうは簡単に理解する事が出来ない。
それに暗闇の中で行われる演技が良く見えないときもある。
しかし、僅かばかりの灯りに照らされ、上半身裸の男達の中で演じられる物語は何とも幽玄で、
幻想的である。

引き続いて行われる「サンヒャン・ジャラン」は、燃え盛る椰子の殻を、ココヤシで作った馬の
人形に跨った男性が、陶酔状態になりながら、火の粉を蹴散らし激しく踊るトランス・ダンスだ。





蹴散らした火の子が時折ステージから客席近くに飛んでくる。
ステージ下に待機した係員が急いで火を消して回るが、何とも激しい踊りで、次第に客席の興奮も
高まり、見ている方も正気を失ってしまいそうだ。
やがて僧侶が聖水をかけ、正気に戻したところで舞踊は終わる。
物語は終わったが、地鳴りのようにうねるこの「チャッチャッチャッ」と言う掛け声がいつまでも耳の
奥に張り付いてその後も暫く離れなかった。

【写真:「サンヒャン・ジャラン」】

夕食のレストランでもステージ上でバリ舞踊が行われていた。
「ペンデッ」と言う歓迎と祝福のダンスかと思ったが、違っていたかもしれない。
ブルーポイントバイザシー挙式の後のレセプションディナーの時もガムランの生演奏に合わせ、これに
似たようなバリ舞踊が行われた。

このようにバリ舞踊は、バリ・ヒンドゥー教の儀式とは別に、観光客に向けたショーとして毎日色々な
会場で公演されている。
幾つもの舞踏団がそれぞれ得意な演目を持ち、個性豊かな舞踏をその端正な容姿で舞い、煌びやか
な衣装と共に人気を集めているという。(続)
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バリ島旅行記 バリ舞踊「バロンダンス」

2009-10-13 | Weblog
バリでは、「バロンダンス」「ケチャッダンス」「レゴンダンス」が三大ダンスとして知られている。
これらは、インドネシアの伝統的な打楽器、ガムランの幻想的な旋律に合わせ、煌びやかな
衣装で舞うダンスで、バリ・ヒンドゥー教への信仰と密接に結びつき、独特の文化として、
寺院での祭礼や儀式の中で営まれ、今日に引き継がれてきたと言う。



この旅行中、幾つかのバリ舞踊を見学した。
島内観光で、最初の訪問場所がホテルからは余り遠くないバロンダンス場であった。
狭い道路には観光客の送迎自動車が犇き、直前まで車が着けないため、遠くで降ろされた観光客が、
狭い歩道を溢れるようにダンス場に向かい歩いていた。

柱を組み上げ、屋根を被せたような半オープンの建物の中央に寺院を模ったセットが設えてあり、自然の
光が明るい照明となってステージを照らしていた。
ステージに向かってそれを囲むように竹製の椅子がいくつも置かれている。
到着したときには、既に多くの観光客がその椅子に腰を下ろし開演を待ちわびていた。


やがてステージ左手からガムランの音色が聞こえ、それを機に中央から聖獣・バロンが顔をのぞかせると
観客からは「おおっ!」と言う感嘆の声が上がり、一斉にカメラのフラッシュが瞬いた。





善を象徴するバロンと悪の象徴である魔女ランダの果てしない戦いをベースに物語は進行しているらしい。
会場に入場する折、日本語で書かれたストーリーの説明書を渡された。
ステージの進行に合わせ、その説明書きを読みながら、ストーリーの理解を試みるが、ステージで演じられて
いる事と、書かれている事が一致していない部分も有り、なかなか付いて行くことが難しい。

 【写真:バロンダンス】

バリの世界観では、「善悪」などは、二つの相反するものが上手くバランスをとって保たれていると考えら
れているらしく、物語もバロンとラダンの勝負は決する事も無く終わってしまう。

写真を撮るのも忙しい。
ステージを見て、説明書きを読んで、写真を撮って、何だか落ち着きも無くバタバタしている内に物語は
終わってしまった。
正直、内容は余り良く理解できなかった。(続)
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バリ島旅行記 バイクのジュース

2009-10-09 | Weblog
バリに到着した日、空港からホテルに向うラヤ・ウルワツ通りの両側には、深夜にも関わらず
沢山の店がまだ灯りを灯していた。
そんな昔ながらの店先には、必ずと言っても良いほどに、2メートル四方位の大きさの棚が立ち、
そこになにやら液体の入ったビンを並べていた。
裸電球の元では暗くてよく解らないが、色が薄いパイナップルジュースのように見える。
何だろう、トロピカルジュースか何かだったら一度飲んで見たいものだと思っていた。



バリの道路は、空港に近い幹線道路こそ広々としているが、地方に向うとその殆どが片側一車線となる。
信号機を見かけることは余り無い。
車道幅も日本のそれと比べると、どこも少し狭いようだ。
その車線の横に地道の路肩が有り、それが両側に構える店先へと続いている。
その店先にも同じような棚が置かれ、ビンが並んでいる。
どの店も一様に、同じ向きでこの棚を置いているが、よくよく見てみると、その液体の入ったビンの形、
大きさが若干違っている事に気付く。



現地ガイドに聞いてみた。
「あれはジュースか?だったら飲んで見たいのだが」
ガイドが大声を出して笑った。
「あれは、バイクが飲むジュースだ」
バイク用のガソリンを店先で売っていると言う。

キンタマーニ高原からの帰り道、夕方のラッシュに遭遇した。
余り広くない道路に、車に紛れて走行する夥しいバイクに出会った。
車とバイクが無秩序に入り混じり、まるで(表現は悪いが)暴走族の集団走行のような光景にびっくりしたものだ。





こうして現地の人の通勤は殆どがバイクらしい。
そして、休日に買い物などに出かけるときはバイクに家族を乗せて行くらしい。
バリではまだまだ車は贅沢品で一般家庭には普及していない。
その代わりの足がバイクらしく、どの家庭にも一台は必ず有ると言う。



「二人乗りは当たり前、四人乗って走るよ」ガイドが教えてくれた。
お父さんがハンドルを握り、その足の間に子供を乗せる。
後ろの荷台にはお母さんが子供を抱えて座ると四人乗りと成る。

それを聞いて後、車で移動する折に街中をよくよく観察しているとまさに言われた通り。
ヘルメットも被らず二人乗り、三人乗りは当たり前。
いたいた、本当にいた、四人乗りにも出会うのである。
さすがに五人乗りを目にすることは無かった。
ヘルメットは義務化されていると言うが、被っていないバイクも多い。
市民の足だからか、警察もそんなに厳しくは取締りをしないらしい。

【写真:バリのバイク風景】

そんなわけで町にはバイクが溢れているし、観光でツーリングする人も多いから店先で“バイクのジュース”
が売られているのであろう。
それにしてもガソリンが、いたるところに本当に無造作に、また普通に並べて売られている事には驚かされる。(続)
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バリ島旅行記 インドネシア料理

2009-10-06 | Weblog
暫くこの絶景に見とれ、写真の撮影に夢中になっていた。
時計を見るともう30分ほどしか時間が無い。
急いで昼食に向う。



この絶景を見下ろすレストランでの昼食は“インドネシア料理のバイキング”だ。
このインドネシア料理を楽しみにしていた。
と言っても雑誌で見て知っただけでは有るが、インドネシア風チャーハン・ナシゴレンや
具沢山のミーゴレン、串焼きのサテなどは是非食べて見たい。

直ぐ横のテーブルに、見なれた顔の日本女性が二人、既に食事をしていた。
この二人とは、バロンダンスの会場でも、買い物をしたアジアン雑貨の店でも、その先の
銀細工のお店でも顔を合わせていた。
乗り廻る車こそ違うが、どうやら同じオプションツアーと言う事らしい。



料理には名前が付けられ、簡単な説明がされているが殆ど覚えられなかった。
やはり異国の料理はどこか違う、と言う事は食べて解る。
口に合わないわけではないので、全て食べてやろうと少しずつ皿に取り、何回も席を立った。

中央に設けられた料理テーブルの前で、例の二人連れの日本人女性と一緒になった。
先方も我々と同一行程を意識していたのか、お互い軽く会釈を交わす。
と、そのとき一人の女性が「アレッ」と言って固まった。
「何?」ともう一人の女性が指先を見た。
後ろに付いていた私もつられて料理テーブルの足元を覗き込んだ。

何か小動物の頭が覗いている。
何だろうと思った瞬間、その小動物が正体を現し、突然反対側のテーブルの下に駆け込んだ。
と、その直ぐ後を追うようにもう一匹同じ小動物が駆け込んだ。
「ネズミ・・・・」と言ったまま女性は絶句した。

嫌なものを見てしまった。
折角今まで「美味しい、美味しい」と箸をすすめていたのに・・・。
すっかり食欲が萎えてしまった。
コーヒーとデザートに取り替えて席に戻った。

 【写真:キンタマーニ高原にて】

まだ美味しそうに食事をしている家人に、今見た光景を話そうか、話すまいか逡巡した。
「もうデザート?」
と言う妻に、「ああ、もう充分・・・」
と生返事を返した。
ネズミの話は車に乗ってからさりげなくして見よう・・とそのとき思った。(続)
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バリ島旅行記 キンタマーニ高原

2009-10-02 | Weblog
11世紀頃のヒンドゥー遺跡 ゴア・ガジャの見学を終え、再び車に乗った。
車を降りて、歩くたびに汗をかき、しきりにハンカチで拭っているものだから、現地ガイドが
「暑いですか?」と聞いてくる。
そのたびに「暑い!」と答えていた。
ガイドは、「今はそんなに暑くない」とは言っているが、暑がりの私にはこの湿気の多さに
閉口していた。
車のエアコンが効き始めるとホッとする。

「高原は、私たちには寒いところ」ガイドが首を竦めながら言った。
標高が1500mを超すと言われているから昼間でも涼しいらしい。
そんな涼しいところなら大歓迎。次は、そのキンタマーニ高原を目指した。

 【写真:キンタマーニ高原へ】

バリ島は東西に長い島である。
州都のデンパサールから、島を縦断するように北に登ると、バリで最も知られた景勝地、
キンタマーニ高原が有る。

緑濃い田園地帯を過ぎ、道の両側のお店が途切れてくるとやがて道は上りにかかる。
暫くすると突然大粒な雨が落ちてきた。
道の先には真っ黒な雲が低く垂れ込めて行く手を阻んでいるかのように見える。
「高原も雨かも・・」ガイドがこぼした。
雨が降って視界が悪いと折角の絶景が見られないと心配しているのだ。
登るにつれ雨は益々激しさを増していた。

「もう直ぐ×××に着く。(多分お店の名前を言ったと思うがよく聞き取れなかった)そこで昼食だ」
ゴア・ガジャから40分余り走っていた。
本道を外れ、その駐車場に滑り込んだ瞬間、不思議なくらいタイミングを合わせたように雨が止んだ。
雲がすごい勢いで流れている。
車を降りるとひんやりとした冷気が心地よい。

物売りが群がってきた。
Tシャツやブレスレット、ネックレスなどを下げて「いらないか?」と纏わり付いて来る。
「いらない」と振り払い、建物の前の10段ほどの階段を上ると展望台が有った。
アメリカ人らしい女性のグループが記念撮影に余念が無く、暫く下で空くのを待つ。





素晴らしい景観が迎えてくれた。
雲が切れ、正面にバトゥール山がくっきりと見える。
山は、長い裾野を引いてその先をバトゥール湖に落としていた。
溶岩の流れた跡が刷毛で引いたように黒くくっきりと見える。
先ほどまで雨を降らした雲は、切れ切れになって流れ、隙間からは青空さえも見えてきた。
雨に洗われた緑が生き返ったかのように鮮やかに輝いていた。(続)

 【写真:キンタマーニ高原】
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