
この地方は三方を山に囲われ、比較的水深が浅く、海面の穏やかな、
風待ちの湊として海上交通の要衝でもあり、優良な瀬戸内海の漁場を
控えた漁港でもあった。
今ではそんな湾内で盛んに牡蠣の養殖が行われているが、当時はこの
地を潟上とよんでいた。今日の備前市片上である。

赤穂線は伊部を出ると、交通量の多い国道2号線を左に見て併走し、
やがて右手には瀬戸内海に面した片上湾が近づいて来るが、海景色が
車窓からふんだんに見えるわけでもなく西片上に到着する。
目の前は車が激しく行き交う国道2号線である。

そこから次の備前片上迄は、僅か1.3㎞の距離である。
この駅は赤穂線が延伸された年に、同時に開業した駅であるが、西片
上はそれより5年遅れの昭和38(1963)年に開業している。
場所的に中心市街地に近く、近くに学校や工場がある事、旧片上鉄道
との連絡を考慮してのことらしいが、今では利用客はこちらの方が遙
かに多い。

この片上辺りから山陽本線の三石にかけての、備前市の一帯には20
余の耐火レンガの工場が立地している。
明治10年頃に開発された耐火レンガの生産は、当地では大正6年頃に
大工場の相次ぐ進出で、産地として繁栄の歴史を歩み始める事になる。

それは日本の基幹産業の発展を支えてきたが、オイルショック以降
は構造不況の波に洗われる事となる。
しかしその後の多様な業種の誘致・導入等で、この地の耐火物は全国
シェア約3割強を占める生産量を誇り、世界的な産地と言われ、今で
は県を代表する地場産業となっている。(続)


