簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

ここは 串本(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-04-28 | Weblog
 紀伊勝浦を出た電車は、鯨の町・我が国の捕鯨発祥の地として知られた太地
(たいじ)に向かう。捕鯨の歴史は古く、すでに鎌倉時代から行われていたようで、
事業として盛んに行われるようになるのは江戸時代の初期らしい。
当時は船団を組んで、マッコウクジラやセミクジラなどを手突きの銛で獲る突捕漁
であったと言う。





 近年になって、国内では最後と言われるイルカの追い込み漁が、当地においては
伝統的漁法、連綿と続く文化であるにも関わらず、恣意的に作成された映画などに
触発され、物議を醸したこともあったようだ。



 古座を過ぎる辺りから左手車窓には、太平洋の絶景が間近に広がって見えるよ
うになる。ここらあたりは沖を流れる黒潮の影響で、冬でも雪を見ることが無いと言
われるほど温暖な地だ。
そんな沖合1.8kmに浮かぶ大島が見えてくると串本に到着だ。



 串本は本州最南端の駅であり、紀伊山地から延びた陸地が、半島となって太平
洋に突き出した潮岬半島が位置する本州最南端の町でもある。
岬は東京都の八丈島とほぼ同じ緯度に位置し、本州最南端の地と言われている。
目の前に広がる海も温暖で滋養豊か、温帯と熱帯の入り混じった海中景観が楽し
めることから、昔からマリンスポーツやフィッシュウォッチングが盛んな街でもある。



 駅から西方6キロ程離れた海岸には、その中心施設ともいえる「串本海中公園」
が有り、海中展望台や水族館、ダイビングパーク、レストラン、売店などの施設が
揃っている。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マグロの町(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-04-26 | Weblog
 那智勝浦の港周辺に広がる広場の横には、無料で利用が出来る足湯「海乃湯」
や「鮪乃湯」なども有る。この広場では、毎週日曜日の朝、生マグロや海産物、農
産物などを販売する「にぎわい広場」が開催される。





 その目の前にある漁港の市場では、南紀勝浦温泉の宿泊者に限り、市場での競
り体験ができるらしい。一般客向けには早朝に、魚市場2階の観覧フロアから、はえ
縄漁で捉えた近海マグロのセリ風景を見学することが出来る。
またマグロ缶詰やひもの作りの体験や、マグロ料理教室などが予約すればできる
と言う。



 ここ勝浦漁港は全国有数のマグロ取り扱い港で、焼津(静岡)や三崎(神奈川)に
次いでマグロの陸揚げ量では全国第三位、生鮮マグロに限れば全国第一位を誇っ
ている。

 マグロはその種類によって美味しい時期が異なるらしい。
1月から3月にかけてはビンナガマグロやメバチマグロが、2月に入るとキハダマグ
ロがそれに加わり、そのシーズンが終わる4月から5月にはホンマグロの美味しい
季節を迎えると言う。



 マグロの町を自負するだけに町中には、マグロが手軽に食べられるお店も多い。
定番の刺し身、丼、焼き物や、フライ、ステーキ、ハンバーグ、コロッケ、希少部位の
変わり種料理などなど・・・。
日本料理屋や和食の店は当然のことながら、中華料理の店でもマグロを取り入れ
るなど、各店が工夫したメニューで競っているのが面白い。





 観光案内所には「紀州勝浦 生まぐろマップ」も用意されているので、これを片手
にお気に入りの店を探すのも楽しいものだ。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀伊勝浦(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-04-24 | Weblog
 那智から紀伊勝浦までは二駅、5分ほどで到着する。
JR東海の特急「ワイドビュー南紀」の多くが、ここまで乗り入れていて、関西圏方面
への接続駅に成っている。その関西圏からは特急「くろしお」が乗り入れている。



 大正元年12月に開業した駅は、元々「勝浦」と呼ばれていた。
しかしその1年後に開業した千葉県を走る外房線の勝浦駅と区別するために、昭和
9年7月にこちらには「紀伊」が付けられ「紀伊勝浦」と変更になっている。
老舗に敬意を・・・と考えれば、「安房勝浦」でも良かったように思うが、当時の地域
の勢いや、力関係のせいなのかと思ってみたりもする。



 町は那智町と勝浦町などが合併し「那智勝浦町」を名乗るようになったので、当然
この町にある公立の小中学校などは那智勝浦町立○○学校だが、ここには合併し
町が成立した後に改称されたにも関わらず「紀伊勝浦」と名乗る郵便局も有る。



 また当地周辺に開ける温泉は、頭に「南紀」を冠して「南紀勝浦温泉」と呼ばれて
いるし、観光マップなどには「紀州勝浦」と表記されていたりもする。
このように「那智勝浦」に統一するのではなく、「紀州」や「紀伊」や「南紀」を使い分
けているケースは、町中を歩いてみると案外他にも簡単に見つけられるかもしれない。



 駅から海を目指して200mほど歩くと勝浦港に着く。
港の左手は観光桟橋で、右手が勝浦漁港だ。



 那智勝浦は港町で、この港の周りは一つの観光地の様相を呈していて、観光客
向けの広大な駐車場があり、お土産屋、食事処、旅館などが建ち並んでいる。
またここからは「紀の松島めぐり」「太地鯨浜公園」行きや、大型の観光旅館ホテル
に向かう船などが頻繁に発着している。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

那智青岸渡寺(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-04-21 | Weblog
 お土産屋さんなどが建ち並ぶ473段の石段参道の分かれ道で、左に取れば、「熊
野那智大社」に行き、右に取れば仁王門を潜ってその境内のすぐ隣に立つ「那智青
岸渡寺」に行き着く。



 共に熊野信仰の中心的な古社で、古くから多くの参拝者を集めてきた。
元々ここは神仏習合の修験道場で、明治の分離令が出た後も、仏殿が残りその後
今日の寺として復興された歴史を秘めている。
一重杮葺き入母屋造りの本堂は、豊臣秀吉が再建したと伝えられている。



 この地の標高は500m余りで、周りを見渡すと随分と山深いことが良く解り、ここか
らの眺望は、標高以上に深山幽谷に踏み入れたような趣が有る。
那智山原生林(国の天然記念物)を抱える1000mクラスの山々が取り囲み、那智
の谷が深く抉れていて、遥か望めば彼方には太平洋だ。



 その谷には今登って来た大門坂があり、ここからは杉並木やそれを取り巻くように
広がる那智の集落や門前町を見下ろすことが出来る。
かつてその集落には参拝者のための宿坊などが有ったと言う。



 目を転じると木立の欠けた岩肌に、再建された三重塔を前景にして流れ落ちる
一条の滝が目に留まる。「熊野那智大社」の別宮「飛瀧神社」の御神体として崇め
られる「一の滝(別名、那智の滝)」だ。
その幅は13m、落差は日本一の133mで、滝壺は深さが10mもあり、殆ど垂直に
落下する日本三大名瀑の一つだ。
かつてはこの地に本殿が有り、滝の神様を祀っていたと言う。



 そんな滝を見下ろす展望所の欄干には、谷風を受け悠然と留まる烏がいたが、
残念ながら足は2本であった。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

那智熊野大社(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-04-19 | Weblog


 多少息が上がり始めるころ、ようやく石段を登りきると、そこには那智山スカイラ
インに通じる道路の脇に設けられた駐車場があった。
ここからはさらにお土産屋さんなどが建ち並ぶ473段の石段参道が待っていて、
そこから先を見上げれば、木立の隙間から赤い社殿が望まれる。



 それを登りつめ、朱塗りの鳥居をくぐると境内へと入り込む。
そこには「熊野速玉大社」「熊野本宮大社」と並ぶ熊野三山の一つ、熊野信仰の中
心地である「熊野那智大社」が鎮座していた。
近頃はパワースポットとして、若い女性の参拝も多いらしく、それを意識してか社務
所では平安衣裳の貸し出しサービスを行っている。
境内や滝を巡って写真を撮るようだ。



 鎮守山を背景に鮮やかな朱塗りの社殿は東西横一列に配され華やいだ雰囲気
で、その連なりは壮観で、建物には彫刻を殆ど用いないなど、その配置や形式が
特徴的で「熊野権現造り」と言うらしい。



 境内の大クスは、平重盛のお手植えと伝えられていて、樹高27m、幹回り8.5m、
枝は25mも張り出す堂々たる大木で、県の天然記念物に指定されている。
根元は人が入り込めるような空洞になっている。



 またここには、古くから熊野の神様のお使いとされる「八咫烏」の伝承が残されて
いて、それは日本のサッカー界とも縁があり、シンボルマークになっている。
神武天皇東征の道案内の後、姿を変え休んでいるとされる「烏石」が境内にあり、
有料で公開されている。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苔むした色の古道(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-04-17 | Weblog
 まるで坂道への入り口門のように両側に聳え立つ夫婦杉を過ぎると、杉や楠が
鬱蒼と茂る木立の中に、苔むした石段道が緩やかに登っていく。



 那智山を目指す熊野道は、都より凡そ80里、往復すると一か月を要したと言われ
ている。その最後の難関がこの大門坂で、参詣道はその距離650m、石段は267段、
標高差100mほどの道だ。



 雨の多い地域に有って、参道を守るために石畳が敷かれたと言われているが、
山深い地にこれだけの道をよくぞ・・・と思わす石段が続いている。



 石段の脇の苔むした木立の根元には町石が埋められている。
およそ1町(約109m)ごとの道標で、これにより自分がどれほど登って来たのかが
良く解る仕組みだ。



 そんな中更に上っていくと地元の人たちが「児宮(ちごのみや)」と呼び、親しんで
いると言う多富気王子跡がある。

 更に樹齢数百年を超えると言われる杉木立はその数132本余りと言われ、その
ほかにもクスノキも多数あると言う。それらが林立する石段の道を登りつめる。
この道は、「苔むした色の古道」と言われる通り、熊野古道の中では非常に保存
状態が良い古道の一つとされている。



 しかし実際に歩いてみると、石畳や石段にはさほど苔が生している様子は感じら
れない。思うにこれは、世界遺産に指定されたことで俄かにハイキングなどで訪れ
る人が増え、古の姿は知らないが剥がれ落ちてしまったのではなかろうか。
やがて入山制限なんて事態にならなければ良いが、といらぬ心配をしてみたりす
る。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊野古道・大門坂(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-04-14 | Weblog
 田辺から海沿いに紀伊勝浦を経て、那智を結ぶ「熊野古道」の一つ大辺路は、
「熊野三所大神社」の辺りで終点となり、ここから中辺路、或は伊勢路へと引き継
がれる。その中辺路の一部とされ、ここから那智山に至る熊野古道「大門坂」が、
この付近には残されている。



 「熊野三所大神社」と「補陀落山寺」を背に、那智川に沿った県道を山に向かい
5キロほど行くと無料の大門坂駐車場が有る。車で訪ねるならここが拠点となるが、
那智駅前で乗ったバスなら、もう一つ先の大門坂で降りることに成る。
ここまで10分ほどだ。



 大門坂と書かれた立派な石柱と、その脇に立つ熊野古道の石碑を見て、何の変
哲もないような緩い坂を5分ほど上る。
新道が整備されるまでは、この古道が生活道路として使われていたと言うだけに
よく整備された道が残されている。



 前方に鳥居が有り、その手前に旧新宮藩の関所跡(十一文関)の立て札が見え
て来る。昔はここに大きな門を構えていて、それがこの坂の名の由来らしい。
近くには関所の遺構(石造りの流し台など)も残されていて、何となく古道らしい雰
囲気が現れ始める。



 鳥居をくぐり、赤い小さな橋を渡る。
橋の名を振ケ瀬橋(ふりがせばし)と言い、この橋が俗界と聖域を分ける境の橋と
言われ、いよいよ神域に立ち入ることに成る。



その先に大門坂茶屋がある。ここでは平安衣装のレンタルがあり、それを着ての
記念撮影が人気だとか。
茶屋を過ぎると丁度門柱のように、坂の両側に立ち聳える2本の杉が見えて来る。
夫婦杉と呼ばれる推定樹齢800年の老木だ。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

補陀落渡海信仰(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-04-12 | Weblog
 那智駅前から世界遺産・熊野古道巡りのスタートとなるのが、道の駅の前を走る
国道42号線の向こうに見えている。
こんもりとした森に佇む「熊野三所大神社」と「補陀落山寺」だ。熊野詣でが「蟻の
熊野詣」と言われるほど盛んであった頃は、丁度この辺りが中辺路・大辺路・伊勢
路の分岐地であったらしい。



 当時は「浜の宮王子社」と呼ばれていて、那智山を参拝する前にこの那智の浜
(補陀落浜)で心身を清める潮垢離を行った場所と伝えられている。
その頃は「渚の森」と呼ばれる鬱蒼とした森が有ったらしいが、今では樹齢800年
余と言われる一本の大樟が残るのみだ。



 そしてここ那智は、補陀落浄土とみなされた場所で、那智の浜に面し「浜の宮王
子社」に隣接して建つ「補陀落山寺」が東門として、「補陀落渡海」の拠点となった
のだそうだ。



「補陀落」とは、南方の彼方にあるとされる観音菩薩の住まう浄土のことで、「補陀
落渡海」はそこに向けて渡海船に乗り、南の海の果てを目指す、いわば生きながら
の水葬のことである。



 船に拵えられた屋形に渡海の信者が入ると、外から釘で打ち付け、出られないよ
うに閉じ込められる。僅か一か月分の食料と少量の燈油を乗せただけの舟は、この
浜から潮に流され大海を漂うのである。
この何とも切ない捨身行「補陀落渡海」は、その後静かに一人で往生を迎えるのだ。



 平安時代から、江戸時代に入って18世紀初頭辺りまで続けられたと言い、この
浜から船出し観音となった信者は、25人を数えたと境内に立つ石碑は古の信仰を
伝えている。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名駅舎・那智 (JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-04-10 | Weblog


 新宮から15分も乗ると那智に到着する。
駅の前には太平洋が広がり、海岸は那智海水浴場(ブルービーチ那智)でホーム
からも良く見える。
ここは無人駅ながら、名駅舎として知られている、開業百周年を迎えた駅だ。



 朱塗り柱に白壁が映え、黒瓦葺きの神社風建築は那智大社などを模したものだ。
この駅舎は真正面から見るよりも、石碑が建つあたりの、やや斜めから屋根の重な
りを眺める方が、より美しさが際立って見える。



 そのビューポイントに石碑が立っている。
その一つが当地出身の衆議院議員・山口熊野(やまぐち・ゆや)の顕彰碑で、自由
民権運動に係る傍ら、紀勢本線の開通に尽力したことを伝えている。





 もう一基は、日本サッカーの始祖と言われる中村覚之助の顕彰碑だ。
当地で生まれた覚之助は、師範学校在学中に日本初のサッカー指導書を発刊し、
蹴球部を創設、日本最初の近代サッカー試合を行った人物で、日本サッカー協会
の旗章「三本足の八咫烏」は氏に因んだものと言われている。



 那智駅は、駅そのものが「道の駅・なち」となっている。
駅前広場はその広い駐車場を兼ねていて、周りには農産物の直売所が有る。
又駅舎には那智駅交流センターが併設されていて、ここには一階に「熊野那智世
界遺産情報センター」が、二階には日帰り入浴施設「丹敷の湯」が有る。

 ここは「熊野古道」中辺路ウオーキングの拠点で、車で来たハイカーが、車を置い
て中辺路を歩き、戻って日帰り入浴で汗を流す、と言った利用も多いと言う。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界遺産「熊野古道」(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)

2017-04-07 | Weblog
 2004年ユネスコの世界遺産に登録された「熊野古道」とは、古代から中世にかけ
て信仰が高まった熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通
ずる参詣街道の総称である。



 そのルートは幾つも有り、その内の田辺から本宮に向かう中辺路は、最も多くの
参詣者が歩いたと言われている。
このほかにも田辺から海岸沿いに那智・新宮に向かう大辺路や、高野山から熊野
本宮に向かう小辺路が知られている。



 又日本人にとっては特別な場所である伊勢神宮と繋がる「伊勢路」も有る。
高野山麓の慈尊院から高野山奥の院に向かう町石道も、小辺路に繋がる「熊野
参詣道」として登録されている。



 紀伊の山地には「熊野三山」「高野山」「吉野・大峰山」と言う三大霊場が有り、
昔から自然崇拝・信仰の聖地とされ、修験道などによる山岳修行の場として知ら
れていた。



 それはこの地には深い山々が、太平洋に崩れ落ちるように南に延びる独特な地
形があり、その山々に暖流に乗ってやって来る湿った暖かい空気がぶつかり上昇し、
冷やされ雨となり、その雨が豊かで濃密で神秘的な植生をもたらしてきた、そんな自
然環境もあって、この地は山岳信仰の霊場として形成されていったのだそうだ。



 熊野三山は、天皇や皇族、武家階級から町村の庶民に至るまで、あらゆる階層
に信仰の対象とされたのが特徴と言われ、そのため参詣道は人々であふれ、切れ
目が無いほどで「蟻の熊野詣」と例えられる賑わいを見せたと言われている。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする