簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

列車が来ない(四国遍路)

2013-05-31 | Weblog
 目的の列車の到着までにはまだ10分以上も有る。
なのに、ホームには人が多い。「さすが連休・・・」と思いきや、どうやら先発の電車が
まだ着いていないらしい。



 「当駅の手前で異音を感じ、点検のため列車を止めております」とホームではアナ
ウンスが繰り返され、『列車がきます』の表示灯が忙しく点滅を続けていた。

 「列車が来ない。いつ来るのだろうか。岡山で接続の特急に乗れるのだろうか・・・」
と、心配ではあるがどうしようもなく、ただ人身事故で長引かないことを祈るのみだ。

 列車はそれから何分か経って、大勢の乗客が待つホームに、何事もなかったかの
ように到着した。このまま順調にいけば目的の特急には乗れそうだ。



 結局16分ほど遅れて岡山駅に到着した。
車内では「高知行の特急・南風1号と出雲市行の特急・やくも1号とは接続が取れなく
なった」とお詫びのアナウンスが流れていたが、瀬戸大橋線のホームでは、その南風
1号が「山陽本線からの乗り換えのお客様を待つ」と発車ベルを鳴らしたまま、急いで
乗り込む乗客を受け入れ、4分ほど遅れて出ていった。



 それと入れ替わるように松山行の特急・しおかぜ1号が入線、どうやらこちらは予定
通りの発車が出来そうだ。



 連休のせいか、これまでと比べると遥かに多くの乗客が乗り込み、自由席の座席
はほぼ埋め尽くされている。(続)

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表紙写真(西法院のアジサイ)を更新しました。
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冷え込んだ寒い朝(四国遍路)

2013-05-29 | Weblog
 64番・前神寺から伊予最後の札所、65番三角寺までは45キロも離れた長丁場だ。
この間には伊予西条、新居浜、伊予三島、川之江など瀬戸内海に沿って延びる工業
地帯が形成されていて、そんな中を国道11号線やJR予讃線が貫いている。



 このエリアは、四国の中でも活気のある町並みが帯のように続いている。
左に穏やかな瀬戸内の海、右に屹立した四国山脈を見ながら、遍路道はそれらと
ほぼ同じルートを、ひたすら東に向かって進むことに成る。





 昨年の秋、伊予小松の駅前で宿を取り、神前寺を打ってから、出来れば夕方まで
歩き伊予土居辺りまで行けたら良い・・・と歩き始めたものの、結局は18キロも手前
の中萩で遍路道から離脱、駅前で隠れ家のようなお蕎麦屋さんを見つけそこで昼食
を済ませ、早々と列車に乗って帰途に付いた。





 それから7か月、連休も後半の中日、6時半過ぎに自宅を出て最寄り駅に向かった。
薄手のキルティングの防寒着にしょうか、軽くて嵩張らないヤッケにしょうか散々に迷っ
た挙句、これからは暖かさが戻ってくると言う天気予報を信じて決断したヤッケを着込
んだものの寒くてしょうがない。
 杖を持つ手がすぐにかじかむ。交互に杖を持ち替えては、片方の手をポケットに突っ
こんで温めながら、「ミスったかな?」と思いつつも、「朝だけだろう」と納得させ白い息
を吐きながら駅へと急ぐ。
5月とは思えない、まるで冬のように冷え込んだ朝である。(続)




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遍路道とトンネル(四国遍路)

2013-05-27 | Weblog
 一日中歩いて来て、目の前にトンネルが現れたとする。
脇を見れば、このトンネル山を越える峠への地道が、木立の中に細く、かなりの勾配
で上っている。こんな時、どちらを選ぶのか・・・。



 人によっては、「遍路は遍路道を歩くべき、それにトンネルは危険」と何の躊躇もなく、
脇道に入り山道を登り始める人もいるだろう。
しかし一方で「この上峠を越える体力は残っていないし、先を急ぎたい・・」と峠道を避け
トンネルを足早に抜ける人もいる。



 多くのトンネルは、当然のことながら車の通行のためで、人が歩いて通り抜けること
を想定して作られているところは少ない。



 したがって、トンネルの中は、一段高くした幅1メートルほどの、申し訳程度の歩道が
作られていて、これが有ればまだいい方だ。ガードレールの有るところは極めて少ない。
中にはこんな歩道さえなく、僅かに白線で区切られただけのところもある。





 すぐ脇を大型の自動車が駆け抜けると、風圧に煽られ絶えず危険にさらされる。
雨降りの日ときたら、まき散らす水しぶきで悲惨である。何よりも排ガスには悩まされる。
ドライバーから我々の姿が見えているだろうか・・と、何時も気が気ではない。



 こんな思いをするならば、苦しくても峠道の方がましだ。
もしかしたら、この上に素晴らしい眺望が待ち構えているかも知れない。ここを歩けば
先人たちの姿も偲ばれる。登り終えたときの爽快感、達成感は代えがたい・・・。



 しかし一方で遍路シールに従い入り込んだ厳しい峠道で、「あのまま国道のトンネル
を抜ければよかった」「なんでこんな苦しい思いを・・」



 悟りもできない俗人は、煩悩を抱えながら歩き、分かれ道ではいつもこんな葛藤と
戦っているのである。(写真は本文とは無関係)(続)



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遍路道の変遷(四国遍路)

2013-05-24 | Weblog
 人から聞いた話ではあるが、ある歩き遍路は、「いわゆる遍路道は避けて歩かない。
遠くても主に車の通る国道や県道、町道を歩く」のだそうだ。



 理由は簡単で、「歩いているけど修行しているわけではないので、敢えて、苦しい
遍路道は歩かない」と言う事らしい。



 江戸の昔から、一般に四国霊場の遍路道は、一部の例外を除いて札所の順番に
進む一本の道として整備されてきた。道筋には道標石や丁石が置かれ、それらは
俄かに増える遍路の歩くべき定められた“道”を示すものとされてきた。

 今でも古い遍路道や町中の道端には、当時のものが苔むして残されているのを目に
する事も有る。



 しかし近年になって道路事情の変化と共に、遍路道もより歩きやすい道へと変遷
していく。厳しい山道に新しい道が開かれ、トンネルが貫き、深い谷に橋が架けら
れると、遍路路はこうした新しくてより歩きやすい舗装道に変わり、それにより古道
から遍路の姿が消えていく。



 一方で、こうして廃れてしまって古道・廃道となったものを、遍路道として再生する
運動も各地で起こり色々な団体の手によって整備・復元され”道”として甦ることもある。



 とりわけこういった”道”は、峠への上り下りの道が多いようで、勢い遍路の間では
難所として恐れられることになる。





 峠を上り下りする古道は確かに厳しい道が多い。
修行をしているわけではないので、「好んで苦しい道を行くこともなかろう」と喘ぎながら
弱音を吐くこともしばしばある。だから何となくこの言葉は、解るような気もするのだ。
(写真は本文とは無関係)(続)



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遍路道と四国のみち(四国遍路)

2013-05-22 | Weblog
 四国を巡る遍路道は、NPOなどの団体や、地元の自治体、ボランティアなどによって、
歩き遍路のために標識やシールなどの誘導表示がかなり細やかに設置されている。



 主要なところには案内の立て看板も建てられていて、道中これらをこまめにチェック
しながら進めば何とかなるものである。



 また遍路道は古い道でも土均しや土入れ、草刈りや樹木の伐採など、良く手入れ
され、一目見て”道”と解る体裁を整えているところが圧倒的に多い。



 従って、初めての巡拝でもこれらの標識や案内板に従い、現地の”道”の状況を見極
めながら歩めばほとんど迷う心配もない。



 また国土交通省や環境省などでも、「四国のみち」と称し、ほぼ遍路道と同じような
ルートに、立派な看板や石標を立てている。



 しかし、こちらは歩き遍路のルートと完全に一致しているわけではなさそうなので、
歩くときにはそれなりの注意もいるようだ。



 歩き遍路にとって間違えやすいのは、普通の道路に設置されている道路標識だ。
一般的には、札所の寺名や進むべき方向とそこに至る距離が書かれているが、歩き
の場合これに従うととんでもない失敗をする事も有る。
 

 
 なぜならこれらの標識は、車の通行可能な道路、また車の駐車場に至る経路など、
主に車の進路を案内しているからだ。



 嘗て35番・清滝寺に向かう折、道端の遍路シールを見落とし、道路標識に従って
歩を進め、何も気づかずかなり進んだところで近所の住民に、「自動車道だから遠く
なる」と教えられ、引き返したことが有った。

このように、これらに従うととんでもなく遠回りをしてしまう事も有るようだ。
(写真は本文とは無関係)(続)



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神通川に沿って (JR全線乗り潰しの旅)

2013-05-20 | Weblog
 飛騨古川駅の一番線には、この駅で折り返す特急が、ジーゼルエンジンの音を
響かせ、独特の匂いでホームを包みながら発車待ちをしていた。



 高山線の「特急・ワイドビューひだ」の多くは、高山か富山で折り返すが、ここ飛騨
古川を折り返す便が一日一往復だけ運行されている。

 お昼過ぎの特急で、終着駅の富山を目指す。
最初の停車駅、猪谷には40分足らずで到着する。
この駅からはかつて岐阜県側の奥飛騨温泉駅まで、国鉄の神岡線が出ていたが廃止
されその後第三セクターの神岡鉄道となり、それも2,006年に廃止されている。



 現在では、旧奥飛騨温泉駅と旧神岡鉱山前駅の間の残されたレールの上を特殊な
自転車を使って走る、「レールマウンテンバイク」の体験ツアーが人気を呼んでいるらし
く立ち寄って見たい所だが、何時ものように慌ただしくて時間が無い。





 猪谷辺りから、車窓に寄り添って来た神通川が、周りの山々と共に遠ざかり、少し
平地が開き始めると、越中八尾に到着する。
ここ「八尾」は、「やお」とは読まず「やつお」と読ます難読駅の一つだ。



 毎年二百十日の秋の頃に開催される「おわら風の盆」は、優美で幻想的な踊りと
共に、哀調を帯びた胡弓の調べなどが知られている。
一度は訪ねてみたいところだが、残念ながらここもお預けである。



 日産化学の大きな工場が隣接する速星駅で停車、そこを過ぎると市街地が近づき、
北陸新幹線で有ろうか、工事中の高架橋に添って神通川の鉄橋を渡る。
 






 川の向こう岸に大きなビルが幾つも見えて来ると終着駅の富山に到着する。
富山では評判の、ライトレールにも乗って見たいが、北陸本線の接続時間が迫っている。
いくつかの心残りは、次の機会に譲ることにする。(JR全線乗り潰しの旅・完)



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飛騨古川の町並 (JR全線乗り潰しの旅)

2013-05-17 | Weblog
 会館の前には祭りの御旅所が有り、原寸大の「起し太鼓」が展示されている。
祭り当夜、裸衆に担がれた櫓の上に乗って、この大太鼓を打つ「太鼓打ち」は、祭り
の花形で、誰もが経験できない大変名誉ある役回りらしい。





 道を隔てた反対側に「飛騨の匠文化館」が有る。
匠の技を受け継ぐ地元の大工さん達によって立てられた建物で、家組の重要部分には、
クギ、ボルトなどの金具類は一切使わず、組手や継ぎ手の技法が駆使されていると言う。



 その模型が館内の入り口近くに置かれ、その仕組みを手にとって体感する事が出
来るが、凡そ人間技とも思えないほど巧みで精巧な出来栄えには感心させられる。



 文化館の近くを流れるのが、町のシンボルとも言える瀬戸川である。
川と言っても川幅の広々とした流れは無く、その昔、新田に水を導くために造られた
用水で、白壁土蔵の連なる一角の足元を静かに流れている。



 1000匹の鯉が泳ぐ流れは、その脇の小道や、木陰を作る木立ととともに、しっとりと
落ち着いた景観の雰囲気を醸し出している。





 近くにはお土産屋さん、そば等のお食事処、ひだコロッケを売る店、造り酒屋、和
ローソクの店等も有るので、これらを冷やかしながらの散策が楽しい。







 こんな保存された町並の佇まいには、なぜかホッとする。
広い町では無いので、ゆっくりと歩いて巡りたい町である。(続)

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 「川と渓谷美の山岳路線を行く」
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飛騨古川まつり会館(JR全線乗り潰しの旅)

2013-05-15 | Weblog
 駅から歩いて5分ほどの処に「飛騨古川まつり会館」はある。



 広い公園のような一角の紫色の幟旗が目印の会館は、平屋の建物で、向かって左
には売店やレストラン、右手が「祭り屋台」を紹介するコーナーとなっている。
その他にも市の伝統工芸品を展示販売し、観光の情報コーナーなども備えている。



 何と言ってもここの見どころは、400年以上の伝統を誇る国指定重要無形文化財の
「古川祭り」で繰り広げられる、勇壮な「起し太鼓」と、その折町内を引きまわされる
「祭り屋台」だ。



 その様子は館内のシアターで、ハイビジョン立体映像で紹介されているので、館内
の展示物を見る前に鑑賞するのがお勧めである。



 館内には、祭りで引き回される9台の「祭り屋台」の内3台が展示されている。
「祭り屋台」は、黒や朱に塗り分けられ、それを金色の金具や刺繍をした織物などで
飾り、眩いばかりの輝きを見せている。



 更には飛騨の匠の伝統を生かした彫り物や飾り物もいたるところに施されていて、
圧倒的な存在感を主張している。

 中にはトリッキーな動きをする『からくり人形』なども乗せられていて、その動きを
見ていると、匠の技を成る程と実感する。





 館内では、「起し太鼓」の前で、祭りの法被を着ての記念撮影が楽しめる。
また、当地で活躍する作家や伝統工芸士等の制作実演販売も行われている。
この日は「飛騨絵馬」の実演が行われていた。(続)



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飛騨古川へ (JR全線乗り潰しの旅)

2013-05-13 | Weblog




 高山からは、20分ほどで、飛騨古川に到着する。
ここは岐阜県の最北端に位置する飛騨市の中心駅で、古川町観光の玄関口である。
戦国時代、飛騨地方を統一した金森氏の城下町として開けた町で、その後飛騨の匠ら
によって脈々と町造りが受け継がれ、その伝統を生かした町並みが今に残っている。



 駅舎は、上の屋根の部分がモダンな洋風で、下部は白壁土蔵を模した和洋折衷の
造りが面白い。海抜493メートルに位置する駅を出ると、正面には広いバスロータリー
が広がり、大きな松が一本だけ象徴のように立っている。



 この旅行の直前、市の観光協会に市内の見どころや食事処、宿泊施設やバスの
時刻等をPCメールで問い合わせたところ、後日メール便で沢山のパンフレットを送っ
て頂いた。
 中には補足の説明が手書きで加えられていた物も有った。
高山市と飛騨市の区別も付けず問い合わせた、当方の無知にも関わらず、懇切丁寧
な対応には感激したものである。





 駅右手に、観光案内所が有るので立ち寄ってみる。
「何処から・・」と聞かれ、「岡山から・・」と答えると「岡山には昔仕事で行った事が有る」
と言う所員と、しばしおかやま談議に花が咲く。



 「美味しいお蕎麦屋さんを、友達がやっているから、お昼に立ち寄って」と勧められ、
「飛騨古川散策マップ」を手に、教えられた道を「飛騨古川まつり会館」に向かう。



 ここには、入館割引の付いたパンフレットも用意されているので頂いてから町歩きを
はじめよう。(続)



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古い町並みとみたらし  (JR全線乗り潰しの旅)

2013-05-10 | Weblog
 駅前から続く安川通りを暫く歩き、“古い町並み”と書かれた標柱を見て右に折れ
ると、そこら辺りが一之町、二之町、三之町と呼ばれる、三つの町筋からなる古い
町並みが広がる伝統的建造物群保存地区である。



 お土産物屋、食事処、老舗の酒屋、味噌蔵等に混じって考古館、民芸館、記念館
等も有り、出格子の美しい町屋が軒を連ねている。





 古い町並みを抜け、宮川に架かる赤い欄干の中橋を渡ると、右手に高山名物の
“みたらし”を売る屋台が建っている。





 “みたらし”を売る店は、古い町並みの中にもあり、また鍛冶橋のたもとにある屋台は
知る人ぞ知る有名店で、高山では観光客や地元の人々にも愛されている。
 たっぷりと醤油だれを潜らせてじっくり火であぶるので、甘くもなく本当に美味しい。
何よりも醤油の焦げる香ばしい匂いが食欲を誘う庶民的な味は、食べ歩きも楽しく古い
町並みにすっかりと溶け込んでいるようだ。



 幕府直轄となった高山の天領としての政務が行われたのが「高山陣屋」で、ここら
辺りがかつての飛騨地方の中心であったところである。



 陣屋の中には復元された群代の役宅、公式の会議が行われて大広間、事件の
取り調べを行ったお白州等が残されている。
 陣屋門前の広場でも江戸時代から続く朝市が毎日開かれている。







 このほかにも、昭和30年代へのタイムスリップが出来る「高山昭和館」、山下清の
原画を展示する「高山本町美術館」など、市内には見どころも多くどこも大勢の観光
客で賑わっている。(続)



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