簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

古湯坊・源泉館

2011-03-30 | Weblog
 今晩の宿、古湯坊・源泉館は神泉橋を渡り、僅かばかりの坂道を登った先に有る。
館内にエレベータも無い、昭和の佇まいを残す、情緒ある湯宿である。
 「源泉湯宿を守る会」認定の旅館の玄関先には、“源泉かけながしの宿”の看板が掛けられていた。





 階段を上がり、案内された部屋は、入り口に「馬場美濃守」と書かれている。
馬場美濃守は、設楽が原の戦いで、主君武田勝頼が逃げ延びるのを見届けて後、敵に自ら首を与え、
忠義を果たした勇猛果敢な武将として知られている。
隣が「山本勘助」だから、各部屋には、甲府縁の武将の名がつけられているようだ。



 本館には、泉温50度のアルカリ性単純泉の男女別温泉が有る。
しかし、何といってもこの宿の自慢は、「隠し湯 大岩風呂(混浴)」だ。
 弱アルカリ性単純温泉、無色透明、無味無臭、最大の特徴は温泉の温度。
季節によって変動するらしいが、およそ30度。
毎分200~400リットルも湧出する、天然かけ流しの100%温泉である。

 早速浴衣に着替え、タオルを下げて本館のすぐ横にある別館・神泉の大岩風呂に向かう。
この別館は、湯治客や長期間の滞在をするお客向けの施設らしくその一階に温泉は有る。



 玄関を入るとチョッとしたロビーが有る。
混浴なので女性客を意識して、ガーゼ生地のバスタオルを有料で貸し出してくれる。(買い取りも可)
低温岩風呂にはすでに先客がいた。(続)





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下部温泉郷 (JR乗り潰しの旅)

2011-03-28 | Weblog
 夕方6時前に、下部温泉に到着した。
ここ下部温泉は、その昔、武田信玄が川中島の戦いにおいて、その宿敵上杉謙信から受けた
肩の刀傷を癒しに訪れたとの言い伝えから「武田信玄 隠しの湯」として知られている。



 すでに江戸時代には湯治場として栄えていたらしく、そんな賑わいを演出したのは、身延山
久遠寺に参詣する庶民であったと伝えられている。

 かつては、井伏鱒二、若山牧水、高浜虚子などの文人墨客に愛された湯治場でもある。
温泉街には、虚子や牧水の歌碑が残されている。
今では、源泉が胃腸に良いとされ、ミネラルウォータとして売られ、日本の名湯百選にも選ばれ
たことで知られている。



 駅前の旅館組合の案内所に、旅館の名前と電話番号を書いた大きな看板がかかっている。
ざっと数えてみると40軒程書かれているから、結構宿は多くあるようだ。



 駅前には迎えをお願いしておいたので、すでにワゴン車が我々の到着を待っていた。
温泉街は、富士川の支流、下部川に沿った県道を2キロほど遡ったところに有る。
この川の上流を中心とする地域は、東日本では有数の、ゲンジボタルが自然繁殖するところらしい。



 この川でも蛍を見る事が出来ると言う。
蛍の乱舞するシーズンには、各宿が上流のホタル公園まで、宿泊客を送迎バスで運ぶ
サービスが有るらしい。(続)





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富士の眺めを堪能 (JR乗り潰しの旅)

2011-03-25 | Weblog
 富士から20分ほどで、富士宮に到着する。
この地は、広大な裾野に市街地が開けている。
見渡すと、遥か町並みが途切れたその先から、緩やかにスロープが延びる。
その上に立ちあがる富士山の大パノラマには、思わず見惚れてしまう。
僅か2分の停車時間が恨めしい。



 ここ富士宮は、B級グルメ「富士宮やきそば」で有名な町だ。
2006年から始まったB-1グランプリの第一、二回で連続優勝。
これがブームの始まりで、焼きそばを目当てに訪れる観光客は年間100万人、この10年間の
経済効果は400億~500億円と試算されている。

 腰の強い麺が特徴で、お店ごとにソース・トッピングが微妙に違っているので、食べ比べが
楽しいだろう・・とパンフレットに書いてあり、食欲をそそられたが、今回の旅では残念ながら下車する
予定が無いので、止む無く指を銜えるだけにする。



 西富士宮を出た列車は、今来た方向に逆戻りするように大きくカーブしながら25パーミルの急坂を登り、
峠を越えると今度は急坂を一気に下る。
この辺りでは、富士山が車窓左手に見えてくる事も有る。
左や右、そして後ろに展開する富士山を、写真に撮ろうとすると、車内の移動も忙しい。

 しかし、十分に車窓を楽しませてくれた富士山とはそろそろお別れだ。
沼久保辺りで再び進路を北に取ると、今度は富士川が寄り添って来る。
熊本県の球磨川、山形県の最上川と並んで日本三大急流の一つに数えられているこの川は、正に
日本を二分する断層の中を悠然と流れている。(続)






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身延線 (JR乗り潰しの旅)

2011-03-23 | Weblog
 東海道線の富士駅は、同線開通後当時の加島村による「加島駅」開業の熱心な誘致活動
の結果、開通から20年を経て設けられた駅である。
その駅名は、富士山、富士川が近い事から、それに因み名付けられたそうだ。



 製紙工場の立地する東海道線のこの駅から出発する身延線は、山梨県の甲府駅まで、
88.4Kmを39駅で結ぶ。
日本列島を分断する中央構造線、所謂フォッサマグナ断層に沿って延びる路線の前半は、
雄大な富士の姿を眺めながら、そしてその後は、ほぼ富士川に沿ってその流れを眺めながら走る、
風光明美なローカル線と言ったイメージだ。



 ローカル線とは言え、静岡・甲府間には特急が一日七往復も運行されているので、ビジネスや
観光に利用する客も多いのであろう。
特に観光には、乗り降り自由の「休日乗り放題きっぷ」も発売されている。

 富士-富士宮間、鰍沢口-甲府間は比較的本数も多いが、富士宮-鰍沢口間では特急も含めると
大凡1時間に一本程度と、若干便利が悪くなるが、主要な観光地を巡るのには、さほど不便を感じる
事も無さそうな路線でもある。



 定刻、列車がホームを離れる。
ゆっくりとカーブしながら市街地を抜けると、右手にいきなり富士山が見えてくる。
まさに観光路線の面目躍如、掛る雲も少なく、事の他美しく見える山容が旅の友ともなれば、
もうこれだけでも十分に鉄道の旅を堪能する事が出来る。(続)





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緊急自動車

2011-03-21 | Weblog
 緊急自動車が近づいた時もドライバーは、当然進路を譲る義務を負う。
しかし、なかなか進路を譲らない車を時々見かける。
譲らないと言うより、恐らく接近に気付いていないのではないかと思われる節もある。



 何かに気を取られる余り、周りに気を配った運転をしていないのかも知れない。
元々他者に道を譲ろうとの思いやる心が無い横着なドライバーもいるのかも知れない。
もしかしたら、大音量で車内オーディオを聞いていて、緊急サイレンが聞こえないことも有るのだろう。
最近はこう言った行為への取り締まりが強化されるようになった。



 いずれにしても周りの状況への気配りが無く、お互い謙虚に譲り合う心が無い。
自分の世界に浸り、周りの状況が読めない。
こんなドライバーが案外多いように思えるのが気がかりだ。

 最近の町中の騒音が、緊急車両のサイレンを聞き取り難くしているようにも思う。
どこかの街宣車程の大音響程は必要ないが、もう少し上げても良いのではなかろうか。

 近年では、技術も進歩しているのだから、車載オーディオに、強制割り込みで音声が流れる機能を付け、
緊急自動車が背後に近づくとオーディオの使用中、不使用中に関わらず、「緊急自動車が近づきました。
道を空けてください」と、こんなアナウンスを流す装置の装着が義務付けられれば良いとも思う。

 二十数年前、救急搬送された病院で緊急手術を受け、どうにか大事に至らなかった経験があるだけに、
救急車を見るとどうしても他人事とは思えないのである。




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バスへの思いやり

2011-03-18 | Weblog
 道路には、「バス専用」或は「バス優先」とかかれた通行区分帯が有る。
「バス専用」は、一部の例外を除いてバス以外の通行は出来ない。
また、「バス優先」は、バスが近づいたらそこから出てバスに道を譲らなければならないと教習所で習った。

 マイカーを捨て、バスに乗り仕事場に向うようになって、バスの車窓から眺めていると、バスの運行に対し、
思いやるドライバーの少ない事に驚かされる。
もしかしたら、マイカーの時の自分も、そんな一人だったのかも知れないが・・・。

 殆どのドライバーは、もうすっかりこんなルールは忘れてしまったらしい。
「バス専用」帯を堂々と、走り抜ける車を目にする事が有る。
「バス優先」の車線で、バスが背後に近づいても道を譲ろうとしないドライバーも多い。
それどころか、右側から大きく回り込んで、バスの前に割り込む車も少なく無い。
勿論、ルールを弁え、模範的な運転を心がけているドライバーもいるにはいるが、残念ながらほんの
少数派で有る。

 なぜこんなにまで、バスに対する思いやり運転が出来ないのだろうか。
一つにはマイカーが普及して、バスに乗る機会がめっきり減ってしまったことが挙げられる。
バスの乗客に成って、当事者の立場で廻りが見られないのが大きいのではなかろうか。
乗ってみると見える事が、乗らないから見えてこない、感じられない。
そのことが“自己中ドライバー”を多くしているようなに思える。

 それに、優先通行帯での違反を、警察が取り締まるところを殆ど見たことが無い。
だからドライバーは安心仕切って何の頓着もなく平然と走っている。







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バスの発進

2011-03-16 | Weblog
 バス停でバスが乗客を乗せ終わり、方向指示器を出して発進しようとしている。
ハンドルを切り、車をジリジリと少しずつ前に寄せながら間隙を窺ったり、席横の小窓から白い手袋を
差し出して停止を促したり、ミラーを睨めじっと後続の車が途切れるのを待つたり等、バスのドライバーの
対応は様々だ。

 道路交通法ではこのようにバスが発進しようとしている場合、「(前文略)後方の車はその発進を
妨げてはいけない」事になっている。
しかし、見ていると素直に道を譲るドライバーは意外と少ない。
譲るどころか、猛スピードで横を駆け抜けて行く。
そうかと思うと、動き始めたバスを、中央線をはみ出して追い越していく、そんなドライバーを見かける
事もしばしば有る。

 そんなわけで、バス停からの発進はなかなかままならない。
こんな事が積み重なって、バスの正常な運行に支障を来たしているのかも知れない。

 制限速度で走るバスの後は、そのスピードがもどかしく、時には流れに乗って走ってくれと言いたくなる
ようなことも有る。
加えて大きな車体が目の前に有れば前方への視界も悪いから、その直後を走るのが嫌な気持ちは解らぬ
でもない。

 しかし、市街地の朝の道路は渋滞していることが多い。
無理やり、強引にバスの前に出たからと言って、その先がスイスイと走れるわけでもない。
それに朝は殆どのバス停でお客を拾うから、多くの場合先のバス停に停まるまで我慢すれば済む事である。
これだけのことすら我慢が出来ないせっかちなドライバーは意外と多い。






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バスの中で

2011-03-14 | Weblog
 「ちょっと~ぉ、やめてくれる~ぅ、もぉ~。」
女性の苛立ったような甲高い声が車内に響くと、あたりが一瞬静まり返った。
何が起こったのか・・?

 バス停に停まったバス。
乗客が数人、席を立ち降車口に向かい、次々と降りて行った。
その列の最後尾の女性が、降り口付近で立ち止まり定期券を示し、降りようとした時の事。
覗きこむように首を伸ばし、傾け、そして左右に振るような仕草を二三度繰り返す運転手。
その間、時間にすればほんの二三秒。

 「逆さまに成っているもんで・・・・」と顔を赤らめる運転手。
「逆さまが解っているんだから・・・解っているんでしょ・・」と返すその女性。

 憤懣遣るかたない、との思いを足元に込めたのか、タラップを踏み鳴らすように大きな音を
立ててバスを降りた。
それでも腹の虫がおさまらないのか、振り向きざまに、冷たい視線で運転手を一瞥、ようやく
踵を返し、両の手に荷物を下げて足早に去って行った。

 件の女性、四つ五つ手前の、大きなスーパーの前のバス停から乗り込んで来た。
ショッピングカートに買い物袋を乗せてバスを待っていたから、カートを所定の場所に返す事も
せず、バス停に放置したまま乗り込んだ様子だ。

 帰宅時の、何時ものバスの中、何気なく眺めていた車内でのチョッとした出来事である。





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昔のバス

2011-03-11 | Weblog
 昔は、市内電車・郊外電車などと共に、主な通勤手段としてのバスは、街中に網の目のような
路線を持ち、頻繁に走っていた。
今のようなワンマンではなく、首からかばんを提げた車掌さんが乗務するバスである。

 車掌さんが乗務しているから、当然のことながら乗降口は中央に一箇所のみ。
扉は、車掌さんが手で開閉する。
そんなバスの座席は、車両の両側に、前から後ろまでのロングシートであった。
最後尾にも前向きのロングシートがあり、所謂「三面シート」だったように覚えている。
多くの乗客が座る事が出来、尚且つ立ち客も沢山収容できることから、ラッシュ時の輸送確保の
ためこの形態が採用されたと聞いている。

 朝夕は、とにかく物凄いラッシュであった。
と言ってもこれは道路事情の事ではなく、バスの車内の事である。
殆ど始発で一杯乗せてくるので、途中のバス停では降りる客が居ない限り止ってはくれない。
車掌が窓から首を出し、「満員で~す。通過しま~す。」

 たまたま降りようとすると、客は車内の人混みを掻き分け、出口を目指さなければならないし、
車掌は二つ折りの手動扉を、開けなければ成らない。
何しろ、乗降口のステップにも何人もの乗客が立っているのだから、扉を開けるのが一仕事。

 客が降りた後がまた、凄まじい。
何台も満員通過で、待たされているだけに、乗ろうとする乗客が我先に入口に殺到する。
満員で乗れない筈なのに、それでも何人かが乗り込みに成功する。
昔のバスには、こんなエネルギッシュな凄まじさが有った。




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凄まじいラッシュ

2011-03-09 | Weblog
 バス通も6年近くに成る。
長年車で通勤してきた身には、当初、マイカー通勤禁止には些か抵抗が有った。
しかし、これだけ長く続けていると、不思議な事にこの不便さにも慣れてしまう。
とは言っても、不便である事に変わりはない。

 昨今のように、熱い日と寒い日が極端に続くような季節に、何時やってくるかもしれないバスを、
唯ひたすら待ち続ける時には、目の前を行き交うマイカーが本当に恨めしく思える。

 バスだけに責任が有るわけではないが、特に雨降りの遅延にはうんざりする。
雨降りにマイカーに振りかえる人の多さと相まって、運転のし辛さから来る、流れの停滞が原因で
は有ろうが、雨の日こそ公共交通機関を使って欲しい・・と何時も思うのである。

 最近では、渋滞の最後尾が「えっ、こんなところから・・・」と思うくらい、凄まじいラッシュ
を目にすることも珍しくは無い。
渋滞と言うよりは、殆ど停滞と言って良い程に流れが悪く、動かない。

 流れの悪さから来るドライバーの苛立ちが根底にあり、交差点や合流での無理な割り込み、譲り
合いの欠如が渋滞に拍車をかけている。
 これだけの渋滞に成れば、マイカーであっても早く行けると言うわけでもないだろう。
自身の車が、この渋滞に拍車をかけている事に早く気付いて欲しい。
各自の自覚とチョッとした行動が有れば、この凄まじいラッシュは多少なりとも解消されるような
気がしてならない。

そういえば、高度成長期の就職して間の無い頃利用していた通勤バスにも、凄まじいラッシュが
有った。




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