前面には晴れていれば富士山を映す芦ノ湖が、背後には屏風山が聳え立つそんな
地に、箱根の関所は造られている。
まさに人が通るにはここしかない、と思えるほどの狭小な平地である。
今の建物は平成19(2007)年に復元されたもので、江戸後期の頃の様子を伝える
ものだと言う。関所を体験するテーマパークのような施設で、手形改めや、女性の
取り調べの様子、ここに詰める番所役人の生活ぶりなどが、人形を使って再現され
ている。傍らには資料館も併設されている。
街道を整備した江戸幕府は、全国に53か所に余る関所を設けたが、ここ箱根の
関所は江戸の守りを担う関所として規模も大きく、重要視されていた。
渋墨塗りと言われる総黒塗りの建物は、幕府の威厳を表わし、周囲を威嚇するには
十分で、旅人を威圧し、緊張感を強いていたようだ。
取り調べをする部屋にも、火縄銃や弓矢などをこれ見よがしに並べ立てている。
番所の周りや、背後の山、芦ノ湖の湖岸にまで強固な柵を巡らし、関所破りをさ
せない備えがされていた。
抜け道となる間道の要所にも「裏関所」が設けられて、厳しく監視していたと言う。
また街道を行き来する旅人も常時監視の対象となっていたようだ。
その役割を担ったのが、「関所守り村」の存在だ。
箱根で言えば、間の宿・畑宿で、ここの宿内では村人が商いをする傍ら、通行人監視
と言う任も担っていたらしく、いわば「影の関所」の役目を果たしていた。
そんな備えが有り、関所破りは大罪と流布されていたので、250年に余る関所の歴
史で、ここを破ったものは5人しかいないと記録には残されていると言う。
(東海道歩き旅・相模の国編 完)
ホームページはこちら
にほんブログ村