「お江戸日本橋 七つ立ち・・・♪」
昔の旅人は、今で言う午前4時ころ、まだ夜も明けやらぬ暗い中、提灯に明かりを
灯し、日本橋を渡り、東海道を歩き始めたそうだ。
そこから高輪の大木戸までは6キロ余り、ゆっくり歩いても二時間足らずの距離だ。
東海道五十三次歩きを思い立ち、何かの参考にでもなればと出発前、改めて十
辺舎一九の「東海道中膝栗毛」を読み直してみた。
主人公・弥次さん喜多さんもてっきりそうしたものと思い込んでいたので、それを確
かめてみたかったのだ。ところが・・・。
『神田の八丁堀に独住の弥次郎兵へといふのふらくもの、食客の喜多八もろとも、
朽木草鞋の足もと軽く、(中略) はやくも高なはの町に来かゝり、』
(日本古典文学全集49 「東海道中膝栗毛」 昭和50年12月 小学館)
ところが七つ立ちとも、提灯を灯したとも、そんなことはどこにも書かれてはいない。
『百銅地腹をきつて、往来の切手をもらひ、大屋へ古借をすましたかわり、お関所
の手形をうけとり、(中略)酒屋と米やのはらひをせず、だしぬけにしたればさぞやう
らみん、』借金を踏み倒し旅立ったのは神田の八丁堀とあるから、日本橋を渡ったこ
とは確かなようだ。
当時の江戸っ子にとってここ、高輪の木戸まではご府内で、これを潜るといよいよ
東海道、旅の始まりと言う感覚であったようだ。
ここで提灯の明かりを消して、改めて草鞋の紐を結びなおし、木戸が開けられる明
け六つ(凡そ現在の午前6時頃)を待ったのであろう。
この地に立つと、そんな姿が見えてくる。
高輪の木戸を抜け、忠臣蔵で有名な赤穂藩縁の泉岳寺を右に見る。
久しぶりに浪士の墓でも詣でたいところだが、時間もないのでそこは我慢である。
先に進むと品川だ。(続)
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