簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

ウミネコの町へ(JR乗り潰しの旅)

2011-02-28 | Weblog


 久慈からは、八戸線で終点の八戸に向かう。
64.9Kmを25駅で結ぶこの路線は、途中の鮫から八戸間は「うみねこレール八戸線」と言う愛称が付けられている。





 駅を出ると、暫くして列車はかなりの勾配を昇り、海から離れた山の中の駅「侍浜」を目指す。
ここで峠を越え、後は、海側の陸中中野に向かって下っていく。
そしてここから先は、ほぼ太平洋に沿って北上する。

 車窓から見る限りここら辺りは、白砂青松の静かな海が多い。
時折岩場に弾ける白い波頭を目にすることも有るが、リアス式海岸とは趣を異にし、比較的穏やかな海岸線が続いている。



 やがて遥か前方の湾を隔てた陸地に、白い煙りを吹き上げる工場群の煙突が見えてくると八戸港だ。



 その港の中、お椀を伏せたような、こんもり盛りあがった小高い山の上に神社が見えてくる。
ウミネコの繁殖地として、国の天然記念物に指定されている「蕪島」の「蕪嶋神社」だ。
赤い鳥居が印象的だ。
今では島は、埋め立てられ、陸地続きに成っている。



 ウミネコの糞なのか、山肌の所々が白く成っている。
ウミネコは、夏が終わると南に飛び立って行くらしい。
繁殖期には乱舞するウミネコの姿を見られるが、この時期に見る事は出来ない。
それでも何羽かの鳥が空をユックリ舞っていた。
この地に残り、この島で冬越しをするウミネコもいるらしい。

 内陸に向かい、市街地を高架で駆け抜けると終点の八戸はすぐである。
ここからは、新幹線に乗って帰途に着く。(JR乗り潰しの旅・完)



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三陸鉄道北リアス線(JR乗り潰しの旅)

2011-02-25 | Weblog
 これに乗り遅れると、次は17時20分まで待つことに成るので、乗り遅れるわけにはいかない。
8時01分発の列車で折り返し、9時過ぎ再び宮古に戻ってきた。



 折角だから、駅から近い宮古魚菜市場に立ち寄ってみる。
駅前から真っ直ぐに延びる広い道を10分程歩くとそれは有る。



 さすがに市民の台所と言われるだけあって、市場は海産物や青果物、果物からお菓子、日用品まで、
あらゆる品々が溢れている。
市場の中央には、ちょっとした広場があって、近郊農家のおばあちゃん手作りの野菜などが並べられ、
それを買い求める多くの人々で活気が溢れていた。
 少しばかりのお土産と、お昼ごはんに成りそうなものを買い求め、駅に向かった。







 三陸鉄道北リアス線は、三陸の海岸線に沿って、久慈までの71Kmを1時間半ほどで結んでいる。
ここら辺りの海岸は、大昔地殻変動で隆起してできたものらしく、幾つもの深い入れ江が入り組んでいるため、
海近くに鉄路を建設する事が出来ず、路線の殆どが高架橋と43ケ所のトンネルで占められている。
そのトンネルの総延長が40Km近いと言うから、全線の半分以上を占めることに成る。

しかしトンネルは多いものの、それを抜けた瞬間に、いきなり広がる太平洋の大パノラマは、雄大で、見応えがある。
その上、絶景ポイントでは、一旦停車するサービスも有り、ゆっくりとこの景色を堪能する事が出来る。



 この路線では、冬場の土・日・祝には、「こたつ列車」が運行される。
車内のストーブで「生せんべい」を焼いて、乗客に渡すサービスも有るらしい。
この列車は、普段は、お座敷構造に転換し、団体列車として使われる事も有ると言う。(続)




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和井内・・・(JR乗り潰しの旅)

2011-02-23 | Weblog
 列車は3000メートル程の押角トンネルで峠を越すと、後は一気に岩泉の市街地に向けて下って行く。



 茂市からは、1時間足らずで岩泉に到着した。
寂しい谷合を上ってきたので、さぞかし寂しい無人駅かと思ったが、思いがけず、駅は大きくて立派な建屋を構えていた。



 駅前も結構な広さがあり、こんな山奥にしては意外である。
先ほど列車と競って国道を走ってきたバスの方が、少し早かったようである。
「龍泉洞」と書いたボディを、バス停に休めていた。

 龍泉洞は日本三大鍾乳洞の一つに数えられ、国の天然記念物である。
初めてここを訪ねたのは30年余り前、新婚旅行の時である。
洞内にある、コバルトブルーの水を湛えた地底湖の透明度と、神秘なまでの静寂に、いたく感動した事を覚えている。



 列車の運転士にお願いし、ホームの駅名標示板の前で、写真を撮ってもらった。
「この線も小本(三陸鉄道北リアス線)に繋がっていたら、こんなことは無かったのに・・・」
計画は有ったが、着工がなされないまま頓挫、今では、盲腸線に成り下がってしまった。
「近くに龍泉洞が有っても、電車で来る人はまずいない」
運転士は、こんな話を聞かせてくれた。



 帰路、和井内で思い出した。
確か小学校か中学校の、国語だったか社会だったかで習ったような記憶が甦ってきた。
「和井内貞行と言う人がひどく苦心の末、ヒメマスの養殖に成功した」
しかし、あれは十和田湖でのことだった・・・と思い出されてきたが。
こことは何か関係が有るのであろうか。(続)



注)岩泉線は、現在「土砂崩壊」のため、バスによる代行輸送が行われている。
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岩泉線(JR乗り潰しの旅)

2011-02-21 | Weblog
 これぞローカル線の代表と言っても決して過言ではない程のローカル線だと思う。
なにせ、僅か40Kmに満たない路線を走る列車は一日僅かに三往復。
しかもその時間帯が、何とも泣かせるのが岩泉線である。

 茂市を朝7時台に発車する列車は、50分ほどかけて終点の岩泉に到着する。
その列車はそのまま折り返して、茂市から山田線に入り、宮古まで行く。
しかし、その次の岩泉行きとなると15時台まで無く、さらにその次となると18時台、これが最終である。





 この日、夜も明けやらぬ6時35分の列車で宮古を発った。
閉伊川を左に見ながら、凡そ20分ほどで茂市に到着する。
いかに太平洋岸が温かいとは言え、さすがにこの辺りまで来ると積もる雪も多く成る。
ホームに入ってきた、岩泉行きの気動車の前面には雪が凍りついている。




 閉伊川の支流であろうか、列車は川に沿った急坂をエンジン音も高くいきなり昇り始める。
途中、岩手和井内駅にふと何か思い当たるものを感じた。
「和井内・・・」どこかで聞いた事が有るような。
しかし、俄かには思い出せない。



 谷は益々深く成り、線路には山肌が迫ってくる。
トンネルが連続し、列車は崖っ淵を行く。
 人家もだんだん無くなってきた。
列車は時刻表通り駅々で停車を繰り返すが、乗り込むお客は殆ど無い。
駅の周りにも人家が少ないのだから、当然と言えば当然であるが、それにしても寂しいところだ。
 岩泉の駅で列車と接続をするので有ろうか、小さなバスが、競うように国道340号を走っている。(続)






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釜石にて(JR乗り潰しの旅)

2011-02-18 | Weblog
 夕方6時少し前に釜石に到着した。
すぐに乗り継げる便もあったが、折角だからここで、地のもので夕食をと思い一列車遅らすことにした。





 この時期の日没は本当に早い。
駅前正面の新日本製鐵釜石製鐵所の巨大な建物が、黒いシルエットと成って聳えている。
窓から僅かばかりの明かりを漏らしているだけなので、駅前は随分と暗かった。
日本を代表する企業の城下町の割りには、人の通りも少なく、思った以上に活気が感じられない町である。



 駅のすぐ右手に、「駅前橋上市場 サン・フィッシュ釜石」がある。
何か地のものでも・・と思い、予め調べておいたお目当ての店を訪ねてみたが、生憎丁度閉店したところ。
こんなに早い時間に閉めるとは思ってもいなかった。
もう少ししっかりと営業時間まで調べておくのだったと後悔した。
他に一軒だけ開けているところも有ったが、高そうな構えの店なので入るのを止めた。

 仕方なく今売出し中の「釜石ラーメン」でもと思い、駅に戻り駅員に評判の店を尋ねたら、お気に入りの店は
駅の近くには無いとのこと。
駅の近くにも店は有るらしいが、折角なら評判の店で食べてみたい。
急げば、行けなくもないが、気ぜわしいので結局諦めた。
コンビニでありふれた夕食を買い、駅のベンチで摂ることにした。

 山田線で宮古までは、1時間20分余りだ。
「ようおでんした」と歓迎の横断幕のかかる終着宮古には9時少し前に到着した。
ここ、本州最東端で列車を降りる人は数える程で、最果ては寂し町だった。(続)





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三陸鉄道南リアス線(JR乗り潰しの旅)

2011-02-16 | Weblog
 気仙沼からは、10分程の待ち合わせで、盛に向かう列車に乗り継ぐ事が出来た。
一ノ関を起点とする大船渡線は、ここ気仙沼から、三陸海岸に沿って、盛りに向かう。



 気仙沼では丁度「気仙沼 ホルモンまつり」の開催中であった。
気仙沼ホルモンとは、豚の生のモツをミックスし、ニンニク味噌で味付け焼いたもので、キャベツを添えて食べるらしい。
どんな味か食べてみたかったが・・ここでユックリも出来ないので指を銜えて通り過ぎることにした。残念。

 気仙沼から1時間余りで盛りに到着した。
ここからは、三陸鉄道南リアス線の釜石行きに7分ほどで連絡する。
冬の日没は早く、アイボリーホワイト地に、赤と青の帯の入った36型気動車に乗り込む頃には、辺りは暗く成っていた。





 青春18切符を持って乗り継ぐと、運賃は約半額に割り引くサービスも有り嬉しい限りだ。
盛-釜石間は36.6Kmあり、ここを45分で結んでいる。
この路線の特徴は何と言ってもトンネルの多いこと。
大小合わせると19か所もあり、その総延長はなんと22Km余りで、半分以上がトンネルと言う事に成る。

 盛から三つめに“恋し浜”と言う駅が有る。
元々は“小石浜”と書いていたが、鉄道ファンがこの駅で結婚式を挙げるなど、名が知れ渡ったので、その人気に
あやかって平成21年に改名されたと言う。
今は、恋愛成就の駅として人気が高く、ホタテを絵馬に見立てた「恋し浜絵馬」が駅の壁を覆い尽くしている。(続)




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日本一海岸に近い駅(JR乗り潰しの旅)

2011-02-14 | Weblog
 気仙沼線の殆どの列車は小牛田から出発する。
この線の起点は前谷地で、そこから終点の気仙沼まで72.8Kmを23駅で結んでいる。
この路線には快速も何本か運行されているので、三陸海岸に向かう利用者もそれなりに多いのかもしれない。



 暫くは先ほど見た雪化粧の穀倉地帯を走る。
途中で北上川を渡り、3500m余りの横山トンネルを抜けると陸前戸倉に到着する。
丁度ここまでが1時間ほどで、時間的にはほぼ中間点と言う事に成るが、ここから車窓の風景ががらりと趣を変える。



 今までの内陸風景は影を潜め、車窓右手には三陸の海が広がる。
しかし、線路は複雑に入り組んだ、リアス式海岸にお付き合いする事も無く、多くの場合トンネルで突っ切って
進んで行くので、折角の絶景が何度も遮られてしまうのがいささか残念。



 大谷海岸は、「日本一海岸に近い駅」として知られた駅である。
ここは、『日本の快水浴場百選』に選ばれた、全国でも有数の海水浴場。
駅から徒歩30秒が自慢の、東北で一番早く海開きが行われる海水浴場らしい。
駅の前、線路の直ぐ脇まで海岸が迫っており、なるほど近い。



 気仙沼は全国でも有数な水揚げを誇る港町で、とりわけ遠洋マグロ漁業の基地としても知られている。
そんな漁港や魚市場へは、南気仙沼からはさほど遠くは無い。
 列車は、ここから大川に沿って、市街地を回り込む。
気仙沼に近付くにつれ、地面に積もる雪が少し多く成ったようだ。
不動の沢を過ぎた辺りで、大きくヘアピンのようにカーブして、終点の気仙沼に到着する。(続)






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すっぽこ汁(JR乗り潰しの旅)

2011-02-11 | Weblog


 女川を11時過ぎの列車に乗り、途中石巻を経て、気仙沼線の起点駅・前谷地から更にその先小牛田に向かう。
小牛田から再び前谷地まで戻り、そこから気仙沼線の終点、気仙沼に向かう。
今日は些か強行軍で、そこから更に大船渡線、三陸鉄道南リアス線と乗り継いで、宮古まで行く予定だ。
それと言うのも、明日便利の悪い岩泉線に乗るためだ。

 女川から万石浦の穏やかな海を見ながら進む。
列車は石巻を過ぎると旧北上川に沿って、内陸部に向かう。
周りに広がる薄らと雪化粧した広大な穀倉平野を見ながら、女川からは1時間半程で終点の小牛田に到着する。





 駅を出ると小雪が舞っていた。
丁度昼時でもあり、こんな寒い日は、何か温まるものが良いが・・と捜していると、「すっぽこ汁」
と書かれた幟旗が目に留まった。
興味を引いたので、暖簾を分けて店を訪ねてみる。





 「元祖すっぽこ汁定食」とメニューにあったので早速注文してみる。
暫くしてお椀が運ばれてきた。
店の女将さんに「どう言うものか」と訪ねると、こんな謂れを話してくれた。
「一種の精進料理らしい。葬式や法事の本膳の後、裏方を慰労するために造られたらしく、汁もの
と言うよりは、具沢山なあんかけ料理で、この地方には明治以前から伝えられている郷土料理だ」と言う。
何種類かの野菜、豆腐、油揚げ、豆麩などに鶏肉を加え、醤油味のあんかけでまとめている。
これが、アツアツで、ボリュームも有り、期待以上に美味しかった。(続)



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マリンパル女川

2011-02-09 | Weblog
 駅の隣に「女川温泉 ゆぽっぽ」があり、その玄関前に足湯がある。
土地のお年寄りが何人か四方山話をしていたので中を覗くと、「浸かって行け」と席を空け、すすめてくれた。
ユックリも出来ないので「時間が無いから・・・」とお断りし、そこを後にする。



 駅からは、5分も歩かないうちに港に行き当たる。
冷たい風が少しばかり強く吹いてはいるが、海は穏やかで、遥か沖の小さな島まで見通す事が出来る。



 そんな海に沿ってさらに5分程歩くと、半円を中央の道路で割ったような建物の「マリンパル女川」がある。
 向かって右側の建物が、海と海洋をテーマにした「知の遊園地」、海と関わってきた女川の今昔を
パネルや展示物で紹介している。
一方反対側の建物が、新鮮な魚と味覚をテーマにした「食の遊園地」で、豊かなリアス式海岸沖で
採れた魚介類が並び、港町女川ならではの味が楽しめるレストランが併設されている。





 1時間程館内を見学して、再び港を散策していると、いきなり吹雪いて来た。
堪らず観光桟橋の乗船所に駆け込んだ。
中で休んでいたお年寄りが、「船は、たった今出たところだ」と、金華山行きの船にでも乗ると思ったのか、
心配して声をかけて来た。
「いや、そうじゃない。急に雪が・・」と窓の外を指さすと、初めて気がついたのか、立ちあがり、窓から
海をながめながら「何時の間に・・」と言った。
「金華山は、少し前まで紅葉が良かった。行った事は有るか」と聞いて来たので、「女川は初めてだ」と返す。
暫く話し込んでいると雪も止んだので駅に向かう。(続)





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港町女川(JR乗り潰しの旅)

2011-02-07 | Weblog
 石巻線に乗る。
女川と、内陸部仙石平野に位置する小牛田間を44.9Kmで結ぶ路線だ。
8時過ぎの列車だと言うのに、何人かの乗客が乗り込んだものの、車内は空いていた。


 
 暫く走ると車窓右手に、きらきらと朝日に輝く海が見えた。
カキの養殖で有ろうか、無数の筏が穏やかな海に浮かんでいる。



 列車は、40分ほどで女川駅に到着する。
到着したホームの反対側に赤く塗られたキハ40と言われる車両が留置されている。
駅の風景としては決して珍しい光景では無いが、これは実は珍しい電車である・・・と言うか、
これは電車ではない。
この正体は、何と駅に隣接した温泉の休憩施設。
ホームからその車内を窺い見る事は出来ないが、中はお座敷に改装されているらしい。



 ホームから駅の改札に向かう階段の中ほどの二段ほどが、青く塗り分けられている。
何の印だろうと、訝ってキョロキョロしていると、そのすぐ脇に立つ看板が目に留まった。
『階段の青い線まで津波が押し寄せました』と書いてあった。

 昭和35年5月23日に南米チリで発生した巨大地震は、丸一昼夜を経て、一万七千キロも隔てた
日本の太平洋沿岸地方に大津波となって襲いかかった。
これにより全国では、139人もの犠牲者と260億円もの被害をだす大惨事となった。
ここ女川町では人的な被害は無かったものの、被害額は25億円にも上ったと言う。



 折角ここまで来たのに、すぐに折り返してしまうのも勿体ないので、一列車遅らせて、少し町歩きを
楽しむことにした。(続)





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