簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

宇野駅前の再開発 (JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-02-27 | Weblog



 宇高連絡線の廃止により、宇野線の終着駅・宇野駅は港から後退した地に
小さく作り替えられた。その結果生まれた広大な跡地は再開発が進み、緑地
公園に変わった。公園内の旧駅舎の有った辺りには「愛の女神」と名付けら
れたアートモニュメントが設置されている。



 その先海を見下ろす地には、産業振興ビルが建っている。
ビルの屋上には、無料で入れる展望台が有り、ここからは宇野の街が一望で、
かつての海上航路に思いを馳せ、その先の高松まで見通すことが出来る。



 近頃では隣接する広大な遊休地に入浴施設「瀬戸内温泉たまの湯」が出来、
更にその横に観光客の宿泊ニーズに応えるホテルの整備計画の検討も進めら
れているようだ。
又港前の築港商店街もリニューアルし、同市出身の漫画家・いしいひさいち
とのコラボレーションを企画するなど、嘗ての輝きを取り戻そうとイベント
の開催などの動きも見られるそうだ。



 港には昔からの離島に向かうフェリー乗り場や、唯一残った四国に向かう
フェリー会社の乗り場桟橋も有るが、その周りは再整備され、かつて連絡船
が接岸した辺りに、3万トン級の大型客船が接岸できる近代的な県下最大級の
バースが作られた。



 かつて四国連絡の人々で賑わった港町は、一時廃れてしまったが、今では
大型客船の積極的な誘致を行っているという。
船で訪れる外国人観光客相手に活路を目指し、船から列車に乗り継ぐ旅や、
ここでしか体験できないオンリーワンのおもてなし策なども検討していると
いう。(JR乗り潰しの旅・宇野線・完)



次回から「春をまつ 上高地」が始まります。

「片上ひなめぐり」「井原鉄道井原線」
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宇野駅 (JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-02-25 | Weblog

 宇野線の終着駅・宇野。
事情を知る乗客が前方に移動を始めると、それに釣られるように他の乗客も
席を立ちそわそわと前に向かう。連絡船に乗り込む跨線橋はホーム前方だ。
列車が止まれると同時に、飛ぶようにホームに降りた大勢の乗客は、跨線橋
を駆け上がり、長い廊下を桟橋に向けて走り出す。





 昭和40年から50年代にかけての宇野線は、東京始発の特急1本、大阪発の
急行2本、快速・普通34本、そこに季節毎の臨時列車や貨物列車が加わる過
密気味のダイヤが物語るとおりの四国連絡の幹線路線であった。
(「ローカル線風土記 終着駅」毎日新聞社 昭和50年)

 高松からの連絡船が着岸すると、或は東京や大阪方面からの列車が到着す
ると、桟橋と2面4線(だったと記憶している)の長大なホームの間で繰り
広げられる毎度お馴染みの光景であったが、もうその姿を再び目にすること
は出来なくなった。





 瀬戸大橋が開通し、宇高連絡船が廃止になった宇野駅は、大きな変貌を遂げ
ることに成る。昭和63年、四国への玄関口としての使命を終えると、四国に繋
がる線路は断たれ、海からは遠ざかった地に新しい駅舎が建ち、旧駅舎が解体
された。長編成の列車や貨物列車が何本も出入りし、停留した広大なヤードは、
駅前広場の再開発であえなく消滅した。





 今では1面2線のホームにやってくる列車は、1時間に1本となり、駅の
利用客は1日平均1200人程度と低迷している。
そんな宇野線も近年瀬戸内の島々で行われるアートイベントへのアプローチ
路線として、利用客は増加傾向にあると言う。(続)

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宇野みなと線 (JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-02-22 | Weblog

 2016年3月北海道新幹線の開業に合わせ、JR各社はダイヤ改正を行った。
岡山支社でもそれを行うと同時に、この日を待って岡山駅の東口は天下の名
園へのアクセス口で有ることから「後楽園口」とし、西口は地元で活躍する
サッカーやバレボールのホームグラウンドとなる競技場がここにある事から
「運動公園口」とした。



 また管轄する各路線には、山陽本線がオレンジ、伯備線はグリーン、吉備
線はピンクなどのシンボルカラーを定め、視覚的にも解りやすくした。
これにより瀬戸大橋線は海をイメージしたのか鮮やかなブルーとなったが、
今や完全なローカル線と成り下がった宇野線は薄い水色で、シンボルカラー
までもが霞み、瀬戸大橋線の後塵を拝する事になった。





 さらに管内を走る吉備線には、古代吉備の国のももたろう伝説にあやかっ
て「ももたろう線」という愛称を導入した。
岡山はももたろう伝説を売りにする土地柄だけに日の目を見た格好である。
一方でここ宇野線にも、かつて宇高連絡線が栄えた時期があったこと、瀬戸
内に浮かぶ島々への玄関口が宇野港であることから「宇野みなと線」との愛
称がつけられた。





 新しい愛称で同線にかつての輝きを取り戻す・・・、そんな期待も俄かに
高まっての事だ。
しかもそれは、宇野港へ向かう路線であることを分りやすく伝え、利用客増
に繋げようとする試みではあろうが、現在の駅は港からはかなり後退し、昔
のように桟橋で結ばれ、陸と海を結ぶ玄関口のイメージはもはや薄らいでい
るだけに、なんだか思惑が空しく響いている。(続)



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フェリーへの期待 (JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-02-20 | Weblog



 瀬戸大橋の通行料金が下がり、JRの列車が便利になると、嘗ての四国連絡
の雄、本四連絡フェリーに勝ち目はない。
大橋開通前は何社もが豪華さを競う合戦を繰り広げた栄華の時代は終焉を迎え、
次々に航路からは撤退、今では辛うじて1社が細々と営業を続けるのみである。
とは言えフェリーの旅客数や利用車両数は、大橋開通前と比べると20分の1程度
と言うから悲惨である。



 しかし、思わぬ処からフェリーが見直されることになる。
昨年7月6日の西日本豪雨の折には、JRがその影響で早々と運休を決めてし
まった。元々大橋は風に弱いという致命的な欠点があったが、豪雨も例外で
はなかったのだ。
翌7日には四国側の道路事情もあり、高速道路も通行止めとなった。



 瀬戸大橋は鉄道と道路の併用橋で有る。
鉄道は時に強風や豪雨の影響を受け運休する。高速道路も同様な理由に交通
事故が加わり通行止めになったりもする。
このような時、その代替はこのフェリーに頼るしか無いのである。
その日は、多くの利用客がフェリー乗り場に押しかけた。



 フェリーさえも停まってしまえば四国は陸の孤島となってしまう。
ただ1社残ったフェリー会社を潰すわけにはいけない理由がそこにあり、これ
までも関係する自治体は補助金を出し支援を続けてきた。



 強風や台風、濃霧の影響で運休することはあるフェリーだが、輸送の安定
性では大橋より数段勝ることは過去のデーターからも明らかになっている。
そんなわけで今、悪天候時や災害時の緊急連絡手段としての航路に見直しの
機運が高まっている。(続)



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瀬戸大橋の弱点 (JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-02-18 | Weblog



 開通した瀬戸大橋の割高な通行料金から、当初はフェリー運航会社の経営
はこの先も安泰かに見えた。
しかし余りの高額な大橋の通行料金で利用が延びず、恩恵にあずかる筈の周
辺自治体からは目に見える効果が期待できないとあって、通行料の値下げ運
動がおこるようになる。



 その利用の大きな妨げとなっていた開通当初の1キロ当り約420円と言う高
額な通行料金は、その後紆余曲折を経て段階的に下げられ、今ではETC車なら
凡そ1/3となった。結果他の高速道路と比べればまだまだ割高感は拭えないが、
それでも通行量は大幅に増えた。と同時にフェリーの利用客は激減した。



 たちまち経営難に陥った船会社の内、何社は敢え無く撤退、今唯一一社が
一日に数往復と心細い運行を受け持つのみとなってしまった。
今では一社独占とは言え、先行きに大きな不安を抱えての営業が続いている。



 一方大橋を渡る鉄道も、岡山と高松を凡そ1時間で結ぶ快速マリンライナー
が1時間に2本程度運行し、更にその間を縫うように特急が、高知には「南風」、
松山には「しおかぜ」が1時間に1本ほどの割で運行し、四国連絡の利便性は
格段に向上した。
その結果、四国と本州間では通勤や通学に、また買い物や通院に使う人達は
確実に増え、人と物の流れを大きく変えた。



 しかし全長12Km、海上部9.4Kmの大橋は、雨や風には弱い。
鉄道は瞬間風速が25m/sを越えるとたちまち運行が中止される。
また高速道路は、10分間の平均風速が25m/sを越えると全車通行止めとなる。
大橋は、安くなったとは言え今なお料金が高いのみならず、雨風の影響を受け
やすいと言う致命的な欠点を持っている。(続)



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本四連絡フェリー (JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-02-15 | Weblog



 その昔本州と四国を行き来する鉄道の客は国鉄の宇高連絡船で、マイカー、
観光バスやトラック、バイク等は民間船会社が運営するフェリーの利用が当
たり前であった。
このように上手く棲み分けがされていたが瀬戸大橋の開通で事情は一変した。



 当時宇野と高松とを結ぶフェリーは何社も営業をしていて、何処もが「24
時間、待たずに乗れる」をキャッチフレーズに、それを大書きした大看板を
自前の岸壁に掲げ、その下から頻発していた。
記憶に間違いが無ければ、最短20分間隔の攻防を競い合っていたと思う。



 着岸し人車の下船が終わるとすぐに乗船が始まり、乗り終えると待つ間も
なく出港する。その頃には次の便が、岸壁の先で入港を待っている。
そんな運航状態であったが、それでも最盛期には乗船待ちの車やトラックが
長蛇の列をなすほど需要が多かった。



 そんな車の待ち時間に対応する乗り場周辺の店々にも活気が溢れていた。
又各社の客船は豪華さを競い合い、売店や食堂を充実させ、制服姿の女性の
スタッフを乗務させ、中には浴場付きのフェリーも就航した。



 大橋開通と同時に国鉄の宇高連絡船は廃止になるが、民間経営のフェリー
はそのまま残されていた。
長距離のトラックドライバーなどは、乗船中の1時間余は豪華な客室で休憩が
出来、その上風呂にまで入れるとあっての評判も良く大橋通行という選択肢
はなく、フェリーの利用を躊躇うこともなかったようだ。



 一方開通したとは言え瀬戸大橋は、高額な通行料金のため利用は伸び悩み、
周辺自治体からは目に見える効果が期待できないとあって、通行料の値下げ
運動がおこるようになる。(続)

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宇高連絡船 (JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-02-13 | Weblog

 宇野線の終着駅・宇野は、四国高松への玄関口であった。
この先は国鉄の宇高連絡船が海上21キロメートルを、凡そ1時間で繋いでいた。
急ぐ旅にはホバークラフトと言う選択肢もあり、これは20分程度で海上を高速
で駆け抜けた。

 船上からは波穏やかな海と、瀬戸内の島々を間近に見ながらの船旅であった。
甲板には名物の讃岐うどん「連絡線うどん」の店が有り、多くの旅人が小腹を
満たしていた。今では四国の高松駅構内で、その懐かしい味を伝えている。







 この航路の開始は、明治43(1910)年と言うから、今から百年以上も前の
ことである。昭和63(1991)年12月16日には、80余年に渡る営業を終えたが、
平成22(2010)年には、100周年を迎え記念事業などが行われている。



 かつて昭和20年代、大阪から四国の松山や高知に行く夜行準急列車が運行
した時期があった。大阪を出て山陽本線岡山から宇野線に入り、終点の宇野
からは宇高連絡線で瀬戸内海を渡り高松に上陸しそこから最終目的地を目指
すと言うものだ。



 通常貨物列車はそのまま連絡船に積替えて運ぶが、多くの旅客列車は宇野
や高松止まりで、ここで連絡船と接続、乗り換えが行われていた。
1時間ほどの船旅はともかく、連絡船から列車への場合、その先の長い乗車
時間を考えればなんとしても乗り継ぐ列車の座席は確保しなければならず、
その為にホームを走る席取り競争は熾烈を極めていた。

 そんな中この準急は連絡船に用意されたスペースに、客車ごと乗り込んで
海を渡っていた。乗客は席取り競争するどころか、知らぬ間に、眠りを妨げ
られることもなく瀬戸内海を越えていたのだ。(続)

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たい焼き (JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-02-11 | Weblog

 宇野線は干拓の歴史を秘めた地を走っている。
車窓からは、そんな干拓地の風景を眺め見ることが出来る。
この辺りの標高250m以下の丘陵は、往時の海に浮かぶ島々の名残だ。

 備前片岡、迫川、常山、八浜など、沿線の小さな駅で列車を降り、少し
駅から離れてみると、そこには広大な農地の広がりが見え、かつての島の
名残である丘陵を目にすることが出来る。





 八浜の駅前で、「たこ焼・たい焼」と書かれた、赤いテントの目立つ小さ
なお店を見つけた。間口が数メートル、奥行きはその半分ほどの店である。
訪ねてみると入口近くで、白衣を着た店主が一人、たい焼きを焼いていた。



 驚いたことにここは、何枚も同時に焼く大型の焼き器では無く、丁度鉄の
「やっとこ」を大きくした挟みのような一丁焼きの火箸で、一つ一つ丁寧に
手焼きする。

 写真を撮らせてもらうと、店主は「何が珍しいんだか・・・、訪ねて来て
は写真を撮って行く人が多い。どうするんかねぇ・・・」などと、手を休め
ることもなく語ってくれた。
近頃はやりの“インスタ映え”と言うやつらしい。





 焼き上がったたい焼きは薄皮で、ぎっしりと詰まった中の黒い餡が透けて
見えるほどだ。ここは小さな店ではあるが、創業60年を越える老舗である。
度々テレビや新聞などでも紹介される、地元では超有名店だ。


 
 八浜を出た宇野線は、その先で児島半島を避けるように大きくカーブで南
に進路を変え、尾坂峠のトンネルを抜け、備前田井を通り、左前方に臨海部
の工業地帯が見えてくると終点の宇野に到着だ。
かつて広大なヤードを有した終着駅に昔日の面影は無く一面二線のホームに、
短編成の列車が出入りするばかりである。(続)

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ひょうたん (JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-02-08 | Weblog


 「岡山サウスヴィレッジ」の向かい側にあるのが灘崎町総合公園である。
ここには多目的広場や陸上競技場テニスコートやフットサルコートが有る。
又子供向けの遊具や広大な芝生広場などが併設整備されているので、休日
ともなると大勢の子供連れなどで賑やかな歓声に包まれる人気のスポット
となっている。



 ここは2008年にできたまだ新しい公園で、植えられた樹木もまだ大木には
至っていず、それだけに開放的で余計に広さを感じる公園である。



 その一角には特徴的な丸い建物の「岡山市ウェルポートなださき」もある。
市の健康増進施設、温水プールや大浴場、サウナ、トレーニングマシンなど
を完備したフィットネスルームやスタジオ等を備えている。
公園で汗をかいたら、大浴場でその汗を流し、疲れを癒すのも悪くは無い。



 この向かいに位置する公民館では、毎年三月に「なださき ひょうたんま
つり」が行われている。
ひょうたんはここ灘崎地区の特産品で、休耕田を利用して栽培されるように
なり、それをPRするために30年ほど前から行われるようになった。



 ひょうたんはウリ科の植物で、その実は主に水筒や酒の容器、或は花瓶な
どとして加工されることが多い。
ここでは、長さ2mもあるものから、手のひらに乗るミニサイズまで様々な
大きさ形のものに、縁起物として、七福神、干支、動物、顔や、般若心経、
祝詞などの絵や文字が描かれていて、「まつり」には芸術作品と言って良い
ほどの力作が、所狭しと並べられる。(続)


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岡山サウスヴィレッジ (JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-02-06 | Weblog



 岡山市南部の旧灘崎地区も、児島湾の干拓により生まれた土地である。
この地にはその広大な土地を利用した「灘崎町総合公園」、「岡山市ウェル
ポートなださき」、「岡山サウスヴィレッジ」などの施設が立地している。
それらは何れも宇野線の備前片岡駅からは数百メートルほどの距離で、歩い
ても10分とかからないところにある。





 南西部の常山(307m)くらいしか目立つもののない、起伏の少ない平坦地
にあって一際目を引く白い塔が聳えるのが、南ヨーロッパをモチーフにした
「岡山サウスヴィレッジ」である。
嘗ては「おかやまファーマーズ・マーケツト サウスヴィレッジ」と呼ばれた
交流体験型の農業公園で有ったのがリニューアルされオープンしたものである。



 入口近くには農産物を販売するロードサイドマーケットが有り、地元で採れ
た新鮮な野菜や果物魚介類や花などが並び、その前の広場では定期的にフリー
マーケットも開催されている。

 広い園内には食事処や、スペインの農家を模した民家での体験宿泊できる施
設が有る。一棟単位の貸出しで六人まで泊まることが出来る。食事は自炊だが、
入り口付近には食事処や食材が手に入るマーケットも有るので不便はない。





 園内には桃畑やぶどうやイチゴ等の果樹園があり、冬から春にかけたシーズ
ンにはイチゴ狩り、夏はブドウ狩りを楽しむことが出来る。
またひょうたん型のプールや、子供遊具を始め、アスレチック広場や広大な芝
生広場など子供向けの遊具も充実している。(続)


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