簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

寂れてしまった宇野線(JR全線乗潰しの旅)

2010-09-29 | Weblog
そんな連絡船の本州側玄関駅が宇野。
その宇野と岡山を15駅、32.8Kmで結ぶのが宇野線だ。

昔の宇野線の宇野駅は、四国連絡と言う大きな使命を持っていただけに、関東や関西
方面からの優等列車が発着し、あるいは長大な貨物列車が入線し、広大な構内は何時も
列車が留まり、大そうに活気付いていた。
連絡船に乗る人びとが、慌ただしく、競い合うようにホームを行き来し、いつも人が溢れ
ていた。



連絡船の廃止とともに役割を終えた駅は、再開発の荒波をかぶることになる。
平成6年に、海から少し離れた場所に新しい駅舎が完成した。
客車や貨物列車が行き来した広大なヤードの面影はどこにもなく、広々とした殺風景な
駅前広場が海に向かって広がっている。

宇野線も岡山から宇野を直接結ぶ列車の数がめっきり減り、多くは途中の茶屋町で乗り
換えることに成るなど完全にローカル線に成り下がってしまった。

この茶屋町から四国の宇多津までは、正式には本四備讃線で有るが、岡山から茶屋町を
経て、瀬戸大橋を渡り四国に至るこの線は、瀬戸大橋線の愛称で広く親しまれている。
今では、特急や快速列車がひっきりなしに通る幹線ルートに成っている。



そんなわけで、岡山-茶屋町間を宇野線と言う事も無くなってしまった。
そのため宇野線は、茶屋町・宇野間のみの様相を呈しており、かつての花形幹線路線の
面目は完全に潰れてしまっている。

栄枯盛衰、大いに繁栄しながら、やがて潰れたものの末路は悲しいものだ。
宇野線には、そんな寂しい思いが秘められている。(完)


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100周年の宇高連絡船(JR全線乗潰しの旅)

2010-09-27 | Weblog
特急は備讃瀬戸の海の上に架けられた長大橋を、僅か15分ほどで駆け抜けて行く。
昔は海上11カイリ、連絡船でのんびりと1時間もかかっていたのに。

本四間の大動脈として、明治43年6月に開業以来2億5000万人もの旅客を運んだ連絡船が
廃止されたのがこの瀬戸大橋線の開業前日の昭和63年4月9日と言うから、あれからもう
22年も経過したことになる。

高松に渡る連絡船には何度もお世話になり、格別の思い出が有る。
ほろ苦くも切ない青春の一こまに、懐かしく焼き付いた連絡船の思い出は今でも忘れる
ことが出来ない。

ドラが鳴り、テープが飛び交う桟橋での人の出会いと別れの光景。
後部デッキですする素朴で何の変哲もないうどんの味。
どこまでも船を追う海鳥たちの戯れ。
ゆっくり後ろに流れる瀬戸の島々の光景と汽笛の音。
何もかも、つい昨日のことのように懐かしく思い出す。

折しも今年は宇野線が開業し、連絡船が就航して100周年の年に当たる。
今年の6月12日にはJRの西日本と四国で同時に記念入場券が発売された。
岡山駅で発売されたものは岡山駅と宇野駅の入場券がセットされている。
その台紙に印刷された宇高連絡船のサンプル切符によると昭和54年当時の運賃は400円。





 【写真:記念切符】

JR四国管内のキヨスクでは、当時のうどんを再現した「連絡船うどん」が販売され、
人気を博しているとか。
このように今岡山・香川の両県では、この郷愁を誘う連絡船を懐かしむイベントが賑や
かに繰り広げられている。(続)



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備讃瀬戸を行く(JR全線乗潰しの旅)

2010-09-24 | Weblog
特急はさすがに早い、2時間ほどで宇多津に到着する。
ここで高松に向かう本線と瀬戸大橋を渡る瀬戸大橋線が分岐する。
高松に向かう特急いしづちを切り離すと、特急しおかぜは先に出発し岡山に向かう。
高架の先に瀬戸大橋の雄姿が見え始めると四国とはお別れだ。

岡山から四国に渡る時、松山方面に向かう特急列車は瀬戸大橋を渡ると、坂出には寄らず
宇多津に向かう。
上りも坂出には寄らず宇多津から直接瀬戸大橋を渡る。

一方、高松に向かう快速マリンライナーは、宇多津には立ち寄らず、坂出に止まり、高松
を目指す。
当然のことながら、高松を出た快速は坂出からそのまま瀬戸大橋を渡る。




このように瀬戸大橋から四国に立ち入る時、あるいはその逆コースの列車は、宇多津の
先の高速道路のインターチェンジのような高架三角線で割り振られることになる。

轟音を轟かせながら、番の洲高架橋を渡ると、左手に瀬戸大橋タワーや東山魁夷の美術館
の有る瀬戸大橋記念公園が見えてくる。
右手は造船場や化学工場などの工業地帯だ。



続いて南・北備讃瀬戸大橋を渡る。
1723mの南橋は吊橋としては日本第二位の長大橋だ。
観光客で賑わう与島の上を通り、与島、岩黒島、櫃石島の各橋を渡り、岡山県境の下津井
瀬戸大橋を渡る。



六本の橋からなる瀬戸大橋は、上段が瀬戸中央自動車道、下段がJR瀬戸大橋線の道路・
鉄道併用橋で、その長さは世界最長。
こんな橋を僅か15分ほど駆け抜ける。

名勝鷲羽山をトンネルで抜けると繊維の町、児島に停車する。
ここから終着の岡山には20分ほどで到着する。(続)



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道後温泉の思いで(JR全線乗潰しの旅)

2010-09-22 | Weblog
終点の伊予市で乗り換える。
ここから先は電化区間で、松山の都市圏、本数も多くなり、駅々での乗客の乗り降りも
忙しくなってくる。
松山には15分余りで到着する。

松山に来ると何時も思い出す。
入社して間の無い昭和44年秋、会社の慰安旅行で道後温泉に泊まったことを。

当時は新幹線がまだ新大阪までしか開通していなかった時代である。
仕事を終え夜遅い便で名古屋を発ち、新大阪で宇野に向かう夜行の急行列車に乗り換えた。
連絡船の待つ宇野へは4時間弱。ここで土佐丸に乗り換え、高松には早朝4時半に着いた。
ここからは貸切りの観光バスで、栗林公園や金毘羅さんなどに立ち寄って、夕方道後温泉
に到着した。

当時のアルバムを見ると一行30名余り、その内半数以上が背広にネクタイ姿で写真に収ま
っている。
ネクタイを締めていない者の多くもブレザーを着こなし決め込んでいる。



 【写真:古い写真】

まだまだ個人で旅行する時代ではなく、職場の慰安旅行が一大イベントであり、一年間こ
つこつと旅行費用を積み立てて、皆この日を待ちわび、精一杯の正装をして出掛けていた。
今では考えられないようなことだが・・・。

最近は温泉地の大きな観光旅館の経営が振るわないらしい。
それは、このような団体旅行がめっきり減ってしまったからだと聞く。
しかし原因はそれだけでは無いように思う。
たとえば、朝夕の食事の時間、旅館サイドの都合で決められている事が多い。
また、最近はだいぶ変わってきているように思うが、一人旅の受け入れ拒否も多い。
これはほんの一例だが大きな観光旅館は、世の中が個人旅行にシフトしていく中でその
多様なニーズへの対応に立ち遅れているからだと思う。

そんなことを思いながら、松山からは特急で一気に岡山に向かう。(続)




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伊予の小京都(JR全線乗潰しの旅)

2010-09-20 | Weblog
八幡浜を出て20分ほど、山間地の急坂を駆け下りると地勢が開けてくる。
やがて車窓右手に肱川とともに伊予大洲城が見えてくる。
明治維新後に取り壊され、その後平成16年に再建されたと言う真新しい天守閣が誇ら
しげに聳えている。



ここ伊予大洲には、昭和41年に放送されたNHK朝の連続テレビドラマ「おはなはん」の
ロケが行われたことから「おはなはん通り」の名称で知られるところが有る。
また町中には古い江戸や明治の商家と武家屋敷などの町並みが残っていることから、
「伊予の小京都」と呼ばれる人気の観光地だ。
時間に余裕が有れば途中下車し見て回りたいところだが、何年か前にドライブで訪れた
とも有るので今回は割愛。
確かその日も今日のような暑い日だった。

伊予大洲を出ると本線を行く列車は、伊予灘に向かう。
伊予長浜で海が近づき、内子経由の内子線と合流する向井原までは左手に大眺望が広がる。
確かこのあたりの駅が青春18きっぷのポスターで紹介されていたように覚えているが、
記憶が定かではないので違ったかも知れない。

ここでトラブル発生。
折角の伊予灘の絶景をカメラにと思いきや無残にもバッテリー切れ。
今回の旅では不覚にも充電器を忘れてしまい、すでに宇和島辺りで心もとなくなっていた
バッテリーがいよいよここに来て駄目になってしまった。
残念ながら、写真を残すことは出来ない。
ここはしっかりと心のカメラに映像を残しておこう。(続)



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予讃線の海ルート(JR全線乗潰しの旅)

2010-09-17 | Weblog
予讃線は、豊後水道を望む宇和島からほぼ北上し、八幡浜を経た後、伊予灘に沿って
道後温泉で名高い松山に向かう。
その後瀬戸内海に突き出た高縄半島に沿って海岸沿いを東進し、四国の玄関口・高松に
至る。
この間300キロ近くも有り、100近い駅を有する長大路線だ。

本州の岡山や四国の高松からは、松山やその先の宇和島までの間特急列車が運行され、
四国を代表する路線と言える。
しかし普通列車はと言うと、この間を直行する電車は無く、松山や伊予西条、多度津、
観音寺などで乗り継ぐことになる。



宇和島を出た列車は、暫くは海から離れ、山間地に入っていく。
ここら辺りは、急な斜面を切り開いたみかん畑が広がり、愛媛らしい車窓風景を楽しま
せてくれる。

再び海に近付いたところで港町、八幡浜に到着、ここまでは1時間足らずだ。
今回はここで下車、ここからは海岸回りの「伊予長浜」経由の列車に乗り換える。
本来はこのルートが予讃線では有るが、特急列車はすべて伊予大洲から内陸ルートの
「内子」経由で運行されている。
そのため本来の本線であるにも関わらず、普通列車しか走らない寂しい路線となって
いるところだ。



全線乗り潰すためには海ルートと内陸ルートの両方に乗っておく必要がある。
しかし、今回の旅行では日程的にどうしても余裕が取れず、止む無く時間のかかりそう
な本線だけを先に乗り潰す。
したがって、JR四国の路線では、伊予大洲から内子を経て向井原に至る内子線だけが
乗り残しになってしまう。
もう一泊して乗り潰しておいた方が良いのは分かっているが都合が付かず仕方ない。(続)



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宇和島のお城(JR全線乗潰しの旅)

2010-09-15 | Weblog
江川崎からは、のどかな山間の風景の中、30数キロを1時間以上もかけてゆっくりと終点
の北宇和島に向う。
しかし全ての列車はそこが終着駅にはならず、そのまま予讃線に入り、その先の宇和島
まで行くことになる。



宇和島は愛媛県の南部に位置し、三方が山々に囲まれている。
残る一方が宇和海に面していることから真珠や魚の養殖も盛んなところらしい。
少しばかり開けた平野部に町が広がり人口は9万に程。
闘牛で名高い土地柄で、南国風情の駅前には、堂々とした宇和島闘牛のブロンズ像があり、
旅人を迎えてくれる。



市街地の中央部に宇和島城を頂く小山がこんもりと茂る、伊達家10万石の城下町でもある。
宇和島で伊達家と言うのがなんとなくアレッ?と言う気がしないでも無いが・・・。
この城は、藤堂高虎により開府され、高虎が今治に移ったその後、奥州仙台藩主伊達政宗
の長子・秀宗が入城して以来、伊達家の城下町として発展を遂げてきたのだから、れっき
とした伊達家の城下町なのだ。



城山には現存12天守の一つに数えられ、国の重要文化財の天守閣がある。
案内所で尋ねたら、「歩いたら30分以上はかかります。タクシーで行っても途中から急な
石段を登る事になります」と言われた。

暑い日であったので、大汗をかくのは避けたかったし、乗り換えの短い時間で余り無理も
出来ず、散々迷った挙句結局は見物を断念した。
いつものことながら、「鉄道に乗る」ことにおもきを置いて旅をしているものだから、折角
の観光が出来ずに後ろ髪引かれながら先に進むことが結構多い。
「乗りテツ旅行」の悲しさである。(続)



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トイレ休憩(JR全線乗潰しの旅)

2010-09-13 | Weblog
窪川を出て1時間ほどで列車は江川崎に到着する。



ここで乗務員が「当列車にはトイレの設備がありません。駅のトイレをご利用下さい」と
アナウンスして、30分の停車時間を告げる。
旅行客はぞろぞろ(と言うほど多くは無いが・・)と列車をおり、大きな伸びをしながら
一様にトイレに向う。
駅舎の横の狭いトイレは、たちまち満員、行列が出来てしまった。



駅の背後に迫る山と清流四万十川を眺めながら、川面を渡る新鮮な空気を腹いっぱい吸い
込んでのトイレタイムで身も心も軽くなる。
こんな清々しい気分も悪くは無い。

それにしても、こんな山と川以外何も無い駅で、行違いでも無いのに30分も停車するとは・・。
まさかトイレ休憩では・・・?
「随分長く止まりますね」ホームで身体を伸ばしていた乗務員に話しかけてみた。



「トロッコ列車のときは、到着が20分以上遅いので、発車をそれに合わせているのです」
との返事。

シーズンになると、この列車は、”清流しまんと号”と名を変え、トロッコ車両を連結して
運行しているのだ。
土佐大正からここ江川崎間ではそのトロッコ車両に乗車出来るらしい。
時刻表を見ると、この間で乗車出来る旨の表示が有る。
四万十の清流を楽しんで貰おうと、貨車を改造した車両で、風をいっぱい受けながら
ゆっくり、ゆっくり運行しているようだ。

こんな会話が楽しめるのもローカル線ならではだ。(続)


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最後の清流・四万十川(JR全線乗潰しの旅)

2010-09-10 | Weblog
予土線は高知県と愛媛県を結ぶ主要路線では有るがローカルの薫り高い路線である。
沿線は過疎地帯、川岸に民家の集落を見ることは余り無い。
最後の清流と言われる四万十川の流れを見ながら、2時間余りかけて、ゆっくりと宇和島
に向う。



高知側からの列車は全て窪川始発となるが、予土線の起点駅は次の若井駅。
しかし、始発の窪川は「土佐くろしお鉄道・中村線」の起点駅でもあるので、窪川-若井
間は第三セクターを経由することになり18キップ利用者は、別途運賃が200円必要になる。
が、通しで乗る場合は終点の宇和島で精算すれば良いことになっている。

若井を出て、進路を西に大きく変えると四万十川が近づいてくる。
車窓から見る四万十川はゆったりと、まったりと、荒ぶることも無く穏やかに流れている。



暫く走ると、土佐大正駅がある。
そこから10キロほど先には土佐昭和駅がある。
そうなると、次はきっと土佐平成駅では・・・と自ずと期待は高まるが、残念ながらそう
上手くは成っていない。
もっともその手前には土佐明治なんて言う駅も無かったのだから・・当然と言えば当然だ。



何れの駅も1974年に宇和島線が予土線に変わったときに設けられたようなので、時の年号
とは関係なさそうだ。
恐らくはその地の地名に由来するものと思われるが私は良くは知らない。

ここらあたり、四万十川の流れが付かず離れず、江川崎辺りまで車窓を楽しませてくれる。
何度も鉄橋で川を渡るから見る方は右に左に忙しい。
時折、川の中に「沈下橋」を発見する。
こんな時、なぜかホッとするのは、そこに日本の原風景を思わせる光景が有るからかも
知れない(続)



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高知の日曜市(JR全線乗潰しの旅)

2010-09-08 | Weblog
土佐の高知では日曜市が楽しい。
と言っても日曜にだけ開かれる市だから上手くその日に合わないと楽しむ事は出来ない。
(ただ、高知市内には他の日も、他の場所で市は開かれているらしいが私はまだ見たこと
が無い。)

高知城のすぐ前から東に延びる追手筋の広い片側車線が市となり、その長さは何と1.3Km
にも及び、2~3mほどの通路を挟んでその両側に並ぶ店の数はおよそ500店とも言われて
いる。



新鮮な野菜や果物からおばちゃん手作りの漬物、お寿司、お弁当などの食料品は元より、
金物や刃物、道具などが並ぶ。
骨董品や衣類、履物を売る店もある。
さらに植木や盆栽、庭石などはトラックに乗せたままで売られているものもある。
大凡無いものは無いと言うぐらいなんでも揃っているから見て回るだけでも十分に楽し
むことが出来る。



 【写真:高知日曜市】

もう随分前に、初めて来たときには、お城の前辺りで生きたニワトリ(尾長鳥)を売る
店が出ていた記憶が有ったか、今回訪ねた時にはその店は見つけられなかった。

江戸時代から300年以上もの歴史を持つ高知の日曜市は、市民の生活を満たす生活市である。
と同時に県外から訪れる観光客にとっては、店を守るおばちゃんたちとの対話を楽しみな
がら、珍しい土佐のお土産を掘り出す楽しみもある。

少し忙しいが列車の待ち時間を利用して訪ねてみる。
手作りのお寿司を買って、蓮池町通りから市内電車に乗り高知駅に戻る。
お弁当は予土線の車内での楽しみだ。

今駅前では「土佐竜馬・であい博」が賑やかに開かれている。(続)



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