簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

四国遍路 歯長峠越え

2011-11-30 | Weblog
 道標に導かれ、工事中の松山道を潜り、疏水沿いの道を暫く歩くと、お寺の
前から延びる県道に合流した。なんてことは無い、お寺を出て、前の県道を
そのままくればそれで良かったものを、わざわざ遠回りしたようだ。



 遍路道では良くあるケースである。
県道を歩き続ける味気なさを回避するためか、わざわざ地道に導いて、鄙びた
遍路道の演出を謀っているようで、どうかと思うようなことも時々ある。
 車ならどうと言うことは無いが、歩きは時にその距離が負担に成ることもある。



 県道を外れ農道に入り、工事現場に沿った道を10分ほど歩くと、峠への登り
道が現れる。厳しい登り道では有るが、石畳の敷かれたところも有り、歩き難さ
が無いのが有りがたい。
 登り切ると道は緩やかな下りに転じ、その先で一旦車道に出て、暫くは県道を
緩やかに登って行く。





 10分ほど歩くと、再び山道の入り口が現れる。
「きついのは最初だけ 峠まで20分」と書かれた道標に覚悟を促され、10段ほどの
石段を登るとそこに休憩所が有った。



 少し休憩を取って後、意を決して歩き始めると、脇に鎖が引かれている急坂が
すぐに現れた。その角度たるや、足を前に出すと言うよりは上にあげると言った
感覚で、まるで屋根に架けた梯子を登る様な勾配が本当に厳しい。



 そんな坂道が10分ほど続く。雨が降らなくて良かったとしみじみと思う。
ぬかるんでいたら、とても登れるような坂では無い。

 登り終えると緩やかな傾斜道が続き、10分ほどで峠へと導いてくれる。(続)


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四国遍路 第42番札所・仏木寺

2011-11-28 | Weblog
 忙しい中対応してくれた「道の駅・みま」のレジカウンターの三人のお母さん方、
まんじゅう屋のご主人の暖かさに感謝しながら、県道脇に建つ第42番札所・仏木寺
に付いた。
 門前にいてアイスクリンを売っていたおじさんが、「道をおしえるから・・・」と声を
掛けてくれた。



 真新しい仁王門を潜って、僅かばかりの石段上がると右手に珍しい茅葺の鐘楼が
見える。なかなかに重厚で、風格があり、境内にあって存在感を出している。
 そのまま進むと納経所が有り、左手奥に進むと正面に大師堂と本堂が有る。



 本堂の脇には、古びた家畜慰霊碑が建っている。
大師と牛に纏わる伝説が寺の縁起に残されていることから、この寺が牛馬の守り仏と
して信仰を集めて来たものらしいが、最近ではそんな信仰も薄らいでいるようだ。





 すぐ前を県道が通っているのに、なぜか団体の参拝も無く、静かな境内である。
堂宇の後ろ、今は緑濃い大木に囲われているが、ここは紅葉の名所としても知られている。
 金木犀の香りに包まれた境内で腰をおろし、道の駅で求めたお寿司を食べていると、
何だかゆったりとした気分に成ってくる。
 そんなのどかな雰囲気を持ったお寺である。



 すでに歯長峠に向けて出立したのであろうか、仁王門下にある立派な休憩所で
休んでいた、歩き遍路の姿が見えなくなっていた。



 ここから第43番札所・明石寺までは、およそ11キロ、暫くは県道を歩くが途中で山道に
入り、標高400メートル程の厳しい歯長峠越えの道が待っている。(続)


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四国遍路 カメラが・・・

2011-11-25 | Weblog


 「あれっ、カメラが・・・」
この先に食事場所は無いと聞いて、今来た道を少し戻ることに成るが、「道の駅・みま」で
昼食を仕入れての帰り道、相棒が突然悲痛な声を張り上げた。

 驚いて振り返ると、何時も首から下げているカメラが見当たらない。「何処で・・・」
急いで、道の駅に引き返し、荷物を下ろしたテーブルや、お弁当を漁った商品棚の辺りを
捜して見るがカメラは無い。
 レジカウンターに「カメラの忘れものの届けは・・?」と聞いても「有りません」の返事。



 「あそこだ・・」
41番札所を参拝後、参道に有る「手造り 福印まんじゅう」の大きさに心ひかれ、休憩をした。
店先のソファに腰を下ろし、餡のギッシリと詰まった大きな饅頭と、お茶を頂いたその時どうも
忘れたらしい。





 「タクシーで取りに行く」と言う相棒。
「確認してからの方が良いだろう・・」とレジカウンターに相談すると、忙しい中電話番号を調べ、
電話を入れてくれる。
 短いやり取りの後、「ご主人が、届けてくださるそうですよ」と嬉しい返事。
第42番札所・仏木寺までは、道の駅からは3キロほど、そこまでまんじゅう屋のご主人が、届けて
くれると言うのだ。



 「あそこはレンタサイクルが有ったので、タクシーで無くとも・・」
「これからは、ダブルチェックだな・・」等と話しながら、県道31号を、振り返り、振り返り歩いて
いると、お寺が近づいたその時、脇にシルバーの乗用車が静かに停まり、窓からニュッとカメラ
が差し出されてきた。
 そこには、ご主人の優しい笑顔も有った。(続)


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四国遍路 第41番札所・龍光寺

2011-11-23 | Weblog
 宿から41番札所までは、ここから10キロ程の行程である。
今日は町中を抜け、JR宇和島駅を見て、ここからはほぼJR予土線に沿って、県道57号を
歩くことになる。



 そして2.8キロほど先の42番を打ってから、難所の歯長峠を越えて43番に向かう。
この間は、11キロ程の道程で、そこから今晩の宿の有る上宇和までは、4キロ程である。

 前日雨の中、小高い山の上に建つ宇和島城が見え、お城まで3.3キロの道標を見てから、
お城の前のホテルに付くまで、1時間以上を要してしまった。
 合羽を着ているとは言え、靴もズボンもすっかり濡れてしまい、夕方で気温も下がって
来たのか、寒ささえ感じながらやっとの思いで宿に入った。



 打って変わって今日は朝から快晴、昨日の雨に洗われたお城山の緑が一際輝いて見える。
今日はもう雨の心配はなさそうだ。冷気を含んだ朝の空気が気持ち良い。



 計画中の松山自動車道の工事現場を見ながら歩く事約2時間、JR予土線の務田駅の手前で
左折、すでに稲刈りの終わった田圃道から、小さな集落を抜けた山際にある第41番札所・
龍光寺に到着した。



 道際の鳥居から山門下まで、百メートルばかりの細い参道が続いている。
両側には、饅頭やみかんを売る店も有り、小さいながらも鄙びた門前町を形成している。



 急な石段を登ると本堂と大師堂が有り、更にその上の石段を登りつめると赤い鳥居の建つ
稲荷神社がある。
 ここには、今でも神仏混淆が残り、地元では「三間のお稲荷さん」の通り名で、商売繁盛、
開運出世を願う人々の信仰が篤いと聞いた。(続)



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四国遍路 松尾トンネル

2011-11-21 | Weblog


 予報通りお昼前、雨が落ちて来た。
津島のコンビニ店で教えられたうどん屋さんも見つかったので、正午には少し早いが、
ここで昼食を取り、雨支度をすることにする。
長さ1.9Kmの松尾トンネルまでは、1キロ程のところである。



 雨は強く成っていた。
昼食を終え、トンネルに向かう道すがら、もしかして・・、ここにも歩行者用が有りは
しないか、と密かに期待を掛けてきたが、残念ながらそうは問屋が卸さない。
 山裾に小さな口は一つしか開いていなかった。

 結構な降りに成ってきた。
ここにもトンネルを避ける山越えの旧道が、トンネルの手前左手から分かれている。
トンネルを行くより距離は長く成り、多少の登りと下りがあるようだが、排ガスを
嫌って遍路の殆どは、旧道を歩くと聞いていた。



 しかし、山越えはぬかるむ心配も有り、特に下りは危ないので、ここは安全を
見て、コンビニで買ったマスクを着けトンネル道を選択する。
 歩道が有るとは言え、道幅は広くは無い。
雨しぶきを蹴散らし疾走する自動車に、時には煽られそうになる。
側壁に反射した轟音が、追い立てられるように迫ってくると恐怖すら感じる。
マスクのせいか換気装置のせいか、排ガスはさほど感じない。
早く抜けようと気が急いて、随分と速足で歩いた積りだが、それでも抜けるのに
20分以上もかかってしまった。



 雨は本降りに成って来た。
国道の歩道とは言え、これだけ降ると水たまりが出来、歩き辛い。
 今晩の宿が有る宇和島の町までは、まだ10キロ以上も残っている。
少し、肌寒く成って来た。(続)




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四国遍路 文六とオオウナギの町

2011-11-18 | Weblog
 嵐坂トンネルの歩行者用道を抜け、柏峠越え道との合流がある、大門の集落を
目指す道すがら、ほんの僅かながら雨粒を感じる。
 まだ本降りに成ると言う程のことは無さそうだ。
しかし気に成って、柏峠の方向を振り返ると、山には雨雲が低く垂れこめている。



 途中「酒まんじゅう」の看板を見つけ、休憩を兼ねて立ち寄ってみる。
地元の蔵元が自社の酒粕を使って作る「酒まんじゅう」が自慢の店で、この
「酒まんじゅう」だけで、何年もやっていると言う。



 「学校の統廃合で、自転車通学が増えた子供たちの安全のために、歩行者用の
トンネルが出来た」と教えてくれた店員が「お接待です」と、注文したコーヒーセット
に「酒まんじゅう」を余分に付けてくれた。



 峠越えの合流点から国道を離れ、芳原川の土手道を歩き、約1時間で津島町に
到着した。町の中央を、オオウナギ(県指定天然記念物)で知られる岩松川が
ゆったりと流れている。
 過去には長さ2メートル、重さ21キロのものが捕獲されたと言う記録が残って
いるらしいが、現在では絶滅危惧種に指定されその姿を見ることは殆どないと言う。



 川を挟み込むように両岸に街並みが延びている。
市の支所や大きな病院、スーパー、飲食店、旅館等が連なり、賑やかな中にも
なかなか風情が有る町である。



 ここは、昭和を代表するユーモア作家、獅子文六の「てんやわんや」の舞台に
なった町としても知られていて、川の畔に文六の文学碑が建てられていた。
また町中では、小説に因んだお菓子を売る店の看板も多く目にする。(続)


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四国遍路 柏峠越え

2011-11-16 | Weblog
 雨の降り始めは、少し遅く成ったようだ。
予報では、お昼前頃より降り始め、午後は本降りになると言う。
 昨夜夕食時、同宿の遍路と相談、少しでも雨の降らない午前中に距離を稼ごうと、
「何時でも、合わせますよ」と言う女将の好意に甘え、6時からの朝食をお願いした。



 内海町から41番に至るルートの一つは、昔からの遍路道を行く柏峠越えである。
4キロ程の道は、標高500m近くまで登り、その後緩やかな下り道が5キロほど続く。
 もう一つは、整備された国道56号線を歩くルートだ。
厳しいアップダウンは無い代わり、距離は2キロほど長く成り、途中自動車の排ガスに
悩まされるトンネルを何か所か抜けることに成る。



 古希を迎え一念発起し、これが2回目と言う男性遍路は、「大師の導きのままに」
「清水大師は捨てがたい」と雨を覚悟で、峠道を選択し出て行った。
峠に至る途中に水の湧き出るところがあり、そこはどうしても外せないと言う。
 何事も冒険を避ける我々は、峠の雨の降り始めは早いと読んで、それを避け国道の
ルートを選択、朝食もそこそこに宿を後にする。





 宿を出ると、いきなり長さ1000m程の内海トンネルに出くわした。
途中コンビニか薬局が有れば、マスクを・・と思っていた矢先だったが、幸いなことに
車用のトンネルの脇に、歩行者用のトンネルが掘られている。
中は換気が無い分多少むっとする暑さを感じるものの、明るくて排ガスの心配は全くなく、
快適そのもので安心して歩くことが出来る。



 須ノ川海岸を左手に見て、鳥越トンネルを抜けると4キロ程で、嵐の集落に付く。
国道はここで宇和の海と別れ、山道へと向かう。(続)




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四国遍路 室手海岸へ

2011-11-14 | Weblog
 寺を出て僧都川の土手を歩くと、再び56号に合流、暫くは左手に御荘湾を見ながら
国道56号線を歩くことに成る。



 今日の予定では宿まで残り10キロほどなので、途中ファミリーレストランに立ち寄り、
ゆっくりと時間を掛けて昼食を取る。
ここら辺りは食べ物屋さんの店も多く、その種類も多彩で、高知県内のように食事処で
困るようなことは無いようだ。



 国道は相変わらず車の通行が多い。
道路脇に建つ“オレンジロード”の道標の、現在地を指す赤い丸印の位置が、何度見て
も殆ど変わらず、まだこんなところかとほとほと嫌になる。

 御荘湾を離れると国道は登り道となる。
見た目は緩やかな坂のようだが、この八百坂と言われるだらだら坂の上りは意外にきつく、
峠まで1時間近くを要してしまった。
 峠から一旦下った道は、右手に菊川小学校を見る辺りから再び登りとなり、上り切って、
緩やかに左に曲がりながら降りて行くと、目の前が開け遠くに宇和の海が見えてくる。



 曇り空ながら、所々雲の切れ目からは、青空も顔を覗かせているので、海は明るく穏やか
にキラキラと輝いて見える。
 室手海岸と言うから、てっきり海縁の道かと思ったが、この国道は海面からは、遥かに高い
ところを通っているので、海岸に出るには急坂を降りることに成る。



 海ではヒオウギ貝の養殖が盛んなのか、沿道にはその看板を掲げた店が有り、店の脇には
鮮やかな緋色をした貝殻が捨てられている。



 旧内海町に入ると、静かな入り江の向こう岸に集落が見え隠れする。
今晩の宿・旭屋もその中に有る筈だ。(続)




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四国遍路 第40番札所・観自在寺

2011-11-11 | Weblog
 僧都川に架かる橋を渡り、北に向かうと細い参道が山門に向かって延びている。
第40番札所・観自在寺のある御荘の町は、愛媛県の最南端に位置し、西は豊後水道に面
している。 
 鎌倉時代には延暦寺の荘園が置かれていたと言い、門前町の佇まいの残る、歴史ある
町のようだ。





 15段ほどの石段を上がり、山門を抜けると開放的な境内が広がっている。
“平成26年 四国88ケ所霊場 開創1200年”の赤い幟旗が印象的だ。
正面に本堂、右手に大師堂、左手には宿坊を持つ書院が建っていて、庭も手入れが
行き届き、堂々とした中にも落ち着いた雰囲気を醸し出している。





 遍路にとってここは、菩提の道場・伊予路の始まりの寺であると同時に、一番の
霊山寺からは一番遠く離れた「裏の関所」と言われる寺でもあり、ようやく折り返し
点に来たかと、感慨深く感じられる札所でもある。



 境内の一角に芭蕉の句碑がある。
苔むした背丈ほどの自然石で、愛媛県下では、最も古い句碑らしい。
“春の夜の とねり人ゆかし 堂のすみ”



 ここから次の札所、第41番・龍光寺までは、48キロ余りあり、その途中には難所と
して知られる柏坂越えの道が控えている。
 この御荘の町には何軒かの宿があるが、その先はと言うと、ここから10キロほど先
の室手海岸沿いか、柏坂を越えた20数キロ先の津島の町にしかない。
 宿から40番まですでに10キロ以上歩いてきた身には、この先更に厳しい峠越えの
20数キロを歩き抜く健脚の持ち合わせも無く、今日は手前の室手海岸に宿を取っている。(続)


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四国遍路 旧赤坂街道

2011-11-09 | Weblog
 黒く重そうな雲が低く覆っている空は、何時雨が降り出してもおかしくない程に雲行
きが怪しいが、朝のテレビの天気予報は、「夕方までは降らない、明日少しまとまった
雨に成るだろう」と告げていた。

 新しく出来た国道を横切り、四国では余り見ることも無かったローソンの店舗に
驚きながら、県道299号を進む。
 目指す第40番札所・観自在寺までは、11キロ余りの道程だ。



 30分ほどで、札掛の集落に到着する。
この札掛けの地名は、40番の奥の院、観世音寺の前札所で、篠山権現の一の鳥居が
あり、権現様にお参り出来ない人びとが、ここで買った札を掛け、篠山神社への参拝に
変えたことから起こったとされている。



 県道を行く遍路道は、小さな集落を結びながら、所々で旧赤坂街道と呼ばれる
多少のアップダウンのある古い遍路道に分け入る。
 この旧道は、地元のボランティアにより復活整備されたものらしく、歩きやすく、
道標も充実していて迷うことも無い。





 上大道地区の大宮神社脇に、築間も無いトイレを併設した立派な休憩所が設けら
れている。
飲料水が引かれ、綺麗に掃き清められ、花の活けられた施設は、地域の皆さんが
日々管理されている賜物だ。



 懐かしい香りのする小さな集落を抜けると僧都川に行き当たる。
宿から7キロ余り、5月中旬には蛍が乱舞すると言うこの川の土手道を、暫くは歩く。
 ビルや人家が増え、街並みに賑わいが見える城辺町を抜けると、門前町らしい御荘
町に入り、古い商店や旅館が目に付くように成る。(続)




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