簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

ねじりまんぽ(東海道歩き旅・山城の国)

2024-10-04 | Weblog
 旧東海道の三条通りに戻り、京の町を見下ろしながら蹴上を抜ける。
道路の向こう側右手は、地下鉄東西線の蹴上駅である。
左側には京都市水道局の「蹴上浄水場」の煉瓦と鉄柵で造られた赤煉瓦
の塀が歩道に沿って続いている。



 日本最初の急速ろ過方式の浄水場として明治45(1912)年、京都市で
初めて給水を開始したレンガ造りの浄水場で一早く西洋文明を採り入れ、
近代化を急いだ京都の市民生活をこの水が支えてきた。



 面積約11万㎡に及ぶ施設は、「蹴上のつつじ」が有名で、霧島、平戸、
大紫、琉球、蓮華など7種のツツジ、約4,900株が植えられているという。
普段の施設内は非公開だが、ツツジが美しく咲き競う毎年5月の連休日に
は一般市民に開放されるらしい。



 その先右側道路を距てた向こう側には、レンガ造りの小さなトンネルの
入口が見えている。この蹴上のトンネルは「ねじりまんぽ」と言うらしく、
三条通りから南禅寺境内に向かう為に造られたものだ。
「まんぽ」とは、トンネルの古い言い方らしい。



 トンネルの上部は先程見てきたインクラインが通されていて、その重
さに耐える強度を保つため、内壁の煉瓦は斜めに巻かれていて、トンネ
ルも斜めに掘られているらしい。
このことから「ねじれた」「まんぽ」が、「ねじりまんぽ」と成ったが、
全国的にも珍しい施設という。



 蹴上で道路は二叉に別れ、左にカーブしながら下るのが旧東海道で、
少し先の左手には大きな都ホテルが見えている。

 右に取れば南禅寺前を経て、岡崎公園方面に向う道だ。
その分れ道にところに京都近代化の立役者、蹴上発電所が有る。
三条通り沿いでは、既に京の町並も始まっている。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蹴上インクライン(東海道歩き旅・山城の国)

2024-10-02 | Weblog
 琵琶湖疎水は、大津市観音寺から伏見区堀詰町までの全長約20kmの
「第1疏水」、第1疏水の北側を全線トンネルで並行する全長約7.4km
の「第2疏水」、左京区蹴上付近から分岐し北白川に至る全長約3.3km
の「疏水分線」等から成っている。



 今なお現役で活躍する人工の運河であるが、特筆すべきは、世界的に
見ても二例目の水力発電が、国内でも先駆けて行なわれた事だ。
更にその電力を利用して、日本最初の電車・京都市電(京都電気鉄道)
を走らせ、地場産業の西陣織等の機械化が進んだことである。



 大神宮橋の手前、右に見えるのが疎水の第三トンネルと琵琶湖舟運の
船着き場で、大きく掘られた溝が疏水であるが水は流れてはいなかった。
反対側に見えるのが蹴上船溜りと言う施設で、線路が敷かれ荷船を乗せ
る台車が置かれている。



 この蹴上船溜りから、582m先の南禅寺船溜りまでの間の落差が36m
も有り、舟では上り下りが出来ない。その為船溜りに到着した荷船や客
船はそのまま、レールの上の台車に乗せワイヤーを巻き上げ運行した。
これがインクラインである。



 当初は水車の動力に頼っていたが、蹴上水力発電所が出来たことで、
電力モーターが使えるようになったという。

 今もこの辺りには、南禅寺船溜りに向けて下る、広々とした線路敷
きの路盤が残されていて、多くの人々の散歩する姿が見受けられる。



 そんな中、余りにも和服姿が多いので、「茶会でもあるのですか?」
と若い二人連れの娘さんに問うと、「違います。インスタです」という。

 どうやらこの線路を背景に「映える写真」を撮るため、レンタル着物
に着替えての散策らしい。
撮影をお願いすると、快くカメラに収まってくれた。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする