簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

大坂を上る(東海道歩き旅・相模の国)

2018-04-30 | Weblog

 素直に初めから国道を歩いて行けば良いものを、この宿場町の街道筋には古い
ものは何も残されてはいないので、どうせ歩くなら繁華街をと一本東の筋を歩き
始めた。
交差点では右手に国道の車の流れも見通せるので、いつでも戻れば問題ないと歩
み続け、ふと気が付けば、車の喧騒が遠のいている。



 南に向かい歩いてきたが、並走している筈の国道は、戸塚町の辺りで進路を少し
西に向けている。相当に歩いてからそのことに気付き、道を尋ねながらやっとの思
いで、その戸塚町の交差点に戻ったが、随分と余分に歩きロスをしてしまった。



 交差点の目の前の社が八坂神社と冨塚八幡宮で、八幡宮は戸塚の総鎮守、この
地名の起こりとされた場所である。
ここら辺りから道は少しカーブしながら、ゆるく上り始める。
「大坂」或いは「戸塚の坂」と呼ばれる坂の始まりだ。



 少し上った坂途中のコンビニ前に、宿の西入り口上方見附跡の石垣が残されて
いる。古くは松が植えられていたらしいが、今のものは樹高が低いので近年植え
替えられたもののようだ。



 当時この「大坂」は箱根に次ぐ難所として知られていて、坂は二つの起伏から
なり、一番坂の上りが1町余り(凡そ110m)二番坂が30間あまり(凡そ54m)で、
松並木が続き、その先に富士山を望む絶景の地でもあったと言う。



 今日の国道は上り始める戸塚町あたりの標高が13mほどで、吹上交差点辺りで
最高点を迎え、1.7Kmほどの間に標高70m近くまで上っている。
坂は昭和に入って、頂上を削り、底を埋め、傾斜を緩くするなど、何度も繰り返
された改修により、なだらかに均され長い坂に変貌したのだと言う。(続)



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戸塚の町(東海道歩き旅・相模の国)

2018-04-27 | Weblog

 切り通しの「品濃一里塚」を過ぎ、住宅街の道をいくとやがて目の前にJR
東戸塚駅前の高層ビル群が目に飛び込んでくる。
良い雰囲気の旧街道から、いきなり近代的な町に引きずり込まれたようだ。



 歩道橋で環状道路を越え、再び住宅街の道を行く。
国道1号線を横切り、赤関橋を渡りしばらく旧道を歩いたのち再び国道に合流する
とそこからは単調な国道歩きとなる。
不動坂で国道を左にそれると、その先はJR戸塚駅に向かう緩やかな下り道だ。



 元舞橋で柏尾川の支流に沿って歩き、舞岡入口で五太夫橋を渡る。
元北条氏の家臣・石巻五太夫が、江戸に入る徳川家康を出迎えたのがこの橋で、
ここにその名を遺したのだと言う。
ここらあたりに江戸側の見附が有り、戸塚宿が始まる。



 戸塚宿は江戸からは10里半(およそ42キロ)、数えて5番目の宿で、健脚なら
ここを最初の宿地に選ぶ旅人も多かった。
そのため本陣2軒、脇本陣3軒、旅篭の数も75軒と街道の中では比較的宿泊施設の
多い宿場町で、家数も613軒、人口は2900人余りであったと言う。



 ブリジストンの大きな工場を右に見ながら吉田大橋を渡る。
橋の手前に、広重が描く「戸塚宿」の銘板があり、そこには柏尾川に木橋が架かり、
橋の袂に建つ講の定宿が賑わう様子が描かれている。丁度このあたりの風景らしい。



 その先には戸塚駅があり、道は東海道本線に行き当たる。
かつてはここには線路を横切る大踏切が有ったらしいが、いまは近代的な大デッキ
が東口と西口を繋ぎそれを跨いでいる。
デッキを歩き西口に降り、その先で道を間違えようとはこの時思ってもいなかった。(続)

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品濃の一里塚(東海道歩き旅・相模の国)

2018-04-25 | Weblog

 「焼餅坂」を下り、その先で更に「品濃坂」の上りに取り掛かる。
このあたりは旧東海道の道幅を良く残す、尾根道のようだ。
しばらく上るとその先の方にこんもりとした森が見えてきた。
品濃一里塚公園の石柱が立っている。



 江戸に幕府を開いた家康は、当初は軍事上の備えから街道の整備に着手した。
道巾を整え宿場町を決め、そこに大名や貴人のための本陣・脇本陣を、また庶
民のための旅籠・木賃宿を、途中には休憩のための茶店などを設けた。



 更に道筋には旅人に木陰を提供する松を植え、江戸日本橋を起点とした距離
が判るように一里(およそ4キロ)毎に五間四方の塚を築き一里塚とし、そこに
「エエ木を植えろ」と下命した。



 こうして一里塚は旅人にとっては格好の目印となり、夏には木陰を作り、冬の
寒風を防いでくれる休憩場所となると、その周囲には茶店ができ立場が設けられた。
塚の多くにはエノキが植えられている。
これは、承った家臣が「エノキを植えろ」と聞き違えたことによるものらしい。



 「エノキ」は高さが20m以上にもなる落葉高木で、枝が多く、春小さな花が
咲き果実をつける。この食べられると言う甘い実は、街道を行く旅人の疲れい
やしになっていたのでは・・・と当時を思い浮かべてみたりもする。



 「エエ木」を「エノキ」と聞き違えたのが、かえって良かったのである。
これが低木なら目印にもならず、木陰もつくってはくれなかったのだから。



 ここ「品濃の一里塚」は、日本橋からは9番目の塚で、街道を挟んで東西に
築かれている。
このように両側の塚がほぼ完全な形で残されているのは極めて珍しいと言う。
その西側の塚には「エノキ」が植えられていたらしい。(続)

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相模の国境(東海道歩き旅・相模の国)

2018-04-23 | Weblog

 保土ヶ谷宿の上方見附を後にした旅人は、その先で国境越えを目指す
「権太坂」の上りに挑むことになる。当時の坂は相当に厳しく、行き倒れ
の人馬が出るほどで、その距離はおよそ15町にも及ぶ。
しかし、無事登りつめれば、そこには素晴らしい景色が待ち構えていた。



 切通し道の眺望が突然開け、東には江戸前の青い海がキラキラとひろがり、
西の山並みの向こうには秀峰富士の山を望む絶景に、旅人はしばし茶店に腰
を落ち着け、弾んだ息を静め茶をすすり名物のお餅に舌鼓を打ったと言う。



 そこは国の境を示す木の杭が立てられた境木立場・武蔵と相模の国境で、
この地には古い言い伝えの残る、境木地蔵尊が鎮座している。



 いつの頃のことか、鎌倉の腰越浜に地蔵が漂着したそうだ。「江戸へ運ん
でくれたら海を守ろう」と願う地蔵の声を夢枕で聞いた漁師が江戸へ運ぼう
とするが、ここまで来たのにどうしたわけか動かなくなってしまった。
このため地元の住民がここで引き取り、お堂を建て安置したところ、それか
らと言うものこの村が繁盛したと言う。



 往時この界隈にはたくさんの茶店が建ち並び、名物の「牡丹餅」や「焼餅」
が売られ大層な賑わいで、この坂を「焼餅坂」或いは「牡丹餅坂」と呼ぶほど
であったと言うから、それは取りも直さずこのお地蔵さんのおかげなのかもし
れない。



 境木のお地蔵様に旅の安全を祈願した旅人は、相模の国に向けおよそ
1町半(約160m)の道のりで「焼餅坂」を下り、その先で更に「品濃坂」を
上り下りすることになる。(続)



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血栓性プラークの発生源

2018-04-20 | Weblog

 48時間の連続点滴が終ると、再び通常の自然落下の点滴に戻され、やや負
担が軽減した。それでも午前・午後の各々3時間は、ほぼベッドに固定される
ので苦痛には変わりない。



 この点滴の間を縫って血栓性プラークの発生源を見つけるべく諸々の検査
が行われた。
24時間心電図、MRI撮影、心臓超音波検査、胸部X線などが立て続けに行わ
れるものの、頸動脈も心筋回りも、心臓もどこも年の割に血管はきれいで、
どこにも原因の痕跡は見いだせないと医師は首を捻っている。



 医師が説明してくれるモニターを見ると、クラゲのような血管の写真は確
かに素人目に見ても、どこにも崩れ膨らんだ痕跡もなく、影もなく滑らかで
綺麗である。
心臓回りも素人目には良く分からないが問題になりそうな箇所はないという。



 結局推論になるが、半月以上に渡った体力低下した期間、体の動きがなか
ったから、そんな折体のどこかにできた血栓が、体を動かそうとした途端は
がれて飛んだのではとのこと。



 これは、退院後入院を報告した、かかりつけ医も同じことを口にしていた
ので、恐らく原因はそんなことなのであろう。
とにかく対策としては血液をサラサラにすることだという。
薬が又増えた。この年になると病院に行くたびに薬が増えていく。



 自らはまだまだ若い、元気もある、大丈夫だなどと思ってはいるが、70年
以上も使い続けられた体内では、確実に色んなところの経年劣化が進んでい
ることだけは間違いなさそうだ。


          (写真:本文とは無関係 真庭郡新庄村 がいせん桜)

 これからは、「己の体力を過信せず、僅かな変化に敏感にそして臆病に反
応し、迷わず迅速に医師を頼る」今回の入院で得た貴重な教訓である。

 この二ケ月で完全に衰えてしまった筋力を、これから取戻すのに一体どれ
ほどの期間を要するのか、筋トレもウオーキングもまた出直しだ。(完)


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連続点滴

2018-04-18 | Weblog

「免疫力の低下」「栄養失調」の説明はついた。
幸いなことにこの頃になると早期対応・早期治療のおかげか、左腕に感じて
いた違和感はほとんど薄れていた。
グーチョキパーも問題無く出来るし、一本ずつ指折り数えることも大丈夫だ。
目をつぶり両手を前に差し出してもその位置をキープ出来ている。
頭上できらきら星も問題ない。



 応急的な点滴が終わると、引き続き48時間の連続点滴が待っていた。
通常の自然落下の点滴と違って、ポンプを使って定量を滴下するものである
が、これがなかなかの曲者だ。



 普段は駆動源として電源コードが繋がっているが、抜けばバッテリー駆動
となるので短時間なら動いても構わないのだが、そのたびに警報音が鳴る。



 特にチューブの中間に設けられた滴下を検出するセンサー部分を大きく
揺らし、滴下を止めようものなら再び大きな警報音が鳴り響く。
これは要領を得なかった初めの頃はトイレに立つ度に起こり、その都度看護
師を呼ばなければならないし、何よりも夜間なら同室の患者に迷惑をかける。



 等と恐縮していたら、隣のベッドの38歳の青年も同じ物を装着されている。
考えてみればここの入院患者は皆同じような症状で入っているので、基本的に
は同じ道をたどっているのだかあまり気にすることもなさそうだ。



 何回も看護師を呼び出すうちに、移動時にセンサー部分を揺らさないよう
にすればこの問題も回避できることを知り、警報の解除方法も教わった。
これにより寝たっきり状態での点滴から逃れることができたのはありがたか
った。(続)


      (写真:本文とは無関係 瀬戸内市邑久町・上寺山餘慶寺)

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栄養失調

2018-04-16 | Weblog


 一瞬わが耳を疑った。 
入院早々担当医師と、管理栄養士が病室にやってきて、「栄養失調」と言う。
こんな言葉最近では余り聞いたことがない。
採取した血液検査の結果を見ると「免疫力の低下」「栄養失調」だという。
医師から何か思い当たることはないかと問われているのだ。



 実は今年の年明け早々から身内で不幸があり、それが一段落すると今度は
極近しいご近所で不幸。
そんな頃どこかで風邪を貰ったらしく活力の低下を実感していた。
時を同じくして妻と、同居する娘が風邪を訴え、かかりつけ医に駆け込むと
二人はインフルエンザB型の判定が下されたものの、私にはA型も出ない。



 「早かれ遅かれ感染は免れないだろう」と『リレンザ』を処方された。
特効薬のおかげで二人は一週間程度で元気を取り戻したものの、こちらは
一向に快方に向かわない。
高熱が出る訳でもなく多少咳が出るものの鼻水くしゃみが続く訳でもない。
しかしほんの僅かな微熱が続き、体が重だるく、食欲が湧いてこない。



 好きなコーヒーにもアルコールにも手が伸びないどころか、三度の食事
も進まない。結局この間口にしたものというと、卵を溶くか、梅干しか、
昆布の佃煮かをおかゆにのせたものしか喉を通らず、時折うどんに替えて
みるがどうも美味くない。



 これ以外に口にしたものと言えば、リンゴやミカン、バナナなどの果物
だけである。こんなことで筋トレをしにジムに行く気力も、ウオーキング
に出る元気もない状態が三週間近くも続いていた。


           (写真:本文とは無関係 真庭市別所・醍醐桜)

 月末近くになってようやく食欲が戻りだし、体も動くようになり少しず
つ動かさなければ・・と思った矢先の発症である。(続)

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入院

2018-04-13 | Weblog


 「頭蓋内動脈狭窄なし、頚部内頸動脈狭窄なし、頸動脈プラークなし」
外来初期の検査では血栓性プラークによる塞栓症が疑われるとの診断が下さ
れたものの、その原因となった場所の特定までには至っていない。



 入院先の担当の医師からは、再発防止のため発生源の特定と同時に抗血小
板剤の点滴(血液をサラサラにするのだそうだ)を中心とした治療が必要な
ための入院で、期間は1週間程度との入院診療計画書が届けられた。



 同時に看護助士であろうか、「当院では、院内の感染対策と手厚い看護を
行うためのケア・サポートセットを用意していますがどうされますか?」と
パンフレットを提示してきた。



 その内容は、基本セットなら院内で着る浴衣甚平にバスタオル・フェイス
タオル(もちろん洗濯付き)が日額400円程度で借りられる。
さらにサービス品としてBOXティッシュ、ウエットティッシュ、歯ブラシ、
歯磨き粉、コップ、スリッパ、食事用エプロン、また入れ歯の人には入れ歯
洗浄剤や入れ歯ケースもついている。
さらに必要な人には、これに容態に応じた紙おむつプラン(別料金)を選ぶ
ようになっている。



 便利なものである。
これから家族に電話して、「あれを持ってこい、これも持ってこい」と言わ
なければと思っていたが、これなら後必要なものは自身の下着類と髭剃りだ
けである。


          (写真:本文とは無関係 岡山市中区・岡山さくら道)

 手間もかからないので直ちにお願いすると、すぐに届けられ、点滴をつけ
たまま早速院内衣に着替えである。
どこから見ても立派な入院患者の誕生だ。(続)

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脳梗塞

2018-04-11 | Weblog



 いわゆる「脳梗塞」である。
「でも運がよかったですよ。早いのが良かった。それに発生した場所も幸運
だった」と言う。言われて診察室に掛けられた時計を見上げると、最初に異
変が起きてからまだ1時間も過ぎてはいない。
「夕方まで我慢していたら間違いなく救急搬送です。そうなれば腕だけでは
済みません、後遺症の心配も出てたでしょう」とのこと。



 実はこの早い対応には、伏線があった。
『急に手先が痺れだし、慌てて病院に駆け込んだら脳梗塞の発作だ』と言わ
れ、早い対応が功を奏して後遺症もなく退院できたとの、同年配の女性の手
記を雑誌か何かで二三日前読んでいたので、もしや自分もそうではないかと
思い至ったのが良かったようだ。



 医師からは、「しかしこの白い影を見てしまった以上、このまま帰すわけ
にはいきません。入院してもらいます」と思わぬ宣言が下された。
「いや、車で来てますし・・何の準備もしてないし・・家族に連絡も・・」
と必死に抗うも判断は変わらない。
直ちに処置室に移り点滴投薬を始めると同時に病室の確保を看護師に命じた。



 訪れた病院は脳ドッグなどの対応可能な脳神経外科ではあるが外来が専門
で、入院の場合はここから車で15分ほど離れた同系列の病院に入る事になり、
病院の車で輸液を持った看護師が添乗しての移動である。



 すでに話が通されているのか、到着するとエレベーターで二階に向かい、
そのまま病室に直行だ。
ここで入院先の看護師との引継ぎが行われると、晴れて(?)入院の手続き
は完了する。(続)


         (写真:本文とは無関係 岡山市東区・小鳥の森三徳園)

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大発作の前兆

2018-04-09 | Weblog

 午後の診察の始まる前で、ロビーは閑散としていた。
ただ受付の窓口にはすでに明かりが灯り、中で事務員が二人三人と忙しそうに
立働いていた。

 

 そこで事情を説明すると状況を察した事務員が奥に姿を消し、しばらくして
別の扉から看護師が現れ、症状や既往歴、アレルギーなどを聴取、医師の指示
を聞くからここで待つようにと言葉を残し先ほど出てきた扉に戻っていった。



 しばらく待つと、別の扉から「〇□さ~ん、こちらへどうぞ」と呼ばれた。
「これからMRIで血管の撮影をします」と言われ、金属類をすべて外し神
妙にベッドに横たわった。
「時間は15分ほど、大きな音がしますのでヘッドホンを付けます」とのこと。



 この装置は造影剤なしで血管の撮影ができるらしいが、一体どういう仕組
みなのか、やたら大きな音がする。
『ガァーガァー・・ゴォーゴォー…ガットンガットン・・グゥーグゥー・・』
某タレント流に言えば、「音の玉手箱だ~」



 さらにこの後も、別の部屋に移り心電図、胸部レントゲン、頸動脈エコー、
採血などが続き、最後に診察室に招かれた。
担当医は開口一番「ここを見てください」と指をさした。
つい先ほどいろいろな検査で集められた小さの映像が、モニター上にいくつ
も映し出されている。
そのうちの一つ、医師の指す先を見ると、脳の映像と思われる画像に、確か
に白い影が何か所も雲のように広がっている。



 医師の下した診断は「右前頭葉運動野・右中大脳動脈潅流域抹消に新鮮な
脳梗塞巣あり、脳梗塞大発作の前兆一過性脳虚血発作」である。(続)


          (写真:本文とは無関係 岡山市北区・半田山植物園)

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