簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

家族サービス

2011-12-30 | Weblog
 「買い物に○○行くけど、どうする?」
娘に声をかけられ、「行く」と言って腰を浮かせ、車の助手席に乗り込んで国道沿いに有る
大型店に向かう道すがら、「変わったな」と一人言つ。



 子供達が小さい頃は、家族サービスと称して、皆揃って郊外の大型ショッピングセンターや
複合施設などに出掛け、日がな一日専ら買い物を兼ねて、お金を掛けない休日を過ごしていた。



 そしていつの間にか、自立した長男が欠け、そして二人の娘が欠け、気が付けば運転免許証
を持たない女房と二人だけの買い物の機会が多くなっていた。

 家族総出の頃は、ショッピングカートを押すのも家庭サービスの内と、さして抵抗も無かったが、
昨今では、女房のお伴でカートを押すのも何となく気恥ずかしく億劫で、殆どの場合、車で本を
読みながら待つか、店内の休憩スペースでボーッと待っている。



 男の沽券にかかわる・・なんて、高飛車に構えている訳ではないが、スーパーのレジの行列が
長いのは、親父や子供が一緒に並ぶせいだ、と言う誰かの説を、妙に分別くさく、己の胸の内で
納得しているからに他ならないのだが・・。

 そんな買い物も最近では、少し様変わりしてきた。
運転免許証を取った末娘が、退職後の時間を多少持て余し気味の親父を見兼ねてか、チョク
チョク声を掛けてくれ、女房を含め家族での買い物の機会が復活した。

 今日もお正月用品の買い出しに、小言も言わず、忠実な僕のような顔をして、カートを押し
ながら女どもの後を追っている。 (写真は、本文とは無関係)



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年賀状づくり

2011-12-28 | Weblog
 今年も恒例行事の年賀状作りが終わった。

 ある時期木版に凝って、何枚かの木版を手彫りで、多色刷りにチャレンジした時期も有った。
しかし何時頃だったか・・・、70年代の後半か80年代に入った頃だったと思うが、理想科学社が“プリントゴッコ”
を発売すると、各家庭で一大ブームが巻き起こり、当然のことのように、我が家もこれに変わった。



 全世界で1000万台以上を売り上げたと言われるヒット商品も、パソコンが普及し、安価なインクジェットプリンターが出回り、
はがき作成ソフトが販売されると急速に市場での勢いを無くし、ついには今年その事業を終了するとメーカーが発表した。

 その後20年来、我が家は、はがき作成ソフトのお世話に成っている。
簡単に機械的に作る事での異論も有るようだが、近況報告を入れ、受取人に合わせて文面を一部変え、一言添えたり、と
手を掛ければそれはそれで良いのでは・・とも思う。

 それにしても不可解なのは、今年体験した印刷時のプリンターインクの情報である。
作成を始める前から、黒を除く他の4色は、残り少なくり交換を促す黄色の注意マークが出ていた。



 そのため、まだ大丈夫だろうと思いながらも、途中でのインク切れではがきをダメにしてしまうことにに怯えつつ、面倒だが、
一枚ずつ注意深く刷り進めた。
さすがに途中でマークは、警告を示す赤の×に変わったが、それでもこの状態で100枚以上の賀状を刷り終えることができた。
 警告に従って正直にすぐに取り変えていたら、まだ使えるものを勿体ないことをしていたと思うと、一体この警告は何を判断に
出しているのか、とメーカーに対し、「安くもないカートリッジを売らんかな」の姿勢が透けて見え、不信感さえ覚えるのである。


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庭の剪定三題・紅葉も見ごろ

2011-12-26 | Weblog
 一本切れば、後は勢いである。

 大きく成り過ぎて、剪定時何時も困っていた“マキノキ”、“カイズカイブキ”、
“バベガシ”等は、散らし玉仕立ての最上部の玉を、思い切り刈り込んで小さくし、
全体の玉もそれに合わせて刈り込んだ。
 “モッコク”、 “ツバキ”等、幹の下の方から張り出した枝は、根占に植えた
“ツツジ”、 “サツキ”、“ニシキギ”への日当たりを考慮して、思い切って切り
落とした。



 “クロガネモチ”、“ハクモクレン”、等は延び過ぎた幹の先端部分を30センチ
ほど切りつめ樹高を低くした。“クロガネモチ”の赤い実、鳥さんごめんなさい。

 “ツゲ”、“ツツジ”、“ベッコウアオキ”も、込み入った懐枝や交差枝を整理し、
深く刈り込んだ。ツツジはこの春の開花はもう期待できないが、仕方ない。



 剪定を終えた庭は、見違えるように広く明るく見えるようになった。
思い切って茂っていた枝を整理したおかげで、今まで樹間から見ることが出来なかっ
た地面が良く見えるし、良く陽も当たる様になった。
 何よりも高木の樹枝が二回りも、三回りも小さく成ったので、これで当分は剪定も
三脚で問題なく出来るであろう。



 今花が盛りの“サザンカ”や、これから咲き始める“ウメ”の剪定は、花が捨てが
たいのでそれが終わるまで先送りした。
 手付かずの木と、裸同然丸坊主に成った木が混然一体となった庭は、今落葉樹の
紅葉が見ごろを迎え、赤、黄、緑、茶等のグラデーションが美しい。(完)



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庭の剪定三題・刈り込み

2011-12-23 | Weblog
 ご近所に触発され、先月の半ば頃から“ヒイラギモクセイ”を手初めに、庭木の剪定を
始める。10月頃に付いた白い花が、名残を惜しむように二三残り、辺りに微かな甘い芳香
を放っているが、時期的には刈り込むのに一番適した時である。





 毎年花とその匂いを楽しんだ後、円形仕立てに刈り込んできたが、樹勢の強い木なので、
旺盛に成長し随分と大きく成っていた。
 今年は、一回り小さく仕立てようと、思い切り良く刈り込んでいると、「おおー、始めたな・・」
と、お向かいのAさんと永年シルバー人材で剪定を手掛け今は隠居のSさんが連れ立って
やって来た。



 Sさんは、樹姿を見るなり「少し懐を抜いたほうが良い」と早速アドバイスをくれる。
枝が込み過ぎていると言うのだ。
 確かに今までは外側を刈り込むだけで、余り懐枝を意識して抜いたことは無い。

 アドバイスに応じて、込み合った懐枝や交差枝を抜きながら、思い切って小さくしたい
ので・・と、幹を切りつめることを決意(?)する。
「一気にせずとも・・・」とSさんは言うが、どうせなら、と30センチばかり幹を切りつめると、
すっかり淋しい丸坊主に成ってしまつた。
 二三年は見栄えも悪いだろうが、これなら剪定も普通の脚立で十分間に合いそうだ。



 今年は、どの木も一回りも二回りも小さくしようと思いながらも、折角大きく成った木
を切ってしまうのも忍び難く、どうしたもんかと躊躇していた矢先に、AさんとSさんが
背中を押してくれた格好に成った。(続)


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庭の剪定三題・剪定の時期

2011-12-21 | Weblog
 正月を前に今年も庭の選定に精を出す。
仕事を持っていた頃は、休み毎に毎回少しずつやるから時間がかかるので、大体11月に
入ると手を付け始め、お正月が来るまでには終えるように調整していたが、今は四六時
中家にいるのだからそんな必要も無く、12月に入ってからと、のんびり構えていた。



 ところが、ところが・・11月に入ると、比較的暖かな日和が続いたせいか、ご近所
あちこちで剪定を始める姿を見かけるようになる。
 まだ早いと思ってはいても、ご近所さんの庭先がさっぱりと綺麗に変身を始めると、
後れを取ったような気がして、とたんに落ち着けなくなってしまう。変な性である。



 11月の中頃には剪定を終えたお向かいのAさんも「今年は思い切って刈り込んだ。
年々剪定も大儀に成るから、余り大きくせんほうが良いから」と。
 庭先を見れば、“クロガネモチ”も、“ヒイラギ”も、“ツゲ”も「こんなに大丈夫と」
訝る程に刈り込んで、「なあーに、二三年もすればすぐに戻るから・・・」と平然と
している。





 我が家の庭も、コツコツと手造りを始めてかれこれ三十年となり、当初植えた木は随分
と大きく成った。
 最近では9尺の三脚の最上段から手を伸ばしてやっと、と言う木も有る始末。
そろそろ限界を感じていたので、ここら辺りで幹の先端を落とし、大きく刈り込んだり
して少し小さくせねばと考えていたが、誰も想いは同じなのだ・・と改めてその意を強く
するのである。(続)


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四国遍路 JR内子線

2011-12-19 | Weblog
 食事を終え駅に行くと、ここで叉また東京の男性と遭遇。
金剛杖を手に、駅前の観光案内板に見入っている。



 「この杖は・・・お接待で頂いた・・」と話し始める。
遍路道の途中で、「杖は歩き遍路の必需品だから」と手造りの杖を渡されたとか。
 何の材質かは解らないが、丁寧に角を取った白木の杖は、軽くて持ちやすそうだ。
こんなお接待も有るのか・・と、改めて四国のお接待文化に感銘を受ける。

 「杖はコインロッカーに入らなくて・・・」と、件の彼。
聞けば、彼も電車に乗る事が好きで、遍路の傍らこうして乗り鉄を楽しんでいるとか。
コインロッカーに荷物を預け、これからまだ乗った事のない「内子線」に乗るのだと、
普通電車を待っていた。



 食事を終えた相棒もやって来た。
駅の売店で、「大洲のお土産なら“月窓餅”と“志ぐれ”が良いですよ」と勧められ、
少しばかりのお土産を購入する。





 「特急・宇和海14号」は、内子線を経由する。
自身のJR全営業路線の乗り潰しでは、ここ四国内で残すはこの「内子線」だけ。
長い間、王手の掛った状態が続いていた。



 この特急で松山まで行き、「特急・しおかぜ22号」に乗り継いで帰るので、これで四国
内のJR線は、どうにか全て乗り潰したことに成る。
 それにしても、遍路に出て鉄道好きに会えるとは思ってもいなかった。
特急は伊予路を快速に飛ばし、先発した彼の乗る普通列車を、内子駅で追い越して
行った。(四国遍路・完)



旅行記、マイホームページにアップしました。
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四国遍路 伊予大洲の町

2011-12-16 | Weblog
 国道を離れ、金山橋を渡り川沿いの道を進む。
前からやって来た自転車のご婦人が、尋ねもしないのにわざわざ自転車を降りて、親切に
道案内をしてくれる。



 言われた通り、20分ほど歩いて臥龍山荘を望む梁瀬橋を渡り、大洲の中心部へと入り込む。
右手に大洲神社を見て、更に先に進むと古い町並みやおはなはん通りに出た。



 昭和41年にNHKで放送されたテレビドラマ“おはなはん”のロケ地として使われた、江戸や
明治の屋並みが残るところで、随分と前に一度訪ねた事が有る。
 その頃はまだ“おはなはん”ブームが継続していたのか、土産物屋さんにも活気が有り、
通りも大そうな人出で賑わっていたが、この日は平日のせいか、殆ど観光客らしい姿も無く、
ひっそりとしていた。





 肱川橋を渡る。
広々とした河川敷の中ほどを肱川がゆったりと流れ、見上げると左手の小高い山の上に
宇和島城が誇らしげに建っている。
反対側に目を転じると、川岸に何艘もの鵜飼い見物の屋形舟が休んでいるのが見える。



 国道を外れ、とのまち商店街の通りを駅に向かう。
今日が最終日、大洲の町に入ったら、ここまで歩いて来た自分へのご褒美に、美味しい
うなぎを絶対に食べるのだと決めていたから、昼食はラーメンが良いと言う相棒とはここで
別行動。



 何処と言う当てが有った訳ではないが、駅に近いうなぎ屋さんの暖簾を潜り、少し奮発し
“うなぎ定食”で一人無事の完歩を祝う。(続)


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四国遍路 鳥坂峠越え

2011-12-14 | Weblog
 今日が最終日、JRの駅が有るここ上宇和で止めても良かったが、次回の長丁場を
少しでも稼いで行きたいとの思いも有り、次にJRの駅が近づく伊予大洲までの20キロ
ほどを歩くことにする。
 殆どが国道56号線を歩くことに成るが、その途中には今回最後の難所、鳥坂峠越え
が控えている。



 ユックリと8時過ぎに宿を発った。
峠までは7キロほどの道程で、淡々と国道を歩くことに成る。
 最終日だからか、平坦道だからか、足取りも軽く峠下の分かれ道には、1時間半程
で到着した。



 「トンネル内歩道狭し 峠道5.5キロ 約60分 トンネル道2.1キロ 約25分」
分岐点に建つ道標を見て、ここは覚悟を決めて(?)楽を取る。
 距離・時間とも倍以上の峠道を避け、トンネルを選択することにしたのだ。



 国道の登りが少しずつきつく成ったその先に、1117メートルの鳥坂トンネルが口を
あけている。入口付近には“反射タスキ”が置かれていて、歩行者に使用を促している。
 松尾トンネル時使ったマスクを残していたので、それを着けてトンネルに入り込む。

 確かに歩道の幅が狭く、直ぐ脇を車が対向してくるので、恐ろしいので自然に速足に
成って、15分ほどで抜けてしまう。
ここを抜ければ後は伊予大洲に向かって下るのみである。



 下り坂で警察がスピード取り締まりを行っていた。
通り過ぎた後ろの方で、警察官が吹く警笛が何度も響いていたので、結構つかまって
いたのかも知れない。
 途中休憩した食堂の前で、軽自動車のドライバーが、「あそこは何時も。地元の人間は
皆知っている」と言っていた。(続)



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四国遍路 宇和の宿

2011-12-12 | Weblog
 遍路旅の途中で無ければ、少し時間を割いて色々と立ち寄って見たいところの多い、
ゆっくりとしていたい卯の町に後ろ髪引かれながら、国道56号線に出て、宿を目指す。

 途中コンビニの前にいた男性が「カキを持っていけ」と声を掛けてくれた。
「今、取ったところ」と言う、やや小ぶりのカキが、レジ袋に一杯入れられている。
 カキは大好物なので、いくつでも欲しいところだが、欲張ればザックが重く成るので、
「二つほど・・」と色付きの良さそうなのを頂いた。



 国道56号線は、夕方のラッシュを迎えている。
自転車ですれ違う学校帰りの学生は、決して挨拶を忘れないし、町の人に道を訪ねれば
親切に教えてくれる。四国は本当に遍路に優しい町である。

 激しく行き交う車の流れを見やりながら、2キロ半程歩くとJR上宇和が有り、その少
先にある宿には、5時少し過ぎに到着した。





 チェックインをしていたら、見慣れた男性と顔が合った。
病を克服しての遍路と言う、内海の旭屋で同宿だった東京の男性である。
 雨を気にして早立ちをした我々や、峠越えを目指した古希を過ぎた男性を、「ユックリ
発つから」と見送ってくれた。 すでに風呂上がりの浴衣掛けで、洗濯中だと言う。



 明石寺の裏山越えで少し前を歩いていた夫婦遍路を、卯の町の古い町並みの辺りで
追い越していた。その二人と夕食時、テーブルが隣合わせになった。
話し言葉に懐かしい香りがするので、「名古屋ですか」と問うと「そうだ」とのこと。
一国の区切り打ちで、今回は二十日間ほどの予定で、伊予路を巡るとか。(続)


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四国遍路 卯の町の古い町並み

2011-12-09 | Weblog
 地元では、「あげいしさん」と親しまれている明石寺を終えると、第44番札所
大宝寺までは、70キロ以上もの長丁場が待っている。
 これは、足摺岬の金剛福寺への87キロ、室戸岬の最御崎寺への85キロに次ぐ
長さではあるが、距離以上に山間部の上り下りを繰り返すことから、四国遍路道
の中では、最も厳しい区間とも言われている。



 今回の旅では、とてもそこまでは歩けそうにも無いので、取り敢えず伊予大洲
までの20キロを一応の終着点に、今日は上宇和の駅前に宿を取っている。

 明石寺の山を下ると、卯の町の古い町並みが残る一角に降りて来る。



 旧宇和島藩の在郷町として栄え、江戸中期から昭和初期頃までの白壁の
商家が建ち並ぶ一角は、電線も地中化され、古い時代にタイムスリップしたよう
な感覚に陥る。




 
 高野長英が一時身を潜めたと伝えられている、当時の大庄屋鳥居家の見事な
欅造りの屋敷門が残っている。



 江戸時代の蘭学者・二宮敬作の住居の跡や、そこを頼って訪れた高野長英が
身を隠した家の一部が保存されている。
 二宮敬作は、シーボルトとその妻タキの間に生まれたイネを、日本で最初の
女医として育てたことでも知られている。



 その他にも周囲には、明治の時代に建設された重文の開明学校や、宇和米
博物館として公開している、古い移築された小学校等の見どころも多い。
 この小学校には長い廊下が残されていて、その廊下の雑巾がけ体験が出来る
と言う。叉、そのタイムを競う大会も毎年開催されているようだ。
卯の町の駅前には、雑巾がけの町の大きなアーチが建っている。(続)


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