簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

過ぎたるもの(津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-31 | Weblog

 津山には過ぎたるものが二つある。
「B’z稲葉とホルモンうどん」などというと、フアンの方からは「うどんと同列に
扱うな!」と猛烈なお叱りを受けそうだが、津山と言えば最後にはこれを挙げない
わけにはいかない。



 西の小京都とも言われる津山では、津山城址・鶴山公園や、津山藩別邸・
衆楽園、城東町並み保存地区等の名所が人気ではあるが、今日では、B’zの
稲葉浩志さんの出身地として聖地巡りがファンのなかでは知られている。



 市内には「178津山ファンクラブルーム」が設けられ、「NEW 178
メモリアルロード」と銘打った、実家から旧出雲街道に沿った歴史・文化施設
を巡るマップも用意されている。
 また津山駅の観光案内所やお城下の津山観光センターでは、「稲葉浩志くん
ロードマップ」成るものを用意し、年1万人は訪れると言うフアンの対応に努
めている。
 それらの地図には、実家の「イナバ化粧品店」の他、遊び場であった八幡神
社、兄が経営する「旬菓匠 くらや」は元より出身の林田小学校、東中学校、津
山高校の位置等が詳しく記されている。



 フアンはこの地図を頼りに、レンタサイクルで巡るのがよさそうだ。
そうして聖地巡りに疲れたら、今や全国区で津山を代表するB級グルメとなった
「ホルモンうどん」に舌鼓を打つのが良いだろう。





 歴史的にはこの地では昔から牛馬の市が開かれていて、以前から養生喰いと
して肉食が行われていたと言う。そのため元々は「放るもん」と言われていた
「ホルモン」が、新鮮で安価に手に入ることからその活用策として広まったと
言われている。今日では津山近辺の数十軒の店では、それぞれ趣の違う「ホル
モンうどん」の食べ比べが出来るようになったという。
(津山線・乗り潰しの旅・完)

次回から 「海上自衛隊呉地方本部・見学記」が始まります。





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津山藩別邸・衆楽園(津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-29 | Weblog

 お城の西側は「城西界隈」と呼ばれ、城下を構成した武家屋敷や寺院の並ぶ
寺町として栄えたところである。西側を流れる蘭田川に架かる翁橋は、西の城
下の出入り口で、ここにも江戸時代番所が置かれていた。

 この城西界隈は、主に藩士の武家屋敷や、戦時に備えて寺社を集めたとこ
ろで、旧出雲街道沿いには、森家の菩提寺で歴代藩主が眠る「本源寺」や、
津山の総鎮守として日本三大神輿が知られる「徳守神社」など、17もの寺が
甍を連ねていて城東界隈とはまた異なった町並みの風情を楽しませてくれる。





 お城の北側には旧津山藩の別邸庭園であった「衆楽園」残されている。
江戸明暦年間に京から作庭師を招いて造られた、小堀遠州流の回遊式の庭園だ。
南北に長く作られた庭園で、その敷地の大半を大きな池が占めていて、その池
を巡るように小路が造られている。
現在残されているのは当時の三分の一ほどの規模だという。





 この地は藩の謁見の対面場、やがては藩主の隠居所として使われたところだ。
その庭園はよく整備されていて、手入れの効いた植栽が所々にあり、池の傍に
は東屋や、茶室などが建ち、再現された余芳閣、迎賓館、風月軒などが周りで
彩りを添えている。





 見どころは、春は大しだれ桜、夏は大池の睡蓮、秋は園内いたるところに
植えられた紅葉、そして冬は厳しい津山の地らしく凍った池と雪景色だそうだ。
このように四季折々見る者を楽しませてくれると言う庭園で、無料で散策でき
るのに、意外と認知度が低く、鶴山公園や城東地区などと比べると、ここ「衆
楽園」や「城西地区」に足を向ける観光客の姿は少ない。(続)



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城東町並み保存地区(津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-26 | Weblog

 津山市のメインストリートを挟んで東側一帯は、「城東界隈」と呼ばれ、
旧出雲街道に沿って古い町並みが残されている地域だ。
お城を南に下ると、町中を東西に旧出雲街道が貫いていて、東には宮川が
流れ、それに架かる大橋が城下への東の出入り口に成っている。
ここから見上げれば、津山城のこんもりとした森と石垣が民家の間から覗
いていて、昔の旅人も城下に入り込んだことを実感したのであろう。



 江戸時代ここには「東大番所」が置かれていてた。
これを境に城下の内町と外町として往来を行く人々を取り締まっていたと言う。



 道は橋を渡るとすぐにかぎ型に曲がる。荒神曲りと言われる通りである。
城下への敵の侵入を防ぐ大曲りで、ここら辺りが「城東町並み保存地区」と
言われる一帯だ。約1.2Kmに渡り江戸後期から明治にかけて建てられた町屋
が数多く残されている。



 白壁や格子窓の美しい町屋が軒を連ねるこの通りには、火の見櫓が印象的
な「作州城東屋敷」が有る。復元した江戸時代の町屋で無料休憩所に成って
いて、ここでは寅さんの最終作のロケも行われている。



 江戸時代に建てられた旧梶村邸(城東むかし町屋)や、幕末期に洋学者とし
て活躍した「箕作阮甫旧宅」、「津山洋学資料館」など通りには見所が多い。



 通りからは南北に、栴檀小路、関貫小路、大隅小路などとそれぞれに名前が
付けられた13本もの小路が延びていて、それらは往時の姿そのままに残されて
いると言い、見所の一つとなっている。(続)





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津山城址・鶴山公園(津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-24 | Weblog

 「日本の名城」「日本さくらの名所」「日本の歴史公園」。
それぞれの百選に名を連ねる「津山城址・鶴山公園」は、津山のシンボル、
津山の顔、津山を代表する観光地である。

 京都本能寺の変で主君織田信長とともに戦死した、森長定(蘭丸)、長隆
(坊丸)、長氏(力丸)三兄弟の末弟である忠政(千丸)が、13年もの年月
を要して築いたのが津山城で、その後この地は森家4代、松平家9代の城下町
として発展した。







 北に中国山地を控え、南に吉備高原が広がる町中の南側には吉井川が東西に
貫き、それに流れ込む宮川と蘭田川が東と西を流れている。
城はそれらに守られる要塞の地の小高い鶴山(標高147m)に建てられている。

 明治の廃城令で建造物や周濠は全て取り壊される中、城郭主要部の石垣は残
された。その重厚で堅固に備えた往時の面影は、その石垣に偲ぶことが出来る。
近頃築城400年を記念して天守南東側に位置する備中櫓が復元され、その白壁の
堂々とした姿が、寂しかった石垣に彩りを添えるようになった。







 4月になると寒さの厳しいこの地にも遅い春が訪れ、城跡に植えられた凡そ
千本もの桜が一斉に咲き乱れると、人々は待ちかねたように古城の花見に繰り
出してくる。城跡が一番美しく装う頃である。
高いものは13mを超え平均でも10m前後と言われる高い石垣に囲まれた道は、
本丸に向けて登る石段の連続だ。そこには桜の古木が覆い被さり、淡いピンク
の花が一杯で、まるで桜のトンネルを抜けるようだ。
そこを上れば一面の桜の海の下に広がる城下町津山の町並が一望に見渡せる。(続)




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城下町・津山(津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-22 | Weblog

 津山駅前に建つ箕作阮甫の像を背にして町中を暫く歩くと、岡山三大河川の
一つ吉井川に行き当たり、そこに架かる今津屋橋を渡ると賑やかな鶴山通りが
北に延びている。
この通りをそのまま進めば右手に津山城址・鶴山公園があり、さらに北に向か
えば旧津山藩別邸の庭園・衆楽園が有る。





 この鶴山通りを挟んだ東側一帯は、「城東界隈」と呼ばれ、旧出雲街道に
沿って古い町並み良く残されたところだ。
又その西側は「城西界隈」と呼ばれ、狭い道の入り組んだ地域で、津山城下
を構成した武家屋敷や寺院の並ぶ寺町として栄えたところである。





 津山のシンボルとも言える津山城址の威容を望むなら、今津屋橋は渡らず
右岸を少し下った辺りが良いだろう。ここから城址を遠望すると、三の丸、
二の丸、本丸、天守台と積み上げられた壮大な石垣の様子がより実感できる。
特に桜の花の咲くころは圧巻で、石垣に植えられた桜は、帯状に幾重にも波
打つように鶴山を覆い、その頂に建つ復元された白壁の備中櫓が桜の波に浮
かぶようで、そのさまは遠目に見ても実に美しい。





 アケードの有る、今津屋橋商店街と言われる通りの両側は色々な商店が立ち
並び、人や車の往来も多く、この町のメインストリートだ。
道端の所々にはカッパのモチーフもみられる。これは吉井川に生息していたと
の言い伝えが有るカッパで、この地では「ごんご」と呼ばれている。
今では町おこしのキャラクターに成っていて、夏には納涼の「ごんごまつり」
が行われている。(続)



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美作の国・津山(津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-19 | Weblog



 岡山県北東部に位置する津山市は、人口10万人余りの町で、かつての美作の
国の中心、国府がおかれたところである。
「続日本紀」によると和同6(713)年に備前国から分かれて建国されたとあり、
その国の興りから既に1300年を越えている。



 北部は中国山地、南は吉備高原に接し、町中を大河が貫き「山また山という
言葉は、この国において初めてふさわしい」と言われるように、中国山地の懐
に深く抱かれた地でもある。
ここは城下町であり、その城下を旧出雲街道が東西に貫き、伯耆や因幡、播磨
や備前などを結ぶ要衝の地の宿場町としても栄えて来た。



 また滔々と東西に流れる吉井川では、古くから高瀬舟による舟運が発達し、
瀬戸内海を経て、遠くは京・大坂との交流が行われていた。
かつて美作の国・和気川(吉井川)で高瀬舟を目の当たりにした角倉了以は、
大いに驚き「百川皆舟を通すべき」として全国の川浚えを始めたと伝えられ
ている。



 こうして栄えた舟運は鉄道の開通で衰退し、鉄道は黎明期を迎え繁栄の歴史
を刻んできたが、その後の道路の整備によるモータリゼーションの波は、今度
は鉄道を衰退させることになる。
鉄道が衰退すればその町の玄関、顔である駅の賑わいが失せる。



 津山線の開通120周年を期に、津山の駅前は新しいデザインコンセプトの基、
「10万都市 “津山”にふさわしい玄関口」に生まれ変わろうとしている。
元気の失せた駅を再び蘇らせ、活力有る町への基点として駅前を整備するプロ
ジェクトが今動いている。(続)



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女性の鉄道ファン ( 津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-17 | Weblog

 女性の鉄道ファンの事を「鉄子」とか「女子鉄」と呼ぶらしい。
「鉄子」とは、マンガ「鉄子の旅」からきた言葉で、一昔前なら「道ちゃん」
などとも呼んでいた。鉄道の「鉄」からとった「鉄ちゃん」が男子で、女子は
「道」を取って「道ちゃん」と呼んだものだが、近頃では漫画の影響が大きく
て「鉄子」とか「女子鉄」が主流になり「道ちゃん」は余り聞かれなくなった。





 しかし近頃ではこの呼び方に異議を唱える動きがあるらしい。
鉄道に関する趣味が細かな分野に分かれ多様化し、数多くの「○○鉄」がある
中で、単に女性であるだけで「鉄子」とか「女子鉄」と一括りにして呼ぶ事
が如何なものか?と言うことだ。





 ところでこの「鉄ちゃん」や「道ちゃん」と言うと愛称は、一見親しみが
込められているようにも見える。しかしここには多分の軽蔑や、卑下する意
味合いもあるようで、決して賛美されての呼び名ではないようだ。
それでもそのことよりも、昨今の男女平等が叫ばれる時代にあっては、根幹
にある男達の「自分たちが支流」という思い上がりに、強い性差を感じてい
るらしい。





 まあ自分自身の趣味の問題を、他からどう見られようが、どう呼ばれようが
大した問題ではないようにも思うが、それでは済まない向きも居るようだ。
とは言え、「たび鉄」、「のり鉄」、「撮り鉄」、「食べ鉄」等、欲の深い
「鉄道ファン」を自任している身では、趣味にのめり込む余り他人様から「オ
タク」と呼ばれるのだけは御免被りたいが、あえて言えば「鉄ちゃん」なら許
せるし、響きが心地良い「鉄」と呼ばれた方がまだましでありがたい。
(写真:JR東海リニア鉄道館)(続)

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「たび鉄」と「のり鉄」 (津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-15 | Weblog
 
 いずれにしてもこの手の趣味の世界はほんとに奥が深い。
「のり鉄」は文字通り鉄道を乗り歩く人々であるが、その内容が面白い。
JR、私鉄から路面電車など、およそ鉄道と名の付くものを乗り潰し完全乗車
を目指す。これは鉄道を広義に解釈すれば、モノレールやロープウェイなども
含まれてしまうので、その範囲はすこぶる広くなる。







 駅と言う駅全てに下車をする。
全国各路線の起点から終点の間を上り下りで、四季にも拘り完全乗車する。
決められた区間を決められたルールのもと最短時間で移動する或は最短ルート
で移動する。時刻表で調べながら片道最長切符を考案する、そしてその切符を
実際に購入し乗車してみる。
全国を走る全ての特急列車や急行列車などの優等列車に乗る。
SLなど特別な列車や、イベント列車に限って乗る。
などなど・・・一口に鉄道に乗ると言っても その行為は実に多彩である。







 一方「たび鉄」は、そういった乗ることへの拘りもなく、単純に鉄道に乗る
ことを楽しみ、観光地を巡り歩く。
またぶらり気の向いた駅で途中下車を楽しむ。或いは城とか美術館とか公園と
かの名所などある目的を限ってその地に降りる。企画・割引・格安などキップ
に拘り旅をする。等など、ただ旅と言ってもそのスタイルも色々だ。

 また「食べ鉄」や「飲み鉄」は、各駅の駅弁や駅の立ち食いそばを食べ歩い
たり、その土地の名物や美味しいものを探し歩いたり、車窓を肴に土地の酒を
飲み廻り、懐かしいスタイルの駅前酒場を探し当てそこで酒を飲んだりするの
だそうだ。(続)

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おめでたい駅(津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-12 | Weblog

 鉄道ファンの中には、色々な収集マニアもいるらしい。
そんなジャンルの一つ、嘗ては鉄道切符が一大ブームになった時期もあった。
思えば北海道の広尾線(既に廃線)の「愛国」から「幸福」行き切符に端を発
した旧国鉄の切符ブームに沸いたのは、1975年頃のことである。
ここでは当時の4年間で、1,000万枚以上も切符が売れたと言う。



 そんなブームは岡山県下にも飛び火して、山陽本線の万富駅では、万の富に
あやかろうと言うフアンが、入場券を買い求めに大勢訪れた。
普段なら年間でも200枚程度しか売れなかったものが、この年は一日平均で100
枚、一日の最高が300枚も売れたことがあったそうだ。





 どういう訳か津山線の沿線には、縁起のいい文字が含まれた地名が多い。
金の川「金川」、福が渡る「福渡」、神様の目「神目」、法然上人の生まれた
地「誕生寺」、カメは万年の「亀甲」などが有り、そんな駅々に因んだのか、
極めつけはこの路線を走る唯一の快速が「ことぶき」である。





 当時はそんな流れがこの津山線の沿線にも及び、幸を求め福にあやかろうと、
それらの入場券を求める人が多く集まったと伝えられている。
しかしそんなブームは何時しか去り、気が付けば駅の窓口に駅員の姿はなく、
券売機で買う入場券では何とも味気ない時代に成ってしまった。



 近頃では、節目のイベントに呼応して時折販売される切符が人気だという。
2018年にJRが津山線開業120周年を記念して、岡山、法界院、金川、福渡、
弓削、亀甲、津山の七駅の入場券(硬券)をセットにして売り出したのは記
憶に新しい。(続)

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鉄道ファン (津山線・乗り潰しの旅)

2019-07-10 | Weblog

 鉄道の聖地には、多くの鉄道ファンが集う。
その「鉄道ファン」の事をよく「鉄ちゃん」と言うが、これには色々なジャ
ンルがあるようだ。「とり鉄」「車両鉄」「模型鉄」「収集鉄」「のり鉄」
「たび鉄」「廃線鉄」「時刻表鉄」「食べ鉄」「飲み鉄」・・・挙げだせば
きりがないほどの「鉄ちゃん」がいる。





 「とり鉄」は写真を中心とした「撮り鉄」と、音を集める「録り鉄」がある
ようだ。その「撮り鉄」は撮る対象物が色々と分かれていて、例えば駅舎や車
両、トンネル、鉄橋、線路や信号機やポイントなどの鉄道施設、旅や沿線の風
景、さらには運転席横から見る前面の展望であったりもする。
しかもそれらを動画で撮るか、写真に写すかと言った拘りもあるらしいからや
やこしい。勿論鉄道旅行をしながらジャンルに関わらず、純粋に写真(動画)
を撮り歩いているファンもいる。





 一方「録り鉄」は「音鉄」とも言われるように、列車の走行音、車両のモー
ター音、ドア開閉やブレーキなどの作動音、駅の発車ベルやメロディ、駅や車
内の放送、警笛などの音を収集し、他との違いなどを比較研究するなどこれも
奥が深い。車両の型式や年式、その編成や内装、運行の状況等を研究する「車
両鉄」などと同様、もはや専門家顔負けの領域である。





 「収集鉄」となるとその種類も多彩で、自身が使用した乗車券・特急券や、
記念の切符や入場券、鉄道員の制服制帽持ち物、鉄道の部品、駅のスタンプ、
駅弁の包装紙などが対象のようだが、中には鉄道模型や限定グッズ、時刻表、
歴代の鉄道路線地図などの収集家もいるらしい。(続)

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