簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

金谷宿 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-07-31 | Weblog


 東海道24番目の宿場町・金谷宿は往還橋を渡った辺りから始まる。
行く手正面に見える牧ノ原台地に向け緩やかに上り始める道で、予期
せぬ川留めに備えるためか、当時本陣は3軒、脇本陣も1軒あった。



 宿内の人口は4,000人余りで、家数も対岸の島田よりは少ないが、旅
籠の数は島田宿をしのぐ51軒もあった。
川を無事渡り終えた旅人は、旅籠や茶店で寛ぎ、箱根の山の「山祝い」
と同様、「川祝い」で無事を喜び合ったと言うからその需要を見込んで
いたのであろう。



 佐塚本陣は建坪263坪あり、玄関付きの門の屋根には一対の鯱が飾ら
れ、「鯱のご門」と呼ばれる豪華なものであったらしい。
徳川御三家の尾張藩や紀州藩の定宿であった一番本陣・柏屋も同じよ
うな規模を誇っていたが、嘉永年間に起きた東海大地震のため壊滅し、
本陣を廃業したと言う。他にも問屋場跡などが有るが、これらは何れ
も跡かたも無く、詳細な説明版により往時を偲ぶのみである。



 茶業の盛んなところだけに街道筋にも茶屋が軒を並べているのかと
も思っていたが見かけることが無かったのは意外であった。
JR金谷駅の手前の交差点線路下に道標があり、江戸から五十三里と
言う一里塚跡があり、ここにも榎が植えられていた。



 左に折れJR東海道線のガードを潜り、直ぐに右に折れ駅の裏に出て
西進すると、急坂の石畳道で知られる金谷坂に向けた厳しい登り道が
待ち構えている。



 左手奥にある長光寺には芭蕉の句碑が残されているらしいが、この
先の急坂上りを思うと寄り道をする気にはなれず、そのままやり過ご
し西進し、その先で、小さな橋を渡る。
「西入口土橋」と呼ばれた、金谷宿の出口に当たる橋である。(続)

 こちらもどうぞ ここをクリック


にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南アルプスアプトライン(東海道歩き旅・遠江の国)

2020-07-29 | Weblog


 大井川鐵道のオフィシャルガイドブックによると、始発駅金谷の標高
は93m、途中の千頭は200m程高い299mで、更に終点の井川ともなると
標高686mまで上っていく。その勾配も20‰や25‰区間は当たり前、最
大90‰の区間も有り正に山岳鉄道である。



 井川線は、途中の千頭で乗り継ぐことになる。
赤いトロッコ列車は、大井川上流部の奥大井に向かう路線で、「南アル
プスアプトライン」の別名を持っている。
沿線には14の駅が有るが、殆どが無人駅で、しかも周辺には人家どころ
か駅に行く道路すらない所も有り、秘境駅ばかりだ。



 中でも圧巻は、アプトいちしろ駅と長島ダム駅の間(1.5㎞)である。
日本で唯一のアプト式鉄道が採用されている区間で、勾配90‰(1000m
の間に90m上ること)だ。

 それは通常のレールの間に専用のラックレールを敷設し、坂道専用機
関車に備えたピニオン歯車とを噛み合わせ急坂を上り下りするものだ。
アプトいちしろ駅ではその機関車が最後尾に連結され、その様子を間近
で見ることが出来る。



 そこを過ぎると、接岨湖の湖上に浮かぶ奥大井湖上駅に到着する。
駅は長さ283mの第3橋梁と、474mの第4橋梁に挟まれた僅かな平地に
設けられている。ホームに立つと丁度湖上に浮かんでいるような感じだ。
近頃は、恋に効くエンゼルパワースポットとしても人気だそうだ。



 その先沿線の秘境感は益々盛り上がり、熊が出没する尾盛駅は下車禁
止で通過する。その先で長さ114mの関ノ沢橋梁を渡るが、深い渓谷に架
かる橋の高さは100m、鉄道橋としては日本一だ。

 カラマツ林を見ながら閑蔵を過ぎ、金谷から数えて75番目のトンネル
を抜けると終点の井川で、目の前に巨大なダムの壁が立ち塞がっている。(続)



 こちらもどうぞ ここをクリック


にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大井川鐵道 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-07-27 | Weblog


 ボォーッ ボォーッ
島田と金谷を結ぶ大井川橋を渡り終える頃、どこからともなく聞こえて
くる汽笛が、24番目の宿場入りを歓迎するかのように鳴っていた。
その吹鳴は秋葉神社の先で渡った踏切で最大となる。



 踏切から左を見ると、大井川鐵道の新金谷駅があり、ホームには白い
煙を勢いよく噴き上げる蒸気機関車(SL)が停車していた。
先ほどから何度も歓迎の汽笛を鳴らしているのは、この大井川鐵道の機
関車らしい。



 同鐵道は大井川上流の森林資源の輸送と電源開発の目的で、大正末期
に設立されている。今では東海道本線の金谷駅に接続し、そこから千頭
(39.5㎞)を結ぶ大井川本線と、千頭と井川(25.5㎞)を結ぶ井川線を
運行している。

 同鐵道にはC10、C11、C12、C56や9600形等の蒸気機関車が動態保存
され年間300日以上の定期運行をしているのは日本ではここだけである。
また近頃では「きかんしゃトーマス号」「きかんしゃジェームス号」も
人気だそうだ。この日もこれからSLに乗車するのであろうか、大勢の客
が駅前に群れていた。



 大井川本線で運行している電車は、全てがかつて他社で活躍した車輌
である。元近鉄名古屋本線の特急電車、元京阪本線の特急車、元南海電
鉄高野線の急勾配を上った流線型ズームカー、元東急電鉄の電車などだ。

 ここでは懐かしい、多彩な車輌が元気に走っている姿が見られると有
って、鉄道ファンの間では「動く電車博物館」として良く知られている。



 沿線は、春は桜と新茶の香り、夏は緑と清流の涼しさ、秋は錦絵のよ
うな紅葉、冬は秘境の枯れた山野が楽しめ、野趣溢れる温泉も幾つか点
在している。(続)



 こちらもどうぞ ここをクリック


にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義人・仲田源蔵 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-07-24 | Weblog


 島田宿の川越遺跡が見事に復元されていたのに比べると、対岸の金谷
宿は些か寂しい。史跡らしい物は何も無く僅かに土手下に残る水神様と、
民家の玄関先に掛けられた番宿を書いた表札で、往時を偲ぶのみである。



 渡し場跡の小公園に没後120年を記念した「義人 仲田源蔵」の石造が
建てられている。説明によると翁は当地の醤油屋の三代目として生まれ、
その後川越人夫総代を務めた。

 明治維新の頃川越え制度の廃止と共に、職を追われた1,300人の川越え
人夫の為に、当時荒れ地であった牧ノ原台地の開墾に従事させるよう時
の政府を動かした人物だと言う。



 台地の開墾により人夫の入植が可能となり、茶園が開かれ、今日でも
当時の子孫たち17軒が茶業を営むなど、大茶園の礎を築いた人物である。
私財を投じた翁と牧の原の茶園との関りは、地元でもあまり知られてい
ないらしく、啓発を願っての石像らしい。



 翁は大井川架橋にも注力し、地元の有力者とともに尽力した。結果、
明治16(1883)年には、全長720間(凡1300m)、幅2間(凡3.6m)
の木橋、駿河と遠江を結んだ最初の橋を開通させている。



 東海道は街道らしく曲がりくねって僅かに上りながら、行く手に見え
る牧ノ原台地を登る道へと繋がっていく。

 旧街道筋の民家の軒先には、嘗ての川越え人足の番小屋を示す木札が
掲げられているが、通りはごくありふれた普通の地方都市の町並である。
やがて秋葉神社の先で、大井川鐵道の単線線路の踏切を渡る。(続)



 こちらもどうぞ ここをクリック


にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵で見る大井川 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-07-22 | Weblog



 「信州の山谷を水源として流れ落ちる急流」の大井川。
嘗ての暴れ川も、今では幾つかの支流・分流が集められ両側の堤防で
締め切られていて、緑豊かな広い川原を有し、その間を流れる川幅は
広く、水量も豊かである。



 水深はおよそ乳通り、満々と水をたたえ、まるで海のように波立ち
流れる川。筋骨隆々の川越え人足が担ぐ蓮台には、悠然と座して煙管
煙草をふかす女達の姿。黒く連なる対岸は島田宿の山並み。その先に
白く輝く富士。錦絵「東海道川尽 大井川の図(1857年 歌川国久 
イセ芳版)」では、このように描かれている。



 当時の大井川は、今ほど川筋が定まってはいなかったであろうから、
深みは人足の力を借りて渡り、その前後では足下の覚束ない川原を難
儀して歩いていたのであろう。



 それは歌川広重描く「東海道五十三次之内 嶋田 大井川駿岸」や、
「金谷 大井川遠岸」では広い川原と幾筋もの川が描かれているので
窺い知ることが出来る。



 難儀の末無事越えれば、街道は駿河の国から遠江の国へと入って行く。
島田の宿から次の金谷の宿までは、凡一里の距離で、その内三分の一ほ
どが川越えである。旧東海道はその後国道1号線となり、今では一般県
道として永代橋が架けられている。
昭和の初めに架けられた、1026.3mのトラスト橋を渡ると金谷の町だ。



 大井川の川越を控えたこの地にも、島田側と同様な川越しの為の川会
所、高札場があり、川越え人夫の控える番宿が10軒ほど立ち並んでいた。
今日の八軒屋橋を渡った先辺りかららしいが、姿を伝える痕跡はほとん
ど何も残されてはいない(続)。



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川留め (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-07-20 | Weblog


 「越すに越されぬ大井川」は、川の難所である。
幕府は架橋を禁じ、どんなに水位が低く素人でも簡単に渡れる状況でも、
人足による徒渡しを強い、旅人の勝手越えを禁じていたと言われている。



 ところが江戸文化年間に全国を托鉢行脚した修験者・野田泉光院は、
「岡部宿で東海道と分かれる左の在道を行き、小川村(現焼津市小川)
を経て、大井川では海際の道を歩いて渡った」と日記に書いている。
(「大江戸泉光院旅日記」石川英輔 1997年講談社)
ので、今日の県道31号線辺りに徒渡りの出来る在道があったのか?と
思ってみたりもする。



 川会所では2名の川庄屋を任命し、川越えの管理・統制に当たらせ、
人足は島田と金谷の側にそれぞれ650人ほどが待機していたと言う。
川渡りは手引きや、肩車、蓮台などで行われていて人足に払う駄賃は、
その時の水深により細かく決められている。



 旅人を大いに悩ませたのは「川留め」である。
役所の発する川留めは絶対的なものでこの禁を犯せば強く罰せられる。
川留めともなると宿場は大混雑、「一駅二宿も跡へ戻りて水の落るを待
つもあり」(東海道名所図会)と伝えられるように、ここまで来たもの
の泊まれない旅人は、今来た路を引き返し、泊まる旅籠の確保に奔走す
るはめとなる。



 その上、川留めが何日も続けば、旅籠のみならず、商人の家にも逗留
する有様で、運良く宿泊場所が確保出来ても、宿賃が嵩み旅人には大き
な負担となっていた。
長の逗留ともなると相部屋が当たり前、泊まり合わせた者同士が仲良く
なるのは良い方で、飯盛り女を買う者、博打に手を出し大切な路銀を失
う者が出るなど、退屈凌ぎで混乱する有様は今日に幾つもそのエピソー
ド伝えられている。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

播州赤穂(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-07-17 | Weblog
 赤穂線は日生を出て寒河を過ぎると、岡山から兵庫へと入っていく。
県境をまたぐと最初の駅が「備前福河」だ。
紛れもなく兵庫県に位置するのに駅名に「播州」ではなく岡山県の古名
を表す「備前」が付く不思議な駅である。



 それは嘗てこの辺りまでが備前の国の一部で、鉄道が開通した当時
も岡山県に属していた事による名残だそうだ。
当地の集落は「福浦」と言い、隣接する集落が「寒河」であったこと
から、駅名が「福河」となったらしい。
当地が兵庫県に編入されるのは、昭和38(1963)年であったそうだ。



 路線は、瀬戸内の海から外れ、三菱電機や住友セメントの大きな工場
をかすめるように進むと、両側には町並みが広がり、やがて播州赤穂に
到着する。

 同線の区切り駅で、岡山方面から来た列車はここで全てが折り返す。
到着した列車の多くは、これらこの駅始発の列車と接続しているから、
多くの場合着いたホームの向かい側の列車に乗り込めば良く、乗継に
は便利な駅である。



 関西圏に向けて、朝夕には新快速が、相生から山陽本線に乗り入れ、
姫路を経て、神戸・大阪・京都方面に向け、さらに東海道本線を行き、
米原から北陸本線に入り長浜まで、或は、山科から湖西線に入り近江
今津や敦賀まで行く列車が頻発している。



 ここ播州赤穂は、瀬戸内海に面した観光都市である。
かつては浅野家5万石の城下町であり、製塩で栄えた町であるが、今で
は「忠臣蔵」の町として全国的にその名を知られるところだ。



 駅から左程遠くないところに赤穂城址、赤穂大石神社、大石良雄宅跡
長屋門など所縁の場所が点在している。毎年12月14日、浅野邸討ち入り
の日に行われる「赤穂義士祭り」は、多くの観光客で賑わうと言う。
(赤穂線・乗潰しの旅 完)






にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カキ祭り(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-07-15 | Weblog


 余り知られていないが、11月23日は、「カキの日」だそうだ。
この日は、勤労感謝の日で国民の祝日であるが、古くは諸々の収穫に
感謝する「新嘗祭」と言われた日で、今では皇室の宮中祭祀の一つと
なっている。



 「グリコーゲンを初めとする栄養分が豊富なカキを多くの人々に食
べて頂き、日頃の勤労の疲れを癒やして欲しい」との願いから、この
祝日に因んで平成15(2004)年に全国漁業協同組合連合会が制定した
と言う。



 カキはグラム辺りでウナギと比較すると、鉄分は2倍、亜鉛が7倍、
ビタミンB12が10倍と栄養価が高く、嬉しいことにカロリーはウナギの
五分の一だそうだ。その反面ビタミンは加熱調理では失われやすいので、
食べるならやはり生食が良いと言う。



 そんな流れもあってか、このあたりの瀬戸内沿岸の主要な漁港では、
毎年11月から年が明け最盛期を迎える2月頃にかけて、盛んに感謝の
「カキ祭り」が行われる。
日生(五味の市)、牛窓(牛窓漁協周辺)、虫明(邑久漁協周辺)、
室津(綾部山梅林入口周辺)、赤穂(赤穂海浜公園赤穂広場)、相生
(IHIふれあい広場)・・・・等などだ。



 特に赤穂線沿線では、JRともタイアップして、カキ祭がリレーイベ
ントとして開催され、週末なら必ずどこかの漁協で行われていると言っ
ても過言ではないほどだ。
殻付きのカキや魚介類が格安で直売され、場所によってはカキ料理の屋
台が出て焼きカキや蒸しカキ、カキ汁などが無料で振舞われたりもする。



 今年は残念ながら新型コロナウイルスの影響で、イベントを中止す
る会場もあった。
しかし例年ならこれらを廻り歩けば毎週のようにカキが楽しめて好き
な人には堪らない時期となる。(続)




にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

B級グルメ・カキオコ(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-07-13 | Weblog
 港町漁師町日生の名物は、なんと言っても瀬戸内の海で養殖される
カキである。シーズンともなると市場や魚介類を扱う店などの店頭は、
笊や缶に入れられ売りさばかれるカキ一色に染まる。



 瀬戸内の海は入り江や多島の影響で波も穏やかで、カキ養殖筏にとっ
ての環境は申し分ないという。加えて周囲の山々から養分の流出も良好
で「肥えた海」と言われ、その温水の変化はカキの成長のリズムと見事
に合致しているのでカキの成長も早いのだそうだ。



 こうして育った日生のカキは、毎年10月20日前後を目処に水揚げが
始まる。出荷は年末頃に最初のピークを迎え、年が明けると水揚量も
増え、最高に美味しいと言われる2月頃が最盛期で3月まで続くという。



 近年日生ではそんな新鮮なカキを使ったお好み焼き「カキオコ」が
人気を呼んでいる。元々は漁師の女将さん達が、売り物にならないカ
キをお好み焼きに入れて食べていたと言う漁師料理であったが、今で
はB級グルメとしてその名を全国的に知られるようになった。



 熱々の鉄板にとろとろの生地を敷き、千切りキャベツを盛りその上に
新鮮なカキをふんだんに乗せ焼き上げるお好み焼きは、焼いても縮まな
いカキのぷりぷり食感と、新鮮でジューシーな風味に溢れ、ソースの味
と絡み、病みつきになりそうな味わいである。



 町内にはこれらを売り物にする店が何か所もあり、休日ともなると、
店の前に行列のできる人気店もある。観光案内所などには、それらのお
店を紹介するマップも用意されているので、風評には惑わされず食べ比
べ、自分好みを見付けに食べ歩くのも楽しいだろう。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日生・五味の市(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-07-10 | Weblog


 日生駅前の港を隔てた対岸の小高い楯越山は、山頂が「みなとのみ
える丘公園」になっていて展望台からは、日生の島々や漁港などの町
並が一望できる。
山頂近くまで車で上ることが出来、桜の名所としても知られている。



 その山の麓、駅からは丁度山の向こう側に、漁協直営の「五味の市」
と、「海の駅しおじ」「もやい茶屋」などがある。
歩いて15分ほどの場所で、目の前は日生港である。



 「五味の市」は、その日に上がったばかりの魚介類が、漁師のおか
みさん達の手で売りさばかれる鮮魚市場で、威勢の良いかけ声が場内
に響き渡っている。
品数が豊富で、鮮度がよく、値段も手ごろな事も有って、それだけに
売り切れるのも早く、完売すると閉店になってしまうので、なるべく
早く午前中に行くのがお勧めである。



 また市場内には、おそらく全国でもここでしか味わえないと言われ
ている珍しい「カキフライソフト」がある。
ソフトクリームの上にカキフライを載せ、仕上げに刺身しょうゆをか
けて食べるというもので、ここに来たらぜひ味わってみたい。



 「海の駅しおじ」はその向かい側に有り、周辺地域の魚介類の加工
品を中心に販売されている。ここにはバーベキューコーナーが併設さ
れていて、市で買い求めた食材や、併設されたコンビニで調達した惣
菜や飲み物を持ち込んでバーベキューを楽しむことも出来る。



 市場前の駐車場周りには休日ともなると屋台も並び、特に賑わいを
見せる。県外のみならず、関西方面からバスやマイカーで訪れる客も
多く、特にカキのシーズンともなると駐車場への入場待ちが発生する
こともある。(続)




にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする