簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

心のふるさと・東北(JR全線乗潰しの旅)

2010-01-29 | Weblog
次に東北地方を塗り潰して見る。
東北の各地は、魅力的なところが多い。
私の一番と言って良いほど大好きな土地だから過去何度も足を運んでいる。
”こころのふるさと”と言っても良い。多くは、18キップを使っての鉄道の旅だ。

 【写真:大曲駅にて】

初めての東北への旅は、昭和45年の12月、暮れも押し詰まった30日の夜行列車に揺られて、
男鹿半島を訪れている。
目的は、大晦日の伝統行事“なまはげ”を見るためだ。
雪の降る寒い深夜、吼えながら荒れ狂った”なまはげ”は、お面を取ると優しい顔の同年代の
青年であった。
衣装を身に着けた素顔の”なまはげ”との記念写真が手元に残っている。

 【写真:会津若松駅にて(平成20年)】

このときの旅は、その後秋田から東能代へ。
ここではSLをバックにしたセピア色の写真が懐かしい。
その先、弘前-青森-渋民と廻り、啄木の故郷を訪ね、その後盛岡へ。
ここで“わんこそば”バトルを楽しんだ。

 【写真:仙台・あおば通駅にて】

八戸-盛岡間は、今では三セク運営の鉄道に変身している。
更に宮古-釜石-気仙沼と陸中海岸沿いに南下、松島海岸から仙台へ向い、ここから約6時間かけて
上野に到着、その後名古屋に戻り旅は終わりだ。

二回目の訪問は、昭和46年の5月。
この時は、メーデーが終わったその足で、ハイウェーバスに乗り東京へ。
そしてその日の深夜、上野からの夜行で会津若松へ向った。
当時は首都圏から東北本線を経由して磐越西線に入るこんな便利な夜行の急行列車が走っていたのだと
改めて感慨深く思う。
この時はその後、福島-山形を巡り、帰路日光線で日光に立ち寄っている。

その後の新婚旅行も東北を巡る旅だった。
更に、趣味で集めている東北地方の“伝統こけし”を買い求めて何度か訪れた。
こんな旅のルートを思い出しながら塗り潰して見ると東北も大分埋まった。
残るは五能線、津軽線、大湊線と花輪線と陸中海岸伝いの路線だ。
主に青森県内の北東北に乗り残しが多いのがわかる。

 【写真:あつみ温泉駅にて】

こんな風に、北から南に向けて、過去の記憶とアルバムの記録を頼りに塗り潰していく。
残る塗り潰しは九州だけになった。(続)
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北海道の塗り潰し(JR全線乗潰しの旅)

2010-01-26 | Weblog
北海道のページを開く。
高校時代、旅をした時のスクラップブックを見ながら、赤色の鉛筆で路線を塗り潰す。

函館から北上、最初の宿泊地は大沼公園だった。
「ウウン?ここはどっちのルートを通ったのだろう?」
大沼-森間は、名峰駒ケ岳を右手に見るルートと、左手に見て海沿いを走るルートが有る。
どっちを通ったかアルバムからは分からない。
だからこの間は保留としておこう。

 【写真:大沼公園(昭和39年)】

二泊目が洞爺までで、三日目は札幌まで・・・・。
「あれっ、ここにも乗り残しがあった。」
東室蘭に途中下車した記憶は無いので、当然東室蘭から室蘭の間は乗っていないことになる。

 【写真:昭和新山(昭和39年)】

札幌からは、旭川を経て夜行列車で稚内へ行った。
再び旭川に戻り一泊、ここでは市内の公園で侘しく野宿だった。
翌日層雲峡をバスで巡り、再び旭川に戻り、ここからは石北本線の夜行で網走へ。
更に斜里、北浜原生花園で遊び、夕方網走で友と合流している。

翌日、美幌から乗った北見相生までの相生線は、1985年3月末日を以って廃線となっている。

 【写真:美幌峠(昭和39年)】

再び網走から釧路へ、更に日本最東端の東根室を経て根室へ。
根室から再び釧路を経由して帯広へ、そこから南下する広尾までの広尾線も、1987年2月に
廃線となっている。
様似から日高本線で苫小牧、更に函館に戻ると北海道の旅は終わりだ。

 【写真:納沙布岬灯台(昭和39年)】

その後、北海道には出張と家族旅行などで何度か訪れているが、出張は空路で千歳までの往復だったし、
家族旅行は日本海のフェリーとマイカーのため、新たに鉄道を利用することは無かった。

こうして過去に乗車した路線を塗り潰して見ると、道東・道央に乗り残しが有ることが解る。
「北海道内の全線は、もう一回、一週間か十日程度有れば全て乗れそうだ」
俄然北海道再訪の夢が膨らんできた。

しかし、こうして見ると随分と廃線が目に付く。
寂しいのはまだ乗っていない路線が既に廃線になり、今は無いと言うこと。
当時の国鉄の、採算度外視の線路網の凄さを、改めて思い知るのである。(続)
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塗り潰し地図(JR全線乗潰しの旅)

2010-01-22 | Weblog
面白そうだ。
乗った路線を塗り潰すため、色鉛筆を用意して早速書き込みを始めてみる。

その前に一応ルールを決めておこう。
新幹線はオレンジ色の鉛筆で、JR(旧国鉄)線は赤色の鉛筆で、私鉄線は青色の鉛筆で、
乗車済みの路線を塗り潰すことにした。



先ずは新幹線からだ。
東京から北に向かって福島、仙台まで塗り潰す。
今度は東京から西に向って名古屋、新大阪を経て博多まで日本の動脈を塗り潰す。
次に山形新幹線は、新庄から山形、米沢を経て福島へ。



上越新幹線の高崎までは出張で何度か利用した。
昨年の冬、乗り残していた上越新幹線の新潟から高崎を経由して長野までを乗ってきた。
「いやぁ~しまったことをした。」
このとき、少し無理をしてでも、越後湯沢-ガーラ湯沢間を乗って置けば良かった。
これは確か、冬場だけの臨時駅ではなかったか?僅か1.8kmが残っている。

そう言えば、何度も博多に行っているのに、博多から博多南の間もまだ乗ったことが無い。

そうそう以前北上線に乗った折、
北上から一ノ関間は、普通列車の連絡が悪く、新幹線を使ったはずだ。
ここも塗り潰しておこう。

 【写真:新幹線】

こうして塗り潰してみると、後残るは、秋田新幹線、東北新幹線の仙台から一ノ関の間と
北上から八戸の間。
それに博多からは、博多南までと鹿児島方面が残っている。
東北新幹線はまだ北に延び、北海道まで行くだろうし、九州新幹線も博多、新八代間が
本年度には開通するはずだから、これらは全線が開通してからで良いだろ。
越後湯沢-ガーラ湯沢間は、季節が限られ結構難儀だが、何時か行くしかないだろう。
等と、将来に旅の夢を馳せながらの塗り潰し作業は、結構楽しいものである。

次は在来線を始めてみる。(続)
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「鉄道の旅手帖」(JR全線乗潰しの旅)

2010-01-19 | Weblog
それから暫くして本屋から自宅に電話があった。
「ご依頼の本が入りました」と。
本屋に赴き来意を告げるとカウンターの奥から一冊の本を取り出してきた。
「オッ!これだ」、早速購入する。

本のタイトルは、「鉄道の旅手帖」。定価(本体1000円+税)。
実業之日本社から2007年5月に出版された本である。



「乗った路線をぬりつぶし自分だけの旅の記録」
「旅の思い出は写真だけ、というあなた。でも、細かなことだって覚えておきたいし、
何処へ行ったか、誰と行ったかだって大切な思い出。若いあなたは、これからの
旅行遍歴のすべてを、年配のあなたは新婚旅行からいままでに行った旅行の
すべてを書き込むことで自分史が出来上がります。何十年も使い続けることができる、
手帖の決定版です」
「旅の記録をリスト化できる」
「降りた駅にメモする楽しみ」
「鉄道の乗車記録に最適」と有る。

各ページには日本の地図上に、鉄道路線と路線名、それに駅名だけが印刷されている。
鉄道路線は、1ミリ幅ほどの白抜きで引かれているから、それを塗り潰すことになる。
加えて各路線の営業キロが記載されているから乗車キロを調べることも出来る。

使い方は自由。
自らの発想で旅の思い出を書き込み、自分だけの旅行史をつくりあげていく仕組みだ。
思わずニンマリ。狙いは外れていなかった。こんな本が欲しかったのだ。

 【写真:鉄道の旅手帖】

購入した本を自宅に持ち帰ると、家族が「アッ、テツ!」と、はしゃいだ。
自分では鉄道マニアではないと思ってはいるが、人から見れば・・・「テツ」。
やっぱりそうか・・・・。(続)
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お取寄せ(JR全線乗潰しの旅)

2010-01-15 | Weblog

昨年の春頃のお話。
旅の雑誌をパラパラと見ていたら面白そうな本の広告が目に付いた。
傍らに有ったメモ帳に、その本のタイトルと出版社をメモる。



それから何日かして、メモをポケットにねじ込み近所の本屋に行ってみた。
旅の関係本の書棚をつぶさに捜して見るがメモの本が見付からない。
その近隣の書棚にまで範囲を広げて見ても見付からない。
新刊書のコーナーを捜してみるが、平積みされてもいない。
もう出版されている筈なのに、どうしたのだろう。おかしい。

捜しあぐねてカウンターでメモを見せ所在を問うと「その本は置いてない」と即座に言う。
沢山の本が毎日のように出版されている中で、良く調べなくて解るものだ。
書棚に並べてもたいして売れる見込みの無い本だから、仕入れてはいないのか。
よほど特殊な本、マニア向けの本なのか?
心の中でそんな風に考えていたら、こんな本を尋ねた自分が何だか気恥ずかしくなってきた。

「宜しければ、お取寄せしますが・・・」との声に、素直にお願いし、連絡先を告げ本屋を後にした。

本を買うとき、多くの場合は実際本屋に赴き、帯を見て、手にとり中身を確認し、納得してからしか
買わないことにしている。
こうしてお取寄せで本を買うことは先ず無いし、インターネットで中身を見もしないで買うことも無い。
今回は、なぜか書名に惹かれ実物も見ないのに欲しくなった。

本屋からの電話連絡を待つことにした。(続)
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手回り品にはご用心

2010-01-12 | Weblog
黒塗りの高級車から、ビシッとスーツを決めた刑事が数人降り立った。
颯爽と現場に近づき、ポケットから真新しい真っ白な手袋を取り出し・・・・。
テレビの刑事物ではお馴染みのシーンだが、現実はとてもこんなイメージとは違い、三人の警察官はバイクに
乗ってやってきた。

「これですか?」
と言いながら、ポケットから取り出した手袋は、テレビのように真っ白な新品とは程遠い、使い古したもので、
指先も黒ずんでいる。
その時、「あっしまった!」と思わず叫んでしまった。
警察官もその真意を汲んで、「交番の指示も悪かったようで・・・」と庇ってくれた。
「不味かったですね。」
「犯人の指紋が残っているかも知れないので、後で(私の指紋を)頂くことになるかも」と警察官が言う。
何もやましい事は無いので、指紋でも何でもとられる事に問題は無いが、何でその時気が付かなかったのか・・・。
強風が吹荒れていたことから、「飛ばないように纏めて」と言われた時、頭の中には手袋の事なぞ全く飛んでいた。
交番からの指示も無かったし。
あれほどテレビでお馴染みのシーンを、何度も見ていたのに・・・・。

バッグの中身を確認しながら、本部と無線でなにやらやり取りをしている。
その話から推察すると、どうやら近くのショッピングセンターで買い物中に、置き引きの被害にあったものらしく、
被害届の出されているものと一致している様子。

現場写真を撮るからと記憶を頼りにバッグやら惣菜やらレシートを路上に並べながら事情聴取がある。
私が第一発見者ではなく、通報者だとわかると、第一発見者からも話が聞きたいと言う。
どうやらこう言った事犯の場合は、第一発見者の話が必要らしい。
一時間余りで警察官は帰って行った。

それにしても咄嗟の対応と言うのは、本当に難しい。
交番に通報した折も「何色のバックでしたか」と突然聞かれ、咄嗟に「確か・・・”グレー”だった」と答えてしまった。
後で、バッグを見てみると色は”グレー”ではなく”黒”で、中に入っていた財布の色が”グレー”。
結局、最後に見て触れたものが財布だったから、その色が強く印象に残っていてそんな言葉が出てしまったものと思う。



 【写真:宮古・魚菜市場(本文とは無関係)】

あのバッグも今頃は持ち主の元に返っていることであろう。
クレグレも手回り品にはご用心を!(終)
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とんだお年玉

2010-01-08 | Weblog
仕事始めの日、仕事場の駐車場にバッグが落ちていた。
と言うよりも、投げ捨てられていたと言う方が良いのかも知れない。

バッグの口は大きく開いて、中に入っていたと思われるものが飛び出して、辺りに散乱している。
その廻りには、近くのショッピングセンターのレジ袋。
中にはお弁当らしきものが。
そして、恐らく一緒に入っていたと思われる惣菜のパックが二つ、アスファルトの上に散っている。
レシートや薬の袋、薬の包なども折からの強風に煽られて、それらの周りを舞っている。

バッグの中を覗くと携帯電話に手帖、財布、この寒いのに何故か扇子などが入っていた。
それに驚いた事に、二つ折りにした万円札が何枚かむき出しのまま入っている。
どう見ても尋常な状況ではなさそうだ。

駐車場のフェンスの向こう側は、幅1メートル程の農業用水路が通っている。
しかし、この用水路には全面コンクリートの蓋が被せて有るので、格好の抜け道通路として
人や自転車の通行が多い。
察するに、ここからフェンス越に投げ込んで行ったのではなかろうか。

近くの交番に電話をする。
事情を説明すると「警察官を遣るので、現場をそのまま保存しておいてくれ」との事。
しかし、今日は生憎朝から強風が吹荒れているので、「このまま放っておけば飛んでしまうかも」と言うと、
「この風だから仕方ないな。飛ばないように纏めておいて」と言って電話が切れた。

直ぐにサイレンを鳴らしてパトカーが来るのかと思ったが、なかなかこない。
強盗や殺人事件なら兎も角、こう言った事犯では多忙な警察官はどうしても対応が遅くなるのかも。
路上に散った惣菜をレジ袋に入れ、風で舞うレシートや薬の袋、薬の包などをかき集め、その袋に納めた。
しかし、問題はバッグ。
現金や財布の入ったバッグを通りに面した駐車場にそのまま放置しておいていいものか。
このまま現場で立ち番をしているわけにもいかない。
思いあぐねた末、バッグも含めて全部屋内に退避させた。



 【写真:鳥取・賀露市場(本文とは無関係)】

一時間ほどして警察官がやって来た。(続)

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公園の垣根

2010-01-05 | Weblog
久し振りに近くに有る小公園の前を通った。
「あれっ?」
何だか今までと様子が違う。
妙に公園の中が広々として明るいのだ。
冬の明るい日差しの性ばかりでは無さそうだ。

「確かここには・・・・。」
以前、確かここには垣根が有った筈だが・・・。
どんな種類の木が植わっていたのか俄かに思い出すことが出来ないが、立派な垣根が
出来ていたように記憶している。
しかし、今そこは綺麗に整地され、整然と芝が敷かれ、真新しい目土が被せられている。
恐らく昨年の春か夏ごろ整地された風に見える。
公園と道路を隔てていた垣根が無くなっているのだ。

 【写真:公園】

公園が出来た当初、若木として植えられ、幾年かの風雪に耐え、立派に成長したのに、
今度は大きくなりすぎて邪魔になるからと、根こそぎ抜かれ、切り刻まれ、恐らくはもう既に
焼かれてしまったのであうか?
植えた時から、徒長枝やふところ枝を払い、定期的に整枝・剪定を続けてさえいれば、
見通しを妨げるような姿にはならなかったのではないか。
折角大きく立派に成長したのに、管理する人間の手抜きの代償が伐採では、
垣根が余りにも可哀想に思えて仕様が無い。

昨今の治安を考えると、公園内の死角を解消するための処置で有ることは容易に想像が付くし、
その事に理解も出来るが、何か釈然としないものが残る。
垣根が無くなって、今度はボールを追っかけた子供たちが、道路に飛び出す心配はしなくても
良いのだろうか?

昨年、当市は10年で6万本の植樹を行う方針を発表した。
緑豊かな魅力的な街づくりを目指すという。
その一方でこのように行われる現実を、どう理解すれば良いのだろう?
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ブログ一周年

2010-01-01 | Weblog
一昨年の10月19日、ブログを開設し記念すべき第一回目の投稿をした。
あれから一年以上も経過し、二度目の正月を迎えた。
「一年どうにか持ったか・・」と言うのが今の率直な感想だ。

 【写真:JR御殿場線より見る富士山】

日々の生活で見た事、気づいた事、感じた事。
好きな旅行の事、四国歩き遍路の事、JR全線乗潰しチャレンジの事、庭弄りの事、
仕事の事、そして忘れたくは無い遠い日の思い出・・・などなど。
気軽に、肩肘張らずに書けたら良いと、そんな思いから始めたブログであった。

それが始めて見ると意外と難しい。
永年纏まった文章など書いてはいなかったから、書こうとすることを、頭の中で思い描く事が出来ても、
いざそれを文章に・・と思い、パソコンに向ってみるとなかなか上手く纏まらない。
頭の中では名文(?)が出来上がっていた筈なのに・・・・。

何も上手く書こうと思っている訳では無いし、そんな能力の無いことは本人が一番良く知っている。
ごく普通に思ったことを表現しょうとしているだけなのにそれが出来ない。
何度も何度も書き直し、読み返し、また消しては書き直す。
パソコンだから良い様なものだが、これが本当の原稿用紙に書くとなれば大変だ。

しかし、「継続は力なり」とはよく言ったもので、それでも続けていると、どうにか成るものだ。
最近では、書き始めると結構纏まった文章が書けるようになった。
これまでに何回分かを書き溜めする事もしばしば出来るようになった。
大変な進歩である。

 【写真:干支 郷土玩具のトラ】

これからも、余り肩肘張らず続けることを目標に、今年も頑張って見ようと、改めて新年に思う。
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