次に東北地方を塗り潰して見る。
東北の各地は、魅力的なところが多い。
私の一番と言って良いほど大好きな土地だから過去何度も足を運んでいる。
”こころのふるさと”と言っても良い。多くは、18キップを使っての鉄道の旅だ。
【写真:大曲駅にて】
初めての東北への旅は、昭和45年の12月、暮れも押し詰まった30日の夜行列車に揺られて、
男鹿半島を訪れている。
目的は、大晦日の伝統行事“なまはげ”を見るためだ。
雪の降る寒い深夜、吼えながら荒れ狂った”なまはげ”は、お面を取ると優しい顔の同年代の
青年であった。
衣装を身に着けた素顔の”なまはげ”との記念写真が手元に残っている。
【写真:会津若松駅にて(平成20年)】
このときの旅は、その後秋田から東能代へ。
ここではSLをバックにしたセピア色の写真が懐かしい。
その先、弘前-青森-渋民と廻り、啄木の故郷を訪ね、その後盛岡へ。
ここで“わんこそば”バトルを楽しんだ。
【写真:仙台・あおば通駅にて】
八戸-盛岡間は、今では三セク運営の鉄道に変身している。
更に宮古-釜石-気仙沼と陸中海岸沿いに南下、松島海岸から仙台へ向い、ここから約6時間かけて
上野に到着、その後名古屋に戻り旅は終わりだ。
二回目の訪問は、昭和46年の5月。
この時は、メーデーが終わったその足で、ハイウェーバスに乗り東京へ。
そしてその日の深夜、上野からの夜行で会津若松へ向った。
当時は首都圏から東北本線を経由して磐越西線に入るこんな便利な夜行の急行列車が走っていたのだと
改めて感慨深く思う。
この時はその後、福島-山形を巡り、帰路日光線で日光に立ち寄っている。
その後の新婚旅行も東北を巡る旅だった。
更に、趣味で集めている東北地方の“伝統こけし”を買い求めて何度か訪れた。
こんな旅のルートを思い出しながら塗り潰して見ると東北も大分埋まった。
残るは五能線、津軽線、大湊線と花輪線と陸中海岸伝いの路線だ。
主に青森県内の北東北に乗り残しが多いのがわかる。
【写真:あつみ温泉駅にて】
こんな風に、北から南に向けて、過去の記憶とアルバムの記録を頼りに塗り潰していく。
残る塗り潰しは九州だけになった。(続)
東北の各地は、魅力的なところが多い。
私の一番と言って良いほど大好きな土地だから過去何度も足を運んでいる。
”こころのふるさと”と言っても良い。多くは、18キップを使っての鉄道の旅だ。

初めての東北への旅は、昭和45年の12月、暮れも押し詰まった30日の夜行列車に揺られて、
男鹿半島を訪れている。
目的は、大晦日の伝統行事“なまはげ”を見るためだ。
雪の降る寒い深夜、吼えながら荒れ狂った”なまはげ”は、お面を取ると優しい顔の同年代の
青年であった。
衣装を身に着けた素顔の”なまはげ”との記念写真が手元に残っている。

このときの旅は、その後秋田から東能代へ。
ここではSLをバックにしたセピア色の写真が懐かしい。
その先、弘前-青森-渋民と廻り、啄木の故郷を訪ね、その後盛岡へ。
ここで“わんこそば”バトルを楽しんだ。

八戸-盛岡間は、今では三セク運営の鉄道に変身している。
更に宮古-釜石-気仙沼と陸中海岸沿いに南下、松島海岸から仙台へ向い、ここから約6時間かけて
上野に到着、その後名古屋に戻り旅は終わりだ。
二回目の訪問は、昭和46年の5月。
この時は、メーデーが終わったその足で、ハイウェーバスに乗り東京へ。
そしてその日の深夜、上野からの夜行で会津若松へ向った。
当時は首都圏から東北本線を経由して磐越西線に入るこんな便利な夜行の急行列車が走っていたのだと
改めて感慨深く思う。
この時はその後、福島-山形を巡り、帰路日光線で日光に立ち寄っている。
その後の新婚旅行も東北を巡る旅だった。
更に、趣味で集めている東北地方の“伝統こけし”を買い求めて何度か訪れた。
こんな旅のルートを思い出しながら塗り潰して見ると東北も大分埋まった。
残るは五能線、津軽線、大湊線と花輪線と陸中海岸伝いの路線だ。
主に青森県内の北東北に乗り残しが多いのがわかる。

こんな風に、北から南に向けて、過去の記憶とアルバムの記録を頼りに塗り潰していく。
残る塗り潰しは九州だけになった。(続)