簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

吉備真備 (井原鉄道沿線の旅)

2018-09-28 | Weblog

 個人名が鉄道の駅名になっている事は、全国的に見ても珍しい事である。
岡山県下には智頭急行線に「宮本武蔵」と言う駅があり、JR伯備線には
山田方谷から取った「方谷」駅がある。
そしてこの井原鉄道線にも、個人の名前が付けられた駅が有る。
それが川辺宿の次の駅である「吉備真備」駅である。
「吉備真備」は奈良時代に活躍した政治家・学者だ。





 この地方では有力な豪族である吉備族に連なる下道氏の出で現在の真備町
で生まれたとされている。
最初は23歳の頃に唐に渡り18年間も滞在し、儒教、法律、算術、天文、兵法、
暦法など学び、帰国後は聖武天皇から重用され国の制度改革や文化の発展に
尽くし、更に囲碁の伝来やカタカナの発明にもかかわったと言われている。



 50歳を過ぎ吉備姓を名乗るようになるが、地方豪族の出身でありながら異例
の出世に中央貴族の反発も強く、筑前守として九州に左遷されることもあった。
57歳の頃には遣唐副使として2回目の渡唐を遂げているが、70歳で再び都に呼
び戻され、道鏡の乱では、兵法の知識を生かし、鎮圧した。その後称徳天皇の
時代にも出世を重ね、右大臣まで上り詰めた人物である。





 駅前には広々としたバスターミナルを兼ねたロータリーがあり、その一角が
公園風に整備されている。何やら中華っぽい模様が入れられている煉瓦タイル
の歩道があり、並木代わりに特産の竹を植えた道を行くと、黒瓦葺き二層屋根
赤い柱の中華風の建物が建っている。
四方がガラス窓の建物で、どうやらバスの待合室らしい。
周りには公が広めたと言う囲碁に因んで、碁盤を模した石のテーブルも置かれ
ている。このように地元では公の遺徳を偲んで、こうした施設を整備し、吉備
公祭や弾琴祭、囲碁大会などを開催している。(続)



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川辺宿 (井原鉄道沿線の旅)

2018-09-26 | Weblog



 高梁川橋梁を渡り終えると、列車は遥かに吉備高原を見通す広々とした豊か
な田園地帯を見下ろしながら高架を進み、やがてかつての宿場町である川辺宿
に停車する。旧山陽道46宿の内備中の国には四つの宿場が制定されているが、
その一つがこの川辺宿である。



 江戸日本橋より離れる事180里(およそ707Km)、旧山陽道の一里塚跡の石
碑が高梁川右岸の土手下に立っている。
川の改修でこの地に移されたものらしい。
川はこの辺りで支流である小田川と合流するが、当時川に橋は無く徒歩か舟
による渡しであったと言い、川留めともなると川辺宿は大層な賑わいを見せ
ていたらしい。



 昔からこの辺りの備中を中心とした中国山地では頻りに鉄が生産されていて、
その原料となる砂鉄を採取するために大量の土砂が川に流れ込んでいた。
それにより下流に運ばれ堆積した土砂で河口は南下を続け、同時に川底を押し
上げ、結果雨でも降ろうものなら川は大変な暴れ川となった。


 
 明治に入り川流域の大規模な改修工事が行われているが、それまでの度重な
る大洪水で、町は何度も壊滅的な大被害を受け、昔の物もほとんどが流され、
今日には何も残らなかったのだそうだ。



 一里塚跡の石碑が建つ高梁川の堤防から、まっすぐに西方向に延びるのが山
陽道らしいが、通りには当時を彷彿させる面影はどこにも残されてはいない。
周辺の田畑も、それを繋ぐ道路も整然と区画されたように見え、古い町なのに
どこか新しさを感じる不思議さは、過去の洪水の歴史が町を変えたからだ。(続)



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高梁川橋梁 (井原鉄道沿線の旅)

2018-09-24 | Weblog

 JR伯備線の線路は清音駅を出ると、上り線と下り線が分かれて倉敷に
向っている。
複線化の折高梁川沿いを行く路線に新線を沿わすことが出来ず、川岸まで
迫る軽部山(244m)に、古地トンネルを貫通させたことによるものだ。

 清音駅を出た井原線は、そんな伯備線の上下二本の線路に挟まれながら、
自らは次第に高度をあげ前方にふさがる軽部山を避けるように大きく右に
カーブしながら高架でその上を越えると、その先で迎えてくれる岡山三大
河川の一つ高梁川に架かる橋に向かう。





 長さ716mのトラスト橋と言われる高梁川橋梁で、列車はカーブしながらこ
の橋を渡るので、車窓から見ると橋が傾いて捻じれたように見えるのが面白い
が、勿論そんなことは無い。車窓から眺める橋は、規則正しく三角形を並べた
ような美しいフォルムがスマートで中々に魅力的な橋である。







 かつて随筆家の内田百閒は「安房列車」で、山陽本線の吉井川橋梁(万富-
熊山間)を日本で唯一の曲がった橋梁と紹介しているが、技術革新の進んだ
今日ではこうして曲がった鉄橋は珍しい物でもなく他にもまだ有るらしい。



 橋梁は一見すると濃茶色をしているので、古びて錆びているのかと思って
しまうが、実はそうではなく、ここには最新技術が仕込まれていると言う。
橋は「無塗装耐候性鋼材」と言われる部材を使って組み上げられている。
この鋼材は塗装をしなくても錆びが進行しないと言う。
従ってこの橋も塗装されていないので、これは鉄道会社にとってもメンテナ
ンス費用の削減では大きな効果が期待できるのだそうだ。(続)

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金田一耕助 (井原鉄道沿線の旅)

2018-09-21 | Weblog

『昭和12年11月27日、もじゃもじゃ頭で、よれよれの着物、折り目のない袴に
身を包んだ「金田一耕助」が清一駅に降り立った。』





 推理小説作家の横溝正史は、戦時末期の昭和20年4月、父の出身地に近い吉備
郡の真備町岡田で、その後の3年間に渡る疎開生活を送った。
収入も無く、不慣れな田舎生活に不安を抱えての移住である。
そんな一家を真備の人達は暖かく迎え入れたそうだ。日毎採れた野菜を差し入れ、
一升瓶を抱え疎開宅を訪れては都会から来た作家先生を囲んで夜ごと話の花を咲
かせたと言う。



 横溝は戦後になると本格的推理小説を次々に発表した。
それは真備に疎開当時、村人達から聞いた地元に残る古い言い伝えや、実際に
起きた事件を聞かされた事により創作意欲が掻立てられたからと言われている。



 真備を舞台にした「本陣殺人事件」では、名探偵・金田一耕助を誕生させた。
彼が降り立った清一駅こそが、この清音駅である。
駅を出ればその顔出しパネルも置かれていて今では町おこしのヒーローである。
またその後も瀬戸内の島を舞台にした「獄門島」、そして県北部で実際に起き
た猟奇殺人事件を題材にした「八つ墓村」等を発表した。





 この地では小説の主人公・金田一や、その物語の登場人物に扮した人たちが
事件の舞台を練り歩くコスプレイベントも開催されている。
またここから川辺宿に至る「金田一耕助の小径」には、その疎開先の住宅(無
料公開中)や、物語ゆかりの舞台等が点在していて普段でも巡り歩くフアンも
多いと言い、今や聖地となっている。(続)

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清音駅 (井原鉄道沿線の旅)

2018-09-19 | Weblog



 県南西部に当たる井原、矢掛、笠岡などの地域には、大正時代よりかつて
井笠鉄道の軽便鉄道の路線が幾つか営業をしていた。
当時バス路線しか持たない国鉄は、昭和に入り吉備線の延伸路線として井原
新線を計画した。昭和41(1966)年にその工事に着手すると、その役割を終
えたかのように井笠鉄道線は次々に廃止され、その線路跡は新線の建設工事
を請け負う鉄道建設公団に売却された。



 しかし井原新線はその後、国鉄再建計画の煽りを食って中止となる。
その為それを引き継いだ第三セクターにより、既に作られていた高架や、廃線
跡の路盤なども活用して建設工事を進め、平成11(1999)年に総社駅と福山市
の神辺駅を結ぶ総延長41.7キロに15の駅を設けて開業したのが井原鉄道・井原
線である。



 起点の総社と清音の間はJR伯備線の線路を利用しているが、清音駅からは
単独線となるのでここが実質的な起点のようなものだ。
その清音駅はJRと井原鉄道が共用する駅である。



 駅舎に近い方に1面1線の単式ホームがあり、跨線橋を渡ると1面2線の島
式ホームがある。
その島式ホームを南北にJRと井原鉄道が使い分けをしているので、2面ホー
ムに5線有る駅と言うことになる。



 駅の開業は大正14(1925)年であるが、駅舎は当時のものではなさそうだ。
黒瓦葺き平屋の駅舎はどこにでもあるような何の変哲もない小さな地方駅その
もので、駅前にちょっとした広場があり、以前は大阪方面に向かう長距離バス
等も乗り入れていた時期があったらしいが、今は廃止され駐車スペースになっ
ている。(続)



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井原鉄道・井原線 (井原鉄道沿線の旅)

2018-09-17 | Weblog

 岡山県総社市にあるJR伯備線・総社駅から、同線の清音駅を経て広島県
福山市のJR福塩線・神辺駅までを15駅で結ぶのが、第三セクターの経営す
る鉄道「井原鉄道」だ。
山陽本線が比較的瀬戸内海に近い南部を行くのに対して、やや入り込んだ内
陸部を東西に貫いて走っていて、山陽線のバイパス的な路線でもある。

それは元々旧国鉄が吉備線(岡山~総社)の延伸路線として計画したものだ
からだ。しかし、国鉄の再建法により工事は途中で頓挫、それを地元自治体
や地場の有力企業、バス会社などが出資し引き継ぎ、工事を再開、開通にこ
ぎ着けた経緯がある。






 
 平成11年1月11日午前11時11分11秒、「1」が11も並ぶこの日時に最初の営業
車両の出発式が行われたことが話題をよんだのも記憶に新しい路線である。

 総社から清音の間は伯備線との供用区間で、多くの列車が総社と神辺の間で運
行されているが、一部清音始発着や、神辺から先山陽本線の福山まで乗り入れる
ものもある。主に一両か、二両編成ワンマン気動車の運行で、すべての列車がす
べての駅に停車するが、多くの駅が無人駅である。






 
 総延長が41.7キロあることから、同社の観光パンフレットには、「フルマラ
ソンと同じくらいの距離を走る井原鉄道」と紹介されている。
また、なだらかな丘陵地帯に広がる田園風景の中に引かれた路線は、多くが高
架や土盛りされた上を走るので、車窓の見通しもよく、「空飛ぶように走る鉄
道」と同パンフレットではうたっている。(続)


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被災地の支援 (井原鉄道沿線の旅)

2018-09-14 | Weblog



 災害発生と同時に地元の新聞社が義援金の受付を始めた。
約一ヶ月間受け付け8月の10日に終了したが、その間の善意は五千件余り6.8億
円に達したという。他にも放送局や日赤等での受付もあり、直接県や市町村に
持ち込まれたものなどを含めれば相当額に達すると思われる。



 やがて被災者にも配分されると思うが、残念ながら一人当たりにすればたい
した額には成らないだろう。家を無くした被災者にとってはほんの足しにしか
ならないと思うと、やるせない気持ちになってしまう。



 それにしてもこの国は本当に素晴らしいと思う。
災害が発生すると直ちに支援の輪が水紋のように広がっていく。
誰が指示をするのでもないのに、システマティックに動きが見えてくる。
義援金や、物資の支援を初めとして、この殺人的な酷暑の中でのボランティア
の方々の活躍には本当に頭が下がる。
その心根にあるのは「あのとき助けて貰ったから」「お互い様」の精神であり、
なんとか「力になりたい」「元気付けしたい」と言う義侠心だ。



 世の中には被災地の支援にもいろいろの方法があり、各々の出来る範囲で無
理なくすれば、それが幾つか集まって大きな力になることは間違いない。
この時期被災地を物見遊山で見て回る事は厳に慎まなければ成らないが、「被
災県を訪れ消費する事も立派な応援になる」とも言われている。



 ここからは、この度の災害が発生する少し前に、二回に渡り井原鉄道に乗り
沿線地域を回った時のものである。
被災された皆さんが、こんな豊かで美しい町だったその姿を思い起こし、一日
でも早く復旧・復興を目指して頂きたいとの思いでもある。(続)


                       (写真:災害前の真備地域)

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風評被害 (井原鉄道沿線の旅)

2018-09-12 | Weblog

 西日本豪雨の災害発生後県内の宿泊施設にはキャンセルが相次いだと言う。
災害発生から半月余りの間に、予約のキャンセルは10万人にも及び、その減
収額は10億円に上ると推計された。





 著名な観光地の中にも浸水被害があったが、多くはさほど深刻なものでは無
かった。殆ど被害の無かった倉敷美観地区や岡山城・後楽園など、県内の主要
な観光地でも軒並み観光客の入り込みが激減した。
県北部の美作三湯(湯郷・奥津・湯原温泉)でも、宿泊キャンセルが相次ぎ、
7月は前年同期比で最大88%の減少と伝えられている。



 確かに道路で通行止めの箇所は有ったが、その殆どには迂回路が設けられて
いる。鉄道も不通区間が少なからず有ったが、その区間はバスで代行され、多
少時間が掛かり不便ではあるが、目的地までたどり着けないと言うことは無い。



 県全体が甚大な被害に遭った。被害が大きくて観光客を受け入れていない。
道路がズタズタで現地に入れない等の情報が錯綜した結果だと言われている。
いわゆる「風評被害」である。



 こうした事から関係者からは、深刻な懸念の声が漏れ、県も「大変憂慮すべ
き事態」とし、早急にキャンペーンなどの手を打った。
8月初め宿泊料五千円の割引クーポンを、宿泊予約サイトを通じて二千枚発行
したところ、好評で即日に完売したとして、更に四千円の割引クーポンを一万
枚追加している。



 県は「観光産業を盛り上げたい」としているが、予算の制約もありこう言った
施策の効果は一時的である。ここに来て観光客は戻りつつあるが、やはり地道に
魅力を訴えて、観光客を取り戻すことになるだろう。
(写真上から後楽園・岡山城、倉敷美観地区、湯郷・奥津・湯原の美作三湯)(続)

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堤防の決壊 (井原鉄道沿線の旅)

2018-09-10 | Weblog


 2018年7月、中国地方に停滞した梅雨前線は未曾有の大雨を降らせた。
その結果河川の堤防が方々で決壊し、県内各地に大きな被害をもたらした。
多くは川の水が溢れ堤防を外側から削る「越水」がその原因らしいが、堤防や
その地盤に水が染み込んで崩れる「浸透」や、その両方が発生したと見られる
河川もある。



 旭川水系砂川の決壊規模は120メートルと言い、多くの河川が50メートル前
後の規模であったのに比べここは最大長となった。
それには「越水」と「浸透」の複合的な要因が加わったと考えられている。



 この堤防は、たまにウオーキングを遠回りするときに歩いていた場所だ。
元々砂川は天井川で、両岸の堤防は地面よりかなり高く盛り土されている。
普段は殆ど流れらしいものも無いような静かな川である。



 決壊した辺りでは、右岸も左岸も幅2~3メートルほどの舗装道路となってい
るが、両側から樹木や雑草が覆い被さっていて、道幅は見た目狭く見える。
そのせいか普段から車は余り通らないので、歩くには格好の環境であった。



 ご近所の他愛の無い噂話ではあるが、車が通らないので堤防の地盤が軟らか
く、モグラの格好の巣になっていて、その巣穴が災いをなしたという。
蟻の一穴でも水漏れは起きるらしいので、あながち無くは無いだろうが、そん
な噂話の真意はともかく、崩壊した堤防付近には土中から土砂が吹き出した痕
跡が認められたという。



 その「浸透」が川床の地盤なのか、堤防本体なのかは今後のボーリング調査
に委ねられ、その結果によって復旧の工法も変わるという。
いずれにしても本格的な復旧はこれからである。(写真は旭川水系砂川)(続)


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豪雨の被害 (井原鉄道沿線の旅)

2018-09-07 | Weblog

 5日から7日にかけて降り続いた梅雨前線・線上降水帯による豪雨は、
岡山や広島・愛媛など中四国地方を中心に甚大な被害をもたらした。
岡山県災害本部の8月3日迄のまとめによると住宅の全壊4063棟、半壊
1662棟、一部損壊483棟、床上・床下浸水約1万620棟、死者は61人、
行方不明3人と言う。



 旭川水系砂川の堤防が決壊した岡山市東区平島地区等での浸水範囲は、
南北に6.5Km、東西に3.5Km 、凡そ750ヘクタールにも及び、住宅浸水は
2230棟、浸水は最大で約1.5メートルと推測されている。
大きな被害が出ていながらこの地域での人的被害が無かった事は幸いで、
その為かマスコミからは殆ど注目される事も無かった。



 これを上回る甚大な被害が出たのが倉敷市真備町周辺域である。
高梁川やその水系の小田川や高馬川、尾坂川、高屋川等が十数カ所
で決壊した。それにより地区面積の4分の1以上が水没し、5000棟
近くが床上・床下浸水した。



 かつては暴れ川として知られた高梁川を治水し、今では倉敷市の
ベッドタウンとして発展を続ける町で、普段は静かな田畑の広がる
風景が一夜で一変した。



 豪雨による県内の死者・行方不明者は64名と報道されているが、
ここでは幼い子供を含め、51名が亡くなっている。多くは自宅で
逃げそびれた高齢者であった。



 報道写真によれば、川と町の境は無く、赤茶けた泥の海が一面に広がり、
そんな中にカラフルな建物が無残にもその屋根だけを見せている。
町中を貫く一筋の線は井原鉄道井原線の高架線である。濁流はその線路下
まで来たといい、浸水は最大で深さ5.4メートルに達していたと記録され
ている。(写真:岡山市東区と山陽自動車道下り線の様子)(続)





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