夜中に雨が降っていたらしい。
朝、カーテンを開けると目の前の木々がしっとり濡れ、道路には水溜りが出来ていた。
幸い今は降ってはいない。
どうかこのまま小康状態で持ってくれと、予定より少し早めに宿を発つ。
【写真:JRの田井ノ浜臨時駅】
ナビソフトで調べると、旅館から薬王寺までは、県道25号を15キロほど歩く事になる。
シーズンだけオープンするJRの田井ノ浜臨時駅、木岐の低い町並みを抜け、木岐漁港を左に見て、
の先のヘンロ小屋で休む。
【写真:木岐の町並み】
【写真:木岐漁港】
【写真:ヘンロ小屋】
案内板を見ると、薬王寺まで7.7キロと有る。
「アレッ?もうそんなに歩いたかな?」「そんなには歩いていないはずだが・・・」
疑問は直ぐに解けた。
海岸伝いにうねうねと曲がりくねって進む県道とは別に、遍路道は所々でショートカットしているらしく、
その分距離が随分と短くなっているのだ。
これからその短絡ルート、山座峠越えに入る。
北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)とはここまで前後して歩いて来た。
【写真:遍路道 山座峠越え】
何となく、同行するような形になっている。
峠道で雨が降ってきた。幸い木立に遮られ濡れる心配は無い。
峠を降りると雨も止み、やがて恵比寿浜。
【写真:遍路道 恵比寿浜】
薬王寺までは残り4キロほどだ。いよいよ近づいてきた。
緩やかに登る峠道を登り切ると、カーブの先に恵比寿洞が見える。
【写真:遍路道 恵比寿洞】
目を前方に転じると遥か先の小高い山の上に日和佐城が、その視界の右端に薬王寺の赤い
瑜祇塔が見える。
【写真:遍路道 日和佐を望む】
北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)とはここで別れ、途中、恋人岬から、海がめの産卵で
名高い大浜海岸に立ち寄り道草。
【写真:恋人岬】
【写真:大浜海岸】
暫く海岸で波と戯れた後再び県道25号に戻る。
日和佐の町に入り、厄除け橋を渡ると薬王寺の伽藍が間近にはっきりと見て取れる。
【写真:遍路道】
【写真:遍路道 厄除け橋】
門前通りの突き当たりに仁王門が建つ。
背後の山の斜面を巧に利用して、四段に伽藍が配置されている立派なお寺だ。
さすがに観光地・日和佐の厄除け寺だけあって参拝者も多く、門前は賑わっていた。
【写真:23番札所 薬王寺】
三十三段の女厄坂、四十二段の男厄坂を登り、本堂にお参り、納経を済ませると「発心の道場・
阿波23ケ寺」を無事打ち終えたことになる。
苦しい山登りも、急で長い下り坂も、単調なアスファルト道も、長閑な田舎道も、マメだらけの
足の痛みを堪えて歩いた事も、今になれば全てが思い出。
そして、苦楽を共有した多くの遍路達、お接待をしてくれた善意の人々、親身に世話をしてくれ
た宿の主、これらの多くの人々との出会い、これも今は思い出。
そんな思い出を沢山頂き、試練の道場をどうにか乗り越える事が出来た。

日和佐駅近くの喫茶店に入る。
【写真:日和佐の喫茶店】
道中、遍路道では中々飲む場所も無かっただけに久々のコーヒーが、胃に沁みる。
幸いと言うか、店には他のお客も居ないので、店主に断りここで着替えさせてもらう。
汗に濡れた白衣、シャツ、下着を脱ぎ、身体を拭いて、真新しいそれに着替えると、何処から見ても
ごく普通の、日和佐に遊びに来た観光客だ。
【写真:道の駅 ひわさ】
「道の駅ひわさ」で店を覗き、冷やかしながら電車を待つ。
昼過ぎ、JR日和佐の駅に、また見慣れた顔が揃った。
【写真:JR日和佐駅】
北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)は、これから鯖大師をお参りすると、牟岐行きの電車に
乗り込んだ。
「まだ陽が高いから、歩けるよ~っ・・」と冷やかすと、窓から出した顔の前で手を左右に振った。
【写真:JR日和佐駅】
我々は、行違いでホームに入ってきた徳島行きに乗り込んだ。
結構混んではいたが、
幸い席は空いていた。
ベンチシートの車内では、対面の目が気になって何となく食べ辛かったが、空腹には勝てず道の駅で
仕入れた弁当を食べる。
【写真:昼ごはん】
お腹も膨れ、多少の疲れも有ったのか、心地よい電車の揺れでいつしか眠り込んでしまった。
気が付くと徳島に到着していた。
【写真:特急うずしお】
ここで、飛行機で帰るという東京の夫婦とは別れ、高松行きの特急に乗り込む。
座席を確保し、荷物を置いてホームの売店にビールを買いに走る。
車内に戻ると、座席の上に見慣れない袋が置かれていた。
「何かな」と訝りながら中を覗くと、海老せんべいが入っていた。
我々が売店にビールを買いに行くのを見て、件の夫婦が気を利かせ置いてくれたのだ。
心の中の思いこそ違え、遍路道を歩くと言う同じ目的を持った、見ず知らずの者たちが、
ある日、ある所で偶然出会い、僅かの出会いの中で、苦楽を通じて心を通わせ、
そして必然的に、当たり前に分かれて行く。
この先再び会えることも無いであろう、まさにこれが一期一会と言う事か。
なのに、十年来の知己のような心遣い、こんな小さなことがとても嬉しく感じられた。
(四国遍路 完)
朝、カーテンを開けると目の前の木々がしっとり濡れ、道路には水溜りが出来ていた。
幸い今は降ってはいない。
どうかこのまま小康状態で持ってくれと、予定より少し早めに宿を発つ。

ナビソフトで調べると、旅館から薬王寺までは、県道25号を15キロほど歩く事になる。
シーズンだけオープンするJRの田井ノ浜臨時駅、木岐の低い町並みを抜け、木岐漁港を左に見て、
の先のヘンロ小屋で休む。



案内板を見ると、薬王寺まで7.7キロと有る。
「アレッ?もうそんなに歩いたかな?」「そんなには歩いていないはずだが・・・」
疑問は直ぐに解けた。
海岸伝いにうねうねと曲がりくねって進む県道とは別に、遍路道は所々でショートカットしているらしく、
その分距離が随分と短くなっているのだ。
これからその短絡ルート、山座峠越えに入る。
北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)とはここまで前後して歩いて来た。

何となく、同行するような形になっている。
峠道で雨が降ってきた。幸い木立に遮られ濡れる心配は無い。
峠を降りると雨も止み、やがて恵比寿浜。

薬王寺までは残り4キロほどだ。いよいよ近づいてきた。
緩やかに登る峠道を登り切ると、カーブの先に恵比寿洞が見える。

目を前方に転じると遥か先の小高い山の上に日和佐城が、その視界の右端に薬王寺の赤い
瑜祇塔が見える。

北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)とはここで別れ、途中、恋人岬から、海がめの産卵で
名高い大浜海岸に立ち寄り道草。


暫く海岸で波と戯れた後再び県道25号に戻る。
日和佐の町に入り、厄除け橋を渡ると薬王寺の伽藍が間近にはっきりと見て取れる。


門前通りの突き当たりに仁王門が建つ。
背後の山の斜面を巧に利用して、四段に伽藍が配置されている立派なお寺だ。
さすがに観光地・日和佐の厄除け寺だけあって参拝者も多く、門前は賑わっていた。

三十三段の女厄坂、四十二段の男厄坂を登り、本堂にお参り、納経を済ませると「発心の道場・
阿波23ケ寺」を無事打ち終えたことになる。
苦しい山登りも、急で長い下り坂も、単調なアスファルト道も、長閑な田舎道も、マメだらけの
足の痛みを堪えて歩いた事も、今になれば全てが思い出。
そして、苦楽を共有した多くの遍路達、お接待をしてくれた善意の人々、親身に世話をしてくれ
た宿の主、これらの多くの人々との出会い、これも今は思い出。
そんな思い出を沢山頂き、試練の道場をどうにか乗り越える事が出来た。

日和佐駅近くの喫茶店に入る。

道中、遍路道では中々飲む場所も無かっただけに久々のコーヒーが、胃に沁みる。
幸いと言うか、店には他のお客も居ないので、店主に断りここで着替えさせてもらう。
汗に濡れた白衣、シャツ、下着を脱ぎ、身体を拭いて、真新しいそれに着替えると、何処から見ても
ごく普通の、日和佐に遊びに来た観光客だ。

「道の駅ひわさ」で店を覗き、冷やかしながら電車を待つ。
昼過ぎ、JR日和佐の駅に、また見慣れた顔が揃った。

北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)は、これから鯖大師をお参りすると、牟岐行きの電車に
乗り込んだ。
「まだ陽が高いから、歩けるよ~っ・・」と冷やかすと、窓から出した顔の前で手を左右に振った。

我々は、行違いでホームに入ってきた徳島行きに乗り込んだ。
結構混んではいたが、
幸い席は空いていた。
ベンチシートの車内では、対面の目が気になって何となく食べ辛かったが、空腹には勝てず道の駅で
仕入れた弁当を食べる。

お腹も膨れ、多少の疲れも有ったのか、心地よい電車の揺れでいつしか眠り込んでしまった。
気が付くと徳島に到着していた。

ここで、飛行機で帰るという東京の夫婦とは別れ、高松行きの特急に乗り込む。
座席を確保し、荷物を置いてホームの売店にビールを買いに走る。
車内に戻ると、座席の上に見慣れない袋が置かれていた。
「何かな」と訝りながら中を覗くと、海老せんべいが入っていた。
我々が売店にビールを買いに行くのを見て、件の夫婦が気を利かせ置いてくれたのだ。
心の中の思いこそ違え、遍路道を歩くと言う同じ目的を持った、見ず知らずの者たちが、
ある日、ある所で偶然出会い、僅かの出会いの中で、苦楽を通じて心を通わせ、
そして必然的に、当たり前に分かれて行く。
この先再び会えることも無いであろう、まさにこれが一期一会と言う事か。
なのに、十年来の知己のような心遣い、こんな小さなことがとても嬉しく感じられた。
(四国遍路 完)