簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

インスタ映え(水島臨海鉄道に乗る)

2022-08-31 | Weblog


 近頃やたら「インスタ映え」と言う言葉を耳にする。
昔流に分かり易く言えば、撮影に最適な場所、或は物のようだが、若干
これとはニュアンスが違い、これに加えそこで撮られた写真を共有し共
感し評価し合う様、とでも言うのか、スマートフォンのSNSアプリ等
に投稿された見栄えの良い写真のことらしい。



 2017年には、日本の新語・流行語大賞の年間大賞にも選ばれるなど、
広く世間に知れ渡り、もはや社会現象ともなっている。
しかしブームとなったことで、一部には撮影による迷惑行為や、犯罪紛
いの行為などが問題視されることもあるようだ。
何れにしても他人に迷惑をかけないで写真を楽しむことが大原則である。



 水島臨海鉄道水島線は、球場前駅を出ると線路の高度を少しずつ上げ、
やがて市街地を見下ろす高架の上を行く。沿線途中の左側には、嘗てこ
の地に立地していた日本専売公社倉敷葉たばこ再乾燥工場への引き込み
線の跡が残されている。
これらを目にすると、改めてこの鉄道の役割の大きさを認識させられる。



 やがて列車はその先で、二面二線を持つ行き違いの出来る駅、西富井
駅に停車する。
 駅のすぐ横には、岡山県内を東西に貫く交通の大動脈、岡山バイパス
(国道2号線)が通っていて、線路は駅の先でその道路を跨いでいる。



 周囲には高層な建物が何も無く、突然いきり立つその武骨な姿の単純
トラス橋(だと思う)は、如何にも貨物列車を支えるに相応しく堂々と
居座っている。
沿線には名所名物が乏しく、変化が少ない中、唯一「インスタ映え」す
るとも言える景色である。(続)





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倉敷市営球場 (水島臨海鉄道に乗る)

2022-08-29 | Weblog
 倉敷運動公園にある倉敷市営球場は、戦後まもない昭和24(1949)年
にオープンした。両翼93m、中堅121m、収容人数1.5万人は、当時中国
地方最大の球場と言われていた。
  調べてみるとそのこけら落としは、東急フライヤーズVs大阪タイガー
スのプロ野球公式戦が行われ、収容人員の倍以上の観衆が集まったと伝え
られている。



 ちなみに東急フライヤーズは、戦後間もない昭和21(1946)年にセネ
ターズとして誕生、その後東映フライヤーズ、日拓ホーム・フライヤー
ズ等、幾多の変遷を経て本拠地を北海道に移した日本ハム・ファイター
ズの前身である。



また大阪タイガースは、昭和9(1934)年に阪神電気鉄道を親会社に、
甲子園球場を本拠地として、設立された球団で今の阪神タイガースだ。



 その後もメジャーリーグが来日した折や、プロ野球の試合が行われた
らしいが、最近ではもっぱら高校球児の予選大会や社会人野球の会場と
して使われている。
 しかし市街地にあり、住宅地に近いことなどから、たびたび騒音問題
が起こっていたようだ。



 その為今では、プロ野球の開催は、「倉敷マスカットスタジアム」に
その役割を移している。同球場は同市中庄の倉敷スポーツ公園内にあり、
平成7(1995)年にオープンした。
岡山市内にある県営球場が老朽化した為その代替えとして建設された。



 両翼99.5m、中堅122m、収容人数は3.0万人を誇る本格的な球場で、
プロ野球のオープン戦や公式戦などが行われている。
近接して補助野球場も整備されていることから、中日や阪神、楽天等が
ミニキャンプを張ったこともある。(続)





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球場前駅 (水島臨海鉄道に乗る)

2022-08-26 | Weblog
 距離にして2㎞、時間にして僅か4分ほどで球場前駅に到着だ。
駅は倉敷運動公園の、文字通り軟式野球場のバックネット裏に隣接して
設けられている。駅舎も無く、小さな屋根の下に待合用のベンチが置か
れただけのホームはやたらと長く、一面一線の簡素な無人駅である。



 水島本線の線路は、倉敷運動公園を横切るように敷設されている。
運動公園は市内のやや西寄りに有り、戦後間もなくから整備された。
 正面ゲートは駅とは反対側、市内を貫く国道429号線に面した南側に
あるので、駅付近が東の入口となっている。



 ホームの右手には武道館、弓道場やテニスコート、幼児プールがある。
左手に軟式野球広場が広がり、その奥にはサッカー場を兼ねた公認全天
候型トラックを有する陸上競技場が設けられていて、何れもナイター設
備が整えられている。
更にウエイトリフティング場、メイン施設であるトレーニング室を備え
た倉敷市営球場等がある。



 同駅のホームから先を見ると線路は、左に大きくカーブしながら上り
勾配で、築堤の様な上を行く。
市の中心部にも拘わらず不思議な地形と、見る度に思っていたが、調べ
てみてその疑問は氷解した。



 これは旧高梁川の堤防の上に敷設された線路であった。
元々高梁川は総社平野では、南流と東流に分かれていて、度重なる氾濫
を重ね、近世までに大きく西と東の川、二つの流れに集束されていた。



 大正年間には更なる洪水対策の治水工事として、西流を本流とする大
工事が行われ、結果東流は埋め立てられ廃川となった。
廃川となった川の堤防に鉄道が敷設されたのは、昔からの土盛りで地盤
が強固だからだという。(続)





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臨海鉄道 (水島臨海鉄道に乗る)

2022-08-24 | Weblog
 「臨海鉄道」と言うのは、主に臨海部の工業地帯に於いて運行される
鉄道である。
その主なものは、貨物専用或いか或は貨物中心の運輸が目的だ。

 今日全国には、「八戸」「仙台」「福島」「鹿島」「京葉」「神奈川」
「名古屋」「衣浦」と「水島」の9社の「臨海鉄道」が有る。
その内の2社は旅客取扱いも行っていて、西日本ではこの水島が唯一で、
もう一社は、茨城県の鹿島臨海鉄道である。





 水島臨海鉄道線水島本線は、倉敷市駅を出ると市中心部のマンション
や住宅等の住宅街の中を、山陽本線や伯備線と並走する。
暫く行くと大きく北に進路を変える伯備線とはお別れで、このあたりで
線路は複雑にJR線と絡み合い、接続されて直接山陽本線に乗り入れる。

 元々水島の軍需工場への物資輸送が目的であった路線は、今でも同地
区への貨物輸送の為重要な役割を担い、倉敷駅の構内に乗り入れ、そこ
からJRの鉄道網に乗って全国に繋がっている。





 この線を辿れば、山陽本線倉敷駅のホームまで辿ることが出来る。
物理的には、下りの1番ホームに辿り付けるので、そこを切欠けホーム
にすれば、短編成の水島臨海鉄道の列車の発着は充分に可能だ。
わざわざ駅の外を廻って乗換えるが、何で乗り入れが出来ないものかと
何時も思う。





 県道60号線を越える辺りで、これまで並走を続けてきた山陽本線とも
お別れだ。始発駅から凡そ2㎞、同本線の中では駅間距離が最も長いと
いう最初の駅に到着する。
南に向けて大きくカーブする築堤のその起点辺りに球場前駅が有る。(続)



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お雛列車(水島臨海鉄道に乗る)

2022-08-22 | Weblog


 水島臨海鉄道の倉敷市駅の待合室掲示板に、「お雛列車」の運行案内
ポスターが貼られていた。
倉敷・水島地域で行われる雛巡りのイベントに合わせ、その期間中に運
行されるようで、毎年行われているらしい。
折角なので何本かの列車を見送って、1時間ほど待てばやってくるこの
気動車に乗ってみることにする。



 路線は僅か11キロ余りで生活色が強いだけに、観光での利用は余りな
いようだ。ここには良くある一日フリーの乗車券や、観光目的の割引券
などの販売はされていない。
自動発券機で終点の三菱自工前までの乗車券を購入(350円)し、切符
を自動改札機に通す。



 改札を出てホームに立つと、正面にはJR倉敷駅の何本ものホームが
見えている。明るい日差しが降り注ぐなか、上り下りの列車が頻繁に行
きかい、活況を見せている。
 一方この一面一線の行き止まり駅のホームは背面が壁で、上屋がある
せいか日陰のようで多少薄暗く、やたらと長いホームが何となく寂しさ
を感じさせる。



 「お雛列車」のヘッドマークを付けた、水色のMRT300形気動車が
1両でやってきた。この頃になると、この列車が目的なのか、大きくて
立派なカメラを首から下げたアマチュアカメラマンと覚しき何人かの姿
も見られる。作品見物の親子連れ等が、どやどやと乗り込ん行く。



 車内に賑々しく飾られたおひな様は、沿線の園児や、鉄道会社の職員
による手作り作品だという。あでやかなピンク色の桃の花や提灯、運転
席後ろにはカラフルな紙で作られたお雛様が据えられている。
中吊りは、華やかな金紙の上でほほ笑むお雛様が飾られている。
「ほっこりとした幸せ」を乗せた列車は、定刻に倉敷市駅を発車した。(続)





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水島臨海鉄道水島本線(水島臨海鉄道に乗る)

2022-08-19 | Weblog
 水島臨海鉄道の水島本線は、JR倉敷駅に隣接した倉敷市駅から、同
市南部の水島地区にある三菱自工前駅までで、全線非電化の単線である。
営業距離は11.2Km、この間では旅客営業も行ない所要時間は25分ほどと
言う短い路線だ。



 旅客を扱う駅は10駅あり、そのほとんどが無人駅で、そのほかにも貨
物駅が1駅ある。
どの駅間もかなり短く市内電車並で、長いところでも倉敷市駅から次の
球場前駅間の2㎞が最長で短い所では400m程しか離れていず、ホーム
から先の駅が見通せるほどだ。



 三菱自工前駅から先は貨物専用の路線で、800m先の倉敷貨物ターミ
ナル駅が終着であるが、線路は更にその先の川崎製鉄まで続いている。
又、水島から分岐し東水島駅に向かう、貨物専用の港東線を3.6㎞ほど
有している。嘗ては専売公社倉敷工場への引き込み線が途中にあったら
しいが、今は工場の閉鎖と共に廃止になっている。



 倉敷の中心市街地から水島地区の工業地帯に向かう路線だけに、朝夕
は通勤客も多いのか、三菱自工前駅まで運行される列車が多い。
それ以外の時間帯では、途中の水島駅止まりとなっていて、それらは概
ね1時間に二三本程度設定されている。



 この鉄道の前身は、水島に建設された軍需工場・三菱重工水島航空機
製作所の専用鉄道で、昭和18(1943)年に開業している。
当時の倉敷駅は、現在の駅とは数百メートル程離れていたらしい。



 その後一時倉敷市が市営として営業を行った時期もあった。
現在は民間の鉄道として 水島臨海鉄道にその運営が引き継がれている。
旅客は年間180万人ほどだと言う。(続)





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倉敷市駅(水島臨海鉄道に乗る)

2022-08-17 | Weblog
 JR山陽本線の倉敷駅は、水島臨海鉄道水島本線との接続駅である。
とは言え、ホームは直結されていないので一旦JRの駅を出る事になる。
南口を出ると、大きな花時計を見下ろす、ペデストリアンデッキが広が
っていて、そこを通り南西側に降りる。

 飲み屋や食事処の立ち並ぶ、狭い通路を進むとその先に水島臨海鉄道
の倉敷市駅はある。





 「水島臨海鉄道のりば」と大書きされた看板が掲げられた鉄骨三階建
ての建物だ。結構大きな駅を構えているように見えるが、実は駅はその
一階部分だけで、ビルの上階は全てが駐輪場になっている。

 駅舎に入ると左手は待合となっていて椅子が置かれ飲料水などの自動
販売機がある。正面に駅務室があり、ここには駅員が駐在している。
その横には自動発券機と改札口があり、ごくありふれた普通の駅風景だ。





 ここ倉敷もそうだが、JRの駅とそれに接続する民間鉄道の乗り継ぎ
は、もう少し利用客の利便性が考慮されても良いのではないかと思う。

 JRとそこから派生した三セク鉄道の場合は、ホーム ツー ホーム
で乗り換えが出来る所が多いが、それが民鉄だとそう上手くはいかない。
多くの駅ではJRの改札を一旦出て、少しの距離を移動して改めて民鉄
の改札を通る。





 これならまだ良い方で、駅によっては駅舎を出て、外から回り込まな
いと民鉄の駅に辿り着けない所もある。
線路が別方向に向いているのなら兎も角、並走しているのなら、せめて
ホームからホームで乗り換えが出来ないものかと何時も思う。
今の時代なら、券売機・精算機と自動改札機が有れば、対応が出来ると
思うのだが。(続)




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倉敷の「ひやさい」(水島臨海鉄道に乗る)

2022-08-15 | Weblog


 倉敷観光のメインエリアと言われる倉敷川に沿った通りが、「和」・
「洋」入り交じった浪漫薫る「表通り」なら、さしずめ鶴形山南麓辺り
から東西に延びる本町や東町から本通りの一帯は、「和」の「裏通り」
といった所である。



 倉敷人は、細い路地を「ひやさい」と呼ぶ。
通りが狭くて日が当たらないことからこの名が付いたと言われている。
鰻の寝床のように長く延びる町屋に沿って、幾筋もの「ひやさい」が延
びている。

 そこを抜け裏通りに出てみると、そこにも伝統的な町屋などの建物群
に混じり、多くの店舗を目にし、思わぬ発見をする事も有る。



 本町から本通りは、倉敷と早島を結び、早くから開けた街道筋ではあ
るが、ここには昔のままの風景がしっとりと落ち着いた佇まいのまま残
されていて、格子や窓などにどこか懐かしい風情が薫っている。

 美観地区内では最古の井上家住宅や、明治中期の楠戸家住宅など由緒
ある町屋も残されており、何れも国の登録文化財の指定を受けている。



 大正11(1922)年に第一合同銀行倉敷支店として立てられた、ルネッ
サンス様式の洋風石造り、ステンドグラスの美しい建物は薬師寺主計の
設計で、国の登録有形文化財の登録を受けている。
 後に旧中国銀行倉敷支店となり、平成28(2016)年に営業を終えた建
物は、その後大原美術館に寄贈され児島虎次郎館に再生された。



 更に周辺には「桃太郎からくり博物館」、「いがらしゆみこ美術館」、
将棋の「大山名人記念館」、「倉敷芸文館」等施設が目白押しで、立寄
りたい場所に事欠かない。
倉敷の見どころは表通りだけではなく、時にそこを外れそんな路地に入
り込むのも面白い。(続)





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倉敷アイビースクエア(水島臨海鉄道に乗る)

2022-08-12 | Weblog
 倉敷河畔から、土産物等の店舗が犇めく路地のような通りを抜けると、
「倉敷アイビースクエア」がある。
赤煉瓦と蔦(アイビー)が美しい、高い塀に囲まれた複合観光施設だ。



 元々ここは、関ヶ原の合戦以降、徳川幕府の直轄地(天領)となり、
倉敷陣屋(倉敷代官所)が置かれた場所である。
明治維新の動乱で、長州藩騎兵隊を脱退した一味に襲われ代官所は灰燼
に帰し、辺りは焼け野原と成り、放置されたままの荒れ地になっていた。



 大原家等の出資を受け、「有限責任倉敷紡績所」が資本金10万円で設
立された。それを受けてここに倉敷紡績の本社工場が建てられたのは、
明治22(1889)年の事である。

 以来同社の主力工場としての地位は、大正4(1915)年倉敷駅北に出
来た万寿(ます)工場(後に倉敷チボリ公園、現在は倉敷みらい公園等)
に、倉敷工場の名称を譲る昭和29(1954)年まで続く事になる。



 その後工場跡地は、新たな「アイビースクエア」として改装工事が進み、
昭和44(1969)年には倉紡記念館が、その3年後には児島虎次郎記念館が
整備され、昭和49(1974)年5月23日には竣工式が執り行われている。



 シンボルである蔦(アイビー)は、工場内の温度・湿度を調整する目
的で、井戸水を循環させる冷房との相乗効果を狙って植えられたものだ。
夏は緑の葉を茂らせ、冬には落葉する事で、夏は暑さを凌ぎ冬は陽を受
け入れる、自然に内部の温度調整を果たしていた。



 赤煉瓦と蔦の絡まる回廊を取り巻いて、ホテル、レストラン、多目的
ホール、手作り体験工房、土産や飲食のショップ、ブライダルチャペル
等が配置されている。
古き工場の面影を随所に残しながら、新しさとの調和が良くはかられた
魅力的な施設となっている。(続)





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白壁土蔵と町屋の共演(水島臨海鉄道に乗る)

2022-08-10 | Weblog
 倉敷川の掘り割りと岸辺の柳、白壁の土蔵と瓦屋根の町屋、印象的な
建造物が軒を連ねる「倉敷美観地区」は、昭和54(1979)年に重要伝統
的建造物群保存地区に指定された。


 
 その中心的な施設「大原美術館」の対面に見える、緑色の泉州瓦がま
ぶしい緑御殿と呼ばれる建物が町屋の代表・旧大原家住宅(重要文化財)
有隣荘である。



 倉敷川沿いには、国内外を問わず世界の民芸品を展示する倉敷民芸館、
古代吉備や古代ペルー、アンデスを中心とした考古資料を展示する倉敷
考古館、日本全国の玩具や工芸品を展示する日本郷土玩具館等等がある。
これらは何れも江戸後期の米倉を改装した白壁土蔵造りの施設である。



 倉敷川に架かる石橋の存在も見逃せない。
大原美術館前の今橋は、児島虎次郎がデザインした龍と菊の紋の彫刻が
施されている。



 「くらしき川舟流し」が潜る中橋は、明治10(1877)年に板橋から架
け替えられた石橋で、橋桁には一枚岩がアーチ状にして用いられているの
は舟運を考慮したからだ。


 
 高砂橋は、元は大原美術館前に架けられていた。
大正15(1926)年に今橋が架けられた折、今の場所に移されたが、橋は
江戸末期に建てられたものだ。



 こうした由緒ある建造物が点在する一帯には、地域文化の発信基地と
して運営する関連校生徒の作品などを展示する加計美術館や、観光・文
化の拠点として開館した倉敷物語館等もある。

 一帯には、土蔵や町屋を改装した旅館や土産屋、食事処、更にはギャ
ラリーや雑貨店等が軒を並べ、近頃ではカフェなどの洒落た店も進出し
倉敷観光のメインエリアとなっている。(続)



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