安上がりなところも「極上」と自負しています。植物を
愛で、自給自足のフラワーアレンジ、そして何かを作る、描くなどです。
極上のひとり遊び
スピリチュアル園芸生活(45)
先日、NHKの「彼女は安楽死を選んだ」について、
書きましたが、安楽死、尊厳死について考えてみました。
私は、安楽死には反対ですが、延命治療は受けたくないので、
尊厳死は選択したいと思っています。
延命治療は、季節が変わって枯れるべき植物を、
人工的に温度管理して、肥料を与えて無理矢理
花を咲かせているようで、自分にとっては、
不自然な苦痛と思えるからです。
植物が枯れるように、自然に死を迎えたいです。
それが、尊厳死だと思います。
自然に死にたいと言えば、家族も納得してくれるでしょうし、
「それが自然」と考えれば、
「本当によかったのだろうか......」などの
トラウマも残らないと思います。
もちろん、本人の意思を明確にしておく事が大切なので、
私は、エンディグノートに記しています。
延命治療しないことを「消極的安楽死」などとも言いますが、
人工的ではなく、自然に肉体が働かなくなった上の事なので、
その言葉は違う気がします。
そういう意味では、安楽死も人工的なもの。
はっきり言って、先日の番組を観て、自殺と同じだと感じました。
他の人の手を借りた上、最終的には
自分でボタンを押すのですから............。
自殺する方は、「死んだら無になる」と考えての事だと思いますが、
スピリチュアルな視点では、「死」は肉体だけのもの、
「たましい」は永遠、死にません。
人生を全うすると決意して、この世に生まれて来るので、
途中放棄となり、霊界で必ず悔やむ事になります。
あの世に行ってから、「自殺して良かったと」と
思うたましいは、ひとりもいません。
そして、次に生まれて来るとき、必ず同じ課題に
挑まなくてはなりません。
再度難病を抱えるなどで、安楽死を選ぶか否かの苦悩を背負うのです。
課題を乗り越えて生き抜くまで何度も、その課題に挑む事になります。
だから、「乗り越えれば良かった」と悔やむのです。
何があっても、とにかく最後まで生き抜く事が、
とても大切だと思います。
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