コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

瀬田の唐橋まであと少し~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 18:47:23 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

瀬田の唐橋まであと少し

▲「三条大橋迄で五里余り」とある。20kmか~

▲でっちようかんは やめてしまったようだ! 2011年8月の様子

▲唐橋はこの先!

▲歩道上のモニュメント

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月輪池一里塚址 (120里)~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 09:16:34 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

月輪池一里塚址 (滋賀県大津市一里山)

 

一里塚は、徳川幕府が旅人の目じるしに江戸の日本橋を起点として、東海、東山、北陸の三道に一里ごとに設けられた塚です。ここにあった一里塚は東海道の大津と草津の間に位置するもので、大きな松の木が植えられた塚でしたが、惜しくも明治末期に取り除かれました。その場所は旧道と広い市道の交差しているこの地点にあたります。現在の一里山という地名が一里塚のあったことを物語っています。

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大津市一里山

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月輪池と東海道立場跡~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 09:15:48 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目
 

月輪池と東海道立場跡

月輪池(上、下二池有)大萱地、月輪禅閣藤原兼實の荘園があった関係か、道中旅人が池に映る月の影に感嘆して名付けたかは不明。

▲このあたりは立場であったのでしょう

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大津市へ~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 08:10:47 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

大津市へ

▲ここから大津と書かれた櫓

▲マンホールの絵柄は多彩:観覧車・鳥・ヨット・ボート・豚・瀬田の唐橋など

▲絵柄が少し違う!観覧車がない!

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街道の様子~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 07:35:33 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

 

街道の様子

▲南笠東小の櫓の道標

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弁天池~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 07:27:37 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

弁天池

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野路萩の玉川~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 07:26:28 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

野路萩の玉川

ここ野路の玉川は、平安時代末(12世紀)から有名になった歌所で、萩の玉川とも言われ、日本六玉川のひとつとして知られています。野路はまた鎌倉時代、有名な宿駅でもありました。野路の玉川は、平安、鎌倉時代の東山道沿いに位置し、往来の旅人たちも、秋には「詩に詠まれている、野路の篠原(現在の平野)」あたりを越えると、一面になみいる萩の花の景観を堪能したことと推察されます。 野路町内会ホームページより

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街道の様子~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 07:14:30 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

街道の様子

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野路一里塚 (119里)(滋賀県草津市野路)~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 07:13:46 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

 

野路一里塚 

滋賀県草津市野路

▲野路一里塚のある公園の遠景(京方向から)

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街道の様子~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 07:07:16 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

街道の様子

▲稲荷神社

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矢倉道標(瓢泉堂)(滋賀県草津市矢倉)~旧中山道を歩く(23回目)

2013-11-10 05:52:31 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<草津宿(駅)~三条大橋
2013年11月4日 23回目

矢倉道標 (瓢泉堂)

滋賀県草津市矢倉

東海道と矢橋街道の分岐点にあたる、かつて「姥ケ餅屋」があった場所の北の軒先に寛政10年(1798)に建てられた一基の石造道標があります。これは、東海道を道ゆく旅人を矢橋の渡し場へと道案内するものでした。この道標は、歌川広重の描く浮世絵をはじめ、「東海道名所図会」や「伊勢参宮名所図会」などに紹介された「姥ケ餅屋」の軒先にも描かれています。江戸時代にここにあった「姥ケ餅屋」も明治になって移転しましたが、現在は瓢箪を製造販売されている瓢泉堂という店があり、道標は今もかつて多くの旅人が行き交った昔の面影を持ち続けています。 滋賀県観光情報より

 

▲「右やばせ道 これより廿五丁 大津へ舟わたし」
 

東海道五十三次の52番目の宿場・草津宿の南に続く矢倉村。立場とは、宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことから付いた名で、矢倉村には草津名物の「うばがもち」を売る店があった。この地にそのうばがもちがあり、歌川広重の浮世絵や「東海道名所図会」「伊勢参宮名所図会」などに旅人が立ち寄って、うばが餅を賞味する光景が描かれている。また、ここからは対岸の大津へと琵琶湖の湖上を渡る「矢橋の渡し」の渡し場である矢橋湊へ続く矢橋道が分岐していた。浮世絵などにも描かれた道標が、今も軒先に建っている。旅人は、俗謡に「瀬田へ廻ろか矢橋へ下ろかここが思案の乳母が餅」と詠まれ、旅人の多くは、ここで東海道を瀬田橋まわりで行くか、矢橋道を経て、矢橋湊から船で大津へ渡るかを思案した。そして、この地と矢橋の渡し、瀬田橋は、よく使われる俚言(世間でよく使われる言葉)で「急がば回れ」の語源になった所でもある。
・ 武士のやばせの舟は早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋(「醒睡笑」)
と詠まれ、近道であっても、湖上が荒れて舟が出なかったり、風待ちをしたりする矢橋の渡しを利用するより、回り道でも瀬田橋まわりのほうが着実であることから、成果を急ぐなら、遠回りでも、着実な方法を取るほうが良いことを指南したのである。
 
 

▲東海道53次 草津 中央に「姥ケ餅屋」その右には道標が描かれている
 
☆cosmophantom 
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