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2015年4月25日 目指すは日光東照宮 5回目
小金井一里塚(22里)
栃木県下野市小金井4丁目
小金井一里塚は、江戸時代の五街道のひとつである日光街道沿いにつくられ、江戸(東京)日本橋から22里(約88キロメートル)の地点にあります。二つの塚がほぼ完存していることなどから、日光道中で唯一国指定史跡に指定されています。長年風雨にさらされたため、形が崩れて円形化していますが、現状で1辺約12mの大きさで、つくられた当時は方形であったことが、測量調査でわかりました。下野市ホームページより
旧道は一里塚手前の畑で行き止まり
▲手前が左塚 奥が右塚▼
国指定史跡
小金井一里塚 大正十一年三月八日指定
この二つの塚の間を通っている道が江戸時代の五街道の一つ、日光街道です。江戸幕府が五街道の整備に着手したのは慶長九年(一六〇四年)で、栃木県令三島通庸が今の国道四号を作ったのが明治十七年(一八八四年)ですから、この日光街道は約二八〇年もの間、東北地方への主要道路として使われていたのです。一里塚は、江戸の日本橋を基点として一里(約三・九二七キロメートル)ごとに築かれました。小金井一里塚はその二十二番目の塚で、江戸から二十二里(約八六・四キロメートル)の地点であることを示しています。(実際の距離は九〇キロメートル以上あります)塚は五間(約九・一メートル)四方の四角形に築かれ、榎が植えられていましたが、今ではすっかり変形して丸塚となり、何代目かの榎と、いつの時代に生えたのか、榎と檪の巨木が同居しています。一里塚は、荷物や人を運ぶ賃金の標準となり、旅人にとっては道のりの目安になって、大変便利でした。また、現代の私たちにとっては町のシンボルであり、過去と未来を結ぶ文化財です。大切に保存しましょう。 平成二年(一九九〇)建立 国分寺町教育委員会
本文 cosmophantom